『現代にとって児童文化とはなにか』(三一書房 1965)

現代っ子対児童詩
     
1 詩は突然に
 流行のさなかにはその渦中に巻き込まれず、つまり稼ぎまくる事が出来ず流行が下火になってからその整理を依頼されているといった感じが、この文書執筆の動機を含めて最近の僕には絶えず付きまとっている。
もちろんこれは一種のヒガミであって、決して立派な態度としては人々の眼に映じるわけにはいかないだろうと思う。しかし「たいあな方式」を考えてもわかるように、実感ってものは大切なのだ。ぼくが、「何をいまさら、現代っ子だ」と腹立たしげにぼやくこの感情をぬきにして、「いわゆる現代っ子とは、、、、」とか「ここには真の現代っ子が、、、」などと書いてみても仕方がないのである。
真も偽もいわゆるもない。現代っ子とは文字通り現代に生きる子どものことだ。
子どもの生き方を、十年一日の如く変わらぬものであれと願うのならば、千年一日の如き世のなかを作ってやるために努力をすればいいのである。時代は変わる、しかし子供の心は変わらないなどと悟りきったようなことをいって、現代っ子を拒否してもらっては困るのだ。
 もちろん人間であるかぎり、いくら現代っ子とはいっても、産まれ落ちるなり即座に歩き出す事は不可能だ。そんな赤ん坊がいたらそれこそ化けものである。
 子どもは満一歳前後で歩くようになり、その頃から言葉を覚え始めているが、いっぺんに多くの言語を身につけるわけではない。
 学校に行くのも法律にしたがって満六歳。たまにはぼくの義妹のように、役所の手違いかなんかで一年早く行ったりするのがいるが、これは現代っ子とは何の関係もありはしない。
 学校で教えることもプロセスからいえばカタカナとひらがなの順序が変わったくらいでおよそのところは昔通りだ、、、、と信じこんでいるひとたちから見れば、確かに子どもは変わってやしないのである。
 ところが、あえてぼくらは、子どもは変わっていると主張する。あるいは変わり得る可能性を持っているというべき立場をゆずらないのだ。
 これを安易に、時代が変わった、だから子どもが変わったのだというふうにはうけとってもらいたくない。はたして、時代というようなタテの尺度を応用し、子どもの変・不変を推量する事は妥当だろうか。僕はまず第一に、この点に疑義をはさみたい。
 もしもタテの尺度を応用しての論理ならば、子どもの変わり得る可能性という場合、それは直ちに、今日から明日への変革として理解される事だろう。しかし、今日から明日へというのでは、変革の名にあたいしないのである。それは移行とでもよぶべきせいしつのものであり、またしごく当然のなりゆきでしかない。
 変革とは、ただちに変わること、または、いままさに変わりつつあることをいうのである。
 カフカは「変身」において、虫に変わってしまった男とその世界を描いたが、あの作品のすぐれた点は、変わるというプロセスを鮮明に表現したこと以外にはない。
 ある朝、目覚めると男は虫になっていたが、まだその段階では世界は変わっていなかった。しかし男が虫として動き始めた事によって、彼をめぐる世界、すなわち親・きょうだいたちは変革せざるを得なかったのである。親・きょうだいは虫にこそならなかったが、
虫になった彼のために、まったく人間らしい変身を余儀なくされたのだ。みんながみんな虫になってしまうのならば、それはもうたんなる寓話であろう。
 「変身」のなかには、タテとしての時間は存在しない。
 父から母へ、母から妹へというヨコの連環があるのみだ。変革はヨコへヨコへとおよんだのである。
 現代っ子の変革の可能性もまた、ヨコへヨコへとおよぶべきはずのものなのだ。
 ある朝、子どもが目覚めると変わっていた。この子の出現とその行動によって、周辺の人間もまた変わってしまう。いわばこの突然変異の可能性こそが、現代っ子の特質として評価されるべきものなのである。
 ぼくには教師の経験はないが、もしも教師だったらと考えることは多い。たとえばまず第一に、ぼくは学級の子ども達を一番から五十番までの成績の子どもたちとしては思ってみないことだろう。そしてさらに教師として月曜日を火曜日の前日とは考えない。明日があるから今日がある、と考えるのはタテの線。もちろんこれは学習のために無視することもできないだろうが、学術的な理解でさえ、ユリイカと叫ばずにはいられないほど、突然に行われてしまうことがないわけでもない。まして学校をただたんに知識つめこみの場として意識するならば、「突然」おびただしく子どもたちを襲うにちがいないのだ。
 従来の児童詩が、その子どもの成長の記録というタテの線を重視したがために堕落し、詩を喪失したことは周知の事実である。
 ところで、その、詩とは何かを素朴に規定した場合、一番たやすく出やすいのは、感動であるという答えではないだろうか。そしてそれは、あながち間違った答えでもない。しかしその感動を、準備は終わった、さあ、感動がやってくるぞというような形のものとして理解する事は絶対に間違いなのだが、意外にもそうしたことが多いのである。
 感動もまた突然やってくる。その感動を的確にとらえるために感受性というアンテナを磨きたてるのも悪いことではないだろうが、それが昨日から今日へという段階を踏んだものであってはならないのだ。
 感動も変革も、タテの線を通過することなく、突然にのみやってくる。二つの言葉を並べる必要さえないのである。感動はその場に居合わせたひとびとをつつみ、ひとびとを変革せずにおかなかったというような瞬間こそが重要なのである。そしてその感動が文字として現されたものが詩である。詩を広義に考えるならば、文字さえ不用であるだろう。
 ぼくが冒頭に書いたような実感、つまり、「また現代っ子論争の整理か、、、」いうようなことはすでに予知されたことであるから、どんなにこねくりまわしても詩にはならない。
と同じように、児童詩もまた、書かれるべくして書かれたものには詩がありえようはずがないと断言してもいいほどだ。
 詩は突然に、変革という名の、現代っ子の可能性のようにやってくるものなのだ。

        2 連結器ではない切断器
 それならば、人間の変革はその環境、つまり社会とはいささかのかかわりもないのかと問われるなら、ただちに否、と答えなければならない。そしてさらに、それならば、歴史的段階を無視することは不可能なのだから、今日あるは、昨日あったがゆえというようなタテの線を否定する事もできないだろうという疑問をいだくのも、一応はもっともだ。
 しかし、ぼくらにとってもっとも自明なことは、歴史があるから現代があるのではないということであろう。それに、現代があるあるから人間がいるのではないこともわかりきっているのだ。
 時代の変化とか社会の変化というのは、いまさら確認しあうまでもなく、つねに、人間の変化のことを指しているのである。
 時代遅れの人間、変わることのできない人間というのも実は変わっているのだが、タテの線のみ重んじる眼からはただ現象的にそう判断されるだけのはなしである。もちろんこれらにたいして変革などという輝かしき形容を与えることはできない。退嬰的変化あるいは敗北的変化の名をあたえておけばいいだろう。
 今日があるのは昨日があったからだ、といういいかたから想起されるのは、現代詩にもまた伝統があるという見方あるいあるいは考え方であろう。
 「一つの教育実践活動が新しい方向を意図する時、それは歴史的なるものと、現実的なるものとの接触面から出発する」と書いたのは生活児童詩教育の指導者として昭和のはじめに大きな役割をはたした村山俊太郎だが、今日でも、こうしたことを書きたがる人は多い。教育実践活動という個所を児童詩教育と入れかえれば、本誌のごとく新しい児童詩を目的とした場所でさえ通用してしまうに違いない。
 さらに村山俊太郎は書いている。
   「重ねて言ふ。生活童詩は詩によって現世代を生き抜く児童の意思、感情を、生き方を国家の要求する教育線に沿って組織する生活教育の一方法である」
 この文章には傍点が付されている。時局を考慮して国家などという文字をちりばめているが、国家を大衆とか民衆とかに置きかえるならば、やはりこれもまた今日に通用する理論だ。村山俊太郎は子どもの詩を生活教育の一方法だといっている。そして詩が子どもの組織化に役立ち得ると考えた。参考までに、村山俊太郎が典型的な生活詩だと押している作品を見てみたい。

  

       秋 
    風呂を炊く煙が
    竹の葉の間を上る
    突き立った杉のてっぺんで
    百舌が夕日を噛む
    今年は僕の目白をとるなよ
    明日は稲刈で
    あの錆びた鎌も光るのだ (高三男子)
  
   「芸術する事は人間性を組織する事である。詩は生活の呼吸であり、生活感情の組織化の手段である」
   「生活童詩もまたこの方向に於いて芸術的であり、教育的である」
 村山が昭和のはじめに書き記したこれらことを全部が全部否定すべき事柄に属するも
のとは思わないが、問題は、村山が詩そして教育を歴史的なもの風土的なものを切り離し
て考える事ができなかった点にある。
「私は北方地域に於ける文化形態が著しく立ち遅れている事の分析をここでする事は避けるが」
と但し書きをしたあとで、村山は次のように書く。
「・・・・例えば詩人にしても人間の心理的内面生活に食い入って把握するというよりも、素朴に、無技巧単純さの中に生産場面の中から現実世界を易快する態度が多い。そして素朴ながらもどこか明るい楽天的な、人生肯定的精神がひそんでいるように思う。」
 かなりの引用をしたが、村山が終始のべていることは、詩は人間を組織する。そしてその詩は生活的でなければならない。村山自身も書いているように、ここでいう組織とは人間の感情である。しかも村山は現実を否定しようとはしない楽天家だ。これではまるで、おもしろおかしい話をして人気を得る立候補者のようなものではないか。
 組織化とはいっても村山俊太郎の考えたそれは、ずるずると伝統をひきずったままの、俗流としての組織論にすぎなかった。そして今日、児童詩を考えている多くの教師も村山俊太郎の考え方と同じようなものだ。
 とすれば、児童詩と現代っ子が安易に結びつくはずはないといったほうが、現代っ子の現代性を確かめる上ではむしろ意識的ないいかたとなる。
 いうまでもなく、悪しき伝統と手を切ろうとしている教師も多くはないが存在する。そうした教師ならばなおさらのこと、児童詩がその歴史と伝統のゆえに、現代の子どもと容易に結びつかないことを痛感しているにちがいない。
 現代っ子と児童詩といういいかたの中間におさまっている「と」という字、普通ならば
何かと何かを連結するはずだが、今回は「対」という字に等しい役割を担っているのだといわなければならない。
  (村山俊太郎についてはすべて昭和十一年二月発行「生活童詩の理論と実践」から引用した)

  3 子どもは純粋ではない、だからこそ
    何の必要があって子どもに詩を作らせるのか。
    この質問に対して北原白秋はつぎのように答えている。
   「本来、子供は生まれながらに詩人です。で、子供に童謡や詩を作らせるのは大人にとって必要とする功利的な何物をも大人は考えてはならないのです。また子供自身にとって彼等が詩を作ることに於いて何の必要があるなぞと疑うことそれだけでも子供を侮辱した言葉です。子供が詩を歌うことは子どもとしての本然であって、必要以上のことです。それを疑う事は彼等の呼吸を疑う事であり、これを阻止することは彼等の呼吸を阻止する事です。繰り返して申します。子供は詩人なのです。清浄です。無邪です。天真です。鋭敏です。不思議を不思議とし、驚きを驚きとし、喜びを喜びとし、悲しみを悲しみとし、怒りを怒りとし、愛燐を愛燐とします。真実です。偽りません。仏性そのままに光り輝いています。」
 といった調子だ。多少なりとも子どもを知っているものなら、白秋のいっていることがいかに子どもの真実を見ない感情的独断であるかがわかり、思わず失笑してしまうことだろう。だが今でも、こうした子どもの純真説は通用するものなのだ。そして白秋の推賞する詩もまた同じだ。
       ママのおっぱい
    ママのおっぱい、
    お月さまのやうなおっぱいだね。
    あすこに見える
    お月さまのやうなおっぱいだね。
  この幼児の片ことを白秋は詩だと思っていた。無邪気なのは白秋のほうではないだろうか?最近の家庭では、母親がいうだろう。
「つまらないこといってないで、早く呑んじゃってちょうだい」と。
 それに第一、白秋は教育にたいして決定的な錯誤をいだいていた。
「小学はまた家庭の延長であり、家庭が学校教育補習の場であったりしてはならないのである。家庭教育は学校教育に対立すべきものとして独自に確立されてこそ、その意義があるのであって、たとえ白秋の論理を理想的に解釈したとしても、やはりそれは否定されなければならない。
 現在教育が危機に直面しているとしたら、それは国家的な面からくるものと、母親の干渉過多の二つが原因だとぼくはいいたい。
 教育ママ、水道方式ママ、プログラムママなどと呼ばれる母親たちの教育的情熱は本来家庭教育にこそ注がれるべきはずであった。それを安易に受け入れた教師の責任もけっして軽いものではない。だが教師が何故に、そうした事態を招いたかといえば、それはたんに教師の質の低下、それからくる学力の低下などということではない。やはりここでは、伝統的に支配されていたというべきではないだろうか。母親→民衆と手をにぎることが、教育の民主化と考えるような安易な思考の伝統が教師たちの胸中を支配していたのである。
 数のなかにはもっと徹底した教師がいて、詩を書かせることで教育の民主化ができると思いこんでいるのがいないともかぎらない。こうした教師は、村山俊太郎の再来ともいうべきであって、子どもの詩には生活のいぶきがある。民衆の声がある。民衆、おお、おれは教師として民衆とつながっているんだというふうに感激したりするのではないだろうか。
 とにかく、子どもの詩をめぐっておおいに隆盛だったかに見える大正末から昭和の始めに、そのいいまわしの違いこそあれ、村山俊太郎も北原白秋も同じように、ひたすら子どもの純粋さを信じたのである。実生活や他の分野の仕事ではかなり深刻な白秋も、こと子どものこととなると、まるで天真らんまんとなり、みずから嫌悪の対象とした生活派の教育者の児童詩観と何ら異なるところがないのだ。
 子どもってものは純粋なんだ、と子どもたちに向かって、誘拐犯人のような説得調でいいふくめようとしても、現代の子どもたちは、てれくさそうに笑うのがオチであろう。子どもたち自身、純粋ではないことを自覚しているのだ。純粋という考え方にも考慮の余地があるが、、、、
 とにかく子どもたちが純粋でないことは自明なのだから、僕らは子どものつぶやきあるいは叫びを、そのまま詩として考えることはできないといってしまってもいいはずだ。しかし、である。純粋だから詩、純粋でないから詩でないという考え方もけっして妥当ではないのである。
 もっと根元的にいえば、つぶやきや叫びが詩だなどという考え方のほうが痴呆的なのだ。キリストの言葉だってそのすべてが教訓にみちみちていたわけではない。ところがそれを聴くほうが教訓をまちうけているものだから、何もかもありがたくきこえてしまったのだ。
恋をしている女は、相手の男のいうことを、何でも好意的に理解しようとし、ある場合には間接的な肉体要求を詩として感じたりもする。
 子どもにべったりしてしまったのでは、子どもの声さえも性格に受取ることが不可能となる。もしも百歩ゆずって、純粋が詩だとするならば、現代の子どもは詩を喪失しているということができる。ふたたびここで、子どもになぜ詩を書かせるのかと問いかえすならば、子どもが詩を喪失しているからと答えるほうがより正確なのである。
 現代は詩にとって不毛の地である。現代っ子とは、不毛の地に生きる子どもたちのこと以外ではない。それだけに、これが詩だ、と押しつければ、すぐさまそのヴァリエーションを書きあげてしまう達者な連中でもあるわけだ。不毛、つまり何もない子どもたち、この貴重な白紙は慎重に扱う必要がある。現代っ子という不純な子どもにこそ、新しい児童詩教育はその効果をおおいに発揮するわけだが、それはけっして生易しいことではないだろう。不毛いちじるしいマスコミのなかでさえ、詩人が力をこめてコマーシャルソングを作っている時代である。

                      (一九六三年六月 「児童詩教育」)
            児童詩愚連隊
 
児童詩をめぐる論議がさかんなようだが、やはり子どものかくものでも詩ともなるとむずかしいとみえ空虚で愚かな論文が多い。『国語教育』九月号の特集「詩教材の鑑賞」などをみてもああまたかという気がする。なかでも野口茂夫という人の「なせ子どもに詩を書かせるか」はひどいものだ。いかに日本の児童詩教育が間違っているかが一目瞭然である。詩にたいして誤てる考えかたをしているだけではない。教育について無知であるといいたい。校長をしているくらいだからもちろん経験は豊かなのだろうが、その出発からして間違っているのだ。
野口茂夫のいわんとするところは、阿部進の「現代っ子」も児童詩の「たいなあ方式」もともに「あまりにドライで、現実的で、刹那的で、なんの夢も希望もない。ときには無邪気というにはあまりに遠く、不健康で、虚無的でさえあるのにおどろく」から「不安と不満が感じられ」てダメだということである。これではもう詩を論じる資格さえない。現代の詩は野口茂夫がおどろく時点から出発しているのだ。ボードレール然り、ランボオ然りだ。現代に生きているかぎり、子どもだっておなじであって、子どもだけは夢や希望をうたうべきだというのはあまりにも教育的な身勝手であろう。詩とは本来、効用性を拒絶したところで成立するものである。「うた」が詩であった時代でさえ詩人がなりえた最高の地位は預言者であって、けっして救世主にはなりえなかったのだ。予言の効用、それは救世主が現れたときにこそ成立したが、その現れざるかぎり、予言は狂人のたわごととおなじ扱いを受けた。
教師が子どものかいた詩を理解しようとするとき、詩はかならず散文に翻訳されている。そしてそれは誤っている行為ではない。なぜならば教師は、その詩を理解することが目的ではなくて、その詩をかいた子どもを理解することが、目的だからだ。この場合、詩は、子どもの行動・思考の代用でなければならない。この論理が生みだした「詩」が生活綴り方的発想の根を持つものであることはいまさらいうまでもないだろう。
それではいったい、ホンモノの詩が教育に役立つことはないものだろうか。もちろんあり得る。そのためにはまずホンモノの詩がなければならぬ。この詩は散文に翻訳することが不可能である。なぜならば行動・思考のストレートな代用、つまり生活綴り方記録ではないからだ。
子どもが「トンボ」とかいている。しかしこのトンボということばから教師(つまり読者)がトンボという昆虫のイマージュを形作ったのでは詩を理解したことにはならない。ぼくらは子どもの「トンボ」からさらにつぎのイマージュを想像しなければならないのだ。
子どもがトンボをかいたとき、子どもがトンボに変質するのでなければ詩ではない。トンボに変質した子どもは、さらにつぎなるイマージュを生むはずである。そしてさらにつぎへ。
変質の連続が一篇の詩を構成するはずなのだが、その変質を拒否したところでかかれている児童詩があまりにも多いために、それらはたやすく散文に翻訳されてしまう。
それならば散文とはなにか。分解されることによって効用性を失うところの言語表現である。言葉と言葉とを一定のルールにしたがってつなぎとめていくことによって散文は成立する。散文においてトンボとかくときそれはもはやイマージュではない。想像力の産物ではない。
詩において「ぼく」とかくとき、それはすでにぼくではないかも知れぬ。しかし散文におけるぼくは、まぎれもなくぼくだ。児童詩のなかの「ぼく」「わたし」を散文的に解釈した場合におきる数かずの喜劇の一例は、松本利昭論文「しにん」において鮮明である。
人びとはしばしば、主体と主体性を混同する。主体性という場合、それは常に変わらぬ主義主張を意味している。ジャカルタのアジア大会で日本代表がその主体性を疑われたのは、態度をしばしば変えたからにほかならなかった。ことばを変えていえば、主体性とは大理石の柱のようなものだろう。ところが主体はそのうように不動のものではないのだ。姿かたちはかわってもぬらりくらり、生死さえも自由なものである。
子どもがウサギとかいたとき、ああこの子はウサギのことをかいているのだと思うのが散文的解釈であり教師としては主体性のある読みかたといえるだろうが、子どもはそのときすでにウサギに変身してるやも知れず、それならばこっちもウサギになってといえば、主体と主体が激しく火花を散らしもするのである。
先生はドラムカンだとかかれて、おもしろい表現をするなあ程度の理解では駄目である。先生をドラムカンに変質させてしまう子どもの眼の変質に対抗しようとするならば、先生はまずドラムカンになるべきだ。はたしてドラムカンは子どもをどのように見るものであろうか、と思うところからの連続のイマージュ(散文的には断絶の)が生まれ、それをぼくらは詩とよぶべきなのだ。
鳥になって大空をとびたいというのは健康的だが、鳥になって大空をとんだというと不健康に感じるというようなことが多い。しかし詩にのみ許されたこの変身の可能性を拒否すべきではないだろう。パンがただになればいい。パンがただになるべきだとかたればまことに社会主義的理想に思えて賛成されもするが、ひとたび現実にパンをただでくらったものはいやしいとされるのがオチである。
「阿部進さんの『現代っ子採点法』に見る子どもたちの実態は、自分はゼニをださずにパンをたべるくふうをするこどもたちであり」それゆえに「詩の指導などとうけたためしのない子どもたちにちがいないと思う」と野口茂夫はかいている。
はたして詩の指導とは、ゼニを払ってパンをくうことを教えるためになされるものであろうか。ヴィクトル・ユーゴーは詩人であったからこそ、ジャンバルジャンの話をかいたのではなかったか。
詩をかかせれば、ゼニをはらってパンをくうように育てあげることができるという指導には文部省が反対するわけがない。かくて詩をかくことは教育課程にも組み入れられ、いまや児童詩は花ざかりというぐあいである。
ここらでぼくらは、詩の壁を破ろうではないか。子どもたちにホンモノの詩をかかせようではないか。
だいぶ前になるが寺山修司という詩人が、アクション・ポエムつまり行為の詩ということをとなえたことがあった。書くことによらずに行為することによっても詩は成立するという論旨だったがその例としてだしたのが創価学会の運動会における老婆のマス・ゲームだなどというつまらぬものだったがためにあまり重くみられなかった。しかしこれを児童詩に応用することは、けっして無意味ではないと考えられる。子どもたちに詩を行動させてみるのだ。阿部進が教師としてすぐれているのは子どもたちをして思考と実践の往復運動にかりたてているからである。
阿部学級の子どものひとりは、腹がへったから眼の前にあるパンをくったのであり、その瞬間に罪の意識などまったくなかったと語っていた。飢えたものがそこにあるパンをくうのは当然だと考えたのだ。飢えの経験がある級友たちは共鳴した。この子どもたちにとって社会科はまったく興味深いものとなっていった。なぜならかれらはかれらの先生から百姓一揆の話をきかされたからだ。
子どもたちが国会前のデモに参加したことがある。その名も小学連。子どもたちは平和とはいったいどんなものかを自分たちの眼で確かめたかったのだ。おとなたちが「守る」という平和が子どもたちには理解できなかったからだ。しかし子どもたちはハトさえもみることはできずにおとなたちの非難を受けた。この子どもたちを指して、詩を知らないとののしることが可能だろうか。絶対に否である。こどもたちにとって、詩をかくことは、詩を行為するためのロードワークであればよい。
またある人は阿部進を指して、未来への展望がないと批判する。はたしてそうだろうか。ぼくはそれらの批判を一蹴するにたる事実を記憶しているのだが、それは結論的にいえば阿部進における戦後責任の問題となるだろう。
松竹を退社した大島渚たちが独立プロでの第一作は大江健三郎原作、田村孟脚色の『飼育』であった。たまたま助監督のひとりが阿部進の知友であったがゆえに、阿部学級からも数人が出演することになったのだが、ここで発見されたことは、阿部学級の子どもたちが、戦中の子どもの苦悩を表現することができないということであり、それはすなわち、阿部進が戦争について語っていないことをものがたると評価されたのである。ところが阿部進批判のすべてはこの点を見すごしているようだ。
未来に対する展望とは、人びとがいうように夢や希望をかきつづることではない。現時点においていかに変質してしまうかということなのだ。未来を夢みて微笑するよりも、戦中の苦悩を表現する子どものほうら、体制にとっては脅威であろう。この脅威をいだかせないところにこそ現代っ子の弱点のすべてがあるというべきであって、立身出世主義の裏返しだの、詩を知らないなどと軽々しくいうのは、おのれの思考の軽さを露呈するだけだ。
「たいなあ方式」が児童詩の理論として確立するためには「現代っ子」によせられた賛否両論をよくよく吟味する必要があり、その意味ではいままでにぼくのかいてきた文章も
また検討の対象とすべきである。そしてそれでもなお、たいなあが、たいなあでおわるならば「たいなあ方式」などクソくらえだろう。
太平洋の青海原をヨットに乗ってアメリカまでもいきたいなあと何百回つぶやいてみたところで時の話題になるはずがない。ところがひとたび実行に移せば密出国の疑いなど春の風より軽やかとなる。
児童詩は「たいなあ方式」を通過してふたたび記憶にもどるべきである。もちろんこの記録はいわゆる生活記録の否定として存在するわけだから『作文と教育』的論理とはあいいれずに、それらを攻撃する強力な武器となるだろう。ちょっと眼にはガラが悪くて役立たずの、まるで愚連隊のごとき詩であるだろう。そうした意味では埼玉県の入間川小学校で詩をかかせている塩原勇あたりはじゅうぶんに期待できる人だ。

  死のハエ       六年 島崎文子
南の島に
雪がふり
みんな
バタバタ
たおれていく
北の島に
雨がふり
みんな
バタバタ
たおれていく
ぼくは
死のハエ
ブンブン様
ぼくにみこまれた
島の人
みんな
バタバタ
たおれていく
ぼくのうまれた国は
ソ連
アメリカ
うれしいくに
そこで
こぶんをふやすのだ
この詩のよさはまさにガラの悪さにある。女のくせにぼくなどとかくふてぶてしさも頼もしいかぎりだ。こういう詩が数多くでてくるとき、「たいなあ方式」という弱々しい響きを持つ児童詩論もシンの通ったものになるのだろうが、あくまでそれをこえた記録への否定的回帰を忘れないでほしいのだ。いまさらここでブニュエルの映画『忘れられた人々』をもちだすまでもないが、あの映画のなかでの圧巻は少年がニワトリをなぐり殺すショットであり、それは母親までも殺してやりたいなあという少年の激しい欲求の爆発的表現であったが、そこがたんに母親とニワトリのスリカエになっていないのは、作者の主体が少年に変革し少年がさらに母親をニワトリに変身せしめていたからである。すなわちニワトリをなぐり殺すことによって、少年は意識のなかで母親を殺したわけだがそれが残酷なるがゆえ美しいのは、少年の欲望ぎりぎりの表現としての行動がそこに展開されたからだ。わが国では『恐るべき十代の生態』という題名に変えられ『女体蟻地獄』などというエロ映画と併映のうき目にあわされているが、児童詩について考えるほどの人ならば必見の映画である。その製作意図がメキシコ政府の青少年不良化防止対策であったときけばなおさらのことぼくたちは、ブニュエルの精神の激しさに敬意をはらわなくてはならないわけだが、この例などはわが国の児童詩教育とくらべて実に興味深いというべきだろう。
かたや児童詩は日教組も文部省も賞賛する数かずの作品を生みだして堕落の一途をたどっている。これはなにもその詩が価値あるものだから両者が認めるのではなく、そのよりきたる精神構造にことなりがないからこそたがいに認め合うのだ。
あまりに平易なことを平易に語りすぎたようである。ぼくはここらでぼくの文学活動の目的がその開始から子どものために詩をかくことにあったとかきしるす必要があるだろう。そのぼくにおいてすら、児童詩はながらく関心のそとにあった。あまりにもあまりにも散文的な児童詩がはびこる野に詩の花は咲かない。もちろんぼくの詩の花は、
   ひがん花の林の道を 
   象がゆっくり歩いて行った
というときのひがん花のようなものでしかないが、それでも毒気はじゅうぶんにある。とうぶんは詩の壁を破るために児童詩という弾丸作りの助言に精をだそうと思うんだが、そのあとでゆっくりと詩をかくというのはどうだろう。いささか蛇足めくが『たいなあ』八月号から数扁を選らんで批評しておく。
   
  先生のわる口    三年 阿川昇一郎
先生をころしてみたい
そして
先生のふところの中から
百まん円ぬすんだ
お金を こうばんにとどける。
先生は しんだ
ぼくは 生きている
そうして
先生を やいてたべた
ずがいこつだけは
かざりもんにした
先生は いなくなった
先生は かわいそうだ
    
これは詩ではない。「たいなあ方式」の俗流化はかならずこうした作品から始まるのだということを忘れぬためにあえて引用したわけで、これは愚作だ。先生の悪口だなどといいながら最後には先生はかわいそうだとかき加えるのは詩とはいささかもかかわりのない甘えというべきだろう。詩を指導する教師ならばこの最後の一行を削除させるべきであって、これをこのまま発表させるべきではなかった。もちろんいまからでもおそくはない。教師と子どもは主体的に対決してイマージュの発展に心する必要がある。もしもナチの強制収容所における人皮・人骨の処理の実例について子どもに知らせてやるとしたら、この子はもっと徹底的に先生を解体してしまうのではないか。もちろん詩における対象物の解体が即綜合化の作業であることはいうまでもないから、そこにまで到達したときにはじめて子どもは先生をある瞬間において理解したといえるであろう。詩における想像力とは、とりもなおさず対象物とのたたかいを意味するわけで、それはもちろん非材の対象としてのイマージュでもたたかいは可能である。
 イマージュとのたたかいにまでもおもいがいたらず、経験を単純イマージュにおきかえて詩だと思いこんでいたのが過去の児童詩の、それもかなりましな作品群であったとこを想起するなら、この『先生のわる口』を否定せんとするぼくの批評態度は誤てるものとはならないだろうし、実は教育の展開もそこからだといえよう。
 先生をやいてたべたいというならば、その味はどんなものであるか、また先生が百万円もふところに入れてるとかりそめにも想像させたのはなぜか。こんなことではとても賃上げ闘争は理解されるはずがないと先生はせつないおもいをいだきつつ、さらには自己の低賃金に腹をたてるというような主体変革のスパークリングを試みることも一興。とにかく詩にたいしてはきびしすぎるということがないのだ。
 『国語教育』をまねてここで愚かしい問いを発してみるとすれば「なぜ子どもに詩をかかせるのか」となり、答えは教師主体の変革をもとめてということだろう。教師はなぜ主体の変革をはかる必要があるのか。民間教育運動をふくめてすべての運動が停沈滞のさなかにあるとき、教師もまた自立の想念をいだいて荒野を彷徨する一匹狼の心情に徹することがたいせつなのだ。たとえ子どもに詩をかかせていても、すべてが仲間だというような甘い想念はあなたの自立をさまたげるばかりだ。
 この文章の表題をあえて愚連隊をしたのもそのゆえで、愚連隊はヤクザ組織に属するものと思うのは間違いである。ヤクザとは組織に従属するものをいうのであって、おおきくは露天商集団のテキヤとバクチ打ちの集団とに分類される。そしてそれぞれの組織がシマと呼ばれる縄張りのなかでアガリの伸長に努力するのだが、愚連隊はまだ組織に属さない人間を総称する場合の代名詞なのだ。ということは組織からみずからはなたれたものであっても愚連隊と呼ばれることはありうるだろうし、ある場合にはそうした曖昧な総称のなかで巧妙なる一匹狼、おのれひとりの独立愚連隊を形成することもある。そして今日ほど愚連隊が多いことは日本ヤクザ史上まれだというから、これはとりもなおさず組織ヤクザにとっては崩壊感覚をびんびんと身に受けているということになるだろう。そしてそこには当然のこと焦燥感というものが生まれてあらぬことを口走り、はては自分たちの組織員以外のものを敵よばわりするようにもなるだろう。
 いっさいの伝統を拒絶した時点に、児童詩愚連隊誕生せよ。聞こえる声はすべて「敵」というののしり。そこでたちまち敵となる変革の巧みさ。鑑賞を拒否する詩。読者の役に立たない詩。おれさえよければそれでいいのさと子どもがうそぶく詩。このような詩にこそ教師は主体的にかかわり合うべきなのだ。偶然的に生まれた「たいなあ」は生活綴り方的児童詩よりも悪い詩なのだ。
 「たいなあ」方式をたんに詩の作りかたに堕落させてはならぬ。水道方式の如き革命的な子どもの認識力の発見でさえ「算数に強くなる」式の理解では堕落してしまうのである。
新しい数学教師にとって水道方式が全教育的方法であるように、「たいなあ」方式は児童詩にかかわりあう教師の全教育的方法にならなければならないのだが、そうした意味でまだ「たいなあ」方式が本格的でないというならば、それは高めればよいではないか。どだいこの「たいなあ」方式を完璧と思うようではいかなる自立もなしえないだろう。
(一九六二年十月 「詩の手帳」)
テキストファイル化富岡絵美子