児童文学における<時間>の考察
時間の連続性と非連続性
普通わたしたちが日常的に用いている<時間>ということばのなかみは、暦表時を基礎にしたところの時刻の経過である。しかしひとたび、日常生活の次元とは異なるところで、<時間>を問題にする場合には、わたしたちはたちまち、暦表時(時計の指針)とはかけ離れたものとして時間をとらえなおさなければならない。児童文学における<時間>を考えるためにも、わたしたちは暦表時からひとまず離れる必要があるのだ。
日常的な時間=暦表時から離れて<時間>を考察するとき、ひとまずわたしたちの考え方は大別して次の二通りとなる。
A 時間は無限につながっている(連続)
B 時間は自分が生きていることにおいてのみ存在する(非連続)
Aの、連続としての時間という考え方は、天体の運行を基礎にしたところの暦表時と酷似したもので、個人の意志にはなんのかかわりもなく経過して行ってしまう。だからこそ、連続なのである。これに対しては“絶対時間”という形容もある。ニュートンの「自然哲学の数学的基礎」などという論文では明らかに絶対時間という形容が使われており、はっきりとBの非連続時間と対立する。すなわちBの時間は、われわれがその意志さえあるなら、自由にとりだし、自由に切り刻める時間なのだ。従ってわたしたちは問題を平易にするために、Aの時間を、“形而下学的時間”とよび、Bの時間を“形而上学的時間”といいかえることも可能なのである。そしてほとんどの人間は、意識する・しないにかかわらず、このふたつの時間をかみあわせたかたちで生きている。つまり、どれほど正確な時計を持ち、定められた時刻に忠実な日常をおくる人であってもときには“時計を停めて”しまうことがあるのだということを確認しておきたい。
そして、右のふたつの時間のかみあわせによって生まれてくるものが体験だ、とわたしはいうわけだが、これはもちろん独創ではなくて六十年以上も前にドイツの文芸学者ウイルヘルム・ディルタイが「体験と文学」(『世界芸術論大系』第九巻に所収、河出書房刊)で主張したことの単純ないいかえでしかない。
<文学は生の叙述と表現である。それは体験を表現する。私は生の諸相をわが読者が想起されるよう試みてみよう。生においては、私の自己は周囲の人間や事物に対する態度や立場、それらは私に圧迫を及ぼす。あるいはそれらは私に力と現存在の悦びを与える。それらは私に要求を課し、私の実存の中に場所を占める。かくして私の生のかかわりからすべての事物、すべての人間が特有の力と色彩を受取る。誕生と死によってかこまれ、現実の圧迫によって制約された現存在の有限性が、私の裡に、恒常な、不易な、事物の圧迫から免れたものへのあこがれを眼醒ます。そのとき、私が見上げる星辰は、そのような永遠の、触れることのできない世界の象徴となる。私をとりかこむすべてのものにおいて、私は私自身が経験したものを追体験する>(氷上英広訳)
そしてディルタイは<文学がまず見させてくれるものは、まさしくかかるものであって、それ以外ではない>という。なればこれをさらに単純にいいかえることができる。つまり文学の方法とは“時間の停めかた”なのだ、と。
もちろん“ふたつの時間”の関係については多くの科学者・哲学者が考察を深めており、わたしのような単純な考察はあまりにも素人臭いと一笑に付されてしまうかもしれない。私自身、現象学の始祖フッサールの「現象的構成の絶対圏をさす根源的時間」などには興味も関心もあるのだが、現段階ではあまりにも難解で、それらを援用しながら児童文学における<時間>を考察することはほとんど不可能に近い。できるのは、フッサールが、暦表時を基調とする日常時間を、“通俗時間”とさえよんだという事実を確認するぐらいのことである。(サルトルの『殉教と反抗』はジャン・ジュネにおける子ども時代と文学の関係を分析したものだが、これは現象学的方法の応用といわれている。さらにメルロ=ポンティの「幼児の対人関係」も現象学的方法を駆使することによって、すぐれて示唆的な論文となっている。)そしてわたしは、ここでもまたフッサールのいう通俗時間と根源的時間という関係を単純化し、<現実>と<想像>という関係にいいかえ、石井桃子作『ノンちゃん雲に乗る』のなかの時間を考察する手掛りとしたいのだ。この作品は竹山道雄の『ビルマの竪琴』と並んで児童文学における時間の考察には欠かすことのできないものである。
石井桃子における時間の永遠性
『ノンちゃん雲に乗る』は、神宮輝夫もいっているように、<本質的には徹底したリアリズム>(『児童文学概論』)で、はなはだ現実的な作品なのだが同時にすこぶる想像的な作品であって、これはディルタイのいう「体験の文学」以外ではないだろう。これがなぜ体験の文学なのか。答えは明確だ。ファンタジーの働きがあるからだ。(ここでいうファンタジーとは児童文学の一形式としての空想童話のことではなく、詩的想像力のことである。)このことは、時間という問題に関連させて考えていくと判り易くなる。つまり『ノンちゃん雲に乗る』の作者は、自らの経験を日常時間のなかにおいてのみとらえるのではなくて、ノンちゃんに仮託して雲のなかへ、すなわち生と死のはざまに持ちこみ検証した。雲のなかには日常時間は存在せず、作者個人の恣意な時間だけがある。時計は停っているのだ。
時計を停めなければ、自らの時間=追体験を持ちえないのだという認識から生まれた緩衝地帯こそが生と死のはざまとしての雲のなかであって、これはもちろん想像力の産物である。石井桃子はこうした方法をイギリス児童文学の正統ともいうべき空想童話から学んだのであろうが、これはゲーテにまで遡上するところの古典的方法でもある。石井桃子は“永遠”というような大きな問題を、具体的に作品のなかに持ちこんだ。これは問題意識としては、ゲーテがニュートンの“機械的自然観”に対立したのと等価なのだという気がする。ディルタイの論文を読んだあとではなおさらである。
<そのとき、なんのかげんか、まっ暗い部屋に寝ていたノンちゃんの目の前に、一筋の白い光りがさっと流れたのです。それは、ほかの人にわかりやすくいうならば、ノンちゃんを中心にして、前後にのびている、長いはてしない道でした。そして、道の一方はまっ暗いところへつづき、もう一方は、あかるい光りのなかに消えていました。あかるい先は、まぶしくて何も見えません。暗いほうは、暗いのだから、なお見えません。ただ、まっ暗くなる少し手まえのほのぐらいところに、なにか――生き物です、人間もまじっていました――が、ごよごよたくさん動いていました。そのなかに、チョンマゲにゆった小さい子供がただひとり、地面にしゃがみこむようなかっこうで、余念もなくあそんでいる姿が、これだけははっきりノンちゃんの目にうつりました。それがノンちゃんの知らない、おじいちゃんのおとうさんの「子供の時」です>
右の“そのとき”というのは母親から昔話をきかされていたときである。この直後ノンちゃんは<いま>に恐怖する。永遠のなかの現在、連続のなかの非連続、通俗時間のなかの根源時間、多くの人びとに共有する時間のなかの自分だけの時間におびえ、おののいたのだ。もうこうなったら、ノンちゃんは<いま>ではなく<いま>と永遠との緩衝地帯としての雲のなか=ファンタジアへ踏みこんで行き、そこで追体験するより仕方なかった。これは逃避ではない。おそらくは人間が人間としての能力においてなしうる最大級の自己確認=追体験の方法が、ファンタジーに象徴されるような想像力の行使なのだと考える。
改めて言及するまでもないことだが、人間の想像力は神という名の永遠を生みだしている。人間が有限であることは、生誕と死によって証明され、これを否定することはできない。この“有限”すなわち<いま>におそれおののいた人びとが想像力を駆使して生みだしたのが神であろう。この神を合理主義としての科学によって否定しても、なお、時間の連続という考えかたは残ってしまう。天体の運行が時間の基礎だという考えは科学的ではあるが、それだけで時間の永遠性を否定することも肯定することもできはしない。それならば、時間の果ては神のみぞ知ると設定し、そして永遠(無限ではなく)を獲得し、自己確認はその永遠性のなかの無時間地帯=ファンタジアで行なった方が現実的であるとの認識によって、ファンタジー児童文学は成立した。従ってファンタジー作家はおしなべて無神論者ではありえない。
石井桃子が<ノンちゃんを中心にして、前後にのびる、長いはてしない道>の一方を光に、もう一方を闇にしたのは、まさしく神の存在を肯定し、その神に永遠をゆだねた者の意志の形象化以外ではないと思う。石井桃子における時間の永遠性は、神の存在を介してのみ成立するのであるから、後から前へ、始めから終りへと進行する一本道としてのみ形象される。
<キリスト教は、時間を神によって、世界創造と共にはじまったものと考える。この意味において時間は始めと終りとをもつものであり、直線として表象される>(比屋根安定編『新・キリスト教辞典』)
石井桃子において時間が直線として認識されている限り、作品に登場する生物はことごとく歳月の一本道を歩き進まなければならないのだ。飼犬の<エスは十五年という長い年月>小屋をわが家とし、しかもその小屋ではなく家の床下で<すでにつめたくなって>発見され、ノンちゃんは成人し<いまから二十年ほどまえの、ある春の朝>という語りだしで自分の過去を人びとに伝えたいと考える。誤解をおそれずにいうのなら『ノンちゃん雲に乗る』は成長の文学である。しかし、竹山道雄の『ビルマの竪琴』は違う。
竹山道雄における時間の無限性
時間をどのようなものとして認識したか。この点にかかわる石井桃子と竹山道雄の相違が『ノンちゃん雲にのる』と『ビルマの竪琴』という戦後日本の代表的児童文学作品の歴然たる違いとして現象しているのだ。しかもこの両者あるいは両書の違いは、ただ単に石井桃子と竹山道雄の資質・人間性・思想などの異なりをあらわしているのではない。両者そして両書の違いは、明らかに、子どもにかかわる文学のありようの違いをものがたっている。すなわち問題は確実に児童文学へと集約されうるのである。
石井桃子における時間の認識が、直線の一本道として形象されることは前章で既に立証した。これに対して竹山道雄の時間認識は、いかなる形象をとるか。ここではまずはじめに、竹山道雄に投影されているニーチェ主義を確認しておかなければならないだろう。
周知のようにニーチェは<神は死せり>と傲然言い放ったほどの人であるから、有限一直線の時間認識など許容するはずがなかった。ニーチェは『ツァラトゥストラ』のなかで、<時間が失せていいというのか>といっている。ニーチェにとって、時間は無限でなければならなかったのだ。ニーチェ主義者の竹山道雄にとってもこれは同様であろう。
時間の無限性を獲得する方法としてニーチェおよび竹山道雄が構築したのは、超人の永劫回帰と凡人の伝達継承的連続である。このことを『ビルマの竪琴』を例にひきながら形象化してみることにしよう。
『ビルマの竪琴』の主人公は、一般的には水島上等兵と思われているが、竹山道雄の戦後処理の主題からすれば、むしろ水島をビルマに残して日本へ帰還した多くの兵隊たちなのである。なぜ、多くの兵隊たちは日本へ帰還したか。これは敗戦によって一時的に失われた時間を回復継承させ、連続させなければ、ニーチェおよび竹山道雄の時間の無限性を主張とする思想の基盤が喪失してしまうからだ。
多くの兵隊たちは凡人であるから、<時間のなかで変化し、推移する事象>(手塚富雄による『ツァラトゥストラ』の注>である。凡人はリレー走者のように、自らがなしとげた生成と発展をバトンとして、次なる走者たる凡人に伝達し、継承させ、時間の無限性を獲得する。ここにもしも神が介在し、時間を打ち切って最後の審判にでもはいってしまえば、伝達継承による連続は<まったくなくていいもの、仮象になってしまう>(手塚富雄)とニーチェ主義者は考える。そして、神が無限を保障しないならば、無限を保障する存在をおしたてなければならないということになり、超人の永劫回帰の運動が展開される。これはエンドレス・テープの回転運動に酷似している。だが、一方にこの永劫回帰の連続がないと、一方の伝達継承の連続は成立しえないのだから、この両者の関係を、時計の、ぜんまいと針ということで考えることも可能である。水島上等兵は、
<私が使命としてあたえられたところのものを果たすまでは、帰りますまい>と決意した。使命とはなにか。<死んで屍を異郷にさらす……人たちのためにも、魂が休むべきせめてささやかな場所をつくってあげる>ことだ。そしてさらには<気力はありながらも、もっと欲がすくなくなるようにつとめる>ことなのである。
かくて、水島上等兵と、多くの兵隊たちとの関係は、精神活動と実際的な生活活動との二重構造となった。これを文化と経済の関係、さらには上部構造と下部構造の関係におきかえて考えることもできる。もちろんニーチェ主義は唯物論ではないから、下部が上部を決定するとは絶対にいわない。逆に上部構造であるところの精神活動=文化が、生活活動=経済を浄化し合法化する強力な役割を果すと主張する。だからこそ竹山道雄は、日本資本主義体制公認の、なうての文化主義者なのである。
いまさら指摘するまでもないことだが『ビルマの竪琴』を一億総ざんげ的な作品であるとか、竹山道雄が戦後の一時期に民主主義者であったときの民主主義的な作品だなどという菅忠道や鳥越信ら、スターリン主義者の“解説”は全くの見当違いである。戦後になるやたちまち、民主主義者になったり、ざんげしたりはスターリン主義者のお家芸だから、かれらは竹山道雄もそれに違いないと思いこんだのだろうが、竹山道雄は無節操な日和見主義に同調するような、浅薄な人ではない。ニーチェを信奉し、資本主義を容認し、しかも精神活動の優位性を主張し続ける完璧の近代主義者なのである。
俗に形容してしまうなら、敗戦処理すなわち戦争・戦後責任は、水島上等兵的な超人、つまり永劫回帰の精神活動としての連続時間のなかに身を置いてしまった者にまかせてしまえばよい。あとの多くの者は、戦争・戦後責任に思い悩み、かかずらうことなく、祖国日本の復興という生活活動に挺身せよ、というのが『ビルマの竪琴』の主題であった。<もうだれも悲しみませんでした。水島の本心をきいて、みな何かしっかりした自分の覚悟がきまったように思いました>。そして多くの兵隊たち、つまり伝承継続のリレー走者である凡人を乗せた<船は毎日ゆっくりとすすみました。先へ――先へ――>
これほどに単純な竹山道雄の時間構築の二重構造性を看破しえないスターリン主義者たちの無能ぶりは論外だが、一般の読者にまで、この作品『ビルマの竪琴』が、いわゆる平和希求のおもいに満ちていると受け取られるのは、作者竹山道雄の巧妙な意匠のゆえにほかならない。竹山道雄は<神は死せり>と主張したニーチェの思想を継ぐ近代的合理主義者でありながら、意匠としては、水島上等兵を、托鉢のビルマ僧に仕立ててしまう。兵隊が頭をまるめて僧となる――もうこれだけで、平和希求の、ざんげの雰囲気が読者に伝わってしまうのだから、日本における仏教の影響は軽視できない。それゆえに竹山道雄の意匠は成功し『ビルマの竪琴』は戦後日本の“国民文学”とまでもてはやされた。しかしいまなお、竹山道雄の意匠にだまされ続ける必要はないのだ。
竹山道雄が仕立てあげた水島上等兵の“僧”は完全なる虚構である。仏教では、
<ものは生じた瞬間に滅してしまうという性質(刹那滅性)をもっている>(世界の名著・『大乗仏典』長尾雅人編、中央公論社)というのだから、時間は明らかに有限なのだが、水島上等兵は永劫回帰の精神活動にはいっている。水島における出家は超人化である。これを仏教的に辻褄をあわせるならば、水島が悟りを開き、ブッダ=覚者になったということなのだろうが、この水島ブッダが異郷に屍をさらす多くの人びとの魂を救いうると考えるのは、日本的大乗仏教の思想でしかない。
ましてやビルマは小乗仏教の地である。他者の回向で戦没者が魂の休らうところをうるなどという考えかたは通用しない。
<仏陀の説いたことばを、一言半句も変えることなくまもり通して後代に伝え>(長尾雅人)ることによって仏弟子となり自らが救われると考える小乗仏教の信者であればこそ、ビルマには多数の僧が右往左往しているのではないか。
<大乗は大きな乗りもの、りっぱな乗りものの意味で、小乗はその逆である。苦の海を越えて彼岸に達することは、小さなヨットでも可能かもしれないが、豪華な客船にこしたことはない。それにヨットではせいぜい数人が行きうるだけであるが、われわれはすべてのものがともどもに彼岸に達することを念願とする。――このような意味で、自分たちの新しい進歩的な思想こそ大乗であるとの確信をいだいた人々が、前代の人々を小乗とおとしめてよんだ>(長尾雅人)
竹山道雄はヨットが浮遊している小乗の海へ、豪華な客船を乗りいれさせたのだ。水島はいい気なものだが、小さなヨットのビルマの僧たちはたまったものではない。共存はとうていおぼつかない。従って竹山道雄の意匠は、なんら現実的根拠を持たない虚構ということになる。
虚構によって、現実を領導するのが、文化主義者の役割であることは、古今東西の歴史が証明している。文化主義者の別名はデマゴオグである。『ビルマの竪琴』はデマゴギイ文学だったのだ。
超人か子どもか
問題を児童文学にひき戻すことにしよう。『ノンちゃん雲に乗る』の作者、石井桃子は有限としての時間を認識する人だから、そこでは当然のこととして、その有限の総体が問われる。総体とは結果だけではなく、結果に至る過程までをいうのである。しかも過程はいつなんどき、結果を招来するか知れたものではない。だからこそ石井桃子は、子どもとしてのノンちゃんに<いま>を恐怖させたではないか。これはまぎれもなく、子どもに、子どもとしての論理を見出しこれを主張として文学世界を構築しようとする行動につながっている。わたしが『ノンちゃん雲に乗る』を成長の文学というのは、以上のような事柄をふまえてのことなのだ。
石井桃子とは違って、竹山道雄が『ビルマの竪琴』において築きあげようとしたのは、結果の伝達を重視しようとする論理である。有限の時間のなかの生と死は、過程と結果に対するその人自身の納得(ここに神が介在してくる余地がある)でこと足りるが、無限の時間のなかの生と死は、その人だけの納得では確認されえない。バトンが確実に伝達され継承されたかを認知する“超人”を想定しなければ、リレー走者はそれこそ死んでも魂は休まうことができない。それは水島上等兵か。違う。
人びとの戦争・戦後責任を、ひとり背負いこむかたちで、実はごまかし通してしまったのは、国家であった。永劫回帰の回転運動を続ける国家をぜんまいとして、多くの人びとを歯車のように、針のように<先へ――先へ――>と進ませることこそが、文化主義者 竹山道雄の、そして『ビルマの竪琴』の目的なのだから、およそ子どもの論理などは問題外だ。両書を比較し、いずれを取捨するかは、もはや自明の事柄であろう。
テキストファイル化塩野裕子