『横谷輝児童文学論集1』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
第二章 児童文学の転換
第一節 過渡期の児童文学運動
--- 一九七〇年代の児童文学をめざして ---
(1)
今日---ここでは一九六〇年代に限定したい---の児童文学の全体を、どう考えるかということは、なかなかむずかしい問題である。どのような立場にたち、どこに視点をおくかによって、さまざまな見解が生まれてくるにちがいない。たとえば、安定期、発展期、転換期、変動期といったように焦点のあてかたいかんによって、いくつかのアプローチの方向がでてくるだろう。このことは、ある意味で今日の児童文学の、流動的な性格を示しているといっていえなくはない。
わたしは、一九六〇年代の児童文学は、全体として過渡期であったと考えている。そして、この過渡的な現象は、七〇年代にはいっても、まだしばらくは続いていくだろうという見解をもっている。
過渡期とか転換期といったことばを、安易に乱用することは好ましいことではない。だが今日の児童文学が安定した時期を迎えているとは、どうしても考えることはできない。たしかに、一九六〇年代の児童文学が、その創造活動において、また出版状況においても、かつてないほどの盛況を呈していることは事実である。しかし、一見その盛況安定とみえる様相のなかに、深い亀裂のようなものが、ところどころに走っていることは、だれの目にもうつるほどあきらかなものであり、ことはそれほど流動的であるといのが実状である。
いうまでもなく過渡期というものは、あるひとつの時代から、新しいひとつの時代に移りかわろうとする境目に生じる現象である。そして、その一般的な特徴は、たしかにひとつの時代が終わりつつあり、新しい時代がはじまろうとしているが、まだ、完全に終わりきらず、かといって新しい時代がどのような内容をもつものか、そのイメージを明確につかまえることができないといった不安定さにあると思う。そこでは、既存のものにたいする徹底的な批判がおこなわれ、ときには根底からくつがえすような行動がひきおこされるが、その行動がどのような歴史をつくりあげていくかを、みずから意識することができない。こうした混沌の状態こそ、過渡期のもつ固有の構造である。
では、今日の児童文学は、どのような過渡期の構造をもっているのであろうか。児童文学運動の問題を追求するためにも、七〇年代の児童文学について考えるためにも、まずその実態をあきらかにしなければならない。
今日の児童文学のもっている基本的な構造を、ごく単純に図式化していえば、「童話」から「小説」へということであろう。
日本の児童文学に支配的であった、象徴的・観念的な「童話理念」にかわって、科学的合理的な「小説精神」が支配しつつある時代だといってもいい。したがって、日本の児童文学が当面している過渡期とは、「童話理念」にささえられたひとつの時代が終わりかかっており、それにかわるべき「小説精神」があらわれてきているが、その内容がまだ明確でない時期だといえる。
もちろん、これはあくまでも基本的な骨格を抽出したものであって、具体的にはもっと複雑な要素がからまっていることはいうまでもない。そして、これらの問題をあきらかにするためには、六〇年代にさきだつ五〇年代の児童文学の性格を考察する必要がある。
いうまでもなく、五〇年代の児童文学のもっとも大きな特色は、創作児童文学の不振と停滞という慢性的不況現象にあった。それと同時に指摘しなければならないのは、慢性的不況と表裏の関係にある、日本の児童文学伝統のありかたにたいする批判であろう。
その批判を代表するひとつの動きは、一九五三年におこなわれた『少年文学の旗の下に』(早大童話会)という「少年文学」をめざす宣言であり、その主張の核心は「近代文学に不可欠の合理的・科学的批判精神及びそれに裏付けされた文学上の創作方法の欠如」した、従来の「童話精神」に立つ児童文学を否定し、近代的「小説精神」を中核とする「少年文学」の道を選ぶというものであった。
いまひとつのあらわれは、一九六〇年に出版された『子どもと文学』(石井桃子他)にみられる、欧米児童文学の理念を基底とする基準からの、近代日本の児童文学のゆがみにたいする批判であり、「世界の児童文学のなかで、日本の児童文学は、まったく独特、異質なものです。世界的な児童文学の基準---子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすくということは、ここでは通用しません。また、日本の児童文学批評も、印象的、感覚的、抽象的で、なかなか理解しにくいものです。こうした状態にある、明治のすえから現在までの、つまり近代日本児童文学とよばれるものが、はたして今日の子どもにどう受けとられているだろうか」という問題意識が、その主張の主要なポイントであった。
こうした批判が、近代日本児童文学の独自な伝統およびその性格をかたちづくってきた、「童話理念」のゆがみにさしむけられ、大きな打撃をあたえたことはいうまでもない。また、このふたつの批判は、一方が近代日本の児童文学の側から、他方が世界児童文学の側からという立場の相違をもちながら、近代日本児童文学の伝統否定において、ほとんど同質の軌跡を描いて機能した。このことは、興味深い現象であると同時に、ある意味では不幸なことであった。
この伝統批判が、「童話理念」の解体をうながし、ひとつの時代の終わりをまねきよせるキッカケをもたらしたことは事実であるが、より根源的な要因が戦後日本の社会基盤にあったことは、いまさら指摘するまでもないことである。つまり、「大衆社会理論」の出現によって象徴される五〇年代の日本の社会は、独占資本の復活にともなうマス・コミュニケーションの発達によって「個人」から「大衆」へという形で、人間論、組織論が編成されていった時代であった。芸術・文学の分野においては、「マス・コミ芸術論」が積極的に主張され、パーソナルな芸術からマス化の芸術への変化が強調されたのである。
児童文学・児童文化の領域では、「漫画・テレビに代表される視覚的マス・コミ文化が圧倒的に進出し、芸術的児童文学ばかりでなく大衆的児童文学をもふくめて、活字メディアによるものに全面的な衰退過程」(菅忠道)となってあらわれていた。
このような「大衆社会」状況のなかで、閉鎖的でアクチュアルな社会の動きをとらえるには、あまりにも不適切な方法しかもちえなかった「童話理念」が、破産の状態に追いつめられたのは、当然といえば当然のなりゆきであった。また、さきにのべた『少年文学宣言』と『子どもと文学』が、近代日本児童文学の伝統批判において、等質的均一化という形をとって機能したことも、この社会基盤ときりはなしては考えることができない。ということは、資本主義の高度発展がもたらした「大衆社会」化現象が、日本とヨーロッパの差をある意味で均質化し、欧米を中心にした世界的な児童文学の基準を受容する条件を、擬似的にしろつくりだしたということである。
でなければ、『子どもと文学』の理論が、あれほど一般に浸透し、大きな影響力を行使した理由を説明することはできない。もっとも、『少年文学の旗の下に』にみられる理論についても、おなじことがいえるだろう。なぜなら、いずれの発想、論理も、一九世紀西欧のナショナリズムの文化の所産にほかならないからである。
ところで、つぎにくる問題は、この五〇年代の「大衆社会」化現象のもとにあらわれた、児童文学状況への評価についてである。
その評価の大筋についていえば、「個人」から「大衆」へという変貌の必然を認めならがらも、その「大衆社会」化現象によってもたらされる、視覚的マスコミ文化の進出と、「活字メディア」の衰退については、子どもを疎外するという観点から、悲劇的、否定的に評価する傾向が強かった。その間の事情については、「創作児童文学の慢性的不況」といったことばが、もっとも端的に物語っている。
もちろん、なかには漫画、テレビに代表される「マス・コミ文化」の積極的な側面を重視し、それが開拓した作者、作品と子どもの間のコミュニケーションを、「送り手」から「受け手」という一方交通の関係から一歩前進したものとして評価する論議もおこなわれた。しかし、全体としては、「マス・コミ文化」にたいして、ペシミスティックな評価がなされたことは否定することができない。
そうした評価に比して、近代日本の児童文学伝統に加えられた批判は、説得的、肯定的にうけとめられ、評価されたことはすでにふれたとおりである。そして、その評価の基軸となったものは「リアリズム」と「おもしろさ」であったというのがわたしの判断である。
一九六〇年代の児童文学は、この「リアリズム」と「おもしろさ」という二つの基軸のもとにあゆんできたのではないか。
六〇年代社会の特色は、独占資本を中心にした経済が飛躍的な高度成長をとげ、資本主義的大工業化にともなう、「産業社会」理論があらわれ、工業化の過程と人間を一体化しようとする意図がアラワになった時代であった。しかも見のがすことのできない動向は、その工業化を肯定的に賛美し、未来の展望をバラ色に染める楽天的傾向が色濃いことである。五〇年代の「大衆社会」化が、否定的にとらえられることに比して、これは六〇年代の目立った現象であるといわなければならない。
これらの社会現象が、芸術、文学にあたえた影響は多元的であり、機能主義、抽象芸術論、実感論、心情論、近代化論、日本文化論といったかたちで、多様な展開をみせている。
もちろん、児童文学の世界においてもその例外ではない。菅忠道はこの時期を「社会的、文化的には大衆社会状況、マス・コミ状況が飛躍的に進展し、子どもたちの世界には、いわゆる<現代っ子>的な現象が目だってきた時期。これらの社会的諸関係の総和が児童文学状況に反映し、発展と退廃が複雑にからんでいる児童文学の新しい発展期」と特色づけているが、なんといっても、マス・コミのはげしい進展が、活字メディアにまで波及し、創作児童文学の慢性的状況がようやくうちやぶられるようになったことが、特徴的な変化であった。
そこでは、児童文学のジャンルは多様な発展をみせ、長編作品が出現し、方法においても実験的な追求がおこなわれ、かつての不振と停滞は、安定と盛況にかわってなにもかもがすべてうまく運ぶように見えたのである。五〇年代にあった悲観的・ペシミスティックな空気は、もはや霧散して楽天的な見通しだけがあるようであった。
いいかえれば、近代日本児童文学の伝統批判が効を奏し、「リアリズム」、「おもしろさ」が今日の児童文学の繁栄を導いたという見解もなりたつのである。
だが、今日の児童文学にみられる繁栄現象の底に「発展と退廃」が共存していることは否定することができない。いや一九七〇年代を前にして、その退廃の要素が、ようやくあらわになりつつあるのではないか。ふたたび停滞と大きな危機が、しのびよりつつあるような予感がしてならないのである。
その前兆を、わたしは児童文学理念の喪失現象にみる。近代日本の児童文学をささえていた「童話理念」の崩壊が、作家の内面に児童文学そのものの理念の喪失をひきおこしたとすれば、もはや創作児童文学の花盛りなどといって、よろこんでいるわけにはいかないのである。
(2)
一九六〇年代の児童文学が、近代日本児童文学伝統批判の線にそって展開してきたことは、否定することのできない事実である。
その基軸であった「小説精神」、「リアリズム」および「世界的な児童文学理念」、「おもしろさ、わかりやすさ」が、大きな指標となったことも疑うことはできない。
その指標が、近代日本の児童文学のゆがみをある程度訂正し、児童文学は子どものための文学であり、子どもの論理に合致して、なによりもおもしろくわかりやすいものでなければならないという、児童文学についての戦後的通念を生みだしたのである。この児童文学概念の変革は、伝統批判のもたらした大きな成果であった。
だが、「小説精神」や「リアリズム」や「おもしろさ、わかりやすさ」という基準は、あくまでも戦後的な通念にとどまっていて、日本の児童文学が志向するにたる、理念にまで高められることはなかったのである。
つまり、「リアリズム」や「おもしろさ、わかりやすさ」は、日本の児童文学全体が、実現を目ざすべき目標でもなく、そこに到達することを志す理想でもなかったわけである。
六〇年代の児童文学においては、「リアリズム」は創造上の一方法にすぎず、「おもしろさ」はせいぜい「機能概念」でしかなかった。そこでは、実体的価値を追求するよりも、日本の社会という実態を捨象して、「おもしろさ」といういわば世界に共通する「機能」のみを肯定しようとする傾向が濃厚であったのである。「リアリズム」も、ヒューマニズムや社会的善意によって古い秩序や社会・政治の不合理を、まがりなりにも照らしだそうとしながら、結果的にはゆがみをゆがみとして描きだすだけの平板さから脱けだすことができなかった。そこでも、人間、社会を歴史的な展望のもとにとらえ、いまどのような人間主体が必要であり、新しい社会をどうつくりだしていくかという視点が欠落していたのである。
このような、いわば児童文学にあらわれた機能的合理主義が、六〇年代の社会現象と結びついていることは指摘するまでもない。この機能的合理主義が、マス化現象にのって浸透するとき、そこにもたらされるのは技術の平均化である。今日の児童文学の隆盛現象は、マス・コミの飛躍的な発展という条件もさることながら、その支柱になっているものは技術の一定の標準化にほかならない。
今日の児童文学状況を発展とみるか停滞とみるかは、この技術の平均化にたいする評価にかかわっている。わたしとしては、技術の平均化を停滞の要因として判断せざるをえない。
今日の児童文学は、一定の技術水準をもった作品やあるていどのおもしろさをそなえた作品にことかかない。しかし、新しい児童文学のありかたをもとめて、実験や探究の努力を重ねている作品や、その可能性をいくらでも表現している作品は、きわめて微々たるものである。このような状況を、停滞といわずになんといえばいいのだろうか。
この停滞の根源的な原因は、やはりなんといっても新しい児童文学理念が、確立されていないことである。「童話理念」にかわって登場した「小説精神」や「世界的な児童文学理念」が、実体的価値をもつことができず、機能的合理主義にとどまっているところに、今日の児童文学の深い混迷があり、過渡期特有の不安定さがある。
合理的・科学的な「小説精神」や、おもしろさ、わかりやすさという「欧米児童文学理念」が、現段階において機能的合理主義にとどまらざるをえないということには、もちろんそこにはいくつかの原因がある。そのもっとも大きなもののひとつは、それらが多分に「近代主義」的な性格をおびているということである。いずれも、日本の社会の実体をくぐるうえで十分でなく、「民族を思考の通路に含まぬ」(竹内好)という傾向があるということだ。おそらく当初の意図はそうではなかったにちがいないが、結果として「近代主義」的傾向が濃くなっている。このことは、近代日本の児童文学伝統批判が、かなり性急におこなわれたことを立証しているといえるだろう。
いまひとつは、「小説精神」や「欧米児童文学理念」がよってたつところの、ヨーロッパの理性的合理性が、その根源において疑われているという現代的な状況である。最近の児童文学が、リアリズムよりもファンタジーへより多くの指向を示していることも、このことと関連しているのにちがいない。ヨーロッパ文化の原理そのものが問いなおされているなかで、その原理の所産であるところのものが不安定なのも当然のことであろう。
だが、だからといって、「小説精神」=「リアリズム」や「欧米児童文学理念」=「おもしろさ、わかりやすさ」を、否定することには賛成できない。ヨーロッパにおいて、その文明原理である理性的合理性が、崩壊の過程をたどりつつあるとしても、日本では、理性的合理性がいまやっと根づきはじめているのである。これをふたたび非合理的な心情や狂気によって枯らしてしまうことはさけなければならない。
ところで、機能的合理主義は美的心情なしには安定することができない側面をもっている。人間の心情は、ただおもしろおかしいだけでは満足して安住することはできない。そこではつねに実体的な安定がもとめられているのである。最近の日本人論や明治百年賛美は、権力者側が幻想的な実体をもちだして、心情に訴えようとする企てにすぎない。
「子ども」の存在が、機能的な合理主義をうけいれるのにふさわしいものであることはいまさら強調するまでもないことであるが、日本の子どもも、外国の子どもも、「子ども」ということで多分に共通項をもっているからといって、けっして抽象的な存在ではない。日本的な風土のなかで、民族を母体とし階級を主体とした環境において生活しているのである。まして、日本の児童文学を真の意味で、子どもにむかって解放することは不可能である。
このためにも、機能的合理主義と幻想的な美的心情を単純に媒介するのではなく、機能的合理主義を素朴な民族的感情のなかにくぐらせることによって、新しい実体的価値をつくりだすことにつとめなければならない。
そして、この実践的課題をになうものこそ今日の児童文学運動でなければならないのである。
だが、はたして今日において、児童文学運動は存在するのか。あるものはすべて運動するという一般的な命題にしたがえば、児童文学運動は存在するといっていい。しかし、「今日の」という限定をつけていえば、児童文学運動の存在感はきわめて希薄だといわなければならない。
あるといえばあるようであり、ないといえばないようでもある児童文学運動の停滞こそ、今日の児童文学の混迷をよく象徴している。児童文学理念の喪失と運動の停滞は対応しているのである。
この、今日の児童文学が当面している混迷と退廃の状況を打開するためにも、あらためて児童文学運動とはなにかが問われる必要がある。いうまでもなく、それがどのような文学運動であろうとも、その本質は共通の文学上の目標、理念をかかげて、そこに創造的・理論的な努力を集中することにあり、そのことによってのみ、文学運動は成立することができる。もちろん児童文学運動においてもしかりである。
日本の児童文学のあゆみのなかで、もっともはっきりとした目的意識をもっておこなわれた文学運動は、大正期の「赤い鳥」運動と昭和初期のプロレタリア児童文学運動、それに戦後の民主主義的児童文学運動であった。
これらの児童文学運動は、それぞれに成果と欠陥をふくみながら、日本の児童文学を前進させるうえで大きな役割を果たしてきた。ことに、「民主主義的な児童文学を創造し普及する」という、日本児童文学者協会の綱領を理念として推進してきた、民主主義的児童文学運動は、ことばのうえでは現在においてもなお生き続けているはずである。だが、もはや実質においては、その有効性のほとんどが失われてしまっている。それが有効性を保ちえたのは五〇年代初期までで、自我の確立、作家主体の回復、創造主体の形成が指向され、その視点から戦争批判、戦後社会への批判がおこなわれた時代であった。
それ以後は、時代の動向に応じた「民主主義的児童文学」の内容の検討がなく、個々の判断はあっても、それが全体的な展望のもとに、文学上の共通目標としてねりあげられないまま、激しい流れのなかで形骸化していったというのが実状である。
多くの文学運動は、激動の時代や深刻な危機や擬似的な安定に直面することによって、ひきおこされる場合がしばしばである。その逆に、どのような文学運動でも、その時代にひそむ危機をとらえることができず、硬化した安定や停滞をきびしく追求することができないとき、後退し風化していくのが通常である。
すでにみてきたように、今日の児童文学には危機がしのびよっている。ひとつの時代が終わり新しい時代がはじまろうとしているのである。このような時代の動向に対処して、新しい創造と児童文学運動が構想されなければならない段階にきている。
この新しい児童文学運動の性格について、いまここで十分な検討をおこなっているだけの余裕はないが、そのひとつの方向として考えられなければならないことは、作家と母親、教師をふくめた「児童文学活動家」が統一して、運動が展開されなければならないということである。かつて児童文学者は、作家としての創造とそれを普及していく運動家とをかねていた。今日の「マス化」現象は、この、ある意味でアイマイな同居にたいして、否応なく分裂を強いている。この分化は必然のことであり、望ましい側面ももっているのである。
現在では、「受け手」の集団が積極的に児童文学にとりくみ、集団批判をおこなうことによって、児童文学のイメージづくりに参加しうる可能性がでてきている。こうした人びとの児童文学運動への参加を時代は要請しているのである。そこで両者がたがいに変革しあう関係を確立するとき、新しい児童文学運動の基盤の一角ができたというべきである。これからの児童文学同人誌の運動も、このような関係のなかに位置づけられるべきであろう。
いずれにしても、わたしたちは、一九七〇年代の児童文学をめざして、新しい開拓をはじめなければならない。そのためには、「童話」から「小説」へといった単純な過程だけでなく、あらゆる可能性の道筋を探求し検討してみなけらばならない。さしあたっては「リアリズム」や「おもしろさ」について、根源的な追求がおこなわれる必要がある。
日本の社会現実を、総体的、本質的にとらえるためには、リアリズムはどうあるべきか、真のおもしろさとはなんなのか、なにをこそおもしろいとするべきなのか、といった探索をとおして児童文学の新しい将来性をきりひらいていかなければならない。
そのためにも、なによりもまず、児童文学批評の復権をはからなければならない。今日の児童文学の混迷の一端は、この批評の喪失にあることは自省しなければならないことである。現代の中堅作家であるたとえば古田足日、山中恒、いぬいとみこ、佐藤暁、松谷みよ子、といった人たちの仕事は、いまおそらくむずかしい段階にきているにちがいない。現実変革の意図と文体の背馳、内心の問題と社会の問題との相関的な統一、大衆性と思想性の融合、社会批評を軸にしたファンタジーの創造、社会的善意による不合理批判の平板化など、そこには難題が山積している。それを批判しともに模索して行こうとする批評活動のないところに、新しい児童文学の展望もない。
創造も批評も、今日の児童文学の相対的な安定を危機として認識しうるものだけが風化をまぬがれ、過渡期の児童文学を前進させることができるにちがいない。
(「日本児童文学」昭和四十四年五月号掲載)
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