『横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
現代児童文学への問い
その中間小説的傾向について
(1)
近頃、わたしの内部では、あるがままの日本の児童文学の現状に否応なくかかわりあっているうちに、そのあり方について、どうにも納得がいかないもの、気がかりなもの、あるいはそれが、いまもたなければならないような児童文学ではなくなりつつあるような、一種の不満に似たものが、自身でもよくその正体がつかめないまま、残滓のように沈殿してきている。
いつかは、それをすべて吐きだして整理し、明瞭な形をあたえてみたいと考えているが、いまとりあえず、そのひとつの側面についてだけとりあげ、現代児童文学への問いの形で問題提起をしようとして、なんとなく口が重くなる感じがしている。
山本健吉は、昭和三十八年八月号の「新潮」で、『低声の批評家たち』という文章をかき、現在五十歳を越えた批評家たちは、「今日の文学的状況に絶望的なものを感じ、追いつめられた自分を意識し、言葉は勢い低声にならざるをえなくなっている」という。まだ三十歳を越えたばかりで、かならずしも「追いつめられた自分を意識」しているわけではないが、わたしにも、これと似た低声でしか語れない思いがある。
その一つには、現代の児童文学について、わたしがあれこれいってみても、ただいってみるだけではないかという空しさがある。それに、他人のことをあげつらう資格が、自分にどれほどあるのだろうかという反省もないではない。また「批評家が作家の無責任をいいたてればたてるほど、その言葉は批評家自身に帰ってくる」(同上)ことにたいして、どう責任をもつかという不安もある。
そして、それらの背景には、自己の言葉に責任を負おうとする批評行為が、そう容易なことでは許されないほど、現代の児童文学のおかれている状況が、きびしく、かつ困難だということがある。
もっとも、「裁断批評」の害毒や不毛を恐れなければ、オクターブの高い言葉で、現代児童文学をオール否定することは、けっしてむずかしいことではない。だが、人間的な行為としての、責任ある批評は、痛烈な事故批評や、自分の主張する論理を一方に置いて否定するぐらいの覚悟なしにはなりたたないのである。
しかし、このことは批評が卑屈であっていいということではない。いくら低声だといって、ボソボソとしたつぶやきでは、批評の責任もとりようがないわけである。また、いってみるだけの空しさを克服する努力なしに、口をつぐむことも無責任な放棄以外のなにものでもない。
いまここで必要なことは、結果にたいして責任を負おうとする行為だけである。全ての問題に確信のある解答を提示しうるものがどこにいるというのか。わたしは勇気をだして人間的な行為にふみきらなければならない。
(2)
戦後の日本の児童文学は、一時期ジャーナリズムで使われた「さまよえる児童文学」という言葉に象徴されるように、そのあり方をめぐって、さまざまな論議・主張がかわされてきたことは、周知のとおりである。
戦後、児童文学の出発にあたっておこなわれた、「平和と民主主義」を基調とする民主主義児童文学運動をはじめ、長篇少年文学への志向、あるいは「近代的『小説精神』を中核とする『少年文学』の道」をめざして旗をふった早大童話会の「少年文学の旗の下に」宣言、それをきっかけにまきおこされた童話・小説論争ないし未明否定論争、さらには、それらを整理し、おし進める形でおこなわれた「子どもと文学」による人びとの、近代日本児童文学にたいする否定的見解等々。
これらはいずれも、多かれ少なかれ、わが国の伝統的な童話文学のもつリアリズムの批判と否定の上に、新しい児童文学のあり方あるいは進むべき道を開拓しようとする試みからひきだされてきたものであった。そしてこれらの主張に積極的に参加した人びとが、意識的、無意識的に目指そうとしたところのものは、「日本」と「近代」という条件のなかで、ゆがめられてきた童話文学理念にたいして、いわゆる近代文学の本来の次元を確立し、物語性と社会性を、日本児童文学においても実現することであった。いいかえれば、明治以来日本の児童文が子ども読者から孤立してきた状態をどのようにして打ち破り、児童文学と子どもを結びつける新たな関係をどうつくりだしていくかという課題に答えようとすることであった。
こうした動きは、けっして新しがりやのものずきや、単純な好奇心から生まれてきたものではない。敗戦という激しい社会変動を契機として、わが国の社会のあり方と密接にかかわったところから生じてきた、きわめて根本的な衝動のあらわれであって、遅かれ早かれ、いずれはおこってこなければならない性質のものであった。
もちろん、児童文学と子どもの孤立の関係が、マス・コミという文学の外側からの働きによってかなりの程度打開されたという事情は多分に考慮しなければならないとしても、物語性、社会性への要求は、いわば時代の文学的要求として形づくられてきたという必然さが、そこにはたしかに存在していたのである。
おそらく、今日からみれば不備の目立つ「少年文学の旗の下に」宣言や未明否定論が、大きなショックをあたえ、論争の波紋を拡げえたのも、こうした条件なしに考えることはできなかったはずである。これら伝統的童話文学にたいする批判が、過当なともいえるほどの力をふるい、その権威にたいして重大な打撃をあたえ得たのは、あるいはそれ自体の価値というよりも、童話文学のもつリアリズムの欠陥があまり大きかったためだといっていえなくはないのである。
ともあれ、童話伝統批判は、かつてに本の児童文学がもちえた理想像をつきくずし、その主流的地位が童話から小説へと「移行」することに大きな役割をはたした。今日、かかれている作品の大部分が小説であり、しかも長篇小説であるという現象が、それを如実に立証している。
わたしはこのような現代児童文学の動向を、日本の児童文学の近代化ないし再近代化の動きとして規定したいと考えている。
ところで、こうした近代化への動向は、日本の児童文学にとって一つのしんてんであると考えるのが通常であろう。わたしもできれば素直によろこびたい。だが、そう手放しでよろこんでもいられないという気がしている。どこかに、危険な落し穴がひそんでいるような不安を覚えるのである。
それを一口にいってしまえば、戦後の児童文学が目指してきた意図なり方向なりが、今後の日本の児童文学を支えるにたる基盤ないし、新しい文学創造の場として、成熟しうるのか、どうかという疑問である。それが不徹底なままに流産してしまうのではないかという危惧である。
あるいは、これはわたし一人のとりこし苦労であるかもしれない。だが今日の児童文学には、そうした挫折の徴候がすでに一部にあらわれはじめているのではないだろうか。それもしだいに濃厚になりつつあるように思われてならない。
(3)
いま具体的な作品に即して分析する余裕はないが、そのもっとも端的なあらわれの一つとして指摘できることは、最近の作品にみられる中間小説ないし風俗小説化への傾向である。
わたしは、こうした傾向のなかに、かつて伝統的童話文学の持っていた弱点が、さまざまな批判や曲折、混乱を経ながらも、いまなお、根本的にはほとんど克服されることなく、そのままうけつがれているという不思議な現象を発見する。いったいこれはどういうことなのであろうか。
もし、戦後の児童文学が目指した方向が、その帰結として、中間小説や風俗小説しかうまれないとしたら、これほどコッケイなことはない。
なぜなら、中間小説、風俗小説は、現実と読者にたいする本質的な軽視しかもたらさないからである。
といって、わたしは、なにも現代の児童文学作家が、意識的に読者を軽蔑し、あるいは迎合して、中間小説、風俗小説をかこうとしているというのではない。まして、そうした傾向が、作家の才能や心がけの堕落によって生じたと非難しようとは思わない。
むしろ、つぎのような多分に便宜主義的な発想をもった主張の下に生まれてきた作品であっても、それが子供と結びついたところで仕事がおこなわれ、できるだけたくさんの読者によろこんで読まれたいという、作家であればだれしももっている基本的な執着にしっかりと支えられているならば、そのことの意義を十分に認めようとするものである。
「大人の小説に、純文学と大衆文学があり、戦後その間のミゾをうめて大衆文学のような筋の面白さと、純文学の文学精神とを総合統一した文学作品――中間小説が生まれたと同様に、児童文学においても、この際、中間小説があらわれるべきではなかろうか。多くの児童に読まれるためには、どうしてもこの中間小説があらわれなければならない(高山毅『通俗少年小説の再検討』)
ところで、大人の文学における風俗小説は、横光利一の「もし文芸復興というべきことがあるものなら純文学にして通俗小説、このこと意外に文芸復興は絶対に有り得ない」(純粋小説論)という主張に賛同した運動から生まれてきたといわれているが、今日の児童文学にみられる中間小説、風俗小説化の現象も、高山毅の主張に忠実に応えようとしたところから生まれたのではないかとかんぐられるほどである。その意味では、この主張はあまりにも予言的であったということができる。それはともかくとして、こうした通俗小説的作品を生むいま一つのきっかけが、「子どもと文学」の主張するところの、「児童文学は、なによりもまず『おもしろくて、わかりやすい』ものでなければならない」という論理が、きわめて皮相的にうけとめられたところから、導きだされてきたという考えもかなり広くにある。
わたしにも、そのことは用意に推測できることがらである。だが、それらはあくまでも一つの要因であって、その根本的なものではないと考えている。
わたしの考えでは、その根本的な要因は、戦後の児童文学運動が、伝統的な童話文学を批判しながら、その実態を根底から把握することがなかったため、新しい明瞭な理想像あるいは文学理念をもつにいたらず、真の文学運動としての力を発揮しえなかったことにあると思う。
わが国の近代児童文学のあゆみは、きわめて大雑把にいって、読者から孤立していく過程としてとらえることができると同時に、その反面では、「童心」という文学の理想を信じることによって、わが国の封建社会の秩序に反逆し、自我の確立をはかろうとする苦しいたたかいの連続としてとらえることができるのではないか。
その典型的な事例が、未明の場合であることはいうまでもないが、未明は「永遠の児童性」という守るにたる文学の理想を自己の内面に見出し、それをはげしく憧憬する心情を書くとして作品を形成した。
したがって、それは読者である子どもを直接に目指すことよりも、まず不合理な世間や古い慣習に屈服せず、自己を生かし貫くことに、その大きな目あてがおかれていたのである。未明の文学は、なによりも、こうした反俗精神の産物であった。そして、未明の文学が、いまなおある種の読者に感動をあたえるのも、わたしたちが、今日でも義理人情や封建的な秩序にとりまかれ、自己をまげないで生きぬくことがきわめて困難であるという社会のなかで生活しているため、不合理にたいする反抗や怒りを基調とした作品が、それを読む人にある解放感を味わせてくれるからである。
このように未明は現世を拒否することによって、まがりなりにも行為者、認識者としての自己を確立したが、反面、その結果としてかかれた作品には、強い閉鎖性があらわれ、読者である子どもから切り離されるという犠牲を強いられたのである。
戦後における伝統批判が、主としてこの未明の文学の閉鎖性に重点がおかれたことは、いまさら指摘するまでもないが、問題はそうした閉鎖性が生まれてこなければならなかった根拠について、日本の近代社会の特殊な歪みとの関連のなかで徹底的についきゅうされてこなかったということである。このことは、その批判が、伝統とのギリギリの対決をどこかアイマイなところをのこしたまま、さけて通ってしまったことを意味するのではなかろうか。
おそらく、このあたりに今日の児童文学にみられる中間小説化への傾向が生まれてきた根本的な要因があったと思う。
たしかに、伝統の批判が、未明の作品の閉鎖性をつき、その自我の非社会性を指摘したことは正当であった。だが、その批判は、未明がまがりなりにももちえた統一のある自我をのりこえるだけの人間像を裏づけることができなかったのである。したがって、わが国の児童文学のほとんど唯一の理想像であった「童心」が、時代的必然性をもって否定されたとき、作家の内部から信じるにたる理想像ないし理念が、見失われてしうまうという事態が生じた。
もっとも、戦後の児童文学においても、文学理念らしきものはいくつか提出された。例をあげれば、民主主義児童文学がかかげた「平和と民主主義」の理念があり、また「子どもと文学」が提出した理念がある。しかし、前者は政治的主張がそのまま文学上のスローガンに適用された弱さが止揚されないまま、文学理念にまで高められず、後者は欧米児童文学理念から学んだものを、日本の児童文学にあまりにも技術主義的に適用しようとする甘さがぬぐいきれず、新しい文学理念となるには、はじめから一つの核が脱落していたのである。「イデオロギーや現代課題」の不要という主張が、それを端的にあらわしている。
わたしたちは、いま自分の仕事の目指す方向やその意味について、確信がもてないという作家にとって、きわめて危険な場所に立っているのではなかろうか。なぜなら、自己の内面から、信じるにたる文学理念や守るべき理想像が喪失した作家のたどる道は、通俗文学への斜面をすべり落ちていくしかないからである。
このようにみてくるとき、戦後の童話伝統批判がなしえたことは、結局ただ童話文学理念をきずつけたのみで、それを根底から克服することができなかったのである。それはいうまでもなく、「童心」にかわるべき理想像を明確に把握しえなかったことからくる当然の結果であった。
いいかえれば、児童文学概念の革新が、ほとんど時代的な必然性によってのみもたらされ、かならずしも十分な思想的な準備をもっておこなわれなかったところに、現代児童文学の悲喜劇があるのである。
(4)
では、現代児童文学が演じている悲喜劇は具体的にどのような様相をあらわしているのであろうか。
それを比喩的にいうならば、なんらの準備や道具もなしに、けわしい岩壁をよじのぼろうとしている姿に似通っている。
わたしたちは、もはや未明が自己の内面の「童心」を信じたようには、自我を信じることはできなくなっている。その自我を足がかりにしては、新しい文学創造がおこなえないことを意識している。たとえば、新しい児童文学のあり方をさぐろうとする主張のいずれもが、未明にかえれといわないことは、そうした意識のあらわれであると考えてほぼまちがいはない。
この意味では、わたしたちの自我はすでに解体してしまっているのである。だが、これはけっしてマイナスばかりではなく、ある意味ではプラスでもあった。なぜなら、未明が現世を拒否して社会の外側に自我を確立したのとは逆に、自我を社会の内側において、他人とのかかわりのなかで確立しうる可能性がそこにあったからである。つまり、それは自我を社会科するチャンスでもあった。
このことはまた、戦後の児童文学運動が目指してきた、本来のリアリズムが成立しうる、あるいは物語性、社会性をとりもどしうる出発点に、わたしたちがおかれていたということでもあった。
したがて、この出発点において、わたしたちがまずやらなければならなかったことは、現世のなかにあって、他者とかかわりあいながら、社会の不合理や古い秩序、慣習を低声しようとするたたかいのなかで、解体した自我を再建することであったはずである。
ところが奇妙なことに、実際におこなわれたことは、そのような方向での自我の再建ではなく、解体したままの自我でもって、「社会」にいどみかかるということであった。その結果が「社会」にたいする無条件な信仰となり、全面的なもたれかかりとなってあらわれてくることは、あまりにも当然のことであろう。
ちょうど、そこには未明が「童心」という観念にもたれかかったのと裏腹に、「社会」という観念へのロマンチックなよりかかりがあった。
しかも、その信じようとする「社会」の実体は、高度の資本主義の発達にともなう、ゆがめられた大衆社会状況としてのそれであり、表面的な世俗風景でしかなかったのである。
このように、解体した自我をほとんど意識せず、周囲の社会風景だけを信じようとする矛盾から必然的に生じるものは、働きかける怒りをもたず、したがって批評も諷刺もなく、ただ世俗的な善悪の判断でもって、現実を処理しようとする弱さである。あるいは、まるでひっかかりを感じさせないすべすべした文体である。
そこでは、作者は現実と主体的にかかわろうとせず、自分をかわいがり、他者の存在をあまり認めず、自分に都合のよい独善的な解決だけが示されるのである。今日の児童文学作品に一般的にみられるヒューマニズムの実態は、このような質のものであるが、この常識的な判断で、はたして現実の問題が、どの程度に処理しうるのであろうか。
もし、現実のなかで問題が、こじれ、どうにも解決がつかないようになると、このヒューマニズムというやつが、簡単に話をつけてくれるということになれば、これはもはや一種の現実逃避でしかないのではないか。このような現実処理が、テクニックとしておこなわれるところに、もっとも典型的な中間小説の技法がある。
問題は、この現実のさまざまな矛盾にぶつかって処理を迫られたとき、そこからかんたんに実をかわしたり、無視したり、逃避したりしようとせず、どのように困難であっても責任をもって解決しようとするかまえや、考えがあるかどうかということである。
わたしのみるところでは、今日の児童文学の多くは、実質的にそうした考えを否定しているとしか思えない。しかし、これは前にものべたように、けっして作家の心がけの問題といった単純なものではなく、日本人の基本的な発想にかかわることがらである。用意に解決を見出しえない大きな問題であることはいうまでもないが、だからといってただいつまでもそのままにしておいていいというわけのものではない。
わずかずつでも、現状をかえていく手がかりをつかむ努力はしなければならない。児童文学にあっては、その手がかりはやはり、童話文学のもつリアリズムを変革していくことであろう。
ところで、童話文学のもちえたリアリズムは、リアリズム本来の他人や社会を把握するための技術であるというよりも、自己の内面や心情を描くためのものであった。そして、本来のリアリズムが、作家の人生、社会についての思想なり判断力によって支えられているのにたいして、童話文学のそれは感覚にすぎない。
今日の児童文学の多くが、社会にいどみながら、結局のところ、事件をともなった社会風景ないし世相しか描きえないのも、思想的、論理的な思考をもって、社会、他人の関係を追求せず、ただ感覚だけで表面をなぞったにすぎないからである。
いまさら、いうまでもないことであるが、わたしたちが、他者とのかかわりのなかで行動し、その他者について、あるいは事故についてさまざまなことを近くしながら生きていくことができるのは、そこに思想なり判断力のはたらきがあるからである。
現代の社会において、どうにか調和をたもちながら生きるためには、なんらかの形で、この思想と判断力がとらえる抽象の世界を信じることなしには不可能である。こうした抽象的なものによって動かされている現代の人間なり社会の現実を、感覚だけでとらえようとすることが、いかに不適当であり、矛盾したものであるかはいうまでもない。
こうした矛盾は、読者である子どもとの結びつきにおいても露呈している。
かつて、「現代っ子」をめぐって、いまの子どもの金銭にたいするドライな考え方が論議の焦点となったことがある。もちろん、そこには現代社会のゆがめられた面の現象的な反映といった要素が多分にあったが、反面子どもの思考の底には、現代の社会に生きる人間が金銭という抽象的な存在によって、いかに深く支配されているかを、本能的、直感的にかぎとり、現代の社会ではまずこの抽象物の存在を信じることが、よりたしかなことであるとする判断がはたらいていたにちがいないのである。
このような判断が、大人の眼から味気なく危険なものとして写ったとしても、そのために、この子どもの判断のはたらきを無視し、否定しては、おそらく子どもを説得することはできないだろう。もし、あえて大人の郷愁的な精神主義をもってそれをおこなうとしても、見事にしっぺ返しをくうのが関の山ではないだろうか。
この子どもたちの判断なり考えなりを、論理的にとらえようとしないところでは、子どもはせいぜいマンガをよろこんで読む程度の存在としてしか眼に映ってこないのである。ここから、読者は自分の作品をよろこんで読んでくれるはずだという、甘い考えが作者にしのび込むのには時間がかからない。子どもとはこの程度のものだという既成観念の上にあぐらをかいて、現実にたいするあまい見方や解釈で、事件や行動を描くとき、子どもたちはたちまち、そこに大人のずるい回避や虚偽を鋭く見抜いてしまうはずである。わたしは、そうした経験から、創作児童文学を信用せず、読もうとしなくなった子どもをなん人か知っている。
ここにはあきらかに、読者にたいする軽視がある。中間小説化とは、そうした読者とのなれあいのあらわれであるといってもいい。今日の児童文学にみられる混乱も、一つには読者との孤立の関係が、上からマス・コミによって破られたのみで、ほんとうにあたらしい読者を発見することによって克服されてこなかったからである。
これらのことを考えるにつけても、わたしは、過去もそして現在も、わが国の児童文学があまりにも心情的、感覚的であったと思わないわけにはいかない。これからの児童文学はもっと論理的である必要があるのではなかろうか。たしかに今日の児童文学は、表面的には、小説形式がとられているが、実質は童話文学のそれと同じく一本のメロディによってつながっている心情的な物語にすぎない。
日本の風土や文学伝統のなかでは、論理的な人間思考を確立し、それを書くとした文学をつくりあげることは、きわめてむずかしいことである。それはともすれば文学の破壊と不毛をもたらす危険にさらされている。だが、それをおそれていては、新しいものをそうぞうすることは不可能である。
ただ、その場合、日本の伝統文学のもっている「芸」のはたらきや、わたしたちが生きている擬似近代社会のもつ古い条件を無視してはならない。伝統との結びつきを拒否したところからは、文学の成熟などありえないからである。しかし、だからといって無媒介名伝統への回帰は、わたしたちをふたたび心情の世界へひきもどし、一種の不毛におちいらせるだけであろう。
そこでは、夢や抒情というよりまえに、まず困難ではあっても、論理的な思考による人間追求が確立されなければならないと、わたしは考えている。そして、その追求が、たとえば「近代」と「日本」という条件のなかで、未明がおこなった苦しいたたかいをも大きくくみこみ、それを批判し発展させるかたちでおこなわれるところに、一つの可能な方向が見出されるのではないだろうか。
おそらく、いまの子どもの心を動かすことができるのは、叙情よりも論理ではないかというのがわたしの推察である。
(「日本児童文学」昭和三十九年4月号掲載)
テキスト化山本綾乃