「爵位」の発想

イタロ・カルヴィーノの世界
『子どもの国の太鼓たたき』(上野瞭/すばる書房/1976.08)

           
         
         
         
         
         
         
    

 イタリア語の読めへんぼくが、なんでカルヴィーノのこと書くのや。それは安藤美紀夫さんの仕事やろ。モシモシ。フン。すると安藤さんも書かはるわけやな。専門家の立場で学究的に書かはるわけやな。そんならぼくは、一読者として感想みたいなこと書いたらえわけやな。うん。それやったらやってみますわ・・・・・・。
そういって電話を切ったあと、それでもしばらく、なんでぼくがカルヴィーノや・・・・・・と考えていた。イタリア語といえば、反射的に浮かんでくるのは「チャオ」ということばである。それもほんとういえば、イタリア語とはまったく関係がない。近鉄奈良駅近くの喫茶店。というよりスナック風の店の名前である。その頃、奈良佐保女子短大に通っていたぼくは、講義のあと、いつも最終バスで山を下り近鉄駅にでた。そこから京都行特急にのればいいものを、まず『チャオ』へ直行するわけである。学校の仲間と、コロッケ・ピラフなどを食いながら、とりとめもない話を繰りかえす。ギュスターヴ・フローベル風にいえば、それは一種の「感情教育」なのだろうが、そうした理屈づけをしなくても、『チャオ』に坐っているその時のぼくは、いわゆる「児童文学」という枠組みを忘れた、まったく別の世界の住人のようだった。
 たぶん、人は、誰しもそんなふうに、じぶんの「きまりきった生活」の枠をはずそうとするものなのだろう。今生きているそれではなく、「もう一つの時間」、あるいは「もう一つの世界」に生きることを考えるものなのだろう。ところが、イタロ・カルヴィーノの『マルコヴァルドさんの四季』(安藤美紀夫訳/岩波書店)ではないが、そうした人間の願望は、きまって、「現実」と呼ばれるこの世界の引力によって、常に「もう一つの世界」から地上に引きもどされる仕組みになっているのだ。
 たとえば、ズバーブ商会の人夫であり、口やかましいドミティルラのだんなであり、三人の子どもの親父さんでもあるマルコヴァルドさん、かれがそうである。かれは、ある朝、町に大雪が降ったことを知る・・・・・・。
 「マルコヴァルドさんは歩いて仕事にいきました。雪で電車がとまってしまったのです。道路に、じぶんの歩く道をきりひらいていきながら、マルコヴァルドさんは、いままでに感じたことのない自由を感じました。大通りでは、どこも、歩道の区別はいっさいなくなり、どんな車もとおれませんでした。」(中略)
 「この雪のマントの下にかくされている町は、いったい、ほんとうにまえのままの町なんだろうか。それとも、夜のうちに、べつの町にかわってしまったのではないだろうか。いったい、この白いマントの下には、まだ、ほんとうに、ガソリン・スタンドの給油装置や、町かどの新聞売場や、電車の停留場があるんだろうか。ひょっとしたら、掘っても掘っても雪ばかりなのかもしれないな。マルコヴァルドさんは、歩きながら、ゆめでもみているような気持で、ほかの町へ迷いこんだのかもしれんぞと思いました。」
 マルコヴァルドさんは、会社の前の歩道の雪かきを命じられる。しかし、その仕事の苦しさよりも、雪そのものがもたらした世界の変貌の仕方に感動するのだ。
 「マルコヴァルドさんには、雪は、友だちのように、また、じぶんの一生をとりこにするかべのおりを消してくれる、だいじな自然の力のように思えました。」この突然の「もう一つの世界」の出現は、マルコヴァルドさんを生き生きとさせる。しかし、頭の上から大量の雪をあびせかけられ、雪だるまに変身したマルコヴァルドさんは、気絶したあと、すぐに住みなれた日常世界に引きもどされる。
 「マルコヴァルドさんが、もういちど路地のあき地へでてみると、あき地の雪かきはすっかりおわって、一ひらの雪もありませんでした。そして、マルコヴァルドさんの目には、いつものあき地と、灰色のかべ、倉庫の箱や、そのほか、毎日毎日の、とげとげしていて、まるでかたきみたいにみえるいろいろなものが、とびこんでくるのでした。」
 こういうはしょった筋書説明では、たぶんマルコヴァルドさんのペーソスやユーモアは伝わらないだろう。つまり、日常性から瞬時の空想へ、また、そこから日常性に引きもどされる人間の哀歓、あるいは悲惨と同居するふてぶてしい生命力、それを愛情こめて描きだすイタロ・カルヴィーノの独自の世界は伝わらないだろうということである。もし、マルコヴァルドさんの世界を伝えるだけなら、ハチでリューマチ患者をなおそうとした話、あるいは、会社の植木鉢をモーター・バイクにつんで雨を求めて走りまわった話、また、スーパー・マーケットでの事件を紹介する方がふさわしいのだろう。そこには、笑いながら、同時に胸の底に痛みを感じる、あのぼくら自身の分身のような人間の姿が、きわめてみごとに描きだされているからである。しかし、ぼくは、マルコヴァルドさんの世界を伝えるために、雪の日の出来事を抜きだしたのではなく、たとえば、そんなふうに、ぼくらの「もう一つの世界」への願望は消えやすいものだということ・・・・・・、そのことをいうために「雪でまい子になった町」のエピソードを引いているのである。そして、こんなふうに、ぼくら一般人の日常生活からの逸脱の在りようを話の枕に置くというのは、とりも直さず、イタロ・カルヴィーノが、ぼくらとは違って「もう一つの時間」、あるいは「もう一つの世界」と呼ぶものを、決して雲散霧消しない確固たる形でぼくらにさし示していることをいいたいためである。それがイタロ・カルヴィーノだ、といいたいのである。

 それにしても、変にまわりくどいスタートを切ってしまった。ぼくは今、カルヴィーノの三冊の訳本を前にして、いってみれば首をひねっているのである。『まっぷたつの子爵』(河島英昭訳/晶文社)。『不在の騎士』(本川洋子訳/学芸書林「現代世界文学の発見」所収)。『木のぼり男爵』(米川良夫訳/白水社)。この三冊の物語のおもしろさに魅せられたぼくは、どのようにエンジンをふかせばいいのか。「おもろいもんはおもろい、としかいいようがあらへんやないか。どだい理屈こねまわすのん、無理なんとちゃうか。せめて『木のぼり男爵』くらいは、ぼちぼち読んでみてえな。」そういって引きさがりたい気もする。しかし、「そんな無責任な・・・・・・」と、もう一人のぼくがいう。そこで、ともすれば、京都弁で物を考えようとするぼくにお引きとり願って、話をすすめると、つぎのようになる。

 いったい、イタロ・カルヴィーノは、どうして「爵位」を持った主人公をつぎつぎ登場させるのだろうか。トルコ軍の砲弾によってまっぷたつに引きさかれたテッラルバのメダルド。かれは「子爵」である。また『不在の騎士』アジリュルフは、処女ソフロニーを山賊の手から救けだしたことによって「騎士」の称号を得ている。さらに、十二才の六月の正午から、約五十三年間にわたって樹上生活をつらぬきとおしたコジモ・ビオヴァスコ・ディ・ロンドーは「男爵」である。いったい、中世紀ないし十七、八世紀、あるいは十九世紀の訪れを描く場合、こうした「爵位」は必要不可欠の要素なのだろうか。「騎士」にせよ「男爵」にせよ、確かにそれらの時代のシンボルである。そのことは否定しないとしても、イタロ・カルヴィーノは、『マルコヴァルドさんの四季』でやってのけたように、そうした「時代のしるし」(あるいは為政者ないし時代に君臨する側)に触れることなく、描こうと思えば「底辺の視点」で、中世紀なり十八世紀を描くことはできたはずである。
 たとえば、その一例として『木のぼり男爵』に登場する「荒ら草ジャン」が考えられる。その名も高きこの山賊の出現は、この物語の中でも、主人公のコジモの精神発展に重要な役割を果す個所であり、また、きわめて愉快きわまる一章なのである。このジャン、けっして「爵位」に関わりを持った人間ではない。それどころか、文字どおりの凶悪犯で、強盗こそわが人生と心得ている人物である。警吏に追跡されて森の中に逃げこみ、それをコジモが助けたことから奇妙な友情が発生するのだが、(そして、このジャンの結末は、まさに「泣かす」ほどケッサクなのだが)それはさておき、このジャンは、もし「時代」の底の方から眺めようとすれば、それこそうってつけの人物なのである。
 さらに付け足していえば、『不在の騎士』における従者のグルドゥルー。あるいは『まっぷたつの子爵』におけるユグノー教徒やピエトロキョード親方。また「きのこ平」に住むことを余儀なくされた「癩患者」の誰かれこそ、「爵位」の支配する時代を別の目で語れるものたちなのである。
 つまり、イタロ・カルヴィーノは、やろうと思えばそうすることもできたのに、あえて「アイスクリーム野郎」と住民から呼ばれる「爵位」ある人物を、主人公にすえたのである。そうすることによって、かれは、ぼくたちに何を伝えようとしたのか。
 いうまでもなく「爵位」とは「肩書」である。「名誉」「家柄」「身分」「格式」「地位」「階級」「世間的名声」「評価」のすべてを包含する。そして、「爵位」をこのように拡大解釈して理解する時、そこに見えてくるものは、中世紀とか十八世紀とかの、すでに「過去のもの」となった特定の「称号」ではない。明らかに、それは、歴史的称号の枠をこえて、ぼくたちの時代の、それこそ陰微にして根深い「肩書」主義、あるいは「有名」「エリート」「大家」「ボス」などを含むピラミッド型優劣意識に通じるのである。いや、それだけではなく、ぼくがこの「感想文」の冒頭で触れた、ぼくらを現在のぼくらたらしめているさまざまな「枠組」、それもまた、この「爵位」に通じるのではないだろうか。良きにつけ悪しきにつけ、ぼくらは目に見えぬ「爵位」の人なのである。そして相互の人間関係において、現在なお相互の「爵位」を意識している。会社では「部長」や「課長」という「爵位」が幅をきかし、学校では「専任」か「嘱託」かという「爵位」による評価法が生きている。男か女か、大人か子どもか、大家か新人か、成績優秀か劣等か・・・・・・。こうした「現代の爵位」は、ヨロイ・カブトをすてた今日においても、実は、人間本来の価値や在りようをこえて流通・支配している。ぼくらが、かくあるがままの日常生活を、唯一のものとして考え、それからはみだす生きざまに眉をしかめるのも、もとをただせば、この「爵位的発想」のせいなのである。
 イタロ・カルヴィーノは、そのことを明確に見通していた。「爵位」こそ、人間本来の在りよう・望むべき在り方をおしつぶすものであり、自由に対する最大の枠組であると考えた。そのことは、『木のぼり男爵』ことコジモが、どのように生き、どのように死んでいったかを考えればわかるだろう。かれはフランス革命に共鳴し、農民と共に集税人を追い払い、樹上において「樹上に設立されたる理想国家の憲法草案」を起草した。その生涯は、カルヴィーノの表現によれば、「彼はけっして壁のある家など建てようとも、また住もうともしなかった」ということになる。コジモの弟であり、この物語の語り手でもある「わたし」が、兄コジモの思想を「全世界的社会」ということばで語っている。
 もちろん、コジモは人間社会からの逃亡者だった。六十五才で昇天するまで、(いや、かれの死は気球のロープにぶらさがり、海中に墜落死するのだから「昇天」と呼ぶべきかどうか首をひねるのだが)かれは樹上から地上へ降りなかった。しかし、樹上にありながら、理想的共同生活の幻想を求めつづけた点からみて、かれの「地上」よりの逃亡は、「爵位」ある生活からの逃亡、いや「爵位的発想」社会へのストイックな拒否であったと考えられるのだ。かれコジモの死後につくられた記念碑には「コジモ・ピオヴァスコ・ディ・ロンドー。樹上に生きた。つねにこの地を愛した。天にのぼった。」と記された・・・・・・と、カルヴィーノは書く。いうまでもなく、これはスタンダールの墓碑銘のパロディである。この簡潔な碑文が、パロディのおもしろさと共に、この物語のすばらしさをみごとに集約し表現している。ぼくは「爵位」にこだわって話をすすめたから、『木のぼり男爵』における「おもしろさ」の側面は切りすてたが、一つだけ、忘れずに触れておきたいことは、樹上の主人公がトルストイの『戦争と平和』の中の人物(この物語ではロシア士官として登場する)と出会い、戦争について語る場面だ。ルソー、ヴォルテールとの文通を含めて、ここには、その時代を皮肉な目で見る「楽しさ」がある。それと共に、実は十八・九世紀を描くかにみせて、ぼくたちの現代を描くすばらしい二重構造がある。
 コジモは「男爵」でありながら、その「爵位」から自由になろうとした。こうした「爵位」拒否の結末は、『不在の騎士』ラスト・シーンにも用意されている。「爵位」をもったトリスモンが、ソフロニーと手をたずさえてクルヴァジー村にもどるくだりだ。村人たちは、伯爵は歓迎しないが、「ここにとどまりたいとおっしゃるなら、みんなと同じ身分で」と申し入れる。それに対して、考えぬいた末、トリスモンは一市民として村にとどまる決心をするのだ。
 イタロ・カルヴィーノは、右のような意味で、「爵位」ある主人公を中心にすえた。ぼくはそう考える。それは一見「歴史物語」の相貌を持ちながら、実は「歴史」というヨロイ・カブトを配した「現代人への問いかけ」だったということである。(ぼくはここで、同じ発想のもとにチョンマゲを使用した『目こぼし歌こぼし』のPRをしたい気もする。しかし、それもまた、「爵位」の発想である。つまり、カッコヨク「爵位」の発想を否定していても、その中にすでに等質の発想が息づいているというわけである。その点、コジモはりっぱだったわいと思う。)
 ぼくは「爵位」の話ばかりせず、たとえば、「善半」と「悪半」、つまり人間をタテに引きさく発想のことや、ヨロイ・カブトだけで実体のない騎士のことを語るべきだったのかもしれない。しかし、それらの「存在論的考察」は、すでに多くの識者によってなされている。それなら、「児童文学者」としてのカルヴィーノのこと、「児童文学作品」としての『マルコヴァルドさん』のことに触れるべきだったのだろうか。多少とも、そういう声が聞こえないでもない。しかし、「爵位」の発想の話で、その点、推察していただけるのではないだろうか。
 そこで、この「感想文」のしめくくりのコトバだが、それは、カタツムリ料理というものはこわいものだ・・・・・・ということである。カタツムリ料理のおかげで、コジモは地上生活をすてた。たぶん、これは、味噌汁の世界からは生まれることのないものだろう。味噌汁の世界に育った人間が、ジャングルに潜伏した例はあっても、いまだかつて、味噌汁が原因で樹上に移った人間の話は聞かないからである。これは、カタツムリなら木の上にはいのぼることがあっても、味噌汁なら目の前の相手にぶっかけることしかできないためだろうか。いずれにしてもこれらの料理の違いが、「爵位」と関わっているに違いない。その証拠に、樹上ではなく、ジャングルに暮らしたぼくらの同胞は、ジャングルをすてたあと、まずはじめに敬礼をした・・・・・・。(テキストファイル化秋山ともこ)