新・国定忠治論――生活記録的リアリズム批判
赤城の山に見る月も今宵かぎり………国定忠治
空は暗く、地球は青い………………ガガーリン
リアリズム、リアリズム、リアリズムと三遍となえてパッと十字を切ってから原稿用紙にむかうと、たちまちすばらしい傑作が出来る、というのなら、ぼくもリアリズムについて考える張合いが出るのだが、とてもそうは問屋が卸してはくれない。だからぼくは、牧伸二ではないが「ああ、やんなっちゃうな」とつぶやきながら、この原稿を書くのである。
だいたいそういっちゃ何んだが、いまどきリアリズムについて考えるなんていうのは、ちょっとおかしいんじゃないだろうか。もうリアリズムなんていうのは方法にしろ世界観にしろ腐ってしまったものだ。
森繁主演の『人生とんぼ返り』で新国劇の沢正がさかんにリアリズムをとなえていたのを覚えているが、やはりリアリズムというのは、あの時代、つまり新国劇が世の脚光を浴びるまでの頃に役立ったものなのだ。
「赤城の山に見る月も今宵限りだなァ」という現実認識こそがリアリズムの到達した最高水準なのであって、それ以後、リアリズムは腐り始めたと考えるべきである。
もちろん国定忠治的現実認識なんてチャチなものには違いない。だがそれでも依然として人びとが泣くという事実、これには注目すべきである。「可愛いい子分のてめえたちとも別れ別れになる門出」にあたって、忠治は愛刀小松五郎だけが頼りだと認識するわけだが、この現実認識は、いわゆる生活記録的現実認識より数段とすぐれてはいないだろうか。
いわゆる生活記録の典型は、自己の体験を語ることから始めて、人びととの交流を求め、自己体験と他体験との交通性を見出して喜ぶというやつだが、国定忠治では、他人とのつながりが断たれるという認識が表現されているのである。――といういい方をすればただちに、生活記録の側からは、その、断たれているという認識を踏まえて交流を求めているところに生活記録の意義があるのだという反論が出されるに違いない。しかし、求めても求めても交流が断たれて行く現実、つまり一種の疎外状況下においては、国定忠治的認識のほうが、生活記録的認識よりもアクチュアルだとぼくは思う。国定忠治では非芸術的だと思われるのもシャクだから、ガガーリンの場合について考えてみよう。
ガガーリンの名文句、「空は暗く、地球は青い」には、ぼくらの現実認識をいっさい断 切るほどの衝撃性がある。もしもガガーリンがそれだけしか語らないとしたら、ひとびとはガガーリンを冷酷な人間、または非人間的存在と思い始めるに違いない。しかしガガーリンは、
「衛星船が降下し始めてから地球に帰り着くまで、あなたはどうしていましたか」という質問にたいして、「わたしは歌をうたっていた」と答えたのだ。
この「歌をうたっていた」という言葉によって、人びとはガガーリンを人間、もっとも親しい人間のように思い始めたのである。その歌が、たとえどんな歌であろうとも人びとはかまわなかったのだ。たったひとりになったとき、歌をうたう。そういうひとりひとりが寄り集まって歌をうたう。みんなでうたう。またひとりひとりになって歌をうたう。ひとりでうたいながらも、みんなでうたった時のことを考える。そこに何らかの意識変革が起きる――これが「歌ごえ運動」の論理であるが、これは明らかに生活記録とつながっている。だから「歌ごえ」はダメなのだ。
意識の変革は当然のことに行動の変革をよび起こさなければならないし、行動の変革をよび起こさないような意識の変革は、何の役にも立たないと思うのだが、歌ごえはうたうことをやめないし、生活記録は書くことをやめさせない。そこでは過去との断絶がいっさい行なわれないのである。これはガガーリンの「歌をうたっていた」のに相当する。しかしガガーリンには曲がりなりにも社会主義の祖国が、彼を待っている。うたうのはむしろ当然だ。だが、ぼくたちには愛する祖国もないし、希望にあふれる職場もない。ぼくはうたえない。祖国をもたないぼくたちは、「空は暗く、地球は青い」の段階、すなわち期待と不安につつまれて地球を離れている段階にとどまるべきではないだろうか。まだ歌をうたうにははやすぎるのだ。
ドキュメンタリーという言葉がある。記録と訳されている。一昨年のことだが、児童文学の集まりで、ぼくや佐々木守がさかんにドキュメンタリーをうんぬんすると、実に素朴な質問が出た。「そのドキュメンタリーというのは、いい芸術のことですか」と。
しかし本誌などを読んでいると、ドキュメンタリーをいい芸術と訳した方が適切だと思えないでもないようだ。――だが、それはともかく、ドキュメンタリーが生活記録または素朴リアリズムを止揚する芸術方法であるとするなら、それはやはり「空は暗く、地球は青い」の段階、そしてさらに、地球が丸いということを自分の眼で確めた最初の人間としてのガガーリンであるべきだろう。しかししばしば、ドキュメンタリーが、歌をうたう段階にまで降下してしまっていることがある。それは何故か、一言でいえば、過去との断絶が行われていないからである。帰りつくべき祖国があると楽天的に錯覚しているからである。
生まれ故郷の国定村を捨て、赤城山を捨てて子分たちと別れ、愛刀小松五郎一振りを頼りに旅立ちせんとする忠治の心境、これは祖国喪失の認識につながる。「五尺の体の置き場がねえ」のはぼくの今日的な実感でもあるのだ。
確かに今日的な実感ではあるけれど、ぼくはやはり忠治の段階にとどまってはいられない。忠治には関所破りをしてでも落ちゆく目当てがあったのが、ぼくにはその目当てはないし、かりにあったとしてその気になれない。つまりぼくらは亡命ということが考えられないのだ。一時的に亡命してつぎの戦いに備えるということはカストロの例をあげるまでもなく必要なのだろうが、それは政治家のやることで、芸術家のやることではあるまい。やはり芸術家は亡命もせずに殺されるべきだと思う。
もしも芸術家が殺されることを嫌い、逃げのびようと考えていたら、それはやがて逃げられ得るという思考を形成し、その日その時の記録があとまわしにされることになり、偶然の記録が惜し気もなく見過ごされていくようになるだろう。明日の絶望こそが今日の記録を生むのだということを、ドキュメンタリストは、はっきりと意識しなければいけないのである。
国定忠治も殺されはしたが、あの殺され方は間違っている。忠治は最後まで、小松五郎を信じていた。しかし忠治は病気のために、小松五郎をぬき放つことさえ出来なかったのだ。元気なときには代官を叩き斬る事さえ出来たのに……だから忠治の死は悲劇的になり人びとの涙をさそってしまうのだ。
ここにひとりの芸術家がいて、彼はドキュメンタリーという愛刀を持っている。ある日、彼は殺される。その瞬間まで、彼はドキュメンタリーを信じ得るか、どうか。ぼくはおそらく信じられないだろうと思う。
ドキュメンタリーを信じるということ、それは、自己の死が記録され得ると考えることだが、それは不可能だ。彼が死ねばドキュメンタリーも死ぬと考えるべきである。
彼の死は記録されない。ぼくはぼくの死を記録することが出来ない。なぜか。作家を離れてドキュメンタリー=記録がひとり歩きすることはないからだ。
虎が死んでも皮を遺すように、作家が死んでも記録はのこると考える人はたくさんいる。しかしそこに遺っているのは、ガガーリンでいえば「地球の丸いことを目撃した最初の人間」というような事実だけではないのか。人びとは歴史の一部分を指さして記録といっているのではないのか。
某月某日、某所でダムが作られた。使われた機械はコレとコレという記録、あるいはまた、某月某日、某村の青年団が共同で耕耘機を購入したという記録、これは作家が死んでも遺って行く。それだからといって、ドキュメンタリーを信じるというのはおかしい。ドキュメンタリーを信じるにせよ信じないにせよ、事実は遺って行くのだ。
しかし、ドキュメンタリーという名の芸術方法でないかぎり、永遠に記録されることがないモノまたはコトがあるはずだ。つまりドキュメンタリスト以外の誰にもが見ることの出来ないモノとコトがあるはずだ、と考えないのなら、ドキュメンタリーをうんぬんする必要はない。
手っとり早くいえば、ドキュメンタリストはガガーリン以前に「空は暗く、地球は青い」ことを報告し、大地が丸いことを目撃しなければいけなかったのである。
「ハハァ、そうすると、ドキュメンタリストというのは予言者ですナ」とか、「つまりヴァイヤンってわけだ」というかも知れないが、それは違う。それは昔から詩人にたいして捧げられてきた讃辞ではないか。ところが詩人とは、ガガーリンが降下のときに「歌をうたっていた」その歌を作ってきた進中のことなのだ。いまでも、そう詩人はたくさんいる。詩人のことなんかどうでもいいけど、真のドキュメンタリストとは記録の無意味を熟知している人間のことではないのか。
たとえドキュメンタリストがどういおうと、事実がなければ人びとは信じない。「空は暗く、地球は青い」なんてことだって、もう何十年も前からわかっていたことだし、ぼくはS・Fを読んで知っていた。十代の終わりに「すこし離れて地球を見ると、地球は青くかじかんで見えた」なんて詩の一行を書いたこともある。だが歴史はそんないっさいを認めずに、ガガーリンの見て来た事実だけを認め、それを歴史の一ページに加えるのみである。
だから、認められたかったら、衛星にのって見てくればいいのである。ぼくが前述したように、見て来たことを報告する段階でも、ドキュメンタリーとして通用することは確かだし、その段階で、おれはすぐれたドキュメンタリストだ、なんて思い込んでいる人がたくさんいることも確かである。
だがやっぱり、ぼくは自分の殺される瞬間が問題だと思うのだ。浅沼が殺されたときにはTVカメラで事実を記録したが、目撃者と称する人びとのハナシはことごとく違っていた。人間の印象なんて実にアテにならないものなのだ。事実の記録ということになれば、とても機械にはかないっこない。だからぼくは他人に、ぼくに関することはいっさい記録してもらいたいと思わないのである。ぼくが苦しんで死んだのに「彼はニッコリ笑って死んだ」などと書かれては困るではないか。機械だってアテにはならない。機械から取り出したフィルムを編集するのは人間だから、事実が歪められるおそれがある。どうせ歪められるくらいなら始めから信用しないほうがいいわけだから、ぼくは自分で、自分の殺される瞬間を記録してしまおうと思い始めるのである。
つまり、自分の記録した通りに、ぼくは殺される必要があるわけだ。もしもそれが記録と違ってしまったときは、はなはだみっともないことになるから、じゅうぶん科学的に分析して殺される記録を創造する必要がある。そしてその記録と事実が一致したときドキュメンタリストの栄光が与えられるという風に、ドキュメンタリーおよびドキュメンタリストの規準を定めておけば「こういうコトがありました。だからキロクしました」などという記録屋と、きびしく自己を峻別することが出来るようになるだろう。もちろん自信がついたら、社会機構や他人の運命についても記録してしまうべきである。天皇とその一家を死刑にする日時およびその方法を記録してそれを事実と一致させるというようなことも、ドキュメンタリストならばやらねばならぬ仕事なのだ。
とはいっても、記録者がかならずしも自分で事実を作るとはかぎらないし、また実際に行動することが不可能な場合もあるだろう。自分を殺されるようにするくらいのことはぼくにも出来ると思うが、どうも天皇になると自信がない。そこでぼくは他人をそそのかすことを考えなければならなくなってくる。行動力のないやつはもちろんだめだ。自分に祖国があると思ってるような楽天家はなおさらだめ。ぼくの創造した記録を、自己の記録または指針と信じ込んで、熱烈に事実にしようと努めるやつ、こういうやつを見つけて働きかけることをしなければ、記録が記録としてのこることはないだろう。
国定忠治は子分の板割の浅太郎に、オジ勘助についての暗示を与えた。ところが浅太郎はバカ正直にそれを受け取って勘助の首を斬ってしまったのである。歌謡ものがたりだとここは「……わたる渡世の悲しさよ、生みの親よりなおまさる、育ての親の勘助に泣いて刃を振りあげた忠治身内の板割の浅、のこる幼な児なんとしょう、首を小脇に勘太郎背なに、登る赤城の山坂よ」という一節だが、ここではつまり、忠治の記録を浅太郎がフイにしてしまったのだ。これは浅太郎が悪いのでなく、忠治の記録の方法が決定的に間違っていたというべきであろう。あまりにも忠治の記録は曖昧であったし、浅太郎にはアイロニイなど通じはしないのに、それが見ぬけなかったのである。
浅太郎に関する部分が間違ったために、忠治は最後まで手違いに苦しんでしまい、女には裏切られるし、体がだめになって小松五郎を抜き放つことも出来ずに捕らえられてしまったのだが、これはとても他人ごととは思えない。忠治が浅太郎を見誤ったように、共産党を見誤ったことだってあるし、いまだに見誤っているかも知れないからだ。
それに第一、いま、ぼくらがこれこそ行動力だ、事実を創造するエネルギーだと思い、また実際そういう可能性を持つものにたいして、あまりにも伝わらない方法で記録を示しているかも知れないのである。
国定忠治が「勘助について」しゃべったこと、あれではだめなことは判っている。アイマイな記録は局面を打開するのに役立たず、新しい事実を創造する指針にもなり得ない。
新しい事実を創造する指針になり得る記録、これがリアリズムなのだ! といえばそういうのを記録だのドキュメンタリーだのというのはおかしいといわれるかも知れない。それなら記録というのはやめよう。リアリズムというのもやめよう。要するに他人をそそのかすことが出来ればいいのである。(一九六一年五月 「記録映画」)
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