『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)
あとがき
私はこの秋二十年つとめた出版社を退いた。編集者人生に未練がないといえば嘘になるが、私は敢えてよりエゴイスティックな生き方を選んだ。
私は四年前に七か月にわたる闘病生活を経験したが、それは予期せぬ不幸と同時に予期せぬ<幸運>を私に与えてくれた。手術後の身動きできない時間の連続の中で、私は子どもと子どもの本に執着する自身を眺めることができた。
私はきれぎれの夢の中で、それまで忘れていたたくさんの人々に出会うことができた。そして、私はやがて自分の中にもう一人の自分が棲んでいるのに気付いた。
内なる「子ども」との対話は、私の生活を一変させた。それまで見過してきた水溜りに映る影やピルの谷聞をわたる風の音が、私には何ものにもかえがたいブァシタジ ー(喜び) となった。
私は、私の内にある四歳の私、七歳の私、九歳の私を大切にしたいと思った。そうし同うわけで、私は私の人生の後半を「子ども」と「子どもの本」に没頭する決心をした。本書は、私が「子ども」と出会うまでの道筋を土台にしている。しかし、その道は容易ではなかった。児童文学とは何か、子どもとはどういう存在か、書く行為は何を意味するのか ? 私は、今なおとまどい、迷い、悩んでいる。この道はおそらく尽きることはないだろう。
だが私は、たくさんの先遣の方々、同朋たちに恵まれている。私と同じように真剣に悩み、考えている若い人たちに囲まれている。とりわけ、私の内にあって私を凝視している「子ども」たちに支えられている。このことは、C ・ S・ルイスが「法外な祝福」と名付けた JOY にも匹敵する喜びである。
私は昭和四三年より児童文学同人誌〈101ばんめの星〉をつづけてきた。昭和五十年には〈きっどなっぷ〉と誌名を改めた。また、この同人誌の日常活動の一つとして「フライデイ・サークル」という読書研究会を隔週に一回つづけてきた。私の非力な創作・研究活動を支えてくれた基盤はここをおいて他にない。
私たちは私たちの同人誌を発刊する意義を次のように定めた。
われわれの雑誌は、子どもの本の創造と研究二本の柱にしている。いずれも、子どもの本は〈子どもが読む〉ものであることを土台においている。この〈読む〉ということは、子ども独自の感覚や想像力やほかの能力を、作者が作りだしたパターンに応じて働かせることである。この観点に立ち、われわれは二つのアプローチを行なう。一つは、子ども像の把握と子どもの視点の追求であり、今一つは、前述した《パターン》そのものの解明である。この二つが、どのように融合されたとき、子どもを読者とする《文学》が成立するのか・・・。
この問いは、今もなお私たちを鋭く貫いている。本書はそれにきちんと応えていないかもしれない。私の未熟さは次の論へのステップとしてお許しいただければ幸わいである。
本書に収めた論のほとんどは、同人誌の仲間たちとのきびしい対話やはげしい論争の中から生まれたといっても過言ではない。この場を借りて同人諸氏に改めて感謝の意を表したい。
この論集は、長谷川集平氏の装憤によって立派に装うことができた。快く転載の許可を与えて下さった各出版社の方々、また適切な助言をいただいた五柳書院の小川康彦氏に、心からお礼申し上げる次第である。
昭和五九年十一月十日
松田司郎