『児童読物よ、よみがえれ』(山中恒 晶文社 1978)

『音声資料による実録大東亜戦争史』を完成して

 何度聴いてもショックを受ける音がある。たとえば、市内の火災発生を告げる消防署のサイレンの断続吹鳴である。これを聴くたびに、畳の上の灯火管制の小さな丸い光の塊りと防空頭巾の汗とかびのにおいとその感触が条件反射的に脳裡をかすめる。もちろん誰もがこのシグナルに同じ反応をするわけではない。多分これは戦時中に都市及び周辺で生活したものに共通のものではないかと思う。
 シグナルはあくまでもシグナルであって、それ自身が意味を持つ音声ではない。にもかかわらず、そうした条件反射を起こさせるのは、シグナルとしての音声が生活体験の中で強烈な意味を持った時期があり、そこを通過した体験者の中にそれが生き続けているからにほかならない。
 その意味でかねがね戦時下の音声を歴史的な戦時資料として収集したいと思っていた。もちろん、いままでにそうした<記録もの>のレコード・アルバムがなかったわけではない。ただし、それらは厳密な意味で音声を資料として扱っていたわけではなかった。つまり、東条英機はこんな声で演説したとか、出陣学徒壮行会はこんな雰囲気であったという程度の<音響効果>として使用されていたにすぎない。
 事実、主役はナツメロであったり、変によそよそしい年表羅列のナレーションであったりして、音声はブリッジ的に使用されていただけで、時間も長くてせいぜい1分30秒程度、音声そのものの意味や内容は問題にされてもいなかった。無理もない。これらの<記録もの>は建前はどうあれ、郷愁を売りものにしており、音声そのものの内容に触れることは逆効果になりかねない構成になっているのである。そこを逆に音声を主体とした資料集を構成することで、従来の<記録もの>と根本的に違うものが作れないものかどうかも考えていた。
 たまたま、東海大の田辺秀夫氏のサウンド・ライブラリィで、思いがけず『大東亜戦争録音史・勝利の記録』(SP11枚組アルバム)の一部にめぐりあった。
 このアルバムは1943年(昭和18年)大本営陸軍報道部のきもいりでニッチク(現・日本コロムビア)が制作し、予約限定盤、当時の価格でアルバムともに40円(現在のほぼ8万円)で、3月10日の陸軍記念日に「撃ちてし止まむ」のスローガンとともに発売されたものである。
 これは大東亜戦争緒戦の日本軍がまだ破竹の進撃を続けていたころの現地録音を主体としたもので、1ヶ月前にガダルカナル撤退、1ヶ月後に山本五十六戦死、2ヵ月後にアッツ島全滅という時期に「緒戦の感激も新たに銃後報国に挺身せしめる」戦意昂揚の材料として、学校、職場に頒布されたものであった。校誌にこのアルバムの寄贈を受けたと記録している学校もある。
 正直なところ、現実にこのアルバムが残っていたのは大きなおどろきであった。そして、いずれはこうしたものを含めて、戦時下の音声資料集を公刊したいと思った。ところがいくばくもなく機会がめぐって来た。
 他の企画で日本コロムビアの木村学芸部長と面談しているとき、戦時中の銅盤(レコードをプレスするめたの原型)が腐蝕し始めたので大量に処分(溶解)するという話が出た。できればその前に、この音源を使用して、アルバムを作りたいので手を貸せというのである。もちろん、渡りに船とばかり、構成、解説・監修一切を一手に引き受けることにした。
 この銅盤は、戦時中NHKが報道番組「週間録音」の放送に使用するレコードの作成をニッチクに委嘱した際に鋳造したものであった。当時は現在のような磁気テープはなかった。いわゆるワックス盤とかアセテート盤とかいうものに録音し、銅盤におこしてレコードにプレスするのが一般方式であった。そのレコードも78回転SPであるから。時間も12インチ盤で3分30秒程度であった。
 まず手始めに銅盤からテープに再生したものを聴く作業から始めたが、これがまた、3分きざみの小間切れが順不同に再録されており、それを単元ごとに整理し、取捨選択する必要があった。そこからLP5枚分だけを残し、ほぼ編年体に構成し、それを戦時下の文書資料と照合し、文章におこすのである。
 このように書いてしまえば、なんのことはないのだが、7月末から9月中旬まで、明けても暮れてもイヤホーンをつけて原稿用紙に向かっているうちに、9月の頭に遂に嘔吐をともなう胃ケイレンでぶったおれてしまった。
 確かに絶えず同じ姿勢で一定方向に体をねじりながら、耳に神経を集中し、聞きとれない部分を何度もリピートし、判断できる部分から文章にして、パズル式に前後に脈絡から判断するという作業に極端に疲労したこともあったが、なによりも、音声の内容にうんざりさせられたのではないかと思う。
 大本営発表だけでも50単元あり、しかも東条英機の演説が15単元もある。国会での施政方針演説、陸軍大臣戦況報告、各種集会での挨拶とさまざまであるが内容はいずれも変わりばえしないもので、ひたすら「御稜威(みいつ=天皇の威光)」を讃えるものである。その他では大本営陸軍報道部の谷荻那華雄と海軍報道部平出英夫が、それぞれ二単元から五単元、そのいずれもが「大東亜戦争は御稜威のもと皇謨(天皇のはかりごと)八紘一字の天業恢弘の戦いである」ことをくり返しのべているのである。つまり登場人物の誰もが「現神(あきつみかみ)にあらせられる天皇陛下の御為」に戦えと絶叫しているのである。
 そこへ来て8月24日の新聞に天皇が那須で記者会見して「自分で昭和史を書くとすれば自分を讃美することになり・・・・・・」といった途方もない発言をしたことが報道された。しかもマッカーサーとの会見の席で何をしゃべったか、マッカーサーとの約束があるから、言えないというのである。
 どうやら「大東亜戦争」と呼称された戦争が誰のために戦われた戦争であったかを当の御本人は忘れてしまったらしいのである。そのために理不尽な死を遂げた臣民が無数にいたというのに!しかも敵将マッカーサーとの約束は忘れないなんて!
 これもまた、嘔吐・胃ケイレンの材料であった。
 今回のアルバムは戦争中すでに解説を附してプレスしたもの以外は、音声そのものだけを忠実に復元した。構成上已むなく編集処理で若干短縮した以外は一切手を加えなかった。ここに復元されたものは、戦時中唯一の電波マスコミを通じて流された公認情報であると同時に、戦争指導者たちの国内向け宣伝戦の実態を示すものなのである。
 アルバムは『音声資料による実録大東亜戦争史』として、36年目の12月8日、日本コロムビアから発売されることになった。あくまでも資料としての客観性を重視したが、これらの音声資料は大東亜戦争なるものが、何のために、誰のために戦われた戦争であるかを雄弁に物語っている。しかも、そのそらぞらしさが、そらぞらしくなかった時代があったことをも立証してくれる。
テキストファイル化内海幸代