『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

1 絵本プロポーズ大作戦 ―わたしの絵本づくり@

 随分前のことであるが、ある夜Nという若い友人から電話をもらった。Nには一年近く付き合っている女友達があり、その夜は彼女の誕生日なので何か贈り物を添えて、ここらでいっちょうプロポーズしたい。給料日で持ち合わせがないが、絵本なら千円も出せばあると聞いているし、女の子は絵本や童話に弱いそうだから、何かこういう時に役立つような本を教えてほしい―という内容の電話だった。どちらかと言えば無口で引っ込み思案のNは、絵本の力を借りて想いを打ちあけようというのである。
 はてさて、縁結びの神様を代行してくれるような、そんな都合のいい絵本などあるだろうか。風邪気味なのか水洟(みずばな)をすすって哀願するNをなだめながら、私はとっさにあれこれ考えをめぐらした。そうそう、知人の知人が花嫁道具のひとつに抱えていったという『しろいうさぎとくろいうさぎ』(注1)なら知っている。しかし二匹の兎が祝福されて結婚式を挙げるこの絵本は、単刀直入でいいかもしれないが、ヒゲ面で鼻めがねのNが携えていくにはいじらしすぎる。色紙をちぎって並べたり重ねたり
する単純だが深い意味のある『あおくんときいろちゃん』(注2)は、人類みな兄弟!のスローガンみたいで、人を想う熱っぽさ、ほろ苦さが伝わらない。いっそ香り高い西洋民話の一つ『ねむりひめ』(注3)とも思ったが、本を手渡しながら彼女に口づけしている小太りでハゲ頭の友人の姿が浮かび、あまりに茶番劇的だし癪にさわる気持ちもあって、これもやめた。
 こうして見ていくと、愛のメッセージを代行してくれる絵本というのは、案外少ないものである。日本の絵本で捜すとなると更に難しいのではなかろうか。(後に私は長谷川集平氏にせっついて『トリゴラス』という、力強い愛の告白をうたった絵本を作らせてもらったが、その時には間に合わなかった)
 絵本というものは、映画や芝居、ミュージカルや劇画といった他の芸術ジャンルと同じように、あくまでも表現形態の一つであるから、その中に何を盛り込もうと自由である。視覚メディアの世界が幼児から幅広い読者(視聴者)層を掴んでいるのに対して、数々の意欲的な試みにもかかわらず、絵本が依然として≪小さい子どもむきの本≫という壁を破るまでに到っていないのは残念なことである。
 さて、受話器のむこうからカチャカチャと十円玉を入れる忙しない音や引っ掻くような咳の音が響く。何はともあれ、友の祝福を願って本の名前を挙げねばならない。
 ―ほんまにもう、おまえちゅうやつは、なんにも一人ででけんやっちゃなあ、男やったら、横づらひっぱたいて、おまえの安アパートに連れ込んで、いてもたれ。
 ―すんまへん。もう十円玉おまへんのです。はよう、なんとかいうて下さい……。
 ―ふん、世話のやけるやっちゃなあ。よっしゃ、ええか、一回しか言えへんど。
 結局、私がNに教えたのは『大きな木』(注4)という絵本だった。それは、私が勤めている出版社の窓口に、お星さまやおいぬちゃんのお話に子どもでさえ気味悪がるようなべたべたと可愛らしい絵を添えて持ち込んでくる絵本作家志望の若い方たちに、絵本でこんなことも言えるんですよといって出すことにしている一冊である。
 物語は、一本のりんごの木とちびっこの触れ合いから始まる。木と仲よしになって無心に戯れて遊ぶうちにちびっこは成長し、やがて恋人ができて木から離れていく。成人したこの男が戻ってきた時、木は金の欲しい男のために実をもぎとらせる。次にやってきた時、家の欲しい男のために枝を切りとらせる。年老いてまたやってきた時、遠くへ行く船が欲しい男のために幹を切り倒させる。死期が近づき、人生に疲れて戻ってきた男に、木はもう何も与えるものはなかったが、古ぼけた切り株に腰をかけさせてやる。
「きは それで うれしかった」という言葉で最後の場面がしめくくられているが、作者シルヴァスタインの盛り込んだものは重くて大きい。砂時計のようにやがて尽きる人の一生に哀歓を覚える人もいるだろうが、ここにあるのは尽きせぬ愛の力のすばらしさ、大きさである。愛の本質が奪うものではなく、与えるものにあるのは、自然の母性的な摂理であろう。理性第一の近代文明の渦中にあって、私たち現代人はさまざまな便利さを与えられることに慣れ切ってしまった。私たちはもう一度人間存在の根源にある愛のありように目を向けてみる必要があるのではなかろうか。
 さて、その数日後にNに出会ったが、どうも浮かぬ顔である。「こんなもんどうせ紙切れやと思いますわ」と、例の絵本を振り回しながら、私を睨むのである。聞けば、贈った絵本を見たあとで彼女が、「あんたも私のためにりんごの木になってくれはるの」と潤んだ瞳で上目づかいに見る。その妙に充血した目を見ているうちになんやしらん恐ろしうなって、そのまま逃げてきたというのである。ああ、やっぱり夢見る『しろいうさぎとくろいうさぎ』にしておけばよかったと思ったが、あとの祭りである。
 絵本というものは、文学と同様に読み手におもしろさを与えてくれるものである。それ以上でもそれ以下でも決してない。さまざまな生の可能性に形を与え、それを見ることによっておのれの内面世界が豊かに広がっていくとしても、外面にある現実世界に対して空腹を満たす自動販売機のような即効薬とはなりえない。話がN君からそれるが、現実の不正を糺そうと勇み立つ人々から、しばしば投げつけられるのは「子どもの本(文学)で一体何ができるのか」という詰問であるが、これほどナンセンスな言葉はない。十数年前に子どもの本の編集に携わって以来、教育や医療やボランティアに尽力される何人もの人たちからこのお言葉を頂いたが、私は「子どもの本で何かができる」等という大それたことは一度も考えたことがなかった。私が絵本に興味を持ち、絵本にふさわしい作品を出版したいと考えるようになったのは、絵本というメディアでしか表現できないおもしろさに魅かれたからにすぎない。ありがたいことに日本の絵本は、多くの先達の努力により、外国絵本に負けないような傑作が登場し始めた。絵本というものが、お話に絵がついているものと考えられていた頃を思うと、著しい進歩である。
 私が、社の助力もあって、遅ればせながら創作絵本の下準備にとりかかったのは、絵本の専門誌も登場した1970年代の初め頃であった。当時はまだ訳されていなかったローベル、ウンゲラー、マッキ―、カール、ハッチンス、シュレーダーはじめ外国絵本の多くに目を通し、また日本の作家、画家、編集者の方々にお会いした。1975年には、ある団体にくっついて主として西独を回った。三週間の間に、私は駅前や町角の本屋に駆け込み、ざっと五百冊近い絵本を手に取り、五十冊以上の絵本を船便で送ってもらうよう手配した。書店の数は日本と比べ物にならないくらい少なかったが、絵本のバラエティははるかに勝っていた。その旅で私は大好きな作家たち、プロイスラーさんやクールマンさん(残念ながらヤンソンさん、リンドグレーンさんは夏期バカンス旅行中だった)にお会いすることができ、また出版社(ラベン社、ウソイ社、ティエネマン社等)の編集責任者と話し合う機会を持つことができた。
 これら子どもの本に直接関わっている人たちや、読書室というより娯楽室の色濃い児童図書室で寝転んで絵本を見ている子どもたちと交わりながら、私の思ったことは子どもの本や絵本に対するヨーロッパ人の桁外れで大らかな≪情≫のことだった。彼等は絵本でせっかちに人生やモラルや善悪を教え込んだり、絢爛豪華の押し売りで子どもたちに不快なおべっかを使ったりは決してしていなかった。視覚文化の発達の中でスピーディーな展開に慣れきっている日本の子どもたちには一見地味すぎるものでも、じっくり見ていくと絵本としての表現効果の大なるものが多かった。絵本の本場といえば、1930年代後半から40年代にかけて、バートン、エッツ、スース、マクロスキー、デュボアザン、H・A・レイ等を擁して黄金時代を築き、半世紀に渡るカルデカット賞の伝統を誇り、今もレオニ、センダック、スタイグ、キーツ、ローベル等の活躍するアメリカに違いないが、西欧や北欧にも着実に絵本の広がりが感じられた。
 私は、現在まで数年の間に二十冊近い絵本を出させていただいたが、シリーズの第一冊目を『ろくべいまってろよ』(灰谷健次郎+長新太)で飾ることができたのは幸運だった。この絵本は、ふつう創作もので年間五千冊売れればいいという常識を覆し、五年足らずのうちに十万冊を越える売上をあげることができた。子どもたちが穴に落ちたいるを救け出すという単純なプロットだが、緊迫感あふれる子どもたちの騒ぎに対をなして、通りかかる大人たちの無関心ぶりがなんとも大らかにユーモアいっぱいに書かれている。ろくべえという犬に対する子どもたちのいじらしいまでの情愛は、大人たちが身を賭して誓い合う愛と同質のものである。子どももまた愛を抱いて成長しつづける人間であることを、大人以上にしなやかな純粋エネルギーを持っていることを、この絵本は示してくれた。
 しかし、灰谷氏のシナリオは、めくってもめくっても穴ばかりという設定で、画家の長新太氏を交えての編集会議に臨んでも、まだ私は迷っていた。だが、私の編集者としての未熟さを救ってくれたのは、早くより鋭いアドバイスを頂いていて今江祥智氏と、その当の長氏であった。結局タテ長の判型を時にはヨコに使ったりという長氏の的確な計算が生かされ、異色であってしかもポピュラリティを持った傑作が誕生したわけである。
 長氏にはその後『キャベツくん』というとびきり愉快な絵本を出させていただいた。食いしん坊のブタヤマさんがキャベツくんを食いたくてしかたないが、ぼくを食ったら、ほら、こんなふうになると、次々とキャベツくんが空に描く着想があんまりおもしろいものだから、しまいに泣きべそをかきながらキャベツくんにレストランに誘ってもらうというおかしな絵本だ。ブタヤマさんがもし立派な大人だったら、一口でキャベツくんを食ってしまったと思われるが、こんなふうに楽しい遊びをくり広げられるのは、人間に内在している想像力(=遊びの精神)のゆえであろう。
 作家であり、エッセイストでもある長氏の世界は絵だけで語れるものではないが、絵は実にすばらしい。子どもっぽいとか、幼稚だとか、たかがマンガだとかいう人に出会うと、その人が絵のどこに目を向けているのか疑ってしまう。
 もう数年も前になるが、ある美術館で催された大規模の絵本原画展で悲しい経験をしたことがある。主催者側の責任ある人が、長氏の原画の前で、私に向かって「ねえ、ほら、この人の絵は額にかけてもつまらないでしょ」といったニュアンスのことをつぶやいた。そのとき私は、絵本原画をページから切り離して額にかける発想はともかく、絵本の絵というものの受けとり方が非常に偏っていることを感じて虚しくなった。それは、絵に対する「好み」の問題とか、目が肥えているとかいう問題とははるかにかけ離れた次元のことであるような気がしてならない。

 長氏の絵は本当にすばらしい。一本一本の線、線にのっかかっているドローイングが、私たちに快く語りかけてくれる。受動的創造(注5)という言葉があるが、その一本の線、はみ出したドローイングの面の一つ一つが、見るものにそれぞれなりの新しいイメージを創らせてくれるのである。さらにそれらの部分々々が総体となって、私たちにもの(人間も含めて)が存在することの楽しさや確かさを伝えてくれえるのである。ぼうしが帽子としか広がらない線、ひつじがヒツジとしか映らない絵―そういった絵が氾濫する中で、長氏の絵は想像力の楽しみをひろげ、人間の精神の解放を可能にする数少ない絵の一つである。
 今江祥智・杉浦範茂作の『そこがちょっとちがうんだ』も、心に残る楽しい絵本だった。絵本というメディアは不思議な魅力を持っていて、小説が何百ページを費やして贈る感動をわずか十数場面に盛り込むこともできる。この絵本は、価値観を固定し、それにもたれかかっている現代(大人社会)の状況を鋭くえぐりながら、しかつめらしさは微塵もなく、大らかに笑い飛ばしてしまうゆとりと優しさに満ちている。たろうくんと犬の殿下の触れ合いは、なんとも間が抜けているようでいて、人間と人間のありようをキラリと放ってよこす。
 それぞれの絵本に思い出は尽きないが、中でも『トリゴラス』の制作の時は壮絶だった。打ち明け話めくが、途中で理由もなく(どうも怪獣の絵のグロテスクさと子ども向きではないということらしい?)出版さし止めをくらい、サラリーマン編集者としてはいつになく執拗なレジスタンスに立ち上がった。なるほど一見ドギツサが目につくだろうが実はこれほど絵本の表現方法を効果的に利用し、しかも人間の内奥に疼く苦しいまでの情愛を描出したものはないと思う。愛や恋慕というものには、時として暴力(ヴァイオレンス)にも似た熱情のほとばしりに包まれることがあるのは、青少年期を通ってきた大人たちが何よりもよく覚えているはずのものではなかろうか。そういう陰(?)の部分を必要以上に小さな子どもたちに知らせたくないという親心が働くのは分からないでもないが、本の与え手側、造り手側はそういった意味では、今だに購買権を手放さない親たちと暗黙のうちに連帯していると考えられるのではなかろうか。要するに、絵本の大人ばなれを極端に警戒しているのである。ミルクのにおいに包まれた健康的(?)な絵本の中におもしろいものは沢山あるが、子どもが日々変化成長しているものであることを思い出すならば、今少し広い視野に立って本造りを捉えてもよいのではなかろうか……とその時も今も感じつづけている。
 さて、『トリゴラス』は別の意味でも忘れられないものとなった。私は、Nがあの後あんまりしょげているようなので、『トリゴラス』が出来上がったとき郵送してやった。しかしNからはしばらく何の知らせもなかった。どうせあいつのことだから、翼を持った怪獣のように行動できない自分を責めて、いじいじと酒でも飲んですねているのだろうと思っていたら、ある夜ひょっこり訪ねてきた。しかも、Nよりタテヨコとも一回り大きくてふっくらぴちぴちした少女を連れている。「あ、あの、かおるちゃんですわ……」少女の影に隠れるようにして紹介してくれたその時のNの嬉しそうな表情を私は今だに忘れることができない。かおるちゃんは、Nがいつも行く飲み屋の末娘だった。その後一か月の間にあわただしく式を挙げ、私の家の近くに引っ越してきたが、Nが『トリゴラス』の礼を私にいったのは、初めて夫婦喧嘩して逃げ出してきた夜だった。Nが『トリゴラス』に出てくる少女と同じ名前の彼女にその本を贈ったのは飲み屋のツケがたまっていたせいもあったが、そのことを境にして二人きりで話をするようになり、Nは彼女の中にある温かさに魅かれていくようになった、ということを私は初めて知らされた。

「そやけど、このごろはどうもあいつの方がトリゴラスで、ぼくの方がいたいけな少女みたいなけったいな気持ちですわ・・・・・・」
 額に浮き出た引っかき傷をなぜながらも、Nは背中につっかい棒をさしこまれたように、いつのまにかどっしりとしてきて、とても幸せそうに見えた。絵本というものがどんなにちっぽけでも、人生の節々に一つのきっかけを与えたのなら、それはそれで良しとせねばなるまい。もちろん、絵本の効用にとって関係のないことだといってしまえばそれまでだが・・・・・・。とまあ、そんなふうに思いながら、Nと共にコップ酒を酌みかわしたのである。



 注1 ガース・ウイリアムズぶん・え/まつおかきょうこ訳、福音館書店。
 注2 レオ=レオニ作、藤田圭雄訳、至光社。
 注3 グリム作、フェリクス・ホフマン画、瀬田貞二訳、福音館書店。
 注4 シルヴァスタイン、作・絵、ほんだきんいちろう訳、篠崎書林。
 注5 外山滋比古が『読者の世界』(角川書店)『伝説の美学』(三省堂)などで使った言葉。
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