横谷輝児童文学論集1』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

 第四節 「少年動物文学」の過去と未来

                  (1)
 世界の児童文学はもちろん、日本の児童文学においても、動物を素材にした作品は、枚挙にいとまがないほど多い。いうまでもなく、文学というものは、人間あるいは人間と人間の関係を対象として成りたっている。それは児童文学にとっても例外ではないが、児童文学の場合、純粋に人間だけを対象にした作品と同程度の比重をもって動物を対象にした作品がかかれてきているのが特色である。
 こうした特色が生じた要因については、さまざまなことが考えられるだろう。まず考えられることは動物というものが、人間にとってもっとも身近な存在であるということである。生物学的にいって、人間も動物の一種であることを考えるとき、そこになんらかの交流が生じるのは自然の理というものであろう。このことは、わたしたちの日常生活における、犬や猫や小鳥、あるいは牛や鳥などのありかたを思い浮かべるだけで十分である。
 これと関連して、子どもが動物好きであるという要素も見のがすことができない。子どもは―とくに幼児は―、人間よりも動物により多く親しみを感じるということは、心理学の分析をまたずとも、わたしたちが日常において見聞している現象である。この子どもが愛着をいだいている動物を素材にすることによって、作品の世界に親近感をおぼえさせ、共感をもって作品を理解させることがより可能になるわけである。
 また、動物という存在が、子どもの好奇心や探求心をそそり、それを十分に満足させるものであるということもあろう。それは自然についての知識をあたえるばかりではなく、さらに発展して、人間そのものを考えさせる手がかりともなるはずである。
 しかし、児童文学において、なぜ動物を素材とした作品が数多くかかれるかという解答としては、わたしはフランスの児童文学者であり、すぐれた「動物文学」をかきつづけているルネ・ギヨの「子どもは、おとなたちのなかにはいっていくよりも、動物のなかにはいっていくほうが、ずっと安心がいくからである」という答えをとりたいと思う。
 このことについて、瀬田貞二はつぎのようにいっている。
「いったい、善意とか正邪とか、ある人為的な価値判断を教えこまれる前の、なんにも染まっていない幼年時代に、子どもはおとなの世界の外側に立って、おとなをじっと見ています。極端にいえば、ある恐れとあるあこがれをもって、その世界にはいろうとしますが、どうしてもはいれない。はいる気持がそれて、回りにいる生き物の中にもぐりこんでいく。こういう解釈ができます。子どもたちは、ある意味で、自分たちと仲間の黙契を作って、やすやすと動物たちになじむのです」(『絵本と子ども』副音館)。
 子どもは、どうして人間の世界よりも、動物の世界のほうにより安心をおぼえるのか。おそらくその答えは、子どもが純粋な存在であり、その意味で動物ともっとも近似な存在であるということ、したがってそこでは、人間と動物の交流が、なんの抵抗もなしにおこなわれるからであろう。そして、ここには人間の成長発達のひとつの特質がしめされている。
 児童文学作家としては、この発達段階を無視することは不可能であり、その特質をできるかぎり有効に生かそうとすることは、きわめて当然のことである。
 ところで、児童文学作家が動物を素材としてとりあげようとするとき、そこになんらかの感情の交流があるのが普通であろう。なんの感情もなく、通りいっぺんの動物に関する知識だけで、いわゆる動物物語というものをかくことはできない。もっとも、動物をたんなる道具としてもちいる場合には、そうしたこともおこりうるにちがいない。だが、その場合は多分その作品を動物物語とよばないはずである。
 わたしは、ここで「動物文学」あるいは「少年動物文学」について、厳密な概念規定をおこなうことはできない。概念規定をするだけの知識もないし、またその気もないからである。
 「<動物文学>とはどんなものを指していうのでしょうか。まず、それから考えてみましょう。これは、たいへん幅の広い言葉です。動物に関する観察記録、随筆のたぐいから、動物小説、動物童話などすべてを含んでいます。つまり論文とか解説とか、純粋に学問的な立場から書かれたものは、みな一応動物文学の枠内に入るといっていいでしょう。むろん、それらがすべて動物文学の名に価いすることはかぎりません。文学と名のつく以上、当然執筆者の姿勢なり内容表現なりが、それにふさわしいものでなければなりませんが・・・」(小林清之助『オオカミ王ロボ』解説・旺文社)、といった考えもなされているが、「動物文学」についてのわたしの発想も、できるだけ幅広く自由に考えていきたいと思っている。ただ、もし、動物を対象にした文学なり児童文学が成立しうるもっとも根底的な要素としてひとつだけとりあげるとすれば、それは人間と動物のあいだに、感情の交流が存在するかどうかにあるのではないかと考えている。
 もちろん、人間と動物の感情の交流といっても、そのなかみはさまざまである。つまりそれは動物にたいする愛情であったり、ときには逆に憎悪であったりするだろう。人間にとって動物とは愛玩物であり、愛憐の情をもって共存しなければならぬ存在であると同時に、対決し否定すべき存在でもあるというのが、そのかかわりの真実のすがたではないだろうか。
 それだけに、ひと口に「動物文学」、「少年動物文学」といっても、動物にたいするかかわりかた、そのとりあつかいかた、表現の方法などによって、その内容も、ありかたも多様にならざるをえない面をもっている。
 常識的には、「動物文学」には二つの大きな流れがある。その一つは、動物の観察記録の流れであり、いま一つは、動物にたいする愛情を基軸にした流れであって、この二つの流れを統一的に表現した作品が、シートンの『動物記』であるといわれている。
 このような世界的な「動物文学」、「少年動物文学」の流れから、日本の「動物文学」を考えた場合、それはいまようやく、そのあゆみをはじめたばかりであるというのが実状であろう。
 もちろん、『片耳の大鹿』、『孤島の野犬』などで知られている椋鳩十の作品活動が、すでに戦前からはじめられているとはいえ、その本格的な実現のあゆみは、戦後になって、やっとその緒についたといっていいのである。こうした日本の現状については、のちほど考察するとして、そのまえに、日本の児童文学作品がどのような発想と方法をもって、動物というものを素材にとりあげているかをみてみたいと思う。

                  (2)
 日本の児童文学作品における、動物の系譜といったものをたどってみるとき、その過程はひと口にいって、擬人化の方法から科学的な把握へということになろう。これは近代文学の発展過程である。レトリックから科学へというあゆみとほぼ対応している。
 いうまでもなく、動物を擬人化する方法は、古くからおこなわれており、そのもっとも古くかつ典型的なものは『イソップ寓話集』である。いろいろな動物の性格や行為に託して、道徳的教訓なり処世術をあたえようとしたこの寓話は、動物の特質をとらえたたくみな擬人化によって、多くの人びとに親しまれ、子どもの心にも大きな影響をもたらした。『イソップ寓話集』が、かりに動物のすがたをかりずに、道徳的教訓をふりかざしたとき、おそらく、今日までその影響力を保持することはできなかったであろう。その意味において、この『イソップ』の場合、擬人化という方法は、すぐれて有効であったといわなければならない。
 ところで、日本の児童文学でも、近代童話の出発点といわれている、巖谷小波の『こがね丸』が、この擬人化の方法によってかかれている。
「(前略)頃しも一月初つ方、春とは云へど名のみにて、昨日からの大雪に、野も山も岩も木も、冷き綿に包まれて、寒風坐ろに堪え難きに、金眸は朝より洞に籠りて、独り躑まり居る処へ、兼てより気の入の聴水という古狐、岨伝ひに雪踏み分けて、漸く洞の入口まで来たり、雪を払ひてにじり入り、まず慇懃に前足をつかへ、<昨日より大雪に、外辺に出る事もならず、洞にのみ籠り給ひて、さぞかし徒然におはしつらん>と云へば、金眸は身を起して、<おお聴水なりしか、よくこそ来つれ、実に爾が云ふ如く、此の大雪にて他出もならねば、独り洞に眠り居たるに、食物漸く空しくなりて、やや物欲う覚ゆるぞ。何ぞ好き獲物はなきや・・・此の大雪なれば無きも宜なり>と嘆息するを(後略))」。
 この作品には、黄金丸、月丸、花瀬、鷲郎といった犬、金眸という虎、狐などの動物が登場し、黄金丸が鷲郎の協力をえて父の仇である金眸、聴水をうちとるという物語であるが、さきに引用した文章からも推察できるように、ここでの擬人化の特色は、ただの人心獣面にすぎないということにある。いいかえれば、金眸が虎であり、聴水が狐でなければならない必然というものが、ほとんど感じられない程度の、きわめて安易な擬人化でしかないわけである。したがって、虎や狐や犬の特質といったものはあまり重視されず、物語を子どもむきにすすめるだけの手段として利用されているにすぎない。しかし、『こがね丸』が発表された当時の反響は大きく、その批評の多くが、作品の新風を評価し賞賛した。作者自身も、この『こがね丸』について回想し、「今見るとこの黄金丸は、八犬伝と狐の裁判とを、ないまぜにした位の陳腐なものだが、これでも当時は珍しかったので、小さいながらも礎石をすえ得たのであった」(『おとぎ四十年』)といっている。おそらく、この作品が新風をもたらしたものと評価された原因のひとつには、動物を擬人化した方法にあったはずである。だがその方法は、お伽噺を教育の手段として利用する程度の便宜主義からそう遠くはなれていなかったのである。もちろん、動物の存在そのものは、この場合作者の関心の外にあったわけである。『こがね丸』を、動物童話とよばない所以である。
 大正期の児童文学になると、動物を素材とした作品が数多くなる。いまそれらのすべてを列挙することはできないが、わたしの目にふれた主な作品だけでもあげてみると、つぎのようなものがある。
 『むく鳥の夢』(浜田広介・大正十二年)、『ぶら先生』(水谷まさる・大正八年)、『豚のばけもの』(上司小剣・大正八年)、『小学生ときつね』(武者小路実篤・大正九年)『ばか七』(沖野岩三郎・大正八年)、『六さんと九官鳥』(西条八十・大正九年)、『鳩と鷲』(武者小路実篤・大正十年)、『いなごの大旅行』(佐藤春夫・大正十年)、『熊』(久米正雄・大正八年)、『白鳥の国』(秋田雨雀・大正九年)、『椰子蟹』(宮原晃一郎・大正十三年)。 これらの作品に登場する動物は、熊とか鷲をのぞけば、いずれも小動物であって、人間に身近な存在であることがひとつの特色となっている。たとえばむく鳥、猫、豚、きつね、たぬき、九官鳥、いなご、白鳥、蟹といったぐあいである。
 こうした小動物をとりあげた作品が、大正期になって多く出現した現象の背後には、「良友」、「おとぎの世界」、「金の舟」、「金の星」、「童話」、「赤い鳥」という、大正期児童文学をささえた雑誌の進展があったことは、いまさら指摘するまでもない。それはある意味で、児童文学の成熟をさししめす、バロメーターでもあったわけである。
 これらの作品に共通する、いまひとつの顕著な特色は、小動物そのものを直接に描くというよりも、その動物の姿をとおして、人間そのものを描こうとしているということである。
 『むく鳥の夢』では、母親をなくした小さなむく鳥の姿をとおして、人間の愛情というものをきわめて情緒的、感傷的に表現している。ここでは、母親への思慕という人間にそなわる根源的な心情が、むく鳥という可憐な動物のイメージをとおすことによって、よりいっそう効果的に高められているのである。
 むく鳥の生態を描くことが主目的ではなく、作者の心情を描くことがねらいなのである。それをもっと有効に表現するものとして、むく鳥という動物が選ばれたにすぎない。作者の心境を託されたむく鳥は、必然的に「動物の皮をかぶった人間」にならざるをえないわけである。
 さて、ある夜なかのことでした。むく鳥の子は、ふと、ぽっかりと目をさましました。すると、カサコソ、カサコソというもの音が、戸口のほうから聞こえてきました。ちょうど、羽のすれあうような音でしたから、思わず耳をすまして、ねているおとうさんをゆり起こしながら呼びました。
  「おとうさん、おかあさんが帰ってきましたようですよ。」
 けれど、おとうさんはすぐ、
  「なあに、あれは風の音なんだよ。」
 と答えて、そのままもとどおりにねこんでしまいました。けれど、むく鳥の子はねむれ ませんでした。
 この部分抜粋からも推察できるように、『むく鳥の夢』でとられている方法は、感情移入による広い意味での擬人化である。しかしここには『こがね丸』にみられるような、単純で便宜的な擬人化はない。つまり、この作品において、むく鳥がとりあげられたことは、それなりの倫理があったということである。そのことは、この作品がもたらす効果からいっても、ある程度のなっとくがいくだろう。もっとも、むく鳥でなくとも作品の成立は可能であるが、作者が訴えようとしている、感傷的で繊細な心の動きをイメージ化するためには、むく鳥の子がよりふさわしかったことはたしかである。
 なお、『むく鳥の夢』にみられる感情移入の方法と結びついて、いまひとつ大正期児童文学に色濃く反映している説話の方法が、この作品を枠づけていることも無視することはできない。そして、その核にあるものは「心情」であり、自己表現である。そこには人間の情緒はあっても、人間と動物の関係はない。しかもその情緒は象徴にまで達していない。 象徴的ということでいえば、片目の白鳥を介して、人間存在および現実社会のきびしさを、意味深く、鋭い象徴性をもって物語っている『白鳥の国』をあげることができるだろう。ここでも、重点は白鳥を描いているかどうかにはなく、白鳥に仮託して物語られている作品の内容にある。
 動物の存在といった観点からこの作品をみるとき、作者は白鳥にたいして愛情を感じるというよりも、冷たくつき放している。そこにあるものは、透徹したリアリストの目である。そのリアルな目は、白鳥の生態をつらぬいて、背後にだぶって映っている人間や現実のありかたにとどいているのである。この作品において、白鳥の生態らしきものがうつしとられているのは、最初のつぎのような部分しかない。
  ある湖のほとりに夫婦の白鳥が住んでいました。両方ともなかなかきりょうじまんで、 しじゅう自分の羽なみや歩き方に気をつかっていました。
  「世の中にはいろいろな鳥があるけれども、おれたち夫婦ほどりっぱな鳥はあるまい ね。」と、夫の白鳥は、赤い長いくちばしで、ていねいにつばさの綿毛をなでながらい いました。
 『鳩と鷲』は、その意味ではもっと極端である。鳩と鷲の対話をとおして、武者小路実篤の思想が語られているこの作品は、鳩が鷲にたべられるという概念だけによりかかってかかれている。ここでの鳩と鷲は、作者の人生観を表現するための手段として存在するにすぎない。
 こうした作品のなかで、もっとも動物物語らしく感じられたのは、わずかに『熊』一遍であった。この作品では、北海道で生まれた私の友達が、熊の話を子どもたちにしているのをきいたという設定のもとに、熊の生態、熊と人間のかかわりが、正面にすえて語られている。もっとも、それもごく短いエピソードが語られているだけで、十分なものとはとてもいえないが、熊を中心にして描いているところは、大正期児童文学としては異色の存在であるといっていい。

                   (3)
 以上のようなことから、動物を素材にとりあげた大正期児童文学の特徴を考えるとき、それは動物のすがた、かたちや、概念的な動物は描かれていても、血のかよった、生きて動いている動物は存在しなかったということである。
 こうした抽象的な動物の登場は、大正期児童文学の観念性、抽象性を象徴していて興味深い。
 では、大正期児童文学に比して、昭和期のそれには、どのような特徴がみられるのであろうか。
 わたしは、それをひと口にいって、生きた動物がまがりなりにも存在しはじめているということにあると考えている。
 たとえば、新美南吉の『ごんぎつね』(昭和七年)に登場する狐のごんは、まぎれもなく一個の動物として、たしかな手ごたえをもって存在している。それはけっして、「動物の皮をかぶった人間」ではない。ごんの背後に人間の影がちらつくことはないのである。もちろん、ごんは作者によって感情移入されている。だが、その感情移入は恣意的・無原則的なものではない。なぜなら、ごんの心の動きは内的な独白としてのみ描かれ、人間とは明確に断絶した存在としてさいごまで押し通されているのである。
  十日ほどたって、ごんが、弥助というお百姓の家の裏をとおりかかりますと、そこの、 いちじくの木のかげで、弥助の家内がおはぐろをつけていました。鍛冶屋の新兵衛の家 のうらをとおると、新兵衛の家内が、髪をすいていました。ごんは、
  「ふふん、村に何かあるんだな」と思いました。
  「何だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮 にのぼりが立つはずだが」
  こんなことを考えながらやって来ますと、いつのまにか、表に赤い井戸のある、兵十 の家の前へきました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人が集っていまし た。よそいきの着物を着て、腰に手拭をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたい ています。大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました。
  「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
  「兵十の家のだれが死んだんだろう」
 ここには、小狐のごんが、人間の世界を認識していくさまが、順序をおって描きだされている。そして、兵十のおっかあが死んだことを知り、「あんないたずらをしなけりゃよかった」と後悔するわけだが、こうした動物と人間の世界の断絶が、『ごんぎつね』という作品がよびおこす感動の、もっとも大きい要因となっているのである。
 『ごんぎつね』はもちろん動物を主題にした作品ではないが、大正期にあらわれた人間と動物とのアニミズム的なかかわりを超克して、人間と動物を峻別したという意味で、動物文学的観点からいっても記憶されていい作品である。
 また、昭和期のいまひとつの特色として、わたしは動物が人間社会のなかにはっきりと位置づけられて、描かれるようになったことをあげたいと思う。それは主として小説的な作品にみられる傾向で、一例としては、アカという犬が、私という少年やその一家との関係のなかで、ゆたかな文学性をもって描かれている『北国の犬』(関英雄・昭和十六年)などがある。
 「アカは発電所で飼っている犬でしたが、おとうさんがひとりぼっちでトンネルばかりみて暮している私のために、つれてきてくれたのでした。はじめ私はアカがあまり好きではありませんでした。耳の立った、尾の短かい、赤茶けた毛色のこの犬は、その北の国の土地がまずしいように、見ばえのしないやせた犬でした。私の家の前にきりたった低い崖山がありましたが、アカはその崖山の赤土の塊を一かたまり、切りとってきてこねてつくったような犬でした」。
 『北国の犬』も、犬の生態を描くことを主目的とした作品ではないが、この文章にみられるように、アカという犬の存在を、主観的、心情的にからめとるのではなく、客観的にとらえようとしているところにその特色がある。ここにはアカをとらえるための、感情移入の方法はない。あるのは犬もひとつの現実として把握しようとする視点である。
 こうした客観的な視点を、さらに明確におしすすめたものとして、『つる』(江口渙・昭和十六年)という作品がある。これは朝鮮の東北のはしにある咸鏡北道の鴈回山で、なん千羽というつるが、シベリア蒙古に帰っていく姿を観察した作品である。つるの生態をこまかく描写しながら、たかとたたかって傷ついた一羽をたすけるためにとった、つるの集団行動の美しさ、たくましさをとらえている。それは同時に、働くものの団結や生きかたのすばらしさを象徴しているのである。この作品は、この時期に生みだされた動物物語のもっともすぐれたもののひとつだとわたしは思っている。
 しかし、昭和期の「動物文学」として、見のがすことのできないのは、椋鳩十の作品の出現である。椋鳩十は、昭和十三年にはじめて少年のための動物物語『山の太郎熊』を「少年倶楽部」に発表し、以来『金色の足跡』(昭和十四年)、『片脚の母雀』、『大造爺さんと雁』(以上昭和十六年)、『月の輪熊』、『金色の川』(以上昭和十七年)、『栗野岳の主』、『猫ものがたり』(以上昭和十八年)と、旺盛な作品活動をおこなっている。いうまでもなく、いずれも日本の風土の動物を主題にした作品である。この椋鳩十という作家の登場によって、日本の児童文学ははじめて「少年動物文学」の専門作家をもつことができたのである。 これらの作品に共通してみられる特色は、登場する動物の生態、習性の鋭い観察と科学的な把握、動物への愛情を基軸とした主題の展開、自然の法則にもとづいた人間とのかかわり、素朴な詩情とヒューマニティーを基底とした、動物の真実の世界の虚構といったことにある。それは「動物文学」として、もっとものぞましいありかたを提示しているといっていい。
 椋鳩十は、みずからの作品についてつぎのように語っている。
「私は、私の作品の中で、出来るだけ真実を描こうと考えているからである。しかし、その真実というものは、自然や人生の模倣という意味ではない。さまざまの素材をもとにして、その素材の彼方に、ちらちらとみえる真実のことである。あるいは、素材をもととして、私の解釈した世界である。(中略)そういう世界の中で、私は、私の描く、さまざまな動物たちを、のそのそと、歩きまわらせたいと考えている。その動物も、ゼンマイ仕掛けの動物でなく、野生のキバをむきだし、落葉の上を、かさこそと、動くような動物たちをである」(『わたしの児童文学』「週刊読書人」昭和四十年四月五日号)。
 生きた動物をかくために、作者は「動物どもの後をおっかけて、山の中を歩きまわり、狩人たちと、いろりをかこんで、夜のふけるまで、狩りや山の話をして歩く」という。その観察調査や聞き書きからえた知識をそのまま正確になぞるのではない。それでは観察記録や学術論文になっても、作者の考える真実の世界をつくりあげることは不可能である。「動物事典や博物館の標本のような、事実としての動物」を拒否する作者の姿勢は、当然のこととして、さまざまな素材や知識を分析し対象化する。そのなかから、作者の設定した主題にそったもの、背後に真実のすがたをただよわせているものをとりあげて、別次元の自分なりの世界を構築するのである。その仮構された世界は、動物の世界であると同時に人間の世界でもあるという関係にある。椋鳩十の動物物語に、新しい創造があるとすればここにある。
 作者によると、その作品をよんだ子どもが「あなたの書かれた『片耳の大鹿』は、どこまでがほんとうの事で、どこまでが、うそですか」という質問をよこすことがあるというのも、おそらくその独自の世界に基因している。そして、このことは子どもたちは、事実を超えた真実のドラマよりも、ときとして、動物の生活や習性の科学的な知識の把握により多く興味を覚えることを示している。
 ところで、動物の世界であると同時に人間の世界でもあるという関係は、けっして動物と人間のアイマイなかかわりを意味しない。その実証として、椋鳩十の作品では、動物と人間がことばの交流をおこなうことがないということを指摘することができる。それは動物と人間が、そう安易に交流することはありえないという作者の体験からきているのにちがいない。だが、動物物語が成立するためには、なんらかのかたちの交流がおこなわれなければならない。でなければ、のこされた道は動物の生態の客観的な記述しかないのである。そこでとられた方法は、対象である動物のなかへ、自分自身を移入するという、いわゆる「感情移入」である。ただ、おなじ感情移入といっても、大正期のそれとははっきり異質で、あくまでも対象である動物は、自然のなかに生きて行動し、科学的な法則性をもって実在しているものである。恣意的、主観的にとりあげられた、借り物の動物ではない。したがって、そこでは感情移入によって「動物の皮をかぶった人間」になりさがることはない。
 このことについて、滑川道夫はつぎのようにいっているが、妥当な解釈である。
「動物は自然の法則の範囲内において、作者の思いを投影して行動し、作者自身のことばをもって行動していく。そこには、生態のきびしさや知的興味は、ポテンシャルな状況を示して沈下する。その代わりに動物と人間とのかかわりあいが、ドラマとなって表面化するところに椋の世界がある」(『片耳の大シカ』旺文社)。
 だが、この方法も当然のことながら限界をひきずっている。動物のなかに自身を移入するということは、とりもなおさず、動物のなかに自己を客観化することにほかならない。しかし、人間の場合とちがって、その操作はかならずしもやさしくはない。ひとつはその対象動物という独自の生活、行動、性格をになった存在であるという点で、いまひとつは、人間である自己を、生き物と同列におくという点で、それはとかく類型的になり、きびしさを失いがちだからである。
 『大造爺さんと熊』の残雪、『月の輪熊』の大グマ、『栗野岳の主』のイノシシなどのすがたには、生きるきびしさがたしかにただよってはいるが、作品全体に流れているものは一種の甘いヒューマニズムである。そこに作者の人間性、あるいは児童文学というものの制限という要素を考えることはたやすいが、おそらくその甘さの根源は、感情移入という方法が必然的にもたらすものであるというのが、わたしの判断である。
 ここから、動物物語の進展の道は、さまざまな動物を素材にとりあげ、その生態の知的興味をもって読者をひきずっていくか、作者の自己客観化をきびしく追究していくかのいずれかが予想される。
 椋鳩十は、戦後になって『片耳の大鹿』(昭和二十六年)、『孤島の野犬』(昭和三十八年)、『大空に生きるワシの子の冒険』(昭和四十二年)などの作品をかき、その道をたどりつつある。いずれにしろ、椋鳩十の動物物語は、それ以後の「少年動物文学」の起点としての位置をしめているのである。

                  (4)
 戦後においても、動物を素材とした作品は数多くかかれてきた。たとえば戦後初期では、『鶴の笛』(林芙美子・昭和二十一年)、『トムの教育』(石井桃子・昭和二十三年)、『あか』(幸田文・昭和二十三年)、『ピオの話』(藤森成吉・昭和二十一年)、『狼タブウ』(奈街三郎・昭和二十四年)、『犬と友達』(坪田譲冶・昭和二十二年)、『どうぶつえんからにげたさる』(佐藤義美・昭和二十二年)、『ツグミ』(いぬいとみこ・昭和二十八年)などがある。もちろん、このほかにもわたしの目にふれないものが多くあるにちがいないが、これらの作品の傾向をかんたんに概括することはできない。いうならば、きわめて自由なかたちで、さまざまな方法がこころみられているというのが実状である。いままでのべてきたような方法が、多様的にしめされ、一度に花開いたという感じがつよいのである。
 擬人化の手法―『鶴の笛』や、動物に仮託して人間を描く方法―『狼タブウ』、動物を象徴化してとらえようとしたもの―『どうぶつえんからにげたさる』、動物の生態を愛情をもって生きいきと描いたもの―『あか』、『ピオの話』、動物を人間社会の一個の存在としてとらえているもの―『トムの教育』、動物を社会的な背景のもとに描いているもの―『ツグミ』、『犬と友達』など、いろいろな角度から動物にアプローチした作品が出現したそのことに、むしろ戦後児童文学のいちじるしい特色があらわれているといっていいだろう。それも、大正期・昭和期の方法の単純再生産ではなく、文学性においても、表現のチミツさにおいても、方法の深化においても、それなりの進展があったことはいうまでもない。しかも、これらの作品のほとんどが、その背後に戦後社会のきびしい状況をはりつけているのである。当然のこととはいえ、ここにも戦後児童文学の特徴が色濃く反映しているのである。
 だが、「動物文学」の視点から考察するとき、これらの作品はあくまでも過渡的なものであって、昭和三十年代に生まれてきた、新しい「動物文学」こそ、戦後児童文学の目立った成果としてあげなければならない。
 いま、それらの成果を列挙するとほぼつぎのようなものがある。
 『ながいながいペンギンの話』(いぬいとみこ・昭和三十二年)、『しんじゅの家』(太田黒克彦・昭和三十四年)、『北極のムーシカ・ミーシカ』(いぬいとみこ・昭和三十六年)、『白いりす』(安藤美紀夫・昭和三十六年)、『山ばとクル』(太田黒克彦・昭和三十七年)、『ブチよ、しっかりわたれ』(竹野栄・昭和三十九年)、『子バトのクウク』(神戸淳吉・昭和三十九年)、『シラサギ物語』(岩崎京子・昭和三十九年)、『マアおばあさんはネコがすき』(稲垣昌子・昭和三十九年)、『銀色ラッコのなみだ』(岡野薫子・昭和三十九年)、『山のウグイス』(岩崎京子・昭和四十年)、『キバの王者』(たかしよいち・昭和四十年)、『ヤマネコのきょうだい』(岡野薫子・昭和四十年)、『うみねこの空』(いぬいとみこ・昭和四十年)、『ボクはのら犬』(岡野薫子・昭和四十年)、『カモシカの谷』(岡野薫子・昭和四十一年)、『シマフクロウの森』(香山彬子・昭和四十一年)、『わたしのカスケ』(岡野薫子・昭和四十三年)、『白い風』(香山彬子・昭和四十三年)、『ジャングルのはこぶね』(神戸淳吉・昭和四十二年)、『ああ五郎!』(柚木象吉・昭和四十三年)、『子どものための動物物語』(全十巻・戸川幸夫)、『椋鳩十動物童話全集』(全五巻・椋鳩十)
 このほかにも、見のがしているものがあるかもしれない。また、動物を主題にしていなくとも「動物文学」にとって重要な問題を提起している作品もないわけではないが、ここではとりあげるだけの余裕がない。
 さしあたり、ここでは二,三の作品、作家を中心にして考えてみたいと思う。
 戦後児童文学のなかで、動物を扱った作品を積極的にかきつづけている作家のひとりに岡野薫子がある。この作家は、『ボクはのら犬』を別にして、いずれも日本のかぎられた土地に生棲し、天然記念物に指定されているような、ほろびゆく動物を素材にえらんでいる。ラッコ、カモシカ、ヤマネコといった、野性味のつよい動物をとりあげ、しかも絶滅していくというきびしい状況を背景にして人間とかかわらせ、ドラマティックな効果をもりあげようとしているところに、そのひとつの特色がある。そして、それらの作品は、動物の生態のきめこまかな観察や孤独な行動をとおすことによって、あるきびしさを生みだすことに成功している。
 作者は自分の作品について、このようにいう。
「人間社会のできごとや人の心のいとなみを動物に託して描くのではなく―― かといって、これまでの動物記とも全く異なったもの、もっと別の角度から、もっと厳しく、人間と動物の、大きな自然の中でのかかわりあいをみつめていこうというのが、私の一つの目標でもあります。このことが、人間そのものを浮き彫りにする上のある手がかりともなるのではないか ―― などと、思ったりしているのです」(『わたしの児童文学』「週刊読書人」昭和四十年六月十四日号)。
 ここには、「動物文学」についてのひとつの立場がある。珍しい動物の生態を細密に調査、観察し、それを科学的に記述することもひとつの立場である。動物をとおして、人間社会や人間そのものを描くこともひとつの立場である。椋鳩十の立場は、これら両者の観点を自己の内部で統一しながら、自分の「詩」を表現しようとするものである。
 では、岡野薫子の立場とはなにか。それは大自然のなかでの人間と動物の存在論的な関心とでもいうべきものである。
 『銀色ラッコのなみだ』では、絶滅していくラッコのかわいい生態と、その毛皮をとろうとする人間を対置し、人間の欲望のおそろしさを描いている。『ヤマネコのきょうだい』は、人間になじもうとしない孤独なヤマネコと、それだけに飼って手なづけてみたいと考える太一少年の対立をとおして、「ヤマネコの孤独な魂、野生の動物の魅力」をとらえている。『カモシカの谷』も、同巧異曲であるが、作者の視点は一歩深められている。それは、たとえばつぎのようなことばにあらわれている。
「一方は猟師で、一方はえものか・・・。うん、それもある。けど、わたしが気にしているのは、もっとほかのことだ。口じゃ、うまくいえんけど・・・、自然のものはな、人間が手をくわえるとそれだけでこわされちまう何かがあるんだな」。「情がうつるのなんのというが、いってみりゃあそいつは、人間の身勝手な気持なのさ。けものとのあいだにゃ、どっちみち、つうじあわないかべがあるのさ」。
 おそらく、作者も「あとがき」でのべている、「野生の動物は、人間が飼いならすことのできないものをもっています。人間とのどんな心の交流よりも、自然に帰るのが、彼らにとって、いちばん幸せなのだ・・・」ということばのうちに、これらの作品に共通するモチーフがあるといっていいだろう。
 そのため、作者は人間と動物の断絶を前提にしながらも、動物の内部にもぐり込んで、その立場を代弁する方法をとっている。だが動物や人間にとって「自然」とはなにかは、まだこたえられていない。自然に帰ることが、動物と人間のドラマの解消であってはならないはずである。この方向をつきとめたところに、象徴化の方法があり、その道の追究はけわしいといわなければならない。
 いぬいとみこも、さきにあげた『ながいながいペンギンの話』のほか、『北極のムーシカ・ミーシカ』、『ぼくらはカンガルー』、『うみねこの空』など、動物の世界に素材をもとめた作品を数多くかいてきた作家のひとりである。
 だが、動物の世界に素材はとっていても、いぬいとみこに、いわゆる「少年動物文学」をかこうとする意図がどれほどあったかは疑問である。もちろん、動物にたいする関心、興味があったことはいうまでもない。それは初期の作品に『ツグミ』という「愛鳥精神」に発した作品がかかれていることや、『ながいながいペンギンの話』(宝文館版)の「はしがき」で、「三,四年前『ナショナル・ジオグラフィック』誌上で、ペンギンのすばらしい生態写真の特集を見て、わたしはなんともいえず、かあいらしい、この南極の住人たちが大すきになりました。そこでいろいろ、その生態をしらべ、一九五四年の十一月から『麦』という同人雑誌に、このペンギンの話をれんさいしはじめたのです」とのべていることからも推察できる。しかし、それはせまい意味での「少年動物文学」をかくためではなく、「リアルな基礎の上に立ち、しかも楽しい幼年童話」をかくためのひとつの手だてであったのである。
 もっとも、だからといって作者の意図にしたがって、これらの作品を「少年動物文学」としてよんで悪いという理由はどこにもない。現にわたしも「動物文学」の問題を考えるうえでの対象にしているわけであるが、ただ、そうした作者の姿勢は、これらの作品を規定していることは確認しておく必要がある。つまり、それはペンギンなり北極熊なりうみねこの生態をとおして、あくまでも人間および人間社会の問題をとらえようとしていることである。それも動物物語をこえて、文学作品として表現しようとしているのである。
 たとえば、ペンギンの生態の調査、観察と、ペンギンへの愛情を直接的な動機とした『ながいながいペンギンの話』をよんでうける感動は、ペンギンにたいする興味もさることながら、やはりそれをとおして読みとる子どもたちのたくましい成長の過程からわきおこってくるものだろう。ここに、いぬいとみこの作品の特色のひとつがある。
 いまひとつの特色は、現代の社会のアクチュアルな問題を、動物の世界とダブラせて描こうとしていることである。『ツグミ』では、ツグミを狩猟の対象とした法案を阻止するために、愛鳥家たちが運動するようすがバックに描かれている。しかし、その延長線上に、「愛鳥精神」と人間社会の問題をさらに発展させた作品としてかかれた『うみねこの空』が、その特徴をもっともよくしめしている。
 青森県八戸の蕪島におこった、うみねこの射殺問題と、そのうみねこを題材にして、すばらしい版画集をつくりあげる中学生の姿をからませたこの作品は、うみねこの世界と人間の世界を交錯させながら、地域社会の問題や中学生たちの就職・進学問題などを鋭くうかびあがらせている。
「ただのノン・フィクション小説や、進歩的な教育美談をかく気はなかった。児童文学をやるいぬいとみこが書く以上、ウミネコたちのものいう世界と、その下の人間の世界とを、交錯さしてかいてみたい」(『「うみねこの空」のうまれる前後』<「日本児童文学」一九六五年十二月号>)という作者の立場を、「動物文学」の観点からとらえるとき、それは動物と人間を社会批判の視点から追究するものといえるだろうか。
 いぬいとみこの作品においても、動物と人間は交錯してもことばによって交流することはない。だが、この両者は、それをおびやかそうとするものにたいして、作者の愛情によってまもられている関係にある。こうした観点は、これからの「少年動物文学」のありかたに、ひとつの示唆をあたえていると思う。
 このほか、戸川幸夫や岩崎京子や神戸淳吉などの作品にふれなければならないが、その余裕がなくなった。ただ、戸川幸夫の場合、それはあくまでも人間の視点から、動物の世界をとらえようとしていることを指摘しておきたい。

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明治から現在までの児童文学作品にあらわれた動物の系譜をたどりながら、日本の児童文学作家が、動物にたいしてどのような基本的態度をとっているか、さらには人間と動物をふくむ自然との関係のしかたについても、ごくかんたんな素描を試みてきた。
 人間の動物にたいする基本的な態度には、大きくわけて二つある。
 ひとつは人間と動物をあくまでも区別し、人間以外の動物を従属すべき存在としてとらえるというものである。この思想の流れは、いわゆる人間中心主義にたつものであり、キリスト教を源とするヨーロッパの思想の特色である。
 いまひとつは、人間と動物をおなじ生命の連続体としてとらえ、人間と動物の区別を絶対的なものとしない考えである。これはいわゆる「アニミズム的」な思考にたつもので、仏教の影響のつよい日本や東洋的思想の特色となっているものである。
 日本の動物をあつかった児童文学作品をこの二つの基本的な態度によって分類するとすれば、いうまでもなく、それは後者に属するといわなければならない。すでにみてきたように、個々の作品や作家においては、人間と動物を区別し、両者を安易につなげないという態度は明確にあらわれているが、非常に大きな観点から、それらの特徴を把握しようとするとき、そこにはかなり鮮明な輪郭をもって「生きもの共同体」という理念がうかびあがってくるはずである。
 その傍証の一例として、前述した「擬人化」の問題をとりあげてもいい。この擬人化の方法は動物に人間を仮託することであり、その前提には人間と動物の相違という考えがあってはじめて成立すべき性質のものである。だが、日本の児童文学においては、きわめて便宜的な擬人化についてはおこなわれても、その徹底的な追究はほとんど試みられることはなかったのである。
 わたしはさきに、感情移入について、それを広い意味の擬人化と規定したが、おそらくこの両者のあいだには微妙な差異があると考えている。つまり、単純にいってしまえば擬人化とは人間中心の立場にたつのに対して、感情移入はむしろ逆に、生きもの共同体の立場においてなりたつ性格のものではないかと判断されるのである。日本の児童文学において、擬人化の物語がそれほどかかれることなく、動物になんとなく感情移入した物語が数多くかかれてきたのも、そうしたことと密接につながっている。擬人化とは、ある意味では子どものものであり、感情移入はむしろおとなのものなのである。
 動物を素材にした日本の児童文学作品には人間と動物のなんらかのかたちでの交流が描かれることが多い。もちろん、動物の生態観察なり、動物への愛情なりが、そこに人間を介在させないかぎりありえず、それがいわゆる「動物文学」を成立させる大きな条件であることを考えるとき当然の現象であろう。外国の「動物文学」にも、たとえばビアンキなどそうした作品は数少なくない。
 だが、日本の場合、なぜ動物だけが登場する作品が少ないのであろうか。動物の世界がはっきりと実在し、動物が主人公になってストーリイを展開させ、しかもたくましい骨格と深い思想性をもったような作品は、きわめてまれだといっていい。あるいは動物と人間が対等の立場にたちしかも動物の特質が論理的に生かされてドラマがダイナミックに展開していくような作品はごく稀少である。
 それにひきかえ、外国の児童文学には、その種の作品がしばしばみうけられる。ごく最近出版されたもののなかからえらびだしても、象の世界を描いたルネ・ギヨの『ぞうの王子サマ』や、ノルウェー児童文学作品で、動物の性格をたくみにとらえて構成されている『ハッケバッケのゆかいな動物』(エイナー)、あるいは、ねずみを擬人化して骨太い構図のもとに物語が進行している『ミス・ビアンカのぼうけん』(マージェリー・シャープ)などがあげられる。いずれにしても、これらの作品においては、動物が自立的にとらえられているのである。人間とのアイマイな連続といったものはない。このことは、おそらく人間中心主義のうらがえしを意味している。
 日本にそうした萌芽がなかったわけではない。前出のいぬいとみこの作品や、人間の心のみにくさをりすに託して描いた安藤美紀夫の『白いりす』などにもその可能性がみられることはもちろんであるが、それ以前にもたとえば、貴司悦子の『蟻の婚礼』という蟻を擬人化したすぐれた作品がかかれており、また千葉省三のナンセンス物語としての『ワンワンものがたり』の例もある。
 「花嫁アリのからだは、生まれた時から雄アリや働きアリのからだの十倍くらいもありました。婚礼の時期がせまると、花嫁アリのおなかや、おしりはますます丸くこえてきます。そしてその大きなからだを、高い遠い空へ運ぶ力のある大きな四枚の羽がはえます。それはちょうど、婚礼の衣装でした。うすいヴェールそっくりに、花嫁の背中にかがやきます。一つの国に生まれる花嫁の数は、二,三十匹です。その内のえらばれた一匹か二匹がもとの国にかえり、ほかの花嫁アリは、婚礼をすますと、めいめい知らないところへ飛んでいって、ひとりで何千匹という子アリを生んで新しい国をつくり、そこの女王となります」といった表現からもわかるように、『蟻の婚礼』は、その生態の正しい観察と、擬人化が過不足なく統一されている作品である。だが、こうしたすぐれた方向は、「生活童話」が主流となっていた当時の児童文学状況のなかで、発展させられずにおわってしまったことは残念なことである。
 「少年動物文学」の今後を考えるとき、わたしは作家の人生観を仮託するだけの便法的な擬人化ではなく、動物の生態の科学的な把握にたった擬人化の方法は、もっとつきつめて生かされる必要があると思っている。日本の文学には、人間と自然との融合のうちに、生きているよろこび生の充実を味わうという伝統がひそんでいる。これは「日本文化におけるアニミズム的伝統」ともいわれ、つぎのような見解もおこなわれている。
 「日本ではアニミズム的心性は、仏教思想、とくに輪廻思想とむすびついて生きのび、近代文学のうちにさまざまな形であらわれる。とくに志賀直哉から尾崎一雄にいたる心境小説には、人間と鳥獣虫魚をおなじ生きものとみなす思考様式が明確に指摘しうる。ここでは人間は虫けらに<転落>するのでなく、虫けらと<和解>するのだ。人間はおのれの卑小さを自覚し、個人としての義務や責任の重荷から解放されて生きものの共同体のうちに自己を還元する。その思想は、西欧の行動的ニヒリズムにたいして、静的ニヒリズムとよぶことができるだろう。そしてこの気楽さ、のんきさの心境こそ、日本人独自の幸福のあり方をしめしているのである」(『鳥獣虫魚の文学』<山田稔『文学理論の研究』所収>)。
 この日本文学に伝統的な「静的ニヒリズム」が、子どもの文学にとってのぞましくないことはいうまでもないが、自然のなかに回帰しようとする志向は、日本の児童文学のうえにも、なんらかの影を落していることは否めない。さきにみた岡野薫子の作品にも、その影はみとめられるし、またたとえば、岩崎京子の『山のウグイス』では、その伝統的なものとの葛藤が描かれていて興味深い。山の自然やウグイスに魅せられた新川薫という少年と、「鳥をかまう気持ちから早くぬけ出せ」といって薫に町にかえることをすすめるおじいのからみや、飼いウグイスに生命をかけているうぐいす師の白石信一郎の姿をみて、「飼いウグイスの声が、なんだか、人間にいじりまわされた、まるでべつの楽器、ふえなんかに思える」と考えている薫が、白石のためにもう一度ウグイスをとりに山へ行く結末など、なかなか味わいのある好短編である。作者は、薫の子どもらしい行動によって、児童文学としての性格をくずすまいと努力しているが、その基調にあるものは、やはり自然の回帰のなかに生の充実をえようとする、日本的思想である。このような「静的ニヒリズム」あるいは「アニミズム的伝統」は日本の「少年動物文学」をその根底において規定している。外国のそれと比較して、スケールの小ささが目立つのも、日本の風土の特質もあるとはいえ、伝統的な思考様式からなかなかぬけだすことができないことに原因している。
 たしかにシートンが舞台とした北米大陸のような広大な自然は日本にはない。したがって、野生動物といっても、その種類には限界があり、生態についての資料も乏しい。日本には、もはや純粋な自然というものは存在しないといっていい。ビアンキの舞台となったシベリアのような、まったく人間から隔絶した自然は、どこにもないのである。日本の自然は、ことごとく人間によって手垢をつけられてしまっている。このような風土のなかで、人間と自然との対立といった観念が生まれるはずがないのである。そこでは、しばしばふれているように、人間は自然よりも上だという観念よりも、人間も自然も本来的に平等なものだという観念が根強くなるのも当然のことである。こうしたところに生まれる文明観、自然観と結びついたところに、日本の「少年動物文学」も成立しているわけである。
 では、日本の「少年動物文学」の将来には、どのような可能性があるのであろうか。わたし自身は、その可能性にたいして、必ずしも楽観的ではないが、にもかかわらずいろいろな方向が考えられるにちがいない。たとえば、神戸淳吉の『ジャングルのはこぶね』のように、「オカピ」といった珍しい動物の生態を素材にしていくことは、日本の場合大きな制約があるが、動物学の進展などから学ぶことによってさまざまな生態を描きわける可能性は、まだまだ開拓の余地をのこしているはずである。
 「動物文学」は、ともすれば類型的なものにおちいりがちであるといわれているが、そうしたマンネリズム化の危険から脱却するためにも、動物の生態の観察とともに、動物にたいする視点をいろいろと設定し、その基本的な姿勢を深める必要がある。
 たとえば、昭和四十三年十一月八日の朝日新聞に、『ネコ族受難時代』という記事がのっていて、ネズミをとらないネコや自動車にはねられ一日のうちにつぎつぎと車輌にふまれて、いつしか「蒸発」してしまうことなどが報告されていた。現代社会のありかたにつれてネコの機能やありかたも、ひずみをうけずにはいない様相がここにはしめされている。わたしたちの身近にいる動物を、こうした社会的観点からとりあげるのも、ひとつのいきかたであると思う。また、ときには象徴的な方法も考えられなければならない。この場合、わたしは『目をさませトラゴロウ』(小沢正)といった作品も視野にいれて考えたいのである。トラならトラ、ゾウならゾウという動物によって、今日の時点からなにを描くことができるかという発想が、もっとつきつめられてもいいように、わたしは考えている。
 いずれにしても、根本的なことは、動物という素材もさることながら、作家の基本的な態度にある。
「たとえどんな題材を選ぼうとも、著者が動物の生態にたいする鋭い観察力と事実にかんする明確な知識をあわせもち、そのうえ生き生きとした、正確な筆力の人であれば、はつらつとして真実味のこもった、センチメンタルでない動物の物語を書くことができるであろう。動物物語というものが、自然界についての知識を与え、説きあかすことを目的とするならば、子どもの興味と好奇心をかきたてると同時に、動物の生態、その真実のすがたを知ろうとする科学心をもつ子どもたちの欲求をも満足させるものでなければならない」(リリアン・スミス『児童文学論』)。
「動物文学の担い手は、第一に作家であることが必要だ。しかしそれ以前に、もっと大切な資格は、動物を愛し動物に関する正確な知識をもっていることだ。シートンは、まぎれもない詩人だし画家だが、それ以前にすぐれた動物文学者であることを忘れてはならない。作家が通りいっぺんの動物に関する知識で動物小説を書くことは、文才も詩魂もない動物学者が動物に関する随筆を書くのと同じだ。どちらも動物文学にはなりえない」(細川忠雄『高安犬物語』)。
 どちらも妥当な見解である。ただ、わたしは、子どものためにかかれる「動物文学」を、あまり幅せまく考えたくない。つまらないレッテルはりが、どれだけ貴重なものを喪失させるかは、歴史が立証している。要は動物を素材にして、文学的にも科学的にも、すぐれた児童文学が、数多くかかれることである。
 そのために、わたしはさきの見解につけ加えて、日本の伝統的な思考様式をどうのりこえていくかを考えてほしいと思う。どのような方法をとるにせよ、そうした方向での努力が、新しい「動物文学」を生みだす基本的な条件ではないかと考えている。それはとりもなおさず、日本の児童文学における近代主義とのたたかいを意味しているはずである。   (「日本児童文学」昭和四十四年二月号掲載)
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