絵本、むかしも、いまも…第34回
「絵本のアダルト ―井上洋介―」

『おこんじょうるり』(さねとうあきら文/理論社刊)

           
         
         
         
         
         
         
    


田島征三の怒りが「動」なら、井上洋介の怒りは「静」という感じが私にはします。
1974年、井上洋介の『おこんじょうるり』が出版されました。物語を書いたのは、その二年ほど前に、デビュー作『地べたっこさま』で日本児童文学協会新人賞をとったさねとうあきらです。
実際、『おこんじょうるり』は、墨の達者な線描に抑制の効いた彩色がなされ、一見すると、大人向きという印象。どこか、江戸の絵草子を思わせるものがありました。目の見えないイタコのばばと浄瑠璃の上手い狐の物語は、それ自体が大人に読み応えのあるものですが、井上洋介の甘いところのない、どこかおそろしげなところのある絵は、なお一層この絵本をアダルトに仕上げています。「こわい」という人もいましたし、「これは子どもには、暗すぎる」という声も聞きました。私は一目で魅了されました。と同時に「絵本」が子どものためだけのものではない、子どもから大人までが楽しめる文化だと、改めて実感したものです。以来、井上洋介という画家に、深い興味を持つことになります。何しろ、『おこんじょうるり』もこの人の作なら、あの可愛い『くまの子ウーフ』の挿絵もこの人なのです。奥が深い。
井上洋介は、美大を卒業後、油絵、漫画、イラストレーション、そして絵本の世界で活躍します。いずれのジャンルも紛れもないこの人の世界なのです。
井上洋介は90年代に入り、タブローのテーマに「飢えの恐怖」を据えたと語ります。飽満、飽食といわれる時代の中で、人間がギリギリのところで生きていくということ、虚飾や体裁を剥ぎ取り、人間が「生きる」ということの本質を追うという問題意識です。
1931年生まれといいますから、日本が最も飢えていた時代、敗戦直後に多感な少年期を過ごし、復興を遂げ高度経済成長を迎えようとする時期に、画家としての出発点を持つ人です。
近年の『東京百画府』や『ふりむけばねこ』といった版画集はもとより、『まがればまがりみち』『でんしゃえほん』など、代表作ともいえるナンセンス絵本の中にも、かつて、日本のあちらこちらにあった町の面影が見え隠れしています。それをノスタルジーと呼ぶのは違っているでしょう。古き良き時代への回顧や郷愁ではなく、人間がもっと真剣に、懸命に生きていた時代への共感と、今という時代への警鐘のように思えます。
そんなことを声高に叫ぶでもなく、今日も自作の絵本に登場する丸つばの帽子にズボン吊りというスタイルで、浅草の裏道を瓢々と歩いていく。そんな井上洋介の後ろ姿には、静かな、けれど決してゆるがせにすることのできない怒りが感じられるのです。(竹迫祐子)

徳間書店「子どもの本だより」2003年1-2月号 より
テキストファイル化富田真珠子