『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

『たろうとつばき』渡辺 有一

 この作品を読み終えてすぐに私は渡辺さんに手紙を出した。その中に「ジャズっぽさ」と「子どもリアリズム」という言葉があって、後にそのことが話題になった。渡辺さんは自分の作品は歌謡曲だといわれた。小さな島の少年が大都会の東京へひとりで母さんを見舞いにいくという設定は、たしかに歌謡曲の世界である。だが内実はともかくとして、この絵本のもう一つの魅力は、絵本にコマ割りや吹出し(劇画的手法)を取り入れたことである。
 絵本は表現形態(メディア)の一つとみれば、くり返しめくる見開きページの白い舞台を生かす工夫は無限にあるだろう。コマ割りということに限れば、古くはエッツの『海のおばけオーリー』(岩波子どもの本)から、新しくはレイモンド・ブリッグズの『さむがりやのサンタ』(福音館)がある。またセンダックの「まよなかの台所」(冨山房)をあげていいかもしれない。『たろうとつばき』は、手法的にいってブリッグズのものに非常によく似ているが、絵がもっているにおいはもっとバタ臭いものである。ジャズっぽいというのは、私が受けた最初の印象である。それはドローイングの仕方にもよるだろうが、むしろ画面いっぱいをドタバタと動きまわるキャラクターたちの目線の熱っぽさ、にぎやかさ、リズム感によるものかもしれない。
「子どものリアリズム」というのは私が勝手に造ったコトバであるが、つまり子どもの目にうつる〈関心・好奇・興味〉といったもので余分なものをふるい落とす手法のことである。たとえば20〜21ページに見開きいっぱいに描かれた船の絵をみてみると、海の波の様式化や船室の窓、ボートへうつる人々、働く船員といったものが、見て分かるように描かれている。漫画に近い手法であるが漫画ではない。いわば『チムとゆうかんなせんちょうさん』を描いたアーディゾーニの手法である。『たろうとつばき』では、全ページを通してのこの「子どもリアリズム」の手法は成功していると思える。
 この絵本は実在の島、やまつばきにおおわれるとしま(伊豆七島の一つ)を舞台にし、たろうという少年が一人旅をして、生命の誕生を目のあたりにすることにより、自然の恵みというべき不思議な喜びを受けるのがタテ糸になっている。ヨコ糸はもちろん、つばきの花を象徴とするそぼくな自然へのいつくしみである。
 最終ページに見開きいっぱいで描かれた、全島つばきの花におおわれたとしまの状景は、あっと息をのむほど美しい。ここでも「子どもリアリズム」の手法が、島の花をうきぼりにしているが、小さな島の自然は作者の内なる心象風景であるのだろう。土のかおりといった構えではなく、ひっそりとあるがままの自然を歌ったこの“絵本演歌”の底を支えるものは決して軽くない。

※主な作品――『ふうせんクジラ』(一九七五、実業之日本社)『たまたまのめだまやき』(七七)『たろうとつばき』(七八)『ぼくらの甲子園』(八〇、以上ポプラ社)『かいじゅうゆきらあ』(八〇、岩崎書店)一九八三年『ねこざかな』(フレーベル)ニヨリ、イタリア・ボローニャ国際図書展グラフィック賞優良賞受賞。

テキストファイル化古賀ひろ子