『現代にとって児童文化とはなにか』(三一書房 1965)

俗流マンガ擁護論批判−−現代児童マンガ私論 1

 おとなのマンガと子どものマンガでは問題がぜんぜんべつになると思います。
 おとなとしての感覚や好みで子ども向きマンガを評価すると、きまって、手塚治虫の作品がよいということになります。つまり手塚治虫の作品は、マンガを問題にする場合のリトマス試験紙のようなものであって、それをよしとするものは、だだちに、子ども向きマンガをうんぬんする資格を喪失したと判定すべきです。
 手塚治虫の作品がよいという感覚は、いわゆる児童文学を健全だと思いこむ感覚と同じで、それはすこしも子どもに関係のない錯覚・ひとりよがり・おとなの身勝手・保身の術その他です。このへんのことにも気がつかず、線が美しいとか、ストーリーの流れにリズムがあるとか、映画的手法だとか、科学性があるとかいうことで手塚治虫を高く評価するのは、これみなすべて、子ども向きマンガの前進を妨げるものと断言していいと思います。この点、美術評論家の中原祐介センセイなどはまったく困った存在というべきでしょう。
 一九五九年六月一三日の図書新聞は、「もっと子どもにマンガを−−マンガは悪いものばかりではない」という特集をくみました。そこでは四人の男がそれぞれの立場や感覚で三つずつのマンガを推せんし、その理由を述べています。
 その四人の男とは、心理学者乾孝氏、小学校教諭菱沼太郎氏、美術評論家中原祐介氏、児童文学者佐野美津男という顔ぶれですが、ここでも中原祐介センセイはまず第一に、手塚治虫作品『ロック冒険記』を推せんしました。そしてその理由をつぎのように述べています。
「手塚の作品はどれでも面白い。これは大分前の作品だが着想に現実味が少く、太陽の向う側から現われるデイモン星、粘土人、鳥人など筋が奇抜だ。奇想天外ということにマンガの本領があるのだ」
 奇想天外がマンガの本領という意見もずいぶんおかしな話ですが、さらに中原祐介センセイはつぎのようにいうのです。
   「マンガは子どもの娯楽であり、そこで”T教育性”Uを云々する必要はない。マンガを喜んで読む子どもは健康なので子どもの旺盛な好奇心、空想力、ナンセンスを喜ぶ柔軟な思考力のためにマンガは必要だと思う」
 さながな、自分こそ子どもの味方なのだとでもいうように「そこでT教育性Uを云々する必要はない」といっていますが、これもずいぶんおかしな話です。
 つまり中原祐介センセイは、T教育Uがマンガや子どもの娯楽に敵対するかのような公式的な断定をくだしているのです。だけどこれは、樹を見て森を見ないという格言の逆で、森を見て樹を見ない論理だといわざるをえません。
 いまでも、自民党政府の文教政策とたたかいながら、ほんとうの教育を守っている教育労働者は存在するし、そういう教師たちはマンガについて教育性をうんぬんする必要を痛感します。そしてぼくもこれに賛成するものです。
 中原祐介センセイが「マンガは子どもの娯楽であり」と定義するとき、菱沼太郎センセイは「マンガはオヤツのようなものだ」といいます。乾孝センセイもまた「マンガを読むのは楽しいこと」といっています。これらの同一性こそが、最も悪い意味でのT教育性Uではないでしょうか。もちろん菱沼センセイも乾センセイも手塚治虫を高く評価することにおいては、中原センセイにおとるものではありません。そしてそれはセンセイ方の立場を考えれば当然のことです。
 ぼくはマンガを、子どもの娯楽であり、オヤツのようなものであり、マンガを読むことは楽しいことだというふうに定義することに反対します。おとなの眼から見て、楽しそうに見えることが、子どもにとっては楽しいどころか、真剣な戦いでさえある場合がじつに多いし、また子どもにとっては、オヤツこそが主食であるかも知れないのです。
 子どもがマンガを見る態度、それはぼくらが映画や小説をみる態度とまったく同じだと思います。ぼくらが映画や小説でアクチュアリティを問題にするように、子どももまた、マンガにあらわれる自分たちの今日の問題に一喜一憂しているのです。そのマンガを、娯楽・オヤツと定義してしまうことは、子どもたちの賛成するところではないでしょう。オヤツがなくても生きていかれるが、主食がなければ人間は死にます。いまこの世からマンガを全面的に抹殺した場合、子どもの自殺者が続出するに違いありません。
 教科書を媒介にしたのでは、一言も先生と話のできない子が、マンガを媒介としたときには、その舌先に熱をおびることさえめずらしくないのです。ここにこそ、マンガの存在理由があるとぼくは思います。もちろんこのことは児童文学などについてもいえるのですが。
 いままでに書いたことによっても、美術評論家中原祐介センセイのマンガ擁護論がいかに俗流であるかは証明できたと思うのですが、さらに追い討ちをかける必要があると思います。
 中原センセイが手塚治虫を高く評価するとき脳裏に描くは安部公房の姿でしょう。安部公房が医学徒の出身であるように手塚治虫もまた医学者としての経歴があります。そしてともにS・Fに感心が深い、ということになれば、中原センセイならずとも両者を同一線上にならべたくなります。しかし、それはあくまでも作品以前の、あまりにも人間的なことであって、作品には何の関係もないことです。
 まず第一の反証として、手塚治虫の場合には、その亜流が実に多いということを挙げたいのです。つまり手塚治虫は作家主体の欠如した職人的マンガ家であって、彼の表現は技術でしかないということです。それに反して安部公房はマネようとしてもマネのないユニークな作家であり、その方法は作家主体をぬきにして考えられないのです。
 この職人と作家という対比点、これは実に大切なことだと思います。あるいはこの対比点にこそ、子ども向きマンガの本質をとくカギがひめられているとさえいうべきかも知れません。
 現在、子ども向きマンガはそのほとんどが職人によって技術的に作られています。赤銅鈴之助で名をあげた竹内つなよしも、まぼろし探偵の桑田次郎も、その他多くの売れっ子マンガ家も、それぞれ数人の下職を使い、生産性の向上につとめています。そしてその下職のうちの何人かが、いつかまた一本立ちのマンガ家として下職を使うようになる、これがスタンダード・システムです。これは、助監督として何年かをつとめあげたものが監督に昇進する映画のシステムと共通するのではないでしょうか。
 しかし経験や技術の習得が、映画芸術に何の関係もないことは、ヌーヴェル・ヴァーグの一部の作品が証明ずみです。この逆の証明は、沢島忠やその弟子たちが示してくれています。すぐれた作家に思えた沢島忠も、しょせんは職人でした。沢島には作家として不可欠の条件である変革がないからです。
 変革ということにおいて、マンガ家はずいぶん不利な条件におかれています。ある意味においては、無署名でもその作者名がわかるようなマンガを描くことがマンガ家にとって必要な場合だってあるからです。しかし子ども向きマンガの場合には、一目で「あっ、これは手塚治虫だ」というほどにわかる必要もなく、さらにまた、子どもにはアキルという特性がありますから、おおいに変革する余地があるわけです。だが職人はかたくなに変革を拒みます。かくて、子ども向きマンガ家の生命は平均二〜三年ということになるのです。
 子ども向きマンガの生命が平均二〜三年だといわれるなかにあって、手塚治虫の生命の長さはやはり問題になると思います。だか現在の手塚治虫は、マンガ家としては余命を保つ状態であって、けっして壮健というようなものではありません。
 手塚治虫の生命の長さ、これはやはり変革に関係のあることです。手塚治虫のマンガ家としての出発が、子ども向きマンガの世界に与えた衝撃はまさに変革の名に価しました。医者からマンガ家への転身、これはマンガ家のスタンダード・システムを否定するものだったからです。ここにこそ、手塚治虫の存在理由があったのですが、彼はアンチ・マンガ的自己を堅持することなくスタンダード・システムの微温湯にひたってしまったのでした。
 手塚治虫が医者からマンガ家へ転身したときマンガ界に与えた衝撃と、メイエルホルドの理論を映画に持ちこむためエイゼンシュティンが演劇から映画に転身して与えた衝撃とは、ある種の共通性を感じます。それはさらに最近のヌーヴェル・ヴァーグにも当てはまることかも知れません。だが現在、ヌーヴェル・ヴァーグといわれている作家たちのなかからも、スタンダード・システムの微温湯に身をひたすものはかならず出てくると思います。
 あらゆる意味において、現在の子ども向きマンガが停滞しているとするならば、それは第二第三の手塚治虫が出てこないことに大きな原因があると思います。いまこそおおいなる否定の精神を持って子ども向きマンガに立ち向う必要があるわけです。
 おおいなる否定の精神を持つということは生易しいことではありません。あるいは男子一生の仕事に価するかも知れないのです。ところがその対象が、娯楽だオヤツだと定義されていたのでは、ホコ先もにぶってしまいます。そういうおそれがあるわけです。
 ぼくが『アパッチ投手』という連載マンガの原作を書きはじめたときにも、「マンガの原作を書くなんて」とか、「えらそうなことをいっても、マンガの原作を書いているじゃないか」という非難を受けました。教育評論家国分一太郎センセイもぼくを非難したひとりです。もちろん非難は勝手ですが、国分一太郎センセイなどは明らかに、マンガは悪いものときめてかかっているのです。そしてその根底にあるのは、マンガを娯楽、オヤツとしてしか評価しないおとなの感覚です。だから中原センセイを俗流マンガ擁護論者とするならば、まさに国分センセイは俗流マンガ否定論者です。そのどちらもが俗流であるかぎり、ぼくは彼らを子どもの敵と呼びます。 (一九六〇年五月 「記録映画」)

児童マンガ的想像力−−現代児童マンガ私論 2

 諷刺と滑稽がマンガに問って欠くことの出来ない要素だと考えている人は多いでしょう。しかし、子ども向きマンガは、諷刺と滑稽を全面的に排除しても成立する可能性があります。いや、それどころか、その可能性を追求することなしには、今日の子ども向きマンガを考えることはできないのです。
 ある児童文学評論家が、ある児童マンガ家の作品を高く評価しました。その理由は、悪人の顔を岸信介に似せて描いたからなのです。悪人の顔を岸信介に似せてるのは、明らかに諷刺です。それを高く評価することは、諷刺マンガの重要素として認めることを意味します。すくなくとも、諷刺を排除しようとする立場ではありません。
 ここでぼくは今年のメーデーを想起します。プラカードにハリボテに岸信介の似顔がハンランしていました。つまりメーデー会場をうめつくした人びとは諷刺の精神に満ち溢れていたのです。プラカードに書かれたコトバもさまざまでした。だが、ぼくにはよく理解できません。あのハリボテ・プラカードはいったい誰に見せようというのでしょうか。敵に見せようというのでしょうか。敵に見せるのか、味方に見せるのか、その点がアイマイだと思うのです。もし敵に見せるならば、ことさらに出っ歯を強調した似顔や、さまざまなコトバよりも、五十万人なら五十万人が同じコトバのプラカードを持って行進した方が効果的です。「安保体制打破、岸内閣打倒」のプラカードが五十万ずらりと並ぶ。これは敵に相当の衝撃を与えると思います。
 味方に見せるためならば、自分たちの政治家・指導者・英雄の肖像を掲げるべきです。伝えきけば全労系の労組では西尾末広の肖像を掲げて行進したといいます。この厚顔無恥が必要です。トロツキストを自認するものはトロツキーの肖像を掲げ持ち、それに反対する代々木派は野坂参三なり宮本顕二なりの肖像を掲げるべきです。だが、メーデーに参加した労働者大衆のほとんど全員が自分たちの政治家・指導者・英雄の肖像を持ちませんでした。これは一種のアナーキーな風潮です。
 諷刺はアナーキーな精神の産物で、諷刺を産出する想像力は停滞している第三者の傍観の立場から動きません。岸信介に似たハリボテを作る。その首にナワをかける。岸信介が絞首刑に処せられているという想定ですが、はたして、その制作者たちは岸の死刑執行人になるだけの心構えがあるでしょうか。
 マンガの悪人はまず九九パーセントまでは死ぬことになっています。岸信介に似た悪人も死ぬのです。悪人を岸信介に似せて描いたということは岸を死せたいということになります。これは岸のハリボテにナワをかけるのと同じことです。それではそのマンガ家に、岸信介の死刑執行人となるだけの心構えがあるかないかが問題となります。ならびに、そのマンガを高く評価した児童文学評論家に、岸信介の死刑執行人になる心構え、ありや、いなやを問う必要があるでしょう。
 東京裁判は岸信介を死刑にしなかったのです。岸信介を死刑に処するためには革命以外に方法はありません。岸信介の死刑執行人になるということは、革命に参加することでなければならぬはずです。岸信介絞首刑の図のハリボテの制作者は革命に参加する決意があるかどうか。悪人を岸信介に似せて描いたマンガ家は革命に参加する決意があるかどうか。ならびに児童文学評論家センセイは?
 いまさら「ない」とは答えられないでしょう。ニヤニヤ笑って答えを曖昧にされては困るのです。だが、諷刺とは、答えを曖昧にする性質のものです。ズバリ、確信に満ちた答えが可能な者にとって諷刺は不必要な方法です。
 子どもたちはおとなたちに向かって、つねに確信に満ち溢れた答えを要求しています。強いものはあくまで強く、弱いものはどんどん死ぬべきだという非情の論理でマンガに向かいます。主人公が負けるということは、強くなるためのトレーニングでなければなりません。この子どもたちの要求に手早く答えるために、曖昧な答えを確信あり気にごまかすために、スーパーマンたちが登場したのです。
 スーパーマンたちは死にません。絶対に死にません。なぜ死なないか、という子どもたちの質問にたいして、スーパーマンの制作者たちは「正義は死なず」と答えています。これは明らかにごまかしです。しかも危険です。「正義は強い」がひっくりかえって、「強いのが正義だ」ということになるからです。
 手塚治虫はスーパーマンたちがあまりにも人間臭いことに気おくれを感じたのか、主人公を宇宙人に仕立てました。まとはロボットにしました。このスリカエによって、手塚治虫は児童マンガ全般に流れている、テロリズム的風潮からの脱走を計ったのです。人間が人間を殺すのはテロだが、宇宙人やロボットが人間を殺すのはテロに非ずというわけです。そしてこの辺のスリカエが諷刺を好むヒューマニストたちの拍手かっさいを受けているのです。
 『週間コウロン』五月一七日号は「日本のディズニーをめざす男−−長篇漫画映画に取り組む手塚治虫」をトップに扱っています。そのトップ記事が紹介する手塚治虫のロボット憲法は「まことに理想的なイデオロギーの体をなしている。いわく、人間に危害を与えない。友人としてつきあうが、主従としてはつきあわない等々」というぐあいです。
 人間に危害を与えない精神では、岸信介の死刑執行人になることはできません。つまり革命に参加することはできないのです。革命に参加できないことが「まことに理想的なイデオロギー」というのは保守反動の賞めコトバでしかありますまい。このロボット憲法の創案者手塚治虫の作りだす主人公に拍手をおくるということがどんな意味を持つか、ある児童文学評論家にも考えてもらいたいのです。
 さらにもういちど、岸信介を死刑にする方法を追求します。岸信介を死刑にするためには、革命が必要だということは自明の理です。だが革命とは結果だけをいうのではなく、革命はむしろ戦いの過程を意味します。革命とは自分が死刑執行人の地位を確保するための戦いを意味するものでなければなりません。ところが手塚治虫は死刑執行人の地位をロボットにゆだねてしまいます。これは革命の裏切りです。しかもロボットは憲法に従って人間に危害を与えないというのです。これでは岸信介を死刑にすることはできません。
 岸信介を死刑にすることができない自分を否定するためにではなく、そういう自分の非力をカバーするためにさまざまなる意匠を考える、これが諷刺の精神です。過程をぬきにして結果だけを想定して冷めたく笑う。つまり諷刺は自慰と同質です。
 自慰常習者は諷刺を好むと同時に、滑稽を好みます。トンマな奴がヘマをするのを笑うのと自分で出来もしないことを夢見て笑うのは表裏一体です。
 極端ないい方をすれば、子ども向きマンガは笑わせるために描かなくてもいいのです。笑えないマンガこそ今日の子ども向きマンガだとさえいえると思います『少女』という月刊誌にはつぎのようなキャッチフレーズがのっています。
 「こわくて、かなしい、スリラーまんが」
 これが今日の児童マンガの現状です。この現状が否定されるべきものであることは多くの作品を見ればただちに決意さざる得ないのですが、それを「笑えるマンガ」の方に逆転させることには反対です。笑えなくしたマンガは、一方において泣けなくする必要があります。泣くことも笑うことも出来ず、それでいて目をそらすことが出来ない衝撃の連続こそが、今日の子どもマンガに必要だと思うのです。革命とはそういうものだと思います。もしもその過程に笑いが生じたならば、それは革命の敵を倒したとき、つまり人間に危害を与えたときだと考えます。そして泣くということは、味方が倒れたとき、つまり人間に危害が与えられたときということになります。これらの泣き笑いは諷刺や滑稽には何の関係もないはずです。
 ぼくが児童マンガの方法において、諷刺と滑稽を全面的に排除したいと思うのは、ぼくにとって、マンガの創造と革命が同質になる必要があるからです。
 ぼくは革命を空想することができないように、死刑執行人の地位をロボットにゆだねることもできません。ぼくが死刑執行人の地位をゆだねることができるのは、息づまるような衝撃の連続を求めてマンガに立ち向う子どもたちです。その子どもたちには、岸信介に似た悪人を殺させるのではなく、岸信介そのものを殺させなければなりません。そのためには、マンガの主人公を子どもたち自身にする必要があります。手塚治虫は「子どもを観察することは、そう役に立ちません」といっていますが、子ども自身をマンガの主人公にしたいと思うぼくは子どもを観察する必要を痛感します。観察もせずに子どもを描けるはずがないし、またよしんば描いたとしてもそれは空想の産物であって文学でいえばメルヘンです。
 ジェームス・M・バリィが『ピーター・パン』を書いたのは、生まれて間もないわが子の死を悲しみ、わが子の霊よ永遠なれと願ってのことです。この姿勢こそがメルヘンの原型だとぼくは思います。つまりメルヘンは唯心論の立場から産出されるのです。
 『ピーター・パン』と手塚治虫の『鉄腕アトム』はその発想が酷似しています。
 「科学者、天馬博士には、飛雄というこどもがいた。しかし飛雄はある日、自動車事故にあって死ぬ。傷心の天馬博士は、飛雄のおもかげをしのぶためにと、わが子に似たロボットを完成した。名づけて『アトム』」というぐあいです。
 『ピーター・パン』はいたずら好きの妖精ですから、死の遊戯をさかんに繰返します。しかし本当の死は描かれていません。これは手塚治虫のマンガについてもいえることです。彼は死を遊戯としてしか描いていません。村上兵衛が舌を巻いたという『白骨船長』にしても同じことです。
 ぼくは死を、スリカエのきかぬもの、遊戯ではなく、子どもたちの生活として描くべきだと思います。村上兵衛は『読売新聞』五月一六日号「テロのムード」で、「ちかごろの子供漫画を読んでいて、私がいつも感銘するのは、子供の本能的な興味にあくまで迫ろうとする作家のすさまじい意欲である」と書いていますが、これは見当違いの感銘、または知ったかぶりです。ちかごろの子ども向けマンガを読んでいてぼくが不満に思うのは、子どもたちの本能的な興味をうまくそらそうとするマンガ家が多くなってきているということです。いうなれば、岸信介処刑のハリボテを作る精神なのです。
 では具体的にどんなマンガを創造すべきかという意見にたいして、ぼくは山川惣治の『ノックアウトQ』を発展させるべきだといいたいのです。あらすじはつぎのとおりです。町工場の少年工がボクシングに興味を持ち練習していると、トレーナーが目をつけプロ選手に仕立てます。労働できたえた少年のパンチは鋭くたちまちチャンピオンになります。そしてつぎにお定りの八百長試合があって少年は勝負の世界に嫌気がさし、また働く仲間のもとに帰ってくるという絵物語です。
 『ノックアウトQ』を発展させるということは、元チャンピオンの労働者が今後の生活をどうやって送るべきかを想像することにほかなりません。この想像力の欠如が山川惣治を『少年ケニア』や、『少年タイガー』の作者に堕落させたのだとぼくは思っています。山川惣治は想像力と空想力を取り違えて、ジャングルの奥深く迷いこんでしまったのです。
 いまでも想像力と空想力を取り違えている人は多いのですが、想像力と空想力とは何の関係もないばかりでなく、互いに否定しあうものです。想像力の持主は革命のために戦いますが、空想家はユートピアを夢みて動きません。
 子どもたちをして岸信介の死刑執行人にしようとするぼくらは、マンガ創造に参加する場合、想像力を駆使しないわけにはいきません。ぼくらはハリボテを示して子どもたちをあざむくことなく、リアルな死刑執行の方法を子どもたちに示す決意を持つべきです。それは必然的に衝撃の連続とならざるを得ないでしょう。
 ダシール・ハメットは『血の収穫』のなかで書いています。
   「”おやじ”とはコンティネンタルのサンフランシスコ支局長だ。もう一つの綽名はTポンテオ・ピラトUというので、いつも嬉しそうににこにこ笑いながら、自殺的な仕事で十字架にかかりにゆくおれたちを送りだすからだ。”おやじ”は礼儀の正しい老紳士だが、温かみというものは絞首縄ほども持ちあわせていない。社内の悪口屋は、”おやじ”の吐く唾は七月の暑さでも氷柱になるといったものだ」
 ぼくがいま考えているのは、子どもたちをポンテオ・ピラトに育てあげることです。いや、それよりもさらに非情な死刑執行人に育てあげなければなりますまい。なにしろ岸信介は、東京裁判から復活してきた男です。今度こそ完全に!              (一九六◯年六月 「記録映画」)
テキスト化徳山よしゆき