『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)
4 二つに引き裂かれた夢―子どもの中の成長と回帰
夢を見るようになった。夢の中には一人の男がいた。背を丸めた年寄りの時もあれば、補注網を掲げた少年の時もあった。男は一人でいながら、常にもう一人の男を意識していた。それが夢を見ている男自身だと気づいた時には、もう男は男自身から逃れることのできないのを知った。
それでも男は逃げた。男は追った。男は、バスの上から夜の町を見下ろしている時もあれば、素足で焼けつく砂を踏みしめて走っている時もあった。長距離列車のすえた魚のにおいのする座席に身を沈めて旅に出ている時もあれば、陽の当たらない露地の奥で石けりをしている時もあった。男は、一人として同じ男ではなかった。そのあわや寸前!という逃げ方追い方も一つとして同じものではなかった。しかし、夢を見終わった後、水中から浮かび上がった時感ずる一瞬のめまいのような意識の中で男が思ったのは、(ああ、また同じ夢を見た)ということであった。
その夏私は自転車に乗りたくなった。少年の頃から長い間自転車に乗っていないことにふと気がついたからであった。兄の家から自転車を借りて、坂道の多い通りを走らせた。その辺りは、かつての私の通学路であった。潜在意識が私を運ぶのか、手足はひとりでに自転車を操り、道を曲がり、横切り、いつもの道を進んでいった。
坂を下っている時だった。私は冷水を浴びせられたような気がして立ちつくしてしまった。そこは、細い道が左に傾斜したように下っていた。緩やかに左にカーブしたところで豆腐屋に突き当たっていた。両隣はそば屋とクリーニング屋で、そのつづきは坂の上からでは見通せなかった。しかし、私は目に見えない空間を知っていた。下り道は「そ」の字のように複雑に交錯していた。真夏の昼下がり、家並みが濃い影を落とす底のほうには誰もいなかった。
目に見えない糸に引かれながら、私が感じたのは、夢の中の風景だった。目に捉ええる風景ではなく、無意識の深層にあっても心象が織りなす基本図型とでもいうのか―要するに、逃げて追う夢の中の形が集約され昇華されてそこに描かれたのだ。私はじっとしていることができなくなった。私の目の向こうを確かに一人の男が走っていた。それは目覚めていて見る夢だった。
小さな子どもだった。ランドセルをカタカタ揺すり、小さな白い足をはね上げるようにして逃げていく。私はフルスピードで自転車を飛ばし、豆腐屋のよどんだ油臭い匂いのする底を左へ曲がった。
(ああ、ここで見失って、転んで、苦しんで、もどって、少し笑って安堵するんだ・・・。)
私は、この道なら細部にわたるまで覚えていた。覚えていなくとも、いつも見る夢の形の通り走ればよいのだ。道は「そ」の字に折れ曲がり、過度にラーメン屋の屋台が張り出すように置かれている。この道は何度通ってもおどおどする。行き止まりのように見えるだけでなく、急勾配で左に傾き、滑りそうになるのだ。
いつかの夢の中では、私は雪を被った列車に揺られて長い旅をしていた。列車はいきなり転覆した。私はあやうく下敷きになるところだった。やっと這い出そうとしたら、あの男がなおも追ってくるのが見えた。私はつるつるのすりばちみたいなところを滑っていた。すぐそばで青く光る腕のような格好で闇にひっかかった。手の向こうにやさしい光が見えてきた。まばゆいばかりの海が広がった。私は手の先から海の中に滑り込んだ。しかし、私の足は男のたくましい腕にがっちりと捉えられていた。(助けてくれぇ・・・。)そう叫んだように思ったら、目が覚めていた。(そうだ!追わなければ・・・。)私は急ブレーキをかけながら、「そ」の字の坂を滑り降りた。崩れたレンガの工場塀が続く電車通りに出た。しかし、車輪を軋ませる市電もランドセルを背負った子どもの姿も、もはや見えなかった。
その夏、私は小学校と中学校の回りを自転車で走りまわった。追うのも逃げるのも自転車に乗っていると安心だったのだ。しかし、私は心の奥のどこかで(逃げることはないじゃないか?)ともう一人の男が叫ぶのを聞いた。そう、なぜ私は逃げているのだろう。私は何を追っているのだろう・・・。繰り返し自問された言葉が、今波のように盛り上がってやってくる。
「私たち」は、あの日から出会うことの許されない鬼ごっこを繰り返しているのではなかろうか。五歳の私、九歳の私、二十歳の私、そして現在の私は、深層心理のそこでふと交差することはあっても、互いの存在と影のぬくもりを確かめ合うことはあり得ないのだ。
こんなことを思うようになったのも、昨年くれにスピルバーグの『E・T』を見たからだろう。E・TはEXTRA−TERRESTRIAL(宇宙人)のことである。三百万光年離れた惑星からやってきたE・Tは植物学者であり、地球上のあらゆる植物と心を通じ合わせることができる。この作品は、ふとした事件から地球に取り残されたE・Tが、エリオット少年と出会い、交感を深め、大人たちに発見され、危機に陥り、救い出され、里へ帰る(別れる)までを描いた一種のラブ・ロマンスである。
E・Tがエリオット少年にテレパシーを送ったのには理由がある。彼が子どもだったからなのか。俗に言う問題児だったからなのか。たぶん二つとも当たっているだろう。子どもを「異文化」として捉え、「子どもの世界こそ人間意識の深層の構造が表面化する第三の領域である」(注1)と言ったのは山口昌男である。そして、イメージを歪形する能力に優れた子どもをフリーク(奇形者)として賞賛したのは『走れナフタリン少年』(北宋社)を書いた川本三郎である。E・Tが少年を選んだのが、イノセンス(無垢)やイマジネーション(想像力)ではなく、セイシンの不安定さという心象特質なのは興味深い。
子どもは、主知主義にどっぷりつかった大人のように「自我」あるいは「理性」の領域だけでは生きていけない。彼らは無意識の深層から照射されてくる心的エネルギーというものに常に揺り動かされている。無意識に退行し、自我に進行するという繰り返しの不安定な心象の中で、眼前にある事象を取りこんでいく。祖となる世界の具体的な事物と響きあって、それらを並べ替え組み換え、歪形し、様々なイメージとして繰り返し創り出す。つまり、『はてしない物語』のミヒャエル・エンデの指摘する擬人間的世界観(人間の眼でものを見る)(注2)を持ち、きわめてコスモロジカルな感覚、宇宙的親和力によって支配されているといえる。
ともあれ、この映画が感動的なのは、出会いではなく、「別れ」を描いているからだろう。地球人的感覚としては、あまりに醜悪なE・Tと少年が抱き合うラストシーンは、ピアスの『トムは真夜中の庭』でのバーソロミューおばあさんとトムとの抱擁の場面に劣らず美しい。時間というものほど、子どもにとって残酷なものはない。子どもは常に二つの矛盾した夢に切り裂かれている。一刻も早く成長したいという願望といつまでも子どものままでいたいという願望によって縛られている。子どもが、そして人間が時間の呪縛から逃れられるのは、バシュラールが詩的瞬間(注3)と呼んだ垂直時間に立つときだけである。このことの一つの方法は、内なる時間(自己)を互いに重ね合わせるという愛と呼ぶような交わりにおいてである。トムもエリオットもこのようにして一見不可能とも見える老人や宇宙人と共有する時間を持ち、切り裂かれる時間の宿命からマジック(奇跡)を実現させたのである。
SFメルヘンと言われ、E・Tの超能力によって月夜に自転車で空を飛ぶ子どもたちの姿は限りなく美しい。しかし、決して夜空や飛行や幼さやイノセンスが美しいのではなく、異質な二つの心が一つに溶け合うことにより生じたマジックが感動を呼ぶのである。
文学あるいは児童文学は夢(マジック)を描くものであると思うが、夢は美しければ美しいほど悲しいものである。私たちは、『はてしない物語』(エンデ)のバスチアン少年や、『ブリキの太鼓』(グラス)のオスカル少年、『木のぼり男爵』(カルヴィーノ)のコジモ少年や、『かれらが走りぬけた陽』(三木卓)の少年少女たちの喜びと同時に、悲しさの深さを知っている。真実を語る文学は人間存在の根源から眼をそらすものではない。美しさと悲しさが何によって来るべきものかを提示するものである。
それにしても、映画『E・T』(コツウィンクル 池央訳 新潮文庫)は、多くの別れを語っている。人間を一筋の縦糸と見るならば、幼児のガーティ、少年のエリオット、青年期直前のマイケル、中年の母メアリーとさまざまな人間の喪失の時間を暗示している。そして、エリオットの心の痛みや歓び以上にひしひしと胸を打つのは、夫と別れ、日々成長する子どもたちに置き去りにされていく孤立感をかみしめているメアリーである。「あの子は十二で初体験、幻覚剤十五錠にワイン一本・・・」と歌う子どもたちに旋律と驚愕を覚えながら、一個六ドルもする石鹸で小じわをとり、しみ・ソバカスを防ぐメアリーに中年としての悲哀を感じるせいだろうか。
否、たぶんそれは、子ども時代のカーニバル(注4)をふり返ることしかできないと知りつつも、なお二つの矛盾した夢に切り裂かれ続けている人間としての《現実》に共感を覚えるからだろう。児童文学は、子どもが大きくなってどのような大人になろうとも、それは夢でも何でもない。文学は代用の幸福ではない。『ナルニア物語』を書いたC・S・ルイスは文学作品を一連の《窓》であると規定し、優れた作品を読んだ後で感ずることの一つは「外に出られた」(注5)ことであると言っている。
八〇年代後半はある意味で児童文学が注目を浴びるだろう。しかし、それは自動のための文学ではなく、人間のための文学としてであろう。子どもの中に異文化としての存在を見、道を失ってしまった大人たちが振り出しに戻るための拠り所とするだろう。すでにガーナーは「根っ子」(注6)の大切さを主張し、エンプソンは「大根(おおね)」(注7)と言い、エンデは主知主義を攻撃し、「われわれが生きてゆくうえに根本的に必要なのはポエジーだ」(注8)と述べている。それらは、私たちが文化的成熟をめざすあまり、どこかで見失ってきたものばかりである。「実をいうと、私は、ある意味で信じてはいないのです。かつての子どもが大きくなってこの私になったなんて。あの子どもはどこかにいるのです。私は彼のことがひどく気がかりですし、彼には大きな関心を持っています」(注9)こう言ったのはセンダックである。
私が夢の名kで出会う幼い男たちは、私そっくりでいて同時に私と似ても似つかない男たちである。私は、私として逃げ、私として央という戦慄と郷愁に汗をいっぱいかいて目覚めながら、案外相して彼と会うことにある種の安らぎを得ているのかもしれない。成長願望(死への進行)と回帰願望(生への退行)は決して交わるはずのないのは百も承知しているが、それでも白状すれば、こうして深夜筆を走らせながらも、もうあと数行書けば、汗臭い布団の中にもぐりこんで、自転車で「そ」の字の坂を疾走そいながら、私(死か生)がもう一人の私(死か生)を追ったり追われたりすることができるのでは…という期待に胸震わせているのである。
注1・4 「原理としての子ども」大江健三郎と山口昌男との対談『海』1982年12月臨時増刊〈子どもの宇宙〉中央公論社。
注2・8 「講演・児童文学をこえて」上田真子訳 『はてしない物語』によってドイツ児童文学アカデミー大賞を受賞したときの記念講演、1980年。『海』1982年12月臨時増刊号収録。
注3 『瞬間と持続』掛下栄一郎訳 紀伊国屋書店。
注5 『新しい文芸批評の方法』山形和美訳、評論社。
注6 「神話の沈黙のなかから」『子どもの館』1973年9月号収録、福音館書店。
注7 『子どものイメージ』ピーター・カヴニー、江河徹訳、紀伊国屋書店。
注9 「かいじゅうたちにかこまれて」ナット・ヘントフ、清水真砂子訳『オンリー・コネクトV』収録、岩波書店。
テキストファイル化中島晴美