『児童読物よ、よみがえれ』(山中恒 晶文社 1978)

喧嘩の死滅

 喧嘩について、私には忘れ難い記憶がふたつほどある。但し、そのいずれの場合も、私は単なる野次馬のひとりに過ぎなかったのだが、その印象は極めて強烈で、ひとつは10年ほど前、もうひとつはそろそろ30年にもなろうとするのに昨日の事件のように鮮明に思い浮かべることができる。

 敗戦の年(1945年)の暮れ、私は中学二年生で北海道夕張郡にいた。
その喧嘩を目撃したのは、国鉄室蘭本線の列車内で、その列車は私たちにとっては朝の通学列車であった。そのころは列車の運行数も少なく、客車の車両数も極端に少なかった。列車はいつでも混雑しているのが常識で、その混雑ぶりは連休前日のスキー列車なみに気違いじみていた。そうした列車の中で、傍若無人にはばをきかせていたのが、<かつぎ屋>と称せられる人種であった。敗戦と不作の食糧難を背景に、彼等は農村で自家用米と称せられる隠匿米を買いつけ、それを自分自身でかついで都市部の家庭へ売り込み、かなりの利ざやをかせいでいた。彼等の荷物はばかでかく、米一俵まるまるかついでいた者もあったぐらいだった。このかつぎ屋には、体力に自信のある戦争未亡人や失業者もいたが、なんといっても主力は旧軍隊の兵士たちで、それだけに気も荒かった。その旧軍隊出のかつぎ屋同士が喧嘩を始めたのである。原因は途中駅から乗りこんで来た、陸軍の制服を着たひげ面のかつぎ屋が、既に網棚にあった他のかつぎ屋の荷物を入り口近くの通路にほうり出し、そのあとへ自分の荷物をのせたのである。自分の荷物をほうり出されたかつぎ屋は、海軍の戦闘服に海軍の外套を着た若い男であったが、当然抗議した。するとひげ面のかつぎ屋が威丈高になって怒鳴ったのである。
「へん!民主主義だぞ、文句あるか!」
 いわれて若い男はぱっと立ち上ると、ひげ面の男の胸ぐらをつかんで、デッキの所へ引っ張り出した。私たちはふたりの男が、そこでなんらかの話し合いをするのだと思った。ところが若い男はやにわに、ひげ面の男をなぐりとばしたのである。入口の戸が開いていたので、ひげ面の男は悲鳴をあげて、デッキから外へ転げおちていった。列車は激しい降雪のために徐行していたし、かなりの積雪があったから怪我をしたとも思えなかったが、それにしても思い切ったことをするものだとびっくりしてしまった。すると、若いかつぎ屋はデッキに身をのり出すようにして、おちたかつぎ屋に怒鳴ったのである。
「これが民主主義だ、もんくあるか!」
 もちろん、こんなことは当時としても異常ではあったが、とても今日では通用しそうもない話である。敗戦直後の民主主義は戦時下における<減私奉公>という全ての犠牲を正当化させた概念の裏返しであったから、あらゆることの正当性の裏打ちとして歪曲され、都合良く活用されたのであった。なんのことはない、先に来ていた民主主義に後から来た民主主義が喧嘩を売り、売られた民主主義が売った民主主義をぶっとばしたことになる。中学二年生の私にとって、おとなの喧嘩が、どれほどむちゃくちゃなものかを知らされた事件であった。

 もうひとつの記憶にある喧嘩は、前の事件から20年後の話である。私の所属していた作家集団の事務所が、四ツ谷のバー街の二階にあった。たまたま私は事務所を書斎代わりに、そこで原稿を書いていた。おぼろ月夜とでもいいたい春先の夕刻のことであった。表通りがなんとなく騒々しいので、窓をあけて見おろすと、道路の端でサラリーマン風の若い男がふたり、大声でののしり合いながら、こづき合いをしていたのである。バー街としては、まだ開店間もない時間なので、人通りもあまり多くなかったが、通りがかった中年の男が間にはいって止めようとした。が、これはもろくもはじきとばされて尻もちをつき、ほうほうの態で立ち去った。そしてこの仲裁が却って火に油を注ぐような結果となり、ふたりは小突きあいから殴り合いに転じた。といってもボクシングの試合のように垢抜けした派手なものではなく、顔付き目付きの割には、お互いにパンチの空振りをくり返すという、まだるっこしい、滑稽な感じのものになった。そこへまた、これは一見して、ヤクザ風の男が来て仲裁にはいった。そのときのセリフが相当なものだった。
「よしな、よしな!民主主義なんだからよ、素人さんは口喧嘩だけしてりゃいいの!」
 もちろん、そんな小馬鹿にしたようなことをいわれて当人たちが引きさがるわけはなかった。喧嘩の片割れが、やにわに唸り声をあげて仲裁者に殴りかかった。と思ったら、殴りかかった男がひどくあっけなくあおむけにひっくり返り、たちまち鼻血でワイシャツの前を赤く染めてしまった。さすがにも一方はあっけにとられて茫然と立ちつくした。
「ほら!何やってるんだよ。介抱してやれよ。これだから素人さんは困るんだ」
そういうと仲裁人はたおれてた男を抱き起し、首すじのうしろをたたき、鼻血を拭いてやり、もう一方の男に、何やらごそごそ言いつけて立ち去った。<民主主義だから口喧嘩だけしていればいい。>という文句は、なにやら定着した民主主義への強烈な皮肉のように聞こえた。敗戦直後の民主主義意識はそれ自体非論理的なものであったが、戦後20年の分厚い壁の中に定着した民主主義の概念から、喧嘩は既に一般市民のものではなく、ヤクザもしくはチンピラの専売特許なのだということをヤクザ自身が認識していたということになる。

 そして、今日、学生運動のセクト間のゲバルト以外に、喧嘩とよべそうなものは見当たらなくなってしまった。もっとも現在でも、深夜盛り場のあたりで酔漢同士のいざこざはあるが、これは喧嘩というよりは、酔っぱらいのじゃれ合いに近い。
 確かに現在では、喧嘩とよばれるものは、おとなの間と子供の間とを問わず極端に減少している。一般にも人前で行われる喧嘩に対して寛大ではなくなっている。寛大でないということは、「まあまあ」と仲裁にはいったり、「やれやれ」とけしかける野次馬もいなくなったということだ。衆目の中で、そうした行為をする人間を蔑視の目で見て黙殺するか、いきなり一一〇番をダイヤルしてしまうかである。
 つまり、喧嘩は即暴力、即非民主主義といった方程式の中にくくられ、反社会的なこととして切って捨てられてしまうのである。こうした一般的な喧嘩に対する考えは当然子供の生活面にも投影される。にもかかわらず最近になって、<近ごろの子供は軟弱で喧嘩も満足に出来ない。覇気に欠ける>などといわれ始めている。それに呼応するみたいに、テレビのワイド番組などで、有名人のパーソナリティをクローズアップするという形式で、インタビュー・ショウをやり、当人の世に出るまでを語らせたり子供のころの思い出を語らせたりすると、クローズ・アップされた当人が男性である場合、ほとんどといってよいほど、自分は子供じだいに手に負えぬ悪童で、喧嘩ばかりしていて生傷が絶えなかったといったようなことを自慢げに語る。
 その場合、二つのタイプがあって、ひとつは子ども期の願望を疑似体験的に誇張して語っているものと、真実それしか脳のない子どもであったろうと思われるタイプである。いずれも極めて単純な自己顕示的欲求から出てくるもので、針小棒大な、はったり的な気分が濃厚である。ただ前者の場合は比較的具体性に欠け、どちらかといえばムーディな郷愁感があるのに対して、後者の場合は変に生々しく、語っているうちに本気で興奮し、目を輝かせ、鼻の穴をおしひろげ、ゼスチュア入りで甚だしく知性に欠ける感じがする。その場合、当人の顔は半ば恍惚的に子ども期に舞い戻っているから、未成熟児を見るようで、なんとも気味悪い。しかし、どれほどの意気込みで語られようと、子どものころの喧嘩の手柄話など、所詮<子どもの喧嘩>といった概念にくくられてしまい、語り手が気を入れて興奮すればするほど、聞かされる第三者は反比例的にしらけてしまうものなのである。私などは、その当人が歌手である場合、二度と彼の歌なぞ聞いてやるまいと思うし、タレントである場合は、彼の出演するドラマには二度とつきあってやるまいなどと考えてしまう。
 それにしても、おとなたちはどうして、子どものころの喧嘩を誇らしげに語りたがるのだろうか。喧嘩にうつつを抜かしていた悪童も刻苦勉励の結果、今日があるということを語ることによって、己の今日をより高価なものとして売り込みたいのだろうか。
 やはり、それは<喧嘩をするぐらいの子どもでないと将来大物になれない>といった子どもに対する私的な訓育観から出発しているのかもしれない。
 一般に昔の子どもはよく喧嘩をしたということが肯定的な材料として語られる。そこでは、子どもであるが故に、<喧嘩=活発=質実剛健>といった、おとな社会とは別な次元の価値観による方程式が許容される。しかし、これは、おとな社会と子ども社会が個別に成立していると考える童心派的発想で、実際には極めて非現実的な論理なのである。
 昔の子どもが良く喧嘩をしたということは、私自身の体験からも否定は出来ない。しかし、喧嘩が活発という概念に直結して質実剛健というスローガンを導き出すものであれば、戦前及び戦時下の学校教育の中で、喧嘩は奨励されたはずである。だが実際にはそんなことはなかった。例えば私が小学校へ入学した際に使用された教科書は、国定第四期のいわゆる色つきの<サイタ教科書>であるがその修身科教科書のかなり前のほうのページで、喧嘩はよくないと教えられる所があった。文字のない絵には、一本の丸木橋の上で二匹の雄ヤギが角を突き合わせているところが描かれていた。原点はイソップ寓話と思われるが、二匹は互に譲らず争った結果、谷底へ墜落したということから、喧嘩の無意味さと喧嘩両成敗方式に喧嘩そのものを悪いことと認識させると同時に互譲の精神が教えられたのである。これが一年生の修身教科書の冒頭部分にあったということは、学校という管理する場の基本的な倫理であったということである。
 にもかかわらず、男の子たちの間では喧嘩が日常茶飯であった。それは学校教育の理念では否定されても、国家的レベルに於ける力の論理を肯定する軍国主義的バーバリズムと、個人の尊厳を全く認めない天皇制ファシズムにおける暴力横行が、一般庶民の日常性に定着し、喧嘩そのものを否定的に見なかったからである。といっても、子どもの喧嘩を目の前で見て奨励したり、扇動したりしたわけでもなかった。おとなもまた基本的倫理として、喧嘩否定の教育を受けていたから、当然の行為として喧嘩を禁止した。
 つまり喧嘩は教育理念という晴れの場では、あくまでも否定されるべきものであり、喧嘩のかっこうよさは、褻の面に於いてのみ、隠花的光芒と評価を得ていたのである。その部分で、喧嘩を遊びに転化した子どもたちも少くなかった。遊びとしては粗暴であるが、興奮の度合いでは最高の効率を持ったに違いない。他校の生徒に喧嘩を売るといったことも理屈ではなく、粗暴な遊びとしか解釈しようがない。また遊びの中に、しばしば本物に移行してしまう擬似喧嘩的(ふざけっこ)と称するものもあった。これなどは本物と区別がつかぬために、しばしば教師から禁止された記憶がある。今にして思えば、遊び全体が
可成り乱暴でもあったし、今日のように親の目は行き届いていなかった。
 さて、往々にして歳月の経過は過去に於ける晴と褻を逆転させる。おとなは子どもに対する訓育的本能によって、過去に於ける褻の面を晴れの場に引き捉えて訓育的に対比させようとする。もちろんそれは過去の褻の中にあってこそ意味を持ちえたのであって、晴れの場に引き出して評価を押し付けることはナンセンスである。まして、<喧嘩=暴力=非民主主義>の方程式が一般化して定着し、無原則的に図式化されている現在、歴史的な状況、条件を無視して非現実的な、大人の童心的郷愁をもって、<喧嘩=活発=質実剛健>などという方程式を本気で語るとすれば、時代錯覚も甚だしいばかりではなく、子どもも蔑視でもある。
 ここではっきりしておかなければならないが、<好んで喧嘩ばかりする>という子どもがいたら、学校は明らかに問題児として取り扱う。そうした子どもには、粗暴ならざるを得ない要因があるが、学校は、現象面でのみ処理して、根元的な解明まではしない。くり返していうが学校という場にあっては、喧嘩は基本的に否定されているのである。
 今日のように親の目が行きとどきすぎるところで、一般的に否定され、学校でも仲間でも否定される行為であれば、これは死滅の方向へ向うのは当然といわざるを得ないだろう。とにもかくにも、喧嘩はよくないということになっているのである。
 ただ問題は、喧嘩を褻の面に於ける光芒だけで規定するわけにはいかない。子どもの喧嘩は最終的に拙劣な自己表現である場合が多い。つまり論理的に解明したり整理できなくなった軋轢を感情的に処理する最終的な手段なのである。口べたな子どもほど、そうした手段を取りたがるものなのである。つまり当人にとっては已むを得ざる事情なのである。しかし、一般には、そうした心理構造までは認めようとしない。喧嘩一般として、明らかに力の誇示である弱い者いじめのものまでと同列の扱いで否定してしまうのである。
 そしていまや褻の面に於ける光芒も、明らかに一般市民のものではなくなりつつある。その意味で、ヤクザ映画によって賞を受けた映画監督が、本来章など受けるべき性質のものではないのに賞を受けたことにとまどっていると述べたことは、まともな発言である。やがて喧嘩は、映画とか小説世界の中でしかリアリティを持てなくなるかも知れない。
 私は<喧嘩も満足に出来ない軟弱な子ども>という発想には与しない。そうした発想の根底にある、<喧嘩=活発=質実剛健>といったアナクロニズムを肯定する気にはなれないからである。しかし、<万、已むを得ざる喧嘩もしようとしない、白けた子ども>がふえつつあることに危惧を抱いている。そうした子どもたちが、何かのはずみで喧嘩をしてしまったときに、慣れないことをすることから、取り返しのつかない事態を惹き起す危険がある。つまり、どこまでが限界かという加減がわからず、そんな積りではなかったのに……という結果になりかねない。また論理だけでは割り切れない情念のようなものを抱くことが蔑視されるような、雰囲気の中で過ごすことにより、自信を喪失して行く子どものふえることを懸念する。
 だが、これとても子どもの責任ではない。なにによらず、国家暴力や、経済暴力に対する微細な物理的抗議まで、暴力一般に封じ込めて、一律に否定する今日の市民社会で、それらを形成しているおとなによって管理されている子どもとしては、おとな以上に心情面で退廃せざるを得ないのである。

<喧嘩>はそれ自体死滅したのではなく、市民権を失い、死滅せざるを得ない方向に進行しつつある。
と同時に、<喧嘩>は褻の世界から晴の世界へと突出する機会を失いつつある。

  ケンカヲスル子ハ、悪イ子ナノデス!
  先生ヤ、オトウサン、オカアサンノ
  イウコトヲヨクキイテミンナデナカヨク
  ニコニコト、アカルククラシマショウ。
  ケンカヲスル子ハ、悪イ子ナノデス!

テキスト化 大宮阿弥