横谷輝児童文学論集1』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

第五章 児童文学と教育

第一節 児童文学と教育をめぐる諸問題

――新しいつながりを求めて――

1 今日の文学教育運動

 現在の児童文学は、いろいろな方面から、かつてないほどはげしい批判を受けている。そのあまりにも強い風あたりに、とまどっている感すらあるが、このような現象は、児童文学にとってある意味では喜ぶべきことであるといえよう。なぜなら、批判の声が高くあがることは、いままで不当に長く、社会や文壇の片隅に追いやられていた児童文学が、ようやく社会の注目をあび、その価値に対して、期待を寄せられていることを意味していると考えられるからである。
 ところで、こうした批判の主なものをあげるとすれば、二つあると思う。そのひとつは、現在の児童文学の不振の原因を、創作方法にあるとして、社会の要求にこたえる作品を生みだすためには、新しい創作方法を、意欲的に探究しなければならないとする、若い評論家の側からのものであり、いま一つは、読者側からのものであって、児童文学の作品は少しも現実の子どもの姿を把握していないという、子どもおよび教師の大きな不信の声を、それとして指摘することができると考える。
 この二つの声のうち、後者の、子どもと教師を含めた読者側からの批判の声は、今後ますますきびしく、かつ高くなろうとしている。
 その要因をなしているものは、子どもの直接的な生活経験から、いろいろな問題をひろいあげ、それを作文にかくことによって、解決していこうとする生活つづり方教育とともに、さらに子どもに文学作品をあたえ、その文学形象を通して、間接的に自分とちがった世界の存在を知らせ、人間生活に対する、より豊かな より高い感動を養っていこうとする、文学教育の必要性によっていることはいうまでもないことであろう。しかもこの文学教育の重視は、必然的に児童文学と教師との関係を密接にしたということができる。もちろん、いつの時代でも、児童文学が子供のためにかかれたものであり、教師が子どもの物の見かた、感じかた、考えかたを豊かにし伸ばそうとするかぎり、教師と児童文学は無縁であるわけがないはずである。しかしこの教師と児童文学との関係は、過去にあっては、たんなるおざなりなつながりに終わっていたのではないだろうか。
たとえば、明治二十年から三十年にかけておこなわれた、ヘルバルト学説などによって、児童文学の教育的な価値がはじめて教育界において認められたといわれているが、その価値も児童文学の持つ教訓性のうえにのみ、多くの比重がかけられている状態で、児童文学を子どもに読ませることに対しては、するどく賛否が両立し、大勢はやはり消極的、禁止的であったようである。こうして教育界の文学に関する偏見は、その当時自然主義小説の持つ享楽的な一面を、まっさきに教師がはげしく攻撃したという一事によっても、端的にあらわれている。だが時代の進展と相まって、教育界においても、しだいに児童文学への意識が高まり、「赤い鳥」の出現とともに、それは大きく充実していったといえる。つまり「赤い鳥」がかかげた童心芸術運動に呼応して、教育界でも文芸教育運動が活発に展開され、論議されるようになった。
この時期にいたって、はじめて教師と児童文学とのつながりは、本格的なものにまでふかめられたということができる。そして、教育の中央集権的な官僚統制に対して、文学の持つ力によって、児童の個性と創造性の解放のためにたたかったことは、意義のふかいことである。こうして作家側の童心芸術運動と、教師側の文芸教育運動は、たがいにその運動を助長しながら、「赤い鳥」時代をきずいたのであるが、このような文芸教育運動も、大勢を動かすことはできず、やがてふたたび国家主義的な教育の下に姿を消していくことになった。
それには多くの原因が考えられるが、そのひとつとして、わたしは文芸教育運動が、多く作家側によって主体的に進められ、教師はその作家側の理論によって実践はしたが、それを押しひろげ、さらには実践からえた結果を、作品のうえに強力に反映するところの、独自の方法と理論とを持ちえなかった弱点をあげることができる。これらの弱点は、運動を大きく進展させることをさまたげ、またその運動を実質的に支えていた作品を批判することを、不可能にしたといっても、文芸教育運動の価値を軽視するのではない。むしろこの「赤い鳥」を中心とした運動は、そのような方法や、理論の弱点を反省する余裕も持ちえないほど熱狂的なところに、その特徴があったのではないかと思う。
では今日の文学教育運動はどうであろうか、現在の文学教育運動は「赤い鳥」時代の文芸教育運動と歴史的に対置するものとして、その現代版の性質をになっているといわれている。だからこの両者には、多くの共通した面が存在している。だがその反面、現在の運動は「赤い鳥」時代には見られなかった、新しい性格を持っていることも事実である。こうした新しい性格は、作家側とともに、より多く教師側においてあらわれ、形成されつつあるように考えられる。
文学教育運動は、まず一九五0年十二月にひらかれた、児童文学者協会の総会において、会の新活動方針としてとりあげられた。それは創作活動や児童文学運動が伸展するためには、作家と子どもたちの橋渡しをする教師と手を結びあい、その教室での実践を期待することなしには、十分な発展はありえないという結論からおこなわれたものであった。このような作家側の積極的な教師への働きかけは、「赤い鳥」時代のより多い芸術家への目の向けかたとくらべて、新しい意味を持ったものであるといえるであろう。これに対して、教師にあっては、文学教育運動とは一応べつに、一部の教師たちによって、作文教育運動が熱心に進められていた、そしてその成果が『山びこ学校』となって出現するにおよんで、ものすごい勢いで運動は全国に波及し、まず教師たちは、生活つづり方によって、子どもの感性や認識を、子ども自身の具体的な生活経験のなかから高めようと努力した。
この作文運動の大きな成果の土台のうえに立って、さらに子どもたちの感性を豊かにし、経験領域をひろめ、客観的な認識をふかめるために、また作文教育のとらえた独自な方法を、よりいっそう強く完成させるために、文学教育が叫ばれ、要求されるようになったのである。このような文学教育の出発は、今日の文学教育の性格を規制し、ひいては、教師と児童文学との新しいつながりをもたらしたと考えられる。

2 教師の積極的な態度
ではいったい、教師と児童文学との新しいつながりは、どんなところにあるのか。
わたしはその第一として、児童文学および文学教育運動に対する、教師の真剣で積極的な態度をあげたいと思う。もちろん、かつて、あの「赤い鳥」時代においても、教師の態度はまじめで熱心なものであったが、それはどちらかというと、外部の熱っぽい掛け声にまきこまれたかっこうで、ともすれば主体性を見失ってうわすべりしがちだったといえる。だが今日では、むしろ冷静ともいえる態度で、児童文学なり文学教育を受けとめ、じっくりととりくみながら教育という自分たちの地盤のうえで、それらの滋味を吸収しようとしているということができそうである。
しかもこのような態度は、当然、文学教育運動の支柱となっている、作品の読みかたやえらびかたのうえに反映し、いまだかつてない、強くきびしい作品評価の態度をつくりあげている。わたしはこうした態度がうまれてきた原因として、現在の教師たちが、作文運動というしっかりとした土台を基礎に持ちつつ、さらに作文運動のなかで、子どもたちとともにふかめられた、社会や人間関係に関する、科学的な認識やするどい問題意識をいだいて、その土台のうえにたしかな両足で立っていることを、指摘したいと思う。
その第二は、教師の児童文学への積極的な関心は、必然的に児童文学に対するいろいろな欠点なり問題なりを発見し、同時に不満の声がよびおこされることになる。だがその声をただ相手に投げかけるだけではなく、その欠点を教師の立場から解明し、進んでよりよき児童文学の創造のために、意欲的に参加しようとして、文学作品の理論的研究や創作活動が旺盛にはじめられつつある点にある。
こうした教師の活発な作品研究は、けっして教師が評論家になるための準備手段でもなく、ましてその創作活動が、文壇への足がためではないことはいうまでもない。教師が、文学の力によって子どもたちに、より豊かな人間の生活にふれさせ、全一的な人間にそだてていこうとするとき、当然そういう方向に適した作品をえらばなければならないし、またもし教師自身が、それらの作品をじゅうぶんに読みとることができず、むしろその逆に誤った内容の把握をして指導した場合、その文学教育は、逆効果になることも考えられるわけである。文学教育が正しく発展するためには、まず教師自身が、高い指導意識を持ち、文学を根本から謙虚に学んでいくことが必要だといえる。これこそ教師が、積極的に作品研究に立ち向かっている根本的な理由なのだということができる。そしてこのような教師と児童文学の関係は、少なくとも「赤い鳥」時代に見られた、あの作品をただ鑑賞したり解釈したりすることにのみとどまった受け取りかたや、あるいはたんに作品を教養の面だけで吸収するといった方向とは、質的に相違した地点で成立しているということができるであろう。
わたしはこの新しい教師と児童文学のつながりの底に、教師たちが児童文学をすべての子どもたちのものに、もっとひろくいえば、国民全体のものにするために、その方法と理論をうちたてようとするはげしい意欲が流れていることを感ずるのである。
しかしこのつながりにも、多くの解決しなければならない問題がひそんでいる、教師と児童文学の新しい結びつきが、さらに密接になり確固としたものになるためには、この両者のあいだに横たわっている、幾多の隙間をひとつひとつ埋めていかなければならないのである。児童文学が大きく進展して、国民文学としての役割を果たしうるかどうかは、この隙間が埋まるかどうかによって決定されるといっても、けっして過言ではないだろう。そしてこの隙間を埋めるためには、教師の側と児童文学者の側とが、たがいに文学の本質という一点に向かって歩み寄り、それを基準として、ともに持つ弱点を批判しあい、また補足しあいながら、この隙間を見つめて進む以外には、真の解決方法はありえないということができる。

    3 作品評価の問題点

教師と児童文学とのあいだに横たわる主要な問題として、わたしは教師の作品評価の問題と、作品を受けとる子どもの力の問題の二つをとりあげて、考えていきたいと思う。
たとえばここに、松谷みよ子氏の『貝になった子ども』という作品がある。この作品は、これといった筋もなく、ごくみじかいものであるが、子どもを失った若い母親の愛情を、幻想と写実のまじった手法でえがいたユニークなものとして、第一回児童文学者協会新人賞をうけている。
ところでこの作品を、低・中学年の子どもたちに読んできかせた。その結果は、ほとんどの子どもが、なにがかいてあるのかわからないという答えをだした。ただわずかの子どもが、死んだ弥一という子どもと、その母親に対して、かわいそうだという反応を示したのみであった。しかもその反応には、作品からくる感動の裏づけを、見いだすことができなかったのである。
わたしはこの事実の前に焦燥を感じ、なんら子どもの心に感動をよびおこさないこの作品は、いったいなんのために、だれのためにかかれたのであろうか――という疑問をいだいた。そしてこの作品を、社会性がないという理由で否定し去ろうとした。だがそのときわたしは、いま一度この作品を読みなおし、一歩後退したところで、この作品を、はたして社会性がないというそれだけの理由で、その作品価値を抹殺してしまっていいものだろうか、どうかを、考えてみたのである。
わたしはこの作品を読んだとき、たしかにある種の感動を受けたのである。その感動がどのような質のものであるかは、いましばらくおくとして、もし子どもたちにも、文学作品をじゅうぶんに読みとる力がそなわっているならば、この作品からも、なんらの感動を受けとることができたのではないだろうかと思われるのである。もしそうだとすれば、わたしたち教師は、まず子どもたちに文学を読みとる力をつけなければならないということになる。この読む力のないところに、文学教育も、まして正しい批評もでてくるはずがないわけである。こうした読む力の浅いところからでてきた批判を、子どもたちの声としてすくいとり、それを唯一の手がかりとして、教師が作品を評価するといった危険も、ここからでてくることになる。
ここに教師の作品評価の態度が重要になってくるのである。もちろん子どもの声は、大いに尊重されなければならない。だがそれは、絶対的なものではなく、しばしば誤った、あるいはかたよったものがあるはずである。それをカバーし、よりふかい、より正しい評価にするためには、そのうえに教師の評価が加わる必要がある。
しかし現在おこなわれている教師の作品評価は、そうした働きを十分に発揮しているであろうか。それはときとして、あまりにも性急であったり、独善的であったりしていないだろうか。いつの時代でも、作品評価の基準というものは案外アイマイなもので、ぜったいに不変だという批評基準などはありえない、とわたしは思うが、現在児童文学に対して使われている批評基準は、だいたい社会性にあるのではないかと考えられる。わたしたち教師の作品評価の底にも、この社会性が強く、アンダーラインとしてあるといえる。
たしかにその作品が、目の前にいる子どもたちの生活に役だたず、高い教育性をひめていない場合、その作品は、児童文学として致命的な欠点を持つものということができよう。けれどもあまりせっかちに、文学の効用性を要求し強調するあまり、文学作品の持つ他の一面、つまり作品によってうける感動が、子どもの内部に蓄積し、それによってしだいに生きかたや考えかたを変革させていくという文学性を無視してはならないと思う。
わたしはさきに『貝になった子ども』を読んで、ある種の感動を受けたといった。その感動はどこからきたものかというと、それは作者が母親の愛情を、いままでにだれもがこころみなかった角度から、新鮮に描いたということと、その内容をささえるユニークな文体によってだということができる。
といってもわたしも文学作品における題材のひろさ、深さ、つまり社会性の意味を重んじるものであるが、文学はその他にも文章の力によって人を感動させる働きを持っているものだということを、忘れたくないと思うのである。この社会性と文学性の問題こそ、教師と作家のあいだにひそむ断層を形成しているのであるが、本来文学における社会性と文学性は、けっして相対立するものではなく、盾の両面のように、ひとつのものとして、文学の本質を形づくっているものと考えられる。かりに教師が創作した場合、その作品は、社会性においては、児童文学作家をしのぐことがあっても、それを作品全体として眺めたとき、やはり児童文学者の作品とくらべて、どこか見おとりすることが多いのではなかろうか。これは文学作品が、内容とともに、それを支える形式がそなわらなければならないことを、意味していると考えられる。
こうしたとき教師は、その作品が子どもたちの生活指導に直接役だたないからといって、せっかちに価値評価をくだす危険をできるだけさけなければならないと思う。でなければ効用性を重視するあまり、警戒しているところの、児童文学の特殊性のうえにあぐらをかいた安易さに、みずからの足でずり落ちることになるかもしれないのである。
児童文学は、その特殊性を無視して成立しえないと同時に、文学の一般的性格からはみだしても存在することができないはずである。そしてわたしは、文学は人間の生命を認識するために、その生命を抑圧しようとするあらゆる秩序に対して、批判し生きる喜びを味わうために存在しているものだと考える。この文学のありかたが、児童文学にあっても、例外でないことを思うと、「変革」のみを重く見て「充実」を無視するようなセクト主義的な傾向は、なんとしても排除しなければならないといえるであろう。
いまひとつ作品評価のうえで、教師が注意しなければならないことは、文学遺産を検討する場合である。文学教育をおこなうとき、その対象となる作品が、現在のものばかりでなく、過去の作品もとりあげなければならないことは、いまさらいうまでもないことである。しかしこの過去の、たとえばプロレタリア童話や、生活童話のなかから作品を選択するときは、現在の作品を評価するとき以上に、慎重でなければならないと思う。なぜなら、それらの作品が、どのような社会環境のもとに、いかなる時代を背景として生みだされたものであるか、などの文学史的な研究、配慮なしに、ただ作品をひきぬいてきて、現在の子どもにあたえ、そのでてきた声によって評価するとすれば、そこからは、けっして正しい結果が導きだされないことは当然だからである。過去の作品を評価するときは、現実の社会をふまえ、同時に歴史的な環境をも考慮し、それらのたがいに密接な関連を持った地点で、評価がなされなければ、その評価はうきあがったものにしかならないことになるであろう。
このような作品評価の重要なことを考えるとき、教師はまず文学がわかるということに全力をあげなければならないことになる。いまわれわれがおこなっている文学作品の研究も、創作活動も、それを前提としてなされねばならないし、またなされるはずである。それとともに教師も、子どもたちといっしょになって、謙虚な気持ちで作品を読まなければいけないと思う。そして「文学による教育」とともに、それと平行して「文学への教育」が、大切にされなければならないと思う。いやむしろ現在においては、「文学への教育」こそ、さきにやらなければならないようにすら考える。

4 現代児童文学の弱点

以上、わたしは教師と児童文学とのあいだにある断層を埋めるために、教師の考えなければならない二、三の点について、自己批判のかたちでとりあげたのであるが、だからといってけっして教師の側にのみ問題があるとは思わない。作家の側にも多くの問題があるはずである。また教師から、作家へ要望したいことも、いえばかぎりなくある。しかしそれがないものねだりに終わることは、さけられなければならない。しかも読者側からの批判が、少しも具体的に作家の創作活動そのものに結びつかず、かえってそれが作家をしばり、かせとなって、その活動を萎縮させるとしたら、それはあまり最上のものとはいえないことになる。もしできれば、読者の批評が、すぐ明日から創作のうえに、なんらかの指針となりうるようなものでありたいものだ。そのためには、作家を敵対視した、つめたいことばの投げあいではなく、できるだけ協力的に、好意を持って発言したいと思う。
たしかにいままでの日本の児童文学には、社会性がはなはだしく欠如している。それは作品のなかにえがかれている子どもの姿を見ればよくわかる。それらの子どもの背後には、少しも社会的基盤がなく、あるものは作者の幼年時代の幻影をひきずった、作者の内部にすむ子どもでしかない。たまに子どもがリアルに描かれているとしても、それは小市民社会の閉鎖的な世界のなかでのみ動いていて、子どもが本来持っている、雄大な空想の世界などには縁遠い存在としておかれているといったありさまである。
こうした弱点のよってくる根源を追求していけば、それは作家ひとりの罪ではなく、日本の近代社会の成立のゆがみにこそ、その罪は帰せられるべきだといえるだろう。封建性を根強くのこしながらも、まがりなりにも形成された近代日本の社会は、ついに近代的な形では普遍的児童性を持つことを許さなかったのである。そのために、作家と子どものあいだに共通の基盤がなく、それを無理に求めようとすれば、作家はみずからの内部世界によるしかほかに方法はなかったのである。このような子どもとの共通の地盤を求めようとすることの困難さは、現在においてもそうたいして少なくなっていない。しかも伝統という歯車のなかでしか地についた仕事が生まれてこないことを考えるとき、現在の多くの作品が、過去の欠点をいまだにぬぐいきれないで、古い殻を背おっていることは当然のことであろう。
こうしたところから、現在の児童文学作品は少しも現実の子どもの姿を描いていないという不満がでてくるのだと考えられる。事実、作家は子どもをあまく考え、あまりにも美化し、単純化しすぎて、現実に生きる子どもの複雑な面を見のがしているようである。このような作家の児童観が、子どものみにくい面にもたくましい面にも、日頃接して知っている教師たちをいらいらさせ、その手ぬるさにがまんならない感じをいだかせるのである。しかしだからといってただ子どもの現実に生きている姿をえがけ、社会性を持たせよというかけ声だけでは、けっしてそのような作品はうまれてこないことも、またたしかなようである。
問題は児童文学を、より新しい地盤のうえに解放しなければならないのである。この問題はひじょうに困難なことであるが、たとえむずかしくとも、そのための地味な努力なしには、いつまでたっても児童文学のよりよい創造はありえないということができるであろう。そしてこの新しい地盤を開拓するものこそ、すぐれた児童文学の読者を数多くそだてようとするところの文学教育でなければならないといえる。しかもそれはまた文学教育を推進させる教師のはたさなければならぬ大きな仕事でもある。
ところで、現在の文学教育運動は、この大きな仕事をはたすためには、まだまだ微力な働きしか持っていないといわなければならない。なぜならいまのところ文学教育は、生活つづりかた教育にくらべて、きわめて弱く、あの「赤い鳥」時代の文芸教育運動以来の伝統的な弱点である運動自体のもつ浸透力の希薄さが、現在においても、ほとんど克服されていないのである。文学教育運動の地道な普及なしには、その教育の効果も期待することができないことは、いうまでもないことである。そのうえに、まだ十分に児童文学に対する、子どもの声を、組織的にくみとる方法が確立されていないのである。ただ一部の教室における実践の結果のみでは、それは強力な声となって、作品のうえに働きかけることは不可能である。このためにも運動を広範囲にわたって展開し、浸透させ、できるだけ多数の子どもの批判を盛りあげていくことが必要である。そして教師は、そうした子どもの声をもとにして、具体的な資料を作成し、それを作家の側に提出して、創作の参考に供すべきだといえる。いままでにはこうした努力が比較的少なかったようである。今後、教師は作品研究とともに、文学教育運動を強力に、しかも根づよくおし進めていくための努力がはらわれなければならないと思う。
このようにすぐれた読者をもたないかぎり、児童文学の大きな進展を望みえないことを考えるとき、作家の側でも、自己の内部にのみ児童像を追求するといったせまい自己中心性を脱却し、ひろく現実の子どもの姿に接触して、教育の面にもふかい関心を寄せるべきだと思う。なぜなら児童文学者の仕事も、直接間接に教育が向かおうとしている未来の可能性につながっていると考えられるからである。

ともかく教師と児童文学との強力な結びつきなくして、日本の児童文学の発展は考えられない。だが現実にはまだまだその環は弱く、両者のあいだには根ぶかい断層が横たわっている。この断層こそ、教師も作家も率直に見つめて、せばめるための努力を根気よく続けなければならない。それには、教師と作家がたがいにその立場と仕事を尊重し、しかもなお両者のあいだに共通する広場を求めて、児童文学のよりよい創造のために、協力するしかほかにないように思われる。
児童文学は、教師のなぐさみものであってはならないし、また作家のアクセサリーであってもならないのである。子どもの、否、国民全体に共通する社会のものにまで、大きく成長させなければならないものである。
それを支えるものは、教師と児童文学者とが一体となった、有力な児童文学運動であることはあまりにもあきらかなことである。

(『戦後文学教育研究史』下巻・昭和三十七年九月所収)

テキストファイル化武田佳子