『現代にとって児童文化とはなにか』(三一書房 1965)

ああ作品論的マンガのすすめ
マンガは消耗品としてとりあつかわれるために、文学作品とおなじような意味での古典や名作は存在しない。最近の傾向としては、むかしなつかしい『ノラクロ』や『冒険ダン吉』がリバイバルの名のもとにふたたび出版されたりもしているが、これらはしょせん、おとなの郷愁に訴えかけるのが目的となっている。したがって子ども自身が読むようには作られていないし、子どもたちのあいだで『ノラクロ』や『冒険ダン吉』が話題になるようなこともない。マンガは日々新しく生産され、消費されてゆくのである。
もちろんマンガにおいても、古典とか名作とかいわれるものがあっても、いっこうにさしつかえないのだが、いつの世にもマンガは文化財としては二流三流のあつかいをうけてきたために、作者であるマンガ家の精神までが低きに流れがちとなり、読者におもねるその場かぎりの作品を生みだすようになってきたのだ。そしてそれは、戦時中には戦争謳歌の作品となり、ちかごろのように天下泰平の世の中がつづくと、ささやかな家庭生活のなかの笑いをおもな素材としたようなナンセンスものが多く出てくるという現象をつくる。そしてそれがまた二流三流のあつかいをうけるという悪環境がくりかえされる。これではいつまでたっても、古典・名作は生まれない。
子どもたちがほんとうによろこんで読み、それが、後のちの時代まで読みつがれていくような名作を生み出だすための条件、それをつくるのは子どもではなく、じつはわたしたちおとなである。そのためには、まず、マンガにたいする先入観を捨てることが必要なのだが、いまだにマンガは多くの誤解につつまれている。
子どもマンガといえば相変わらず拳銃が火をふき、ひとがバッタバッタと殺されるアクションものが多いと考えているおとながほとんどではないだろうか。
ところが現実はちがっている。統計的にいってもマンガのなかで多いのは、生活のなかの笑いを主題にしたものである。
生活的ナンセンスものの代表選手、和知三平の作品に即しながら、今日のマンガをかんがえてみよう。あらかじめことわっておくが、ここで取りあげるのは単行本として発行され、街の貸本屋などでも比較的楽に手にすることが可能なものばかりである。

和知三平作「ナガシマくん」
べんきょうは
ビリから三ばん
野球は
背番号3
3番を打ち
サードを守る
なんでも3番だ
僕は いい選手に
なりたい

とびらに印刷された右の九行の文字が語っているように、このマンガの主人公ナガシマシゲオはあまり頭の強くない子どもである。
家業は理髪店だが使用人もいない小さな店。ナガシマくんもときどきは店の手伝いをさせられる。両親ともに健在だが生活はあまり豊かではない。頭に大きなリボンをつけた妹がひとりいる。こうしたごく平凡な家庭生活を背景におくことによって、和知三平のマンガはまさしく健全の名にあたいするものとなる。害のないマンガのひとつの典型であろう。だが皮肉なことに和知三平がその才気をもっとも豊かに発揮したのは、『火星ちゃん』なる作品であって、それは頭でっかちで弱々しい主人公、さながら天皇家の次男坊をおもわせる火星ちゃんが活躍するマンガなのである。その和知三平がいっぽうで『ナガシマくん』を描く、これはたんに有名人をモデルにするのが得意ということでは片づかない問題ではないだろうか。
和知三平のマンガが、従来のアクションものとその質を異にしている重要点は、その主人公たちが、どう考えても子どもたちの理想像とはなりえないというところである。
理想主義の崩壊が児童雑誌の俗悪化の原因であるという意見が大きな顔でまかり通っている当節、非理想的な主人公の活躍する和知三平のマンガが、かえって健全にみえるのはどういうわけか。
ナガシマくんのように、勉強がビリから三番では、子どもたるもの家庭にあって安定した生活はいとなめない。親に叱られず、きょうだいたちにも馬鹿にされないで生きてゆくためには、やはりビリからでもトップからでも同じような位置の成績でなければ困るのである。
ナガシマくんは家庭でも学校でも、いつも笑いを提供する。それはまるでタイコモチのようだ。タイコモチは芸としてわざと自分をトンマにみせるわけだがナガシマくんは真剣である。真剣になればなるほどヘマをする。笑いが起こる。つまり読者と主人公との距離は絶えず一定の線をもっている。読者が主人公になりかわるということがなく、バカなやつだなァ、ぼくだったらもっとうまくやるのにという優越感をいだくのがせいいっぱいの感情移入であろう。これではとても、子どもたちの理想像とはなりえない。
和知三平の語り口、つまりストーリーと絵は新作落語のようである。おなじ落語でも、古典落語には諷刺精神を基調にしたものが多い。諷刺精神が基調となっていればこそ庶民に愛されて古典になりえたともいえる。落語になぞらえて考えれば、和知三平のマンガは総体的には古典にはなりえないといえそう、だがかならずしもそうとばかりはいえない部分がある。『ナガシマくん』にしても雑誌に連載されていたときには、屋根の上でブタがコケコッコーとないて朝を告げている絵なども描いていたいたし、この本のなかでも、「よるになりました」のふきだしで月とむら雲のコマをつくり、そのつぎに、屋根の連なりと朝の光りを描いて、「あるあさのことです」というあざやかな省略法を用いたりもしている。これらは和知三平がけっしてありきたりのリアリズム派ではない証拠であって、あんがい子どもたちにしても、そうした筋運びの小気味よさにひかれて、和知三平の人気を支えているのかも知れないのだ。
もっと落ち着いて仕事をさせれば期待にじゅうぶんこたえてくれるはずの作家であり、今日の子どもマンガを考える上で無視することのできない作家でもある。

『ノラクロ』や『冒険ダン吉』、『コグマのコロスケ』、『日の丸旗助』、『タンクタンクロー』、『タコの八ちゃん』などが単行本として貸本屋の店頭に並んでいたころのことを思い出してみると、現在のマンガ本よりは装てい・印刷ともに上等だったように思えてならない。この点からいっても、マンガの消耗度は高くなっているのではなかろうか。
戦前とくらべて圧倒的にマスコミが発達し、テレビを見すぎる子どもが多くなって親たちが心配しているいっっぽう、マンガの消耗が激しいというのは、いったいどういうわけなのだろうか。
このごろの子どもは、むかしの子どもにくらべて文化を多量に吸収できるという意見がある。これはある意味では正当だ。しかし子どもは時の流れとともにごく自然にかわったのではない。状況が子どもを変えたのである。
現代の子どもが「文化」を多量に吸収するのは、文化が多量に即在するという状況があるからなのだ。この現象は、化学調味料のふりかけびんの穴がひとむかし前にくらべておびただしく大きくなっていることと相通じる消費文化の影響と考える必要がある。
永持ちしないのは本だけではない。マンガ家もおなじように、どんどんつくられ、どんどん消えていく。子どもマンガの一〇年選手というのは十指にも満たないのではあるまいか。とくに一〇年間、つねに第一線にいたというのは手塚治虫ぐらいのものといえるだろう。
プロ野球ならずとも一〇年選手となるからには、それ相当の存在理由があるはずである。手塚治虫の場合、なにが人気の支えとなっていたのか、これを考えることは、とりもなおさず、子どもマンガの本質とのかかわりあいを明らかにすることでもあろう。それほどに手塚治虫の存在は大きく根強いのである。

手塚治虫作『ジャングル大帝』
北杜夫をはじめとして多くの小説家や評論家が愛好する手塚マンガの秘密はどこにあるのか。手塚は医学者だから、その作品は科学的にも正しく裏打ちされているからという説はいかにもインテリ好みのいい草だが、それはかならずしも手塚マンガの本質をいい当てたことばではない。
テレビ化された『鉄腕アトム』をみてもわかるように、手塚マンガに登場する人物のほとんどは科学技術庁長官というように「長」のつく人間であって、それ以下の並の人間はろくに名前も与えられない場合が多い。反乱などということばがでてきても、その手下人は秘密警察の長官であったり、中隊長であったりする。
地球とまったく同じ星があったが爆発してしまい、その星の住人たちは地球にやってくる。やがて食糧難となり、宇宙人狩りがはじまる。宇宙人は宇宙船で脱出、地球を攻撃せんとする。ところで、宇宙人狩りに使った銃には、物体縮小液が使用されていた。危機一髪のところでアトムが活躍し、地球人と宇宙人は、平和条約を結ぶのだが、そのあと宇宙人はみずから縮小液によって身を縮小し、地球人に迷惑をかけぬことを誓うのである。そしてこれを科学の平和利用だなどとにおわせているわけだが、はたしてこれが真の平和であろうか。インディアンたちを居留地におしこめることが西部劇における平和であるのと似通ってはいないか。しかもそれらの取引きが「長」たちのみによって行なわれる点まで似ているのだ。つまり手塚マンガの理論は、エリートの理論だからこそ、インテリたちの好みにあうのである。もちろん、それはそれで悪いことではない。しかし手塚マンガだけをよしとして、マンガ擁護論の証拠物件のようにあつかわれるのは困ったことだ。
白いライオンのレオは、ジャングルの王者パンジャの子どもとして生まれた。人間の手で育てられたレオはアフリカへ帰り、ふるさとに文明社会をきずこうと決意する。だが、それがたやすいことであるはずはない。かくてレオの活躍がはじまるわけだが、このころ世界の話題はアフリカ奥地でとれた「月光石」なるなぞの鉱石に集中していた。ものすごいエネルギーを持つ月光石をめぐってA国とB国はしのぎをけずる。
この作品は手塚マンガとしては比較的初期のころのものに属する。したがって人物の描き方も末端のギャングや船員にいたるまで気を使っているのがわかる。これが現在のテレビマンガ『鉄腕アトム』のように類型化してしまう過程を考えると、いかにマンガが消耗品として考えられ、その激しい消耗に見合うような形で生産されているかが明らかとなるのである。
大量生産の要求に応えるために、手塚治虫は自己の論理のみを残した。だが『ジャングル大帝』を始めとして初期の作品にみられる面白さは、「長」の論理と末端の非論理がぶつかりあうところにのみあったといっても、けっしていいすぎではないのだ。ベタマンやライン・マン、ホワイト・マンなど数多くの下職を使ってマンガの大量生産を図った手塚治虫が論理つまり類型のみを残した作品をつくるようになり、やがてはストーリー中心主義のマンガ映画に移行するというのは、いかにも日本的であり今日的でもある。
『ジャングル大帝』をはじめとする手塚治虫作品のかずかずは、たんにマンガであるばかりでなく、十数年間にわたるマンガ家の軌跡であり、それはさらに印刷文化から映像文化への移行の必然性の記録ともなっている。そうした意味からも、手塚治虫のマンガは子どもの文化について多少なりとも関心をもつものに欠かすことのできない重要文献である。

和知三平、手塚治虫とまずまずの健全派ふたりをならべたあとには、やはりやはり健全な考え方からすれば、抵抗を感じざるをえない作品をだす必要があるだろう。
健全とはいえない、しかし俗悪ともいいきれないマンガ、これは魅力のあるマンガである。子どもたちが泣いてよろこぶとまではいかなくても、手にして熱中するマンガの多くは、こうした種類に属する作品だといえるだろう。

白土三平作『忍者武芸帳(影丸伝)』
この作品はちかごろ流行の忍者ものではあるが、忍者ブームの尻馬にのっかってつくられたものではない。村山知義が小説『忍びの者』を書く以前、市川雷蔵主演の映画『忍びの者』の封切以前から子どもたちのあいだに、知れわたっていたマンガなのである。
白土三平はこの作品のほかにも『風魔忍風伝』『真田剣流』『忍者人別帳』『サスケ』等多くの忍者ものをかいているが、そのいずれもが織田信長の時代に材をもとめ、信長と一向一揆とのからみあい、さらに一向一揆と性質を異にする土一揆のことまでをふくめて、戦国の世に活躍する忍者の姿をリアルな筆致で描きだしているところにその特徴がある。
影丸なる人物はといえば、かげ陰のながし流の忍者にして土一揆の指導者であり、この影丸に対立する人物には本願寺の法主、顕如がいる。そしてこの顕如は、自身の教団発展のために農民のエネルギーを利用している男として描かれているのだ。
白土作品の第二の特徴は、時代背景と忍者の解説文が、かなり多量に挿入されていることである。「天正四年四月、越前の一揆を壊滅した信長は、ひきつづき本願寺さいごの石砦といわれた雑賀攻略のため、水陸両軍による進撃を開始した」とか、「ハエを集めるには、毒きのこ(テングダケ)のカサをとり、火であぶり、よいカオリが四方に拡がるころ取り、自分の欲する場所においておけばよい。勿論ハエはこの上にとまり、やがて死ぬ」などと書かれている。いうまでもなく、子どもたちが、このような文章までふくめて白土三平のマンガを味わっているかどうかは、疑問であるが、それらの解説文を無視したとしてもなお、白土三平のマンガはじゅうぶんに興味深いはずである。斬られた首がころげ落ち、手首が血しぶきとともに宙を舞うという荒々しい場面が出てくるかとおもえば、荒地をたがやす若者が「来年はここにもっと大きな畠ができる」とつぶやいたりもする。それらを連続してながめるならば、残酷のイメージをのりこえた躍動のビジョンが感じられるのだ。作者、白土三平自身は「影丸はもちろん私の創作的人物である」と書いたあとでつぎのようにいっている。
「超人的力をもち、架空の永遠の正義感をふりまわし、非現実的な行動に終始する英雄なんてものは存在しないと思っている。したがって、そういった人物を主人公に、ドラマを展開させることは出来ない。一人の人間の行動は、そいつの育った環境、そいつを成長させた時代の発展段階の範囲をでることはできない。……だが、ある決定的な瞬間に、個人の力が大きく全体に影響をあたえることもある。ある 個人なり階層に、時代が大きな超人的行動を要求する場合もある。だからこの物語も、あの戦国の世を戦いぬき時代を前進させる原動力となったなった人びとを、影丸という人物にしぼって現わして見たかっただけだ」
こうした確信にみちた白土三平の作品がほかの作家に影響を与えぬはずはない。まして子どもマンガ家のほとんどは、模倣から出発している。空想科学ものは手塚治虫、野球ものは関谷ひさし、そして忍者ものは白土三平というように、だいたいの傾向はきまっている。もちろん模倣作品の多くが独創性に欠け、作者不在の作品となるのは、あにマンガのみならんやというところであろう。

石森章太郎作『黒い風』
忍者ものの多くは白土三平の影響をうけていると書いたが、この作品はそれら多くの模倣作品と対立するもので、このあとに取りあげる横山光輝作『伊賀の影丸』とともに、白土三平作品とは異質の要素を盛りこんだマンガなのである。
白土忍者が信長の時代であるのにたいして、石森忍者は豊臣家再興のために徳川に敵対する。石森章太郎いわく、「……時は天和二年の夏である。豊臣方が徳川家康に大阪城でほろぼされてから、はや一年がたっていた……」
忍者の黒い風は、秩父山中で新式の鉄砲を作ったという有川八郎をたずね、その連発銃の設計図をゆずりうけたが、帰途、徳川方の忍者に襲われて重症を負い、記憶喪失症となる。ために自分の仲間からは裏切り者のあつかいを受けて苦しい立場に陥ち、やがて記憶はよびおこされたが、そのときはもう味方はいない。「もう誰のためでも……豊臣家のためでも正義のためでもない」「自分自身のため……」黒い風は生きのびようとするが、夢にまで描いたこずえという娘とその父のいる家の灯をまぢかにみながら息たえてしまう。風の吹きすさぶ夜のことである。
石森章太郎はあとがきとして「戦国時代と現代とは非常によく似たところがあります。真実をもとめて巨大な機械文明に反抗をこころみる人がもしいたならば……あなたは黒い風≠ナす」と記している。白土三平が歴史の一段階としてその時代をとらえるのにたいして、石森章太郎は、現代の共通点、つまりアクチュアリティをたえず意識している。このような石森の発想は、マンガ家としては貴重なものといわねばならない。まだ単行本になった作品はすくないが雑誌に連載されている作品にもすぐれたものがある。今日から明日への作家として期待すべきひとりだろう。

子どもマンガをかくものの収入がばくだいなものだということは、手塚治虫の活躍ぶりなどからもうすうすは知られていた。だがそれを周知のものとしたのは横山光輝である。年若いマンガ家横山光輝の名が長者番付にのったとき、週刊誌はこぞってこれにとびついた。横山光輝の人気をかくも高からしめたものは『鉄人28号』なるロボットものマンガだが、このほかに少女ものから時代ものまで幅広い活躍をし、そのそれぞれがかなり質的に高いのが強みである。当分のあいだ、まだまだ横山光輝の人気はつづくものと思われるが、その人気の原因が明るい絵柄やストーリーの明確さにあると考えるのはあまりにも表面的の解釈というべきだろう。
横山光輝の作品が幅広くゆきわたっているのは、それらの作品の底によこたわる安定ムードのゆえである。白土三平、石森章太郎と忍者ものを並べたついでに、ここでもまた『伊賀の影丸』なる忍者マンガよって、横山作品の底を流れる安定ムードにさぐりを入れてみよう。

横山光輝作『伊賀の影丸』
白土三平の影丸が信長時代の忍者であったのにたいして、伊賀の影丸は徳川に所属する忍者であって、東京の半蔵門にその名をとどめる服部半蔵の配下であるらしい。
第三部の「いままでのお話」にはつぎのように記されている。
「将軍家のおんみつ影丸は、若葉城の城主がむほんをたくらみなにか秘密の工事をしていると聞き、その秘密をさぐりに若葉の里にもぐりこんだ。しかしそこにまっていたものは、若葉右近のやとったおそるべき忍者(甲賀七人衆)だった」のである。かくて影丸とその仲間の活躍が展開されるわけだが、敵の忍者の首領、阿魔野邪鬼は不死身の男。この不死身の術をやぶるべく、影丸は甲賀の姫宮部落におもむき、阿魔野邪鬼出生の秘密をさぐらんとする。この部分は非常にすぐれたものだが、いかに影丸が生命を賭して努力してもそれが徳川幕府の安寧のためであることはわかりきっている。だから影丸は国家秘密警察の一員であり特高的存在であるとまでいってしまうのは公式論だが、そうした解釈はぜんぜん無理難題であるとはいえない。しかし作者の意識としてはそこまで深いものではないだろう。横山光輝が描きたかったのは、白土三平のような歴史の段階でもなく、石森章太郎のような現代との共通性でもなかっただけのことなのだ。それが証拠には、影丸が姫宮部落に入らんするとき、道ばたの百姓は、「姫宮部落はあの山の中ほどにある」「しかし、あの山は死の山といってな、ふつうの者には近づけない山だ。この里の者だって近づけないおそろしい山だ」「あの山にいけるのは姫宮部落の者だけさ」といい、また農耕に精をだすのである。
白土三平のマンガにおいては、このような形での傍観者は存在しない。農民はあくまで中心的存在であった。また石森章太郎のマンガにおいてはすべての闘いをむなしいとする老人が登場する。山奥に住みながらも、「むなしい」といい切る批評精神だけは失わない老人である。これにくらべた場合、横山光輝のマンガがいかにも平和にみえるのは当然であろう。そしてこれは、姫宮部落の忍者たちの特殊性がよりいっそうあざやかに描かれることになる要因にもなっている。この作品だけではない。こうした方法は、横山光輝の作品のすべてに共通するのである。平和なればこそ、少年たちは地球防衛軍の名のもとに『少年ロケット部隊』に結集し、『鉄人28号』は、戦後一〇年たったからこそ何者かによって完成されて、つぎつぎに事件をひき起こすのだ。
歴史的にいえば忍者は、戦乱の世にこそ必要だからつくられたのであって、徳川幕府が安定しているからは不必要とされ、そのモニュメント記念物として伊賀の上野ならぬ江戸の上野の不忍池ができたといい伝えられているくらいである。ところが横山光輝の作中人物、姫宮部落の忍者たちは、つくられた忍者ではない。
「ふふ、みたか」「たしかにこの部落にはかたわものがおおい。たべもののせいか、ほかに原因があるのか……」「しかしそれがかえって忍者として役にたっている」というくらいだから、いかなる艱難辛苦にもたえて忍者になったものとは本質的に異なるわけである。したがって、ここでは時代背景は問題にならず、考証の必要もない。横山光輝が数多くの作品をものにして長者番付に名を連ねるゆえんであろう。そしてそれはまたそれで、マンガとしての魅力をもっているわけである。
科学ものの手塚治虫、忍者ものの白土三平とならんで野球ものの元祖ともいうべき存在は関谷ひさしである。その代表作『ジャジャ馬くん』は長年にわたって雑誌に連載されたがラジオドラマ化を機会に単行本にまとめられた。

関谷ひさし作『ジャジャ馬くん』
ほんらいジャジャ馬なる呼称はお転婆娘にたいして用いられるものであったが、ここに登場するジャジャ馬くんは桜ガ丘中学野球部のエースとして活躍する純然たる男である。本名は天馬竜平、母ひとり子ひとりという家庭環境だが、ジャジャ馬くんは親孝行な少年であって、どんなときにも眼をとじれば母の面影がうかんでくる。この一つの例からもわかるようにこのマンガは佐藤紅緑の少年小説『ああ玉杯に花うけて』などの模倣に近い作品なのだ。このような作品がなぜ野球ものの原典的存在となるのか、それはつまり野球ものになんらかの形で主張を与えようとするなら、いちばんたやすい型が、友情と熱血だからにほかならない。大きな瞳にすらりとした体、これこそが友情と熱血の象徴である。関谷ひさしの場合にはこの象徴の生みだされた必然、いいかえれば作家としての主体的なとりくみがあり、読者をして主人公にかかわらずにはいられない感動をよぶわけだが、こうした手法がそのままプロ野球の世界に生きる少年を主人公にしたマンガにまで流用されたのでは成功するはずはない。
「そうだ、野球だ。野球で、あの少年を正しい道へみちびいてやろう」とつぶやくのはジャジャ馬くんの恩師川島先生だが、これはまさしく日本的アマチュア精神であって、けっしてプロの世界には通用しない。そしてこのアマチュア精神は関谷ひさしの思想である。手塚治虫は自分の論理を表現できると思えば映画という形式にまで手をだす。野球をやるためならプロに世界にもとびこもうという心意気であろう。しかし関谷ひさしにあってはつねに生き方が問題にされるのだ。「わたしは、そうした一人の少年がどのように成長していくかを、描いていくつもりです」という関谷ひさしのマンガにおいて、野球はスポーツというよりは武道に近く、たえず道徳的配慮がおりこまれてゆく。子どもマンガの作者が戦後世代の若者たちによって大きく占められつつある現在、関谷ひさしはさながら大久保彦左衛門的存在としてその道徳的テーマをかたくなにつらぬいていくことだろう。思想と表現の一致したマンガ家として、関谷ひさしは見すごすことのできない作家である。

ちば・てつやの『1・2・3と4・5・ロク』を最後にとりあげる。この作品だけは単行本ではなく、いまはなき『少年クラブ』の附録である。それをあえて取りあげる理由はこの作品が講談社制定の児童マンガ大賞を受賞したからである。小学館の場合とおなじく、児童マンガ賞の目的は、子どもたちに健全なマンガを与えるために一一であろう。とすれば、親のねがい、教師のねがい、こころある人びとのねがいを代弁するにたりる選者たちによって選ばれた当代一流のマンガといわねばならない。たしかに『1・2・3と4・5・ロク』はそうした期待の寄せられる作品である。その裏表紙には、
「このまんがは、あなたひとりでよまないで、おうちの人たちみんなに見せてあげましょう」とかいてある。家族みんながそろって楽しむ、これこそは健全の名にあたいする第一条件なのだ。だがこうした考え方は、ともすれば子ども自体を忘れた童心主義的な傾向を生みだしがちである。新聞の家庭欄を飾る四コマのマンガにもそれなりの存在理由があるわけだが、それとおなじような小市民性を子どもマンガに要求するのは、おとなの身勝手ではないだろうか。
児童文学の世界では層の薄さをおぎなうために山本有三の小説や下村湖人の『次郎物語』までを子どもむきとして組み入れている。古典や名作とよばれるもののなかにも、ほんらいは児童文学ではないものがかなりある。それが有意義な場合もないではないが、子どものための文化の独自性を考える上では、やはり邪道であろう。マンガにしても、子どもマンガまたは児童マンガ賞と銘うったからには、子どものための、極端にいえば子どもだけのということが強調されるべきではないか。たとえば横山隆一の『フクちゃん』がいかにすぐれていても、あれを子どもマンガとよぶべきではあるまい、と考えながら『1・2・3・と4・5・ロク』を読んでみたいと思うのである。
「三枝ちゃん、こんにちは。おかあさんがなくなって、気のどくね。でも、気をおとさないでね。じつは、わたしのおかあさんも、ことしの一月になくなったのよ。そのうえ、おとうさんが刑事なので、事件などがあった日はかえってこないのでさびしいわ。でも、三枝ちゃんにはきょうだいがあっていいわね。一枝ねえさんが、いろんなことをしてくれるでしょ。わたしはひとりっ子なので、じぶんでいろいろしてるの。そんなことはなれたけど、とてもさびしいわ」というファン・レターからも容易に推察できるように、この作品は母親と死別した北白川家の子どもたちを中心とした物語であり、しかも母をなくしたさびしさを子どもらしい笑いでまぎらしてゆくのおが主な題材なのである。
秋がきた
雲ひとつない
すばらしい秋晴れ
青空団地
秋がきた
と書きこまれた見ひらきで始まる章では、とうふを買い、赤ん坊のいつ子がミルクをほしがり、新聞を見るとジャイアンツの勝ったことがわかり、タオルをめぐって自分のことは自分でという言葉が出て、赤ん坊に歯が生えたことできょうだいがみんなさわぎ、それゆえに母親のことが思いおこされ、そこへ夜どおし働いて疲れた父親が帰宅するのである。これはたんなる日常生活の積み重ねにしかすぎない。母親つまり主婦のいる家庭ならば、まったくなんでもないことである。それが母親がいないということだけで、ものがなしい雰囲気を感じさせるのだ。題名の数字は子どもたちの名まえのつらなりであって最後のロクだけが犬の名というわけだが、これに母親を加えたならば,この作品は成立しなくなる日常茶飯事を描きながら、それがさも重大なことでもあるかのように思わせるために、母親を死なせてしまったのだといえないこともない。安易な方法である。このような作品が授賞して権威をもつことは、子どもマンガのレベル向上のためには、むしろ悲しまねばならない。あえて取りあげたゆえんである。
ぼくたちは、いままでに多くの傑作佳作、駄作愚作にめぐりあってきた。俗悪児童文化の代表のようにいわれた絵物語にも忘れがたい作品があった。山川惣治作『ノックアウトQ』『幽霊牧場』なども実によい作品だったが、マンガとおなじ消耗品としての宿命をもつゆえに、よほど運でもよくないかぎり、いまでは貸本屋の棚の隅を探しても、手にすることが不可能なのである。だから、ここでふたたびくりかえさねばならない。マンガには、古典・名作は存在しない。 『一九六三年九月「子どもに読ませたい50の本」』
テキスト化高松佐知