『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

5 ディスクーリング論

 エレン・ケイが『児童の世紀』(注1)の中で、これから始まる20世紀はまさに子どもの世紀であるといったのはもう随分昔のことだが、80年代を迎えた日本の子どもたちはこれを聞いてどう思うだろうか。神宮輝夫は『児童文学の中の子ども』(NHKブックス 1974)の冒頭で、「1960年代の中頃から、イギリスをはじめ、あちこちの国々で、児童文学に登場する子どもの姿が変わってきた。あまり元気はつらつともしていない、そして誠実な努力の結果、必ずしも幸福をつかむことのない子どもたちがあらわれてきた」と述べた。高度成長や機械文明の急速な進化の中で、貧困や格差による蔑視と同じ位、あるいはそれ以上に深刻な内的葛藤が子どもたちの心を蝕んでいるのは事実である。
 安藤美紀夫は『子どもと本の世界』(1981)において、家庭の問題を取り上げ、『ハックルベリ・フィン』から『愛について』までの家庭観の変遷を述べ、子どもを不幸に落とし入れているのは、しばしば「親の善意の無理解」であることを指摘した。『トムは真夜中の庭で』(ピアス)のアラン夫妻のように、大人たちはかつての自分をあっさり忘れて、子どもを恣意的表面的な部分でしか捉えず、まるで自分を慰めるかのように必要以上に愛情をそそごうとする。
しかし、大人と子どもの関係は、単に当事者たちにその責任を帰すべきではない。二つの大戦を経験した日本は、その後の三十数年、人間の暮らしにとって必要な科学が、科学にとって必要な暮らしへと変貌する歴史であったといっても過言ではない。80年代に入って、子どもも大人も著しい変化を強いられている。現在13,4歳という最も危険な年齢の子をもつ中年夫婦は、わが子の教育をどうすればいいか確信をもてなくなってしまっている。かつての世代間(子⇔親⇔祖父母)の対話もなく、教えられる人もいず、自分たち自身で判断して生きていかねばならない。一方、子どもたちはどうだろう。毎日のように、子どもの自殺、他殺や暴力や家出や非行といったものが新聞紙上をにぎわす。もちろん、今も昔も変わらないことも多いが、現代社会により顕著な現象も多々あると思われる。大人のみならず、子どももまた人間疎外の状況の中で危険で孤独な淵に立たされているのである。
 本来子どもは、ブレイクが讃えたように「喜ぶために生まれた小鳥」(注2)である。子どもはじっとしていることができない。多くの失敗をくり返し、突拍子もないことを次々としでかしながら成長する動的な人間である。しかし子どもは、成長するにつれて、彼を取り巻く世界が彼にとって都合のよいことばかりでないのを知るようになる。この世の中は矛盾だらけで、家庭や学校で習った真理など何の役も立たないとさえ思うようになる。子どもは人生の先輩である大人たちに、その手がかりを見つけようとする。人生がどんなに不条理に満ちていようとも、大人たちは自らの生を精一杯燃焼させているにちがいないのだから。
 しかし、子どもは自らを満足させるような答えを?むことはできない。大人たちはつくり笑いはしているものの、あきらめ、疲れ切っていて、時として居丈高にさえ見える。子どもはじっとしていることが苦手である。心の深層から生命の炎が湧き上るのを抑えることができない。子どもは、今在る自分を乗り越えようとする。子どもは不正や不条理に対して我慢しようとしない。子どもの生は自己中心そのものであり、かたくななまでに真剣であり、妥協を許さない。彼らの言動がときに激しく暴力的に、社会や社会を構成している大人たちに対して投げつけられるのは、このような純烈な精神のゆえである。
川村たかしの『昼と夜のあいだ』(階成社)には、社会や大人たちに対して孤独な闘いを繰り広げる少年少女たちが登場する。彼らの家庭は、アルコールやギャンブルに身をもちくずす親や、障害をもつ親、精神異常の親たちによって崩壊されている。親たちの身を追いこんだのは社会のひずみであるが、子どもたちはその犠牲となって心ならずも働きながら学ぶことを余儀なくされるのである。彼らを取り巻く社会は、家庭を越えて学校という場に浮き彫りにされる。学校はいわば、家庭に捨てられた彼らの憩いの場であると同時に、社会に対して身を守り、対決し、自立する試練の場でもある。
しかしながら、子どもたちはここでもまた、理不尽な闘いに組み入れられねばならない。彼らを保護し、育成する制度としての学校は、それゆえに既に一つの就縛としての意味を担わされている。『ふくろう模様の血』で著名なA・ガーナーは、教育という制度が子どもたちにもたらす不条理を鋭く暴いた。彼は、「自分が失ったものが何であるのかを理解するために教育を受けたようなもの」(注3)であるといい、学校が、子どもたちが生命の誕生とともにもたらされている"根っ子"を奪いさるものだと警告している。
 さて、世界には人間にとっての正当な権利である教育を十分に受けられない子どもたちが九割近くもいるといわれているが、その意味では日本の子どもたちは恵まれているといえるだろう。しかし、六・三・三制のその教育制度の実体を見てみると、さまざまな矛盾に気付く。弊害の最たるものは、教育の管理化と価値の制度化の問題であろう。学校は本来人間が独立して生きていける知識とか技能を教える場であるが、実際は大人たちによって造られたモラルへの従属や、人間やものや感情の価値を数量的にはかる発想を強制していはしないかという点である。『脱学校の社会』でユニークな教育論を展開したイリッチは、このような価値の教え込みを学校化(スクーリング)と呼び、強くディスクーリング(脱学校化)を提唱した。松崎巌は「子どもと学校」(『子ども』東京大学出版会)において、現代の学校制度が志向している数量的な価値体系に拠って子どもたちを教育していくと、「実際に一つ一つのものでその実質を考えずに世間の尺度を受け入れ、制度によるサービスを安々と受け入れる人間ができてしまう」と述べている。もちろん学校制度から生じる利点も大きい。その最大なものは、子どもたちが学校を通して人と人とのつながりを育て、友好集団を打ち立てることによって人間的な触れあいを体験することであろう。
 この頃の子どもは、昔のように自立心がないという声を耳にするが、これも現在の学校制度が生みだした学歴偏重主義の副産物であろう。日本のように教育の程度の高い社会では、子どもは親のいうことをあまり聞かないが、大学という免証をもらうまでの長い間親に対して依存してしまう傾向がある。教育という問題は、安易に論じることは危険であるが、肝心なのは人や環境との触れあいの中で自然に身につける学習の大切さであろう。
非行という問題になると、私たち大人は「何を非行というか」はなはだ曖昧にもかかわらず、また一人一人の子どもがはからずも取らねばならなかったその行為の底にある意味に目を向けようとはせずに、十把ひとからげにマユをしかめ、感情的に非難しようとする。もし仮に「大人の言うことを聞かない、大人のコントロールの外にある」ものをすべて非行少年と呼ぶとするなら、既存の価値を壊し、新しい歴史を拓く勇士としての彼らの存在の意味はなくなるだろう。大人は、こんなに簡単に自分たちの子ども時代のことを忘れてしまってよいものだろうか。かつて、一本の地平線の向こうに蜃気楼のように輝く未来というものを見た日々、傷つき迷いながらも友を想うぬくもりを感じた日々のことを忘れてしまってよいものだろうか。
現在私たちの回りには、政治の不信と腐敗、公害、差別、機械文明と過密による人間疎外――というように内的葛藤を生み出す状況が蔓延している。今私たちがしなければならないのは、私たちがそれぞれ住んでいる地域での、小さなささやかな共同社会を再編成していくことではなかろうか。学校やさらに上の社会といった制度と構造を行政的に酷しく検討していくことも大切であるが、学校を地域社会の文化的、教育的なセンターにし、そこに大人も子どもも自由に出入りすることができるように位置づける必要があるのではなかろうか。
 ともあれ、子どもも大人も、つまりは人間にとって基本的に不可欠な要素は、人間相互の人格的な触れ合いをおいてほかにないと思えるが、いかがなものであろうか。80年代が、<理性第一主義>の看板をおろして、代わりに<自然第一主義>の看板をあげ、自由に気ままに触れあうことの楽しさを謳うことを切に望むものである。

注1 小野寺信・小野寺百合子訳、冨山房百科文庫。
注2 『無垢の歌』から抜き出して『経験の歌』の最後に入れた「学童」(School Boy)の詩の一節に「喜びのために生まれた小鳥が/籠にとじこめられてどうして歌えよう?」という部分がある。(『ブレイク詩集』寿岳文章訳、弥生書房)
注3 武田・菅原共訳「神話の沈黙のなかから」『子どもの館』1973年9月号、福音館書店、収録。