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『ベロ出しチョンマ』の中に、『なんむ一病息災』という作品があります。 元気はつらつたる五郎市がポックリ早死にし、青びょうたんの与茂平が「まずまずアクビの出るほど」長生きをした、という話です。与茂平には、ひとりものの青い子鬼が、あわててとりついたが、五郎市には、慎重な赤鬼が、女房・子どもを持ってからワッととりついた。だから、五郎市は頓死したということが、独特の語り口で話されます。 与茂平は、病身であったが、「弱い婆さまと弱い子供らおおぜいにかこまれて」 「オドやァ……! オドやァ……!」 と泣かれながら、めでたく静かに死んだわナ。 というのですから、今、読みかえしてみても、楽しくなります。 いうまでもなく、わたしは、この作品が好きなのです。そのため、この冒頭に持ちだしているのですが、この「好き」という気持ちは、どこからくるのでしょう。わたしもまた、じぶんの体の中に、一匹の青鬼を飼っているからでしょうか……。 斎藤隆介といえば、まずは『八郎』や『三コ』を、あるいは、長篇の『ゆき』を思い浮べるファンの多いことを、知らないわけではありません。そうした評価の中で、青鬼のせいにして、この作品を持ちだすのは、私的な、あまりにも私的な理由ではないか、といわれそうです。たしかに、胃潰瘍三べん、十二指腸潰瘍一ぺん、加えて、日本脳炎や肺結核など、大小無数の病歴を誇るわたしが、 おっかなぐねえ、おっかなぐねえ と語りかけられれば、思わず胸をなでおろすのも事実です。うっかりすれば、この作品のすすめによって、「なんむ、よもへい、いちびょうそくさい」と唱えかねません。しかし、いかにわたしが、この作品をわが身に引きつけて読んでいるにせよ、これをもって、「ビバ!万病!」と叫ぶほど、おめでたくはないのです。 それでは、私的な理由以外にどういう根拠があるのか、ということですが、一言でいえば、それは、斎藤隆介を斎藤隆介たらしめている作品群、ひいては、それを支えるものの考え方に対して、それを向うへ少し押しやる形で「なんむ一病息災」と呟いている……、そんなふうにいえそうな気がします。 『八郎』でもいい、『三コ』でもいい、それを中心にすえて、ぐるっと円を描いてみるとよくわかります。さきにあげた『ゆき』といい、また、『立ってみなさい』の多くの短編といい、ほとんどのものが、この円内にはいってくるのです。円内にはいらないもの(というより、この円内からややはみだすもの)は、ほんのわずかに限定されます。『ちょうちん屋のままっ子』や、『ソメコとオニ』『モチモチの木』などではないでしょうか。円内にはいらないからといって、円内とまったく無関係ではなく、円周すれすれという作品もあります。その中で、わたしは、『なんむ一病息災』を、比較的円内思想と距離のあるもの、とみているのです。 円内思想などいうと、いかにも抽出した観念に聞こえるので、円内に含まれる作品世界といいなおしてみましょう。この世界は、まことにみごとな、強くたくましい人物群で形成されているのです。 すべての主人公を羅列する必要はないでしょう。たとえば、『三コ』をふりかえってみるだけで、その魅力は一目瞭然です。 三コは、津軽とのさかいの、北の山脈に背中をのせて、山なりにながながと寝そべっていた。 「三コ」は、そんな大男なのです。もともと、「三吉か三太か、ほんとの名前さえチャントでなく、三コと半ぱにしか呼んでもらえない」ふつうの人間だったのが、ぐんぐん、大きくなった、ということになっています。この、突然変異みたいな大男が、また、いたって気のやさしい力持ちであって、オンチャ(土地をわけてもらえない次男坊や三男坊)のために、土地をつくってやろうと、山をかつぐのです。山のやつ、おどろいて泣きはじめます。 「地ビタサおろしてけれえ、おら気もちわりィー」 というのですから、思わず噴きだします。いや、噴きだすだけではなく、じつにスケールのでかいこの発想に、拍手を送らない子どもはないでしょう。なにしろ「でっかいことは、いいことだ!」などテレビのコマーシャルでいわれても、それが、じぶんたちのことではなく、チョコレートの話であったなど、じつにインチキな「でかさ」が横行している時代です。そこへいくと、『三コ』はいい。『三コ』の世界は、チョコレートなど差し出しません。 話はとびますが、いつか、テレビで幼児番組をみました。幼児体操の時間です。その中にあった運動の一つに、「大きく、大きく、大きくなぁれ!」というのがありました。幼児の諸君は、体操のおにいさんの号令にあわせて、小さい手をいっぱいに伸していました。「天までとどけ!」で、思いきりとびあがっていました。これは、幼児の番組ですが、ぐんぐん伸びる、大きくなる……ということは、幼児に限らず子ども全体に共通し、内在するさわやかな願望ではないでしょうか。 『三コ』はその意味で、『八郎』などとおなじく、どんどん大きくなっていく点で、まさしく子どもの願望にこたえている、いやそうした巨人願望に形を与えている、といえるのです。 気はやさしくて力持ち……といいましたが、『三コ』の魅力はそれだけではありません。いま一つ、その行動性にもあります。せっかく、オンチャたちのためにつくった土地が、オイダラ山の山火事で危険にさらされる。すると、「三コ」は、なんのためらいもなく走りだすのです。「考える」とか「考えこむ」とかは、とにかくあとの話……。 ジョヤサ、 ジョヤサ、 ジョヤサ! 三コははしった、はしった。 ひたすら疾走するのです。内省的な、うじうじした感情の反芻はまったくありません。単純明快です。「正義の味方」と「悪魔の化身」に世界を二分し、アイツハ、エエガタカ、ワルガタカと、常に質問を発する子どもには、このグイと骨太に描いた「三コ」の行動力は「ワカルー!」です。 その疾走の有様は、つぎのとおり……。 三コの足にはパチパチと小石のようにけもののからだがぶちあたった。鹿、熊、青じしどもは、火からすこしでも遠ざかろうとまえをも見ずに、目を血ばしらせて、南から北へにげはしった。 天の鳥と、地のけものと、二つの川を胸と足にうけながら、三コは風をまいてはしりつづけた。 なんたる疾走ぶりでしょう。これを読むと、今日、「走る」ことは、きわめて不幸な状態に追いこまれていると思わざるをえません。うっかり、表へ走りだそうものなら、自動車と体当たりする覚悟がいります。自動車は、鉄でできています。しかし、人間は鉄でできていません。自動車は排気ガスをだしますが、人間は血をだします。時には、脳髄もださねばなりません。走るな、車は急にとまれない……という有様です。表でダメなら学校で……といっても、ここにもタンコブの絵などをあしらったポスターがぺたぺた。走るな、廊下、静かに勉強……など書いてあります。危険を犯して走るのは、満員の通学・通勤バスを目ざしてくらいです。大人も子どもも、常に立ちどまり、左右をうかがう生き方を強制されています。いや、強制されないまでも、自己規制する生き方をわたしたちは採用しているのです。そうした状況の中で、「三コ」はなんと力いっぱい走りつづけることでしょう。「走る」ことを奪われた人間としては、内にくすぶる疾走への願望を、思わず「三コ」の力走で満足させられるのではないでしょうか。あたるを幸い、なぎ倒し……などいうこの走法は、地球的規模で失われているもの。それに三コの目ざすは、オイダラ山。あの、金メダルではありません。 ある日走った そのあとで 僕は静かに 考えた 誰のために 走るのか 若い力を すり減らし これは、ピンク・ピクルス歌うところの『一人の道』の一節です。(今江真三郎作詞・茶木みやこ作曲)いうまでもなく、「走る」ことに疲れて、みずからの命を絶った円谷選手への哀悼歌です。 雨の降る日も 風の日も 一人の世界を 突っ走る 何のために 進むのか 痛い足を がまんして ここにも、今日の「走る」ことの不幸があります。金メダル。国旗掲揚。国歌斉唱。そうした「栄光という名の規制」を受けて、その枠の中からとびだすことのできなかった悲しみがあります。これは、「三コ」の思いも及ばない「走り方」です。「何のために、進むのか」など考えていれば、オイダラ山の火は、すべての土地を焼きからしてしまうでしょう。「三コ」には「ある日走ったそのあとで」というものがありません。走らねばならぬから走る。これは「三コ」にとって自明の理なのです。 しかし、「走る」とは、こうした二つの「走り方」しかないものかどうか……。「走らねばならぬ」という点からいえば、「三コ」は、オンチャたちのため、円谷選手は栄光のために走りました。「三コ」は、オイダラ山の山火事の上に身を投げかけてわが身を焼きつくし、円谷選手は、栄光という名の規制の上に身を投げだしました。一方は、オンチャたちのために、他方は、栄光のためにですから、その死は異質の意味を持っているとはいえます。しかし、二人が、ひた走りに走ったのはじぶんのためでない……というその点において、共通しているのではないでしょうか。……目的や意味こそ違え、「走る」ということは、こうした「じぶん」を超えたもののために「走る」ことしかないのか、どうか……。 おれは規則正しいてくてく歩きのリズムにのって走った。やがてそのリズムはあまりにもなめらかになり、走っていることも忘れてしまい、両脚が上がったり下がったり、両腕が出たり入ったりしていることもわからないくらいになり、肺も動いているようには思えないくらいだったし、心臓までいつも走り出しに感じるいやなドッキンドッキンをやめている。つまり、おれはぜんぜん競争なんかしてなかったからだ。ただ走っているだけなのだ。それにどういうわけか、競争していることを忘れ、走っていることも忘れててくてく歩きをやって行くようになると、いつも勝つことがわかっていたというのも――柵やら田舎家の角やなんかで――そろそろコースの終わりに近づいてることがはっきりわかると、おれはラストスパートをかけるのだ。ともかくそれまではまるっきり走っちゃいないんだし、まるっきりエネルギーを使っちゃいないんだから、そりゃもうものすごい大スパートだ。こんなことができるのも、ずっと考えてきたからだ。競争をやる連中の中でも、おれひとりだけじゃないだろうか、考えることに忙しくて、走っていることも忘れてしまうなんて走り方をするのは……。 これは、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』(河野一郎訳)の一部です。走ったあとで考えるあり方。考えるよりも早く走りだすあり方。それらとは別に、走りながら考えるという立場のあることを、よく伝えています。いうまでもなく、この「おれ」ことスミスは、感化院に入れられている「非行少年」です。感化院の代表選手として、全英長距離クロスカントリー競技に出場しています。だんぜんトップを切って走り抜き、ゴール寸前まできた時、その疾走をやめるわけです。お先にどうぞ……というように、他の選手に勝ちをゆずります。別に感化院で謙虚の美徳を感化されたわけではありません。院長をはじめとして、既成の社会が美化している人間への規制に、「誠実」という名の仮面がかぶせてあることを知っているからです。「走る」とは、ある目標に向って、栄光や他人の賞賛のために力走することではない、じぶんが、命あるかぎり、じぶんの生活を生き抜くことにほかならない、とこの主人公は了解しています。だから、長距離とはいえ、一定の枠内での勝ち負けなどクソクラエで、なにが「走る」ことだ、という意識があるわけです。 おれ自身があの物干しづなに到達するのは、おれが死んで、向こう側に安楽な棺桶が用意されたときだ。それまでは、おれはどんなに苦しくとも、自分ひとりの力で田野を駆けてゆく長距離走者なんだ。 「走る」という時、このスミスこと「おれ」の「走り方」にきて、わたしは、やっとホッとします。なぜなら、ここで、巨人の疾走ではない、そうかといって期待される人間の力走でもない、ただの人間の「走り方」に出会うからです。わざと試合に負けたあと、この「おれ」の、感化院での独白。 だがおれがもう走ってないと思わないでくれ、どのみちおれはしじゅう走っているんだ。 このあたり、ごくふつうの人間ならば、よくわかるのではないでしょうか。だれしも、巨人の疾走や期待される人間の力走にはみとれます。しかし、みとれながらも、人は、そうではないじぶんひとりの「走り方」をつづけているからです。 この「走り方」は、まことにのろのろしています。お世辞にもサッソウとしたところがありません。だが、まぎれもなく、じぶんのペースで、じぶんの走法で走りつづけています。この「走り方」ならば、巨人にならずとも走れるし、別に、期待される人間でなくても走れる走法です。「献身者」に変身しなくても、だれもが走れる「走り方」。 わたしは、「三コ」の疾走をけなす気は毛頭ありません。しかし、「三コ」の疾走を、唯一の走法として位置づけることにはどうしても賛成できないのです。それはふつうの人間の「走り方」を矮小化し、時には、否定することになるからです。つまり、美化された「献身」は、それ以外の生き方・走り方を「美しくないもの」として押しのけるといえばいいか。人間のあり方に、無意識のうちに格差をつけるからです。もともと、『立ってみなさい』にしても、『ベロ出しチョンマ』の多くの献身物語にしても、ふつうの人間が、各自それぞれの「走り方」で走者となれ、ということを願ったものだったのでしょう。そうした願いがあったのだと思います。しかし、そうした願いとは裏腹に、それが、結果として、崇高な自己犠牲や、美しい死の絶対視に結晶していった点で、わたしたちの走法とはなれていくのです。とりわけ、戦争時代に少年期を送ったわたしとしては、じぶんを超えたもののために、じぶんを美しく燃焼させる発想には、がまんがならないのです。大人である「三コ」が、じぶんの判断でオイダラ山に身を投げかけるのはいいでしょう。しかし、読者である子どもが、そうした人間のあり方を、「美しいもの」として受けとめることは、人間としてのさまざまな可能性を放棄させられるのとおなじであり、じつに悲しい人生案内だと思うのです。たとえ、おろかといわれてもいい、子どもは、「美しい死」や「崇高な自己犠牲」を選ぶよりも、子どもが子どもである時代を、じぶんの「走り方」で精いっぱい走ってほしいのです。 わたしがはじめに、『なんむ一病息災』を好きだ、といったのは、こうしたことと関わっています。ここには、一人の巨人も英雄もでてきません。ごくふつうの人間の、その命あることに対するいつくしみがあります。 おまえの胸に青い子鬼が住みはじめても静かに寝ていれば子鬼は追い出せる。万が一追い出せなくっても、だいじに気をつけてこれから暮らせば、あの与茂平のように、アクビの出るほど永生きができるっていうことなんだわナ。 ナ、おまえも唱えれ、ソォレ、 なんむ、よもへい、 いちびょうそくさい――。 「美しい死」も「崇高な献身」もありません。むしろ、そうした発想とは対極の、平凡な「生への共鳴」があります。 ――したども、いつか、弱いまンまに弱い嫁さまをもらい、やがて弱い子も生んで、与茂平は、まずまず白髪の生えるまで生きたナ。 英雄になることよりも、また、じぶん以外のもののために散華することよりも、凡々と生きること。この「生きる」ということが、ほかの価値観より先行することこそ、戦争の悲惨をくぐったわたしたちの、唯一の原点ではなかったのでしょうか。死ではなく、生をみすえることによって成立する「走り方」。『ちょうちん屋のままっ子』は、その点、ごくふつうの人間の、明治維新をくぐってのち、なお六十年も生きた、という話です。主人公の長吉は、『なんむ一病息災』の与茂平と、どこかで血縁関係がありそうにも思えます。この作品を指して、これは、子ども版「職人衆昔ばなし」だ、という声のあるのを知らないではありません。たしかに、短編にあったあの緊迫感と、ユーモラスな語り口の楽しさは、筋書のため、ややこわされている感じがしないでもありません。とりわけ、上野のお山にたてこもった彰義隊と、それを討たんとする官軍との衝突の場面から、あっというまに六十年が経過し、長吉はじいさんとなって、ホクホク目じりにしわを寄せているあたりなど、残念というか、がっかりというか、淋しい気持ちもします。「走る」ことは「生きる」ことであり、「生きる」からには長生きを……といったものの、その動乱期を、どのように走り抜けたか、そこの「走り方」が割愛されているからでしょう。緊迫した状況の中において、巨人に変身することもなく、崇高な自己犠牲に果ることもなく、ひたすら、ふつうの人間として「走る」こと。それこそ斎藤隆介にのぞむ物語ではないでしょうか。もちろん、これは、私的な願いにすぎません。 それにしても、アラン・シリトーなど持ちだして、斎藤隆介を語るとは何事ぞや。そもそも、『ベロ出しチョンマ』を語るなら、日本の民話を合わせ鏡として持ちだすべきではなかったかと、クレームがつきそうです。それについては、つぎのようにいっておきましょう。 わたしの好きな『聴耳草紙』(佐々木喜善)には、たしかに『母の眼玉』のような自己犠牲譚ものっています。しかし、それと、斎藤隆介の献身譚を重ねあわせてみて何になるのでしょう。苦しい生活の中で、民衆は英雄を待望した。今も、わたしたちは、そうした英雄待望感を持っている。斎藤隆介は、そうした願望に形を与えた……という他人まかせの走法を賛美することに終るのではないでしょうか。 『聴耳草紙』といえば、わたしは、この中の第二〇番『親譲りの皮袋』というのが、ひどく好きです。なんど大どかに性を語っていることか。エッチ!などいわずに、一度、お読みください。それもまた、『母の眼玉』などと対極の、生を原点にした「走り方」だと思うのですが……。 テキストファイル化北原志保 |
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