『横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
リアリズムの可能性
1 リアリズム論の深化のために
(1)
「子どものために二流の物語を書く作家たちは、社会改良のテーマを選ぶことが多すぎる。たぶんそれは、子どもの本というものが、おとなによって書かれるからであり、一般のフィクションのように、おとなが、ほかのおとなのために書くのではないからである。子どもに楽しみを与えるために、ストーリーを物語るよりも、おとなとしての自分の関心をひく問題を説くために、ストーリーを書くことに熱心な作家が多い。」
これはさきほど日本でも出版された、L.・H・スミスの『児童文学論』の一節であるが、これはリアリズムの問題を考える上で、一つの核心的なことがらを提示している。しかも、興味深いことは、これと似た状況に今日の日本の児童文学がおかれているということである。もちろん、このような言葉によって、いまの日本の児童文学の実体がとらえられるわけのものではないが、ある程度の妥当性をもってひびいてくることは否定することができない。
ここ数年来、かきつがれてきた児童文学作品の多くが、現実社会の諸矛盾をテーマに選びながら、その質的内容において未成熟なものにしかなりえなかったことは、その理由はどうであれ、たしかな事実である。なかには、月並化したパターンによって、中間小説ないし通俗小説的なものに堕している作品も、けっしてすくなくないのが実情である。
こうした作品にたいして、あるいはこのような状況について、いまさまざまな観点や立場から、批判や否定的見解が提出されているのも、むしろあたりまえのことで、かつ正当な動きだといわなければならない。
試みに、そうした批判のタイプを、ごく大雑把に整理してみれば、およそ、つぎのようにわけることができるように思う。
(1) 外国児童文学の理念や方法を基準にしたもの。これは立場としては古典的な色合いが濃い。
(2) 大衆児童文学という考え方にもとづいて、いわゆる児童文学はおもしろくなければならないという立場に立つもの。
(3) 児童文学は美的で、抒情ないし、詩的なものでなければならないとするもの。
(4) リアリズムの立場に立つもの。これはリアリズムの再検討を通して、その可能性を深めようとする立場のものも含む。
(5) また明確な主張とはなっていないが、「想像力」とか「ナンセンス」とか、あるいは「行動主義」、「実存主義」などの視点に立って、児童文学のあり方をさぐろうとするもの。
これらをもし、あの有名な平野謙の図式をかりて分類すれば、さしずめ、(2)は文学おもしろさ説、(3)は文学純粋説、(4)は文学アクチュアリティ説にでもなろうか。そして、(1)は石井桃子氏をはじめとする「子どもと文学」による人びと、(2)は上笙一郎氏の主張などに代表され、(3)は案外数多いと思われるが、さしあたり最近では「日本児童文学」七月号にあらわれた『現実的テーマ作品にみる非文学的傾向』(西本鶏介)といった論文が、かなり、その立場を代弁している。なお、(4)は古田足日氏、鳥越信氏、神宮輝夫氏などの考えによって代表されており、わたしなどもここに分類されるだろう。
いずれにしても、こうした分類は便宜的興味的なもので、誤解されるおそれがないでもないが、それぞれのタイプは互いに関連しあい、影響しあって、単純でない様相をしめしていることは、あらためてことわるまでもない。
ところで、こうした立場からの批判や主張が、それぞれの児童文学のあり方にたいするイメージにしたがって、現代の児童文学をとりまく状況をどう変革し、打破していくかというきわめて困難で切実な要求から導きだされたものであると、一応はいっていいだろう。
ただ問題は、これらの批判が、どうような文学思想のもとに、また、どうのような姿勢のもとにおこなわれているかということであり、さらにいえば、それとの関連でその批判が現状批判にどのような有効性をもつかということである。
いいかえれば、あるがままの日本の児童文学にどこでどのようにかかわろうとしているのかということであり、またひとりの日本人として、日本の歴史的な現実にどこでどうかかわりあっているのかという問題である。
たとえば、外国児童文学の理念や方法に学ぶことも、大衆児童文学がめざすおもしろさや、子どもをひきつける魅力をもつことも、ゆたかで純粋な詩精神や想像力を自分のものにすることも、日本の児童文学をたくましく太らせていく上に、かかすことのできない要素であり、わたしたちは、どうしてもそれらをもたなければならないと思うが、それらがあるがままの日本の児童文学と鋭く切り結ぶところで問題が論じられず、いわば歴史離れしたところでいくら美しい理念や方法が叫ばれ、しゃべりちらされても、おそらくなんの有効性ももちえないのにちがいないのである。
わたしたちの児童文学が進むべき道がたんなる言葉のあやつりだけで、切り開かれるほど甘い状況にないことは、今までにやかましいほどいわれてきている。にもかかわらず、その尻馬にのってまで、さらにつけ加えようとするのは、今日の大衆社会状況の顕著なひろがりのなかで、深刻な危機が陰微なかたちでひそみかくされ、それを反映した文学現象も複雑多岐にわたって混乱し、どこに積極的な側面があり、否定的な側面があるかが、きわめてあいまいなまま混在しているからである。
わたしはさきに、さまざまな観点からの批判が、日本の児童文学の発展の方向を模索する過程で一応生みだされてきたにちがいないとはいったが、それが真に可能性への手さぐりであり、変革へのこころみであるのか、あるいは逆に実体を喪失した言葉のみで、やがてはなしくずしに解体への道をつき進むものであるかは、まずなにをおいてもはっきりと見極めなければならないと思う。その上に立って、現状を打破し、前進への転換をはかる決定的な契機をさぐっていかなければならない。
(2)
ところで、このような視点から、いま一度現在おこっている批判なり主張を考えてみるとき、そこにある一つのあきらかな志向をみてとることができる。
その特色のようなものを一口にいってしまえば、リアリズムへの疑問であり、リアリズムにたいする不信である。
いや現象的には、現在数多くかかれている類型化した長編少年少女小説のもっているリアリズムへの批判というかたちで、その疑問なり不信感は表明されてはいるが、その裏には、おそらくリアリズム一般にたいする嫌悪なり否定がかくされているとわたしは思う。
冒頭においてものべたように、今日のリアリズム作品にたいして、ある種の嫌悪や反発を感じることは、当然でやむをえないことであり、わたし自身もそれに同調したいものを感じるが、しかし、そのリアリズム批判が、現在あらわれているリアリズムの弱点や欠点を批判するのみでなく、リアリズムそのものを否定しようとする衝動をもつとき、わたしはそこにある危険な徴候を読みとらないわけにはいかないのである。
たとえば、さきの分類(3)にあげた『現実的テーマ作品にみる非文学的傾向』という論文にそれを感じる。たしかにこの論文は、現代の児童文学の一つの盲点をついている。だが同時に危険な志向というか、現代の児童文学にとって不毛な毒素も含まれている。
おそらく、こうした論文が生みだされてきた背景には、いま一般の文学のあいだで一種の流行のような文学現象となっているアンチ・リアリズムの主張がある。いえば奥野健男、村松剛、磯田光一といった若手評論家の活動の影響がある。このことは、評者自身の主観はどうであれ、客観的事実としてある。そして過去の児童文学は当然のことながら、そのときどきの一般文学の思潮によって大きくゆれうごいてきたのである。
だが、そのことがさしあたり問題なのではない。この論文がまきちらすであろう困惑と危惧について、すくなくとも、つぎのようなことは指摘しておかなければならないと考える。
その一つは、この論文をささえている姿勢というか批評原理についてである。この論文の底には、作品の現実的・倫理的な価値を排除して、美的で詩的な想像的価値を代置すべきだという見解がかくされている。
「内部を規制する外的条件から人間の自立性を回復し、古い型のリアリズム観から脱出した、新鮮な想像力への道を進まないかぎり、紋切り型の卑俗文学に傾斜していくばかりである」
といった表現にそれがうかがえる。
もっとも、だれかがいったように、文学の批評が、作品の美的評価にウエイトをおこうと倫理的・社会的評価にかかわろうと、それは所詮批評家の好みの問題にすぎないとするならば、わたしのいおうとすることなど、馬の耳に念仏のコッケイを演じるおそれがないでもないわけである。
だがすくなくとも、最小限度、美や想像力が一部の批評家の独占物でないことだけは指摘しておく必要がある。想像力の問題については後ほど言及したいと思うが、この論文の裏側にすけてみえる評者の姿勢が、どうかすると、この好みの問題に傾斜しがちなおそれをわたしは覚えるのである。このことを別な言葉でいえば、この論文にあらわれた批判のあり方が、わたしたちの児童文学の進むべき道に、主体的にかかわろうとするかまえがあまりに感じられないということであり、したがって、そこに肯定的なモメントと否定的なモメントを正確にみきわめようとする生産的な志向が見失われているということである。
性急な裁断がいかに不毛しか生まないかということは、未明伝統批判のあり方を拒否している西本氏には十分承知のことと思うが、わたしはこの論文がちょうどその裏返しの位置をしめることをおそれるものである。このことはまた西本氏の本意でもあるまい。わたしはここで言葉の上での揚足をとろうとする気持はない。おそらくあの論文にはスペースの関係でいいたりなかったことも多くあったにちがいない。そしていうまでもないことであるが、リアリズムの批判をすることがいけないといっているのではけっしてない。もしリアリズムを批判し否定するためには、それだけの手続きをふまなければならないだろう。すくなくとも、それには、わたしたちの児童文学の形成のされかたを、自己批判を通して歴史的に追求するような仕方で展開されなければならないはずである。そのためには、ただ眼の前の現象だけをみて、あるいは好悪の感覚だけでせっかちな判断をくだすことはきわめて危険なことだというにすぎない。
こうしたわたしのおせっかいについては、おそらく反発があるだろう。だが、この論文にあらわれた文学思想が、結果においてもたらすと予測されるものについては、だまって見すごすわけにはいかないのである。これらのことは人ごとではなく、深読みするぐらいに考えておいてちょうどいいのだ。
ところで、この論文においてリアリズムがどうやら自然主義的な写実とイコールに結びつけられている浅薄さや、ロマンが詩精神にそのまま対置されているといった独断はさておいても、たとえば、つぎのような文章が、複雑な矛盾の錯綜した現実において、どのような役割をはたすかが考えられたことがあるのだろうか。
「詩精神により浄化された生の本質を基盤として外的条件を受けとめ、それを作家内部の美的造型を忘れずに、子どもの前に提示しようとする穏かな、しかし現代に適応する抒情をもったスタイルの文学」。
要するに、ここに望まれているのは、詩精神とかなんとかいわれながら批判精神を排除した、ただなんとなく美しくて抒情的な作品なのだ。こうした主張をきいていると、どうもこの世では実現できそうもない錯覚にとらわれるのは、わたしだけだろうか。こうした考えをつきつめれば、作家主体は現実と積極的にかかわりあうことなく、現実を静的にうけとめ、それを内部でゆっくりこねまわしさえすれば、抒情的で美しい作品が?酵してくることになる。だがはたしてそうか。こうした考えのいきつくところは、うすよごれた無規定な自我崇拝と、あまりにも現実ばなれのした心情的・主観的な歌でしかないのではないか。それよりもまえに、こうした考え方はきわめて抽象的・観念的なもので、現実にはとても許されるはずがないと考えざるをえない代物である。おそらくこうした現実とのかかわりで、子どもによろこばれる作品が生まれでようとはとても信じることはできない。だいいち現実そのものが、あるいは文学の意志自体が、そのようなことを許容するはずがないのだ。
ところで、このような児童文学を生みだすための手だてとして、まずなによりも、自我の回復と想像力が強調されるのである。もしリアリズムが手垢のついた前近代的代物であるというならば、この自我の回復、想像力も流行遅れのありふれたものだといわなければならない。
問題はリアリズムといい、自我の回復といい、想像力といっても、それがどのような実体をもつかがあきらかにされないかぎり、画にかいた餅と同じく、なんの力も与えないのである。
わたしは、このようなきわめて抽象的で、かつロマンチックな志向のなかに、この困難な状況を打破しようとする意志よりも、むしろヒステリックないらだちとたたかいを放棄した無責任さとニヒリズムが、ムードとして感じとれるのである。ここにあるものは、安易な妥協と非行動性であり、やがては支配体制のなかにすっぽりと適応していく道しか後に残されていないのではないだろうか。
児童文学があゆんでいく道と、その発展の論理になんらの必然的なかかわりなしに、想像力やロマンチシズムやリアリズムが、オモチャのようにもてあそばれていくうちに、いつの間にか危険な転回現象をよびおこし、現代の虚無的な状況にはまりこんでいくことを、なによりも警戒しなければならないと思う。
なお、ここでついでにつけ加えておけば、現在の長編少年少女小説が、神宮輝夫氏も指摘する(『日本児童文学の現状』・本誌七月号)のように、とくに読物的要素の濃いものにおいて類型化し、それがリアリズム不信をよびおこす大きなきっかけになっているが、しかし考えてみれば、いつの時代でも、文学作品の質や形式というものは、その時代や社会の条件によって、ある一つのパターンができ、似たような質や傾向の作品しか生みだせないものではないだろうか。しかもそのパターンは、くりかえされることによって技巧的には洗練されても、やがてはマナリズム化して新鮮さを失ってしまうのである。
したがって、一つの時代では、せいぜい二つか三つのパターンがあり、それがときにはくみあわせによって、ときにはくり返しによって作家は作品をかいているのではないか。
そこではリアリズムであれ、ファンタジーであれ、メルヘンであれ、似たような実質しかもっっていないのが普通である。ただそのなかでオリジナルな原型をつくりえた作家のみが評価され、文学史にものこりうるのであろう。しかもそうした原型は、いつでもけっして完成されたものではなく、むしろ欠陥の多い未熟なものであるのが通常である。だがその原型は、未熟なものを内包しながら、現実と人間をしっかりと結びつける新しい道を切り開いているものなのだ。
こうしたことを考えるとき、山中恒、吉田とし、古田足日、大石真といったリアリズム系統の作家、いぬいとみこ、松谷みよ子、佐藤暁といった非リアリズム系統の作家は、それぞれの意味で原型をつくりだしているとわたしは考えている。そしてそれらの作品は、未熟なものを必然的にふくみながら、新しい可能性を切り開いたことによって評価されていくだろう。類型的な作品、リアリズム作品であろうと非リアリズムの作品であろうと、やはり批判されなければならないが、類型的な作品が原型のまわりに数多くかかれるのは、けっして異常ではなく、むしろノーマルな状態なのだ。
ところで、現代の児童文学のかかえているさまざまな問題のよってくるところは、やはりなんといっても、日本の児童文学がもちえたリアリズムがひよわかったことに由因するところが大きい。このために、リアリズムへの批判も、なんとなく薄弱となり、枯尾花をゆうれいとおびえるような事態がひきおこされがちになるのである。
このような状態から脱出するためには、あらためてリアリズムとはなにかという基本的な追求をふくめて、日本の児童文学のあり方が考え直されなければならないだろう。
(3)
リアリズムとはなにか。この問題については、いろいろとむずかしい理屈はつけられるにしても、結局は人間、自然、社会を含んだ現実の総体を、いかにしてより正確にとらえ、どう表現するかということにつきる。あるいは、近代社会においては、個人と社会が、人間の内部と外部がひきさかれているという人間関係の基本的な矛盾を、虚構という文学独自の手段によって、超克し、人間本来の像をとりもどそうとするところに成立する文学方法だといってもいい。
要するに、人間とそれをとりまく自然、社会という現実全体を、どう把握していくかという、その追求の仕方が中心の課題であろう。リアリズムの問題を一応常識的にでもこのように考えるとき、日本の児童文学においてそれが卑弱だったということは、とりもなおさず、この人間(子ども)追求の仕方が明確でなかったということを意味するのだ。
ところで、日本の児童文学においては、こうした意味のリアリズム問題が正当にとりあげられ、論じられることが、比較的少なかったのではないだろうか。これは考えてみれば奇妙なことであるが、それを否定するだけの材料はないようである。
もちろん、それにはそれだけのやむをえない理由があったこともたしかである。たとえば、日本の児童文学が象徴的な方法を核とする童話文学によって形づくられてきたこと。リアリズムの問題を正当な形で導入しようとしたプロレタリア児童文学が、きびしい弾圧のもとでなしくずしに解体せざるをえなかったこと。戦争中の小国民文学にあっては、権力支配下におかれてリアリズムはタブーとなっていたこと。戦後児童文学にあっては、長い空白と傷手のためリアリズムを追求しうる主体が十分に形成されていなかったこと等々、このような条件が大まかにも考えられるのである。
しかし、こうした条件があったからといって、リアリズムの問題がまともに追求されてこなかったという事実が、そのまま肯定されていいということにはならない。この事実は、あくまでも批判され、自己批判としてきびしく検討されなければならないと思う。
なぜなら、リアリズムはただそこにある現実を素朴に写しとるということではなく、いうならば、社会と自然、人間の内部と外部という総体をみきわめようとする文学の主体的な意志であって、それなくしては現実をとらえそれを言葉によって表現することも、作家をつき動かしている根源的な欲求もわいてこないはずだからである。このリアリズムを等閑視して文学がなされること自体一つの矛盾であるといっていいほどのものである。
だが、誤解のないようにしておかなければならないのは、だからといってリアリズムの問題が追求されてこなかったといっているわけではない。それはある意味で真剣になされてきたといえるかもしれない。ところが、それは、児童文学固有の問題としては展開されず、たんなる人生観ないしイデオロギー的な側面からのみとらえられて、日本の歴史のあゆみのなかで、さまざまにつき動かされながら、児童文学的なものが児童文学的なものとして独自な形成をとげてきた過程を、内がわから追求し問題にされなかったのである。
現代の児童文学におけるリアリズム作品の弱さの原因の一つは、戦後児童文学の出発がこのような追求の上に立って、伝統と対決しながら、どこからはじめなければならないかをはっきりと自己認識することができなかったからではないだろうか。つまり、いかえれば、日本の児童文学のリアリズムが、未明童話、プロレタリア児童文学、生活童話を含めて特殊な形においてしか成立しなかったことの意味を、文学創造の固有の問題としてとらえることができず、したがって、それを文学遺産としてうけとり、その上に独自の文学思潮をうちたててこなかったところに、戦後児童文学の弱さがひそんでいるのである。またこうした弱さを、一挙につきくずそうとして性急な伝統批判がおこなわれたが、それもありのままな実体から出発することを無視したため、今日においてもなお、この弱さは止揚されていない実情にある。
ところで、日本の近代児童文学がもちえたリアリズムの実体とは、どうのようなものであろうか。
それを一言でいってしまえば、人間、自然、社会を含んだ現実の総体は、自分の内部だけでとらえられるという考えに立ったものである。たとえば、たびたび指摘されているように、童心主義の方法は、自己の内部にある童心を唯一のよりどころにして、それを詩的なものに包んで表現すれば、おのずと子どもの存在はとらえられるという考えにもとづいて成立している。
そこにあるものは、主観的な立場であって非常に多くの子どもを観察し、そこから普遍的なものを発見することによって個性を描くという客観的なものではない。この方法では、自分を語ることはできても、他人や社会を語ることができないのはいうまでもない。近代の文学はまず自分のモチーフをあくまでも大切にすることによって、その成立の主要なモメントとしていて、児童文学作家も「おとなとしての自分の関心」なり、モチーフをまず第一義的におこうとすることは至極あたりまえな要求だといえるだろう。
だが、個人と社会が基本的に分裂している近代社会において、自己のモチーフをあくまでも固執していこうとすれば、必然的に他人をしめだす結果になり、これをつきつめていけば社会から孤立していかざるをえないはずである。社会からしめだされたところに表現という行為がなりたちうるはずがなく、そこに許されるのは独白だけということになってしまう。日本の近代児童文学のリアリズムが、多分にこうした傾斜をしめしていたことは、ことあらためて指摘するまでもないことである。
ところが、近代社会においては、人間は自己が個性的でユニイクな存在であろうと志向しながら、社会から孤立して生きることは不可能となっている。とすれば、そうした個性的な自己が他人に認められ、社会化されていかなければならないのである。これこそ近代社会の基本的な矛盾であり、こうした矛盾をフィクションによって克服しようとするところに、文学上のリアリズムが成立するのである。したがって、リアリズムの成立にとって、フィクションはかかすことので
きない本質的な要素となっている。
このように考えてくるとき、日本の近代児童文学がもちえたリアリズムが、本来のそれと比べていかに特殊なものであるかが、わかろうというものである。
しかし、だからといって、日本の近代児童文学がもちえたリアリズムの積極的なモメントをも精算的に拒否することは、けっして正しい伝統とのかかわり方ではない。わたしはそうした積極面を、未明がやりとげようとした人間追求の仕方に発見し、それなりに評価しようとするものである。
では、未明がやろうとした人間追求とはなにか。それは人間の内にある童心という観念を見出すことによって、人間の自然的存在としての側面をとらえようとしたことである。
未明は子どもの存在というものを、『童話の詩的価値』という文章のなかで、つぎのようなものとしてとらえようとする。
「何処に住む人間でも、たとえば奥山に住む人も、北の方に住む人も人間としての苦しみは同じであり、欲望や、楽しみを楽しみとする心は同じであります。この空間と、時間の観念に支配されず、貧富の差別によって、階級的などの考えを全く頭に持たないものは子供であります。其処にただ暗い夜と明るい昼と、悲しいことと楽しいことしかありません」
ここでとらえられようとしている子どもは空間・時間・階級などから超越し、悲しいこと楽しいことに反応する自然的存在としての人間である。このようにあらゆる社会的なものを人間からとりのぞいたとき、あとにのこるものは人間のなかの自然である。未明はこの空間や階級をとりのぞいても、なおすべての人間に共通してある人間の自然として「童心」という観念をここから抽出してくる。
このような未明の考え方は、たとえば、ジャン・ジャック・ルソーが名づけた「自然人」とほとんど同質のものである。ルソーは『エミール』のなかでいっている。
「私は身分、地位、境遇などを何ら区別しなかった。というのは、人間はあらゆる身分において同じであり、富者の胃袋が貧乏人のそれよりも大きくはなく、その消化が優っているわけでもなく、主人は奴隷の腕よりも長い強い腕を持っているわけでもなく、偉人だとて民衆の人間よりも大きいわけでもなく、結局自然的欲求が至るところ同じであるから、それを満足させる手段も至るところ同じである」
ルソーは、この「自然人」を人間の原型として社会の先に存在すると考えることによって、人間を追求していったのである。ルソーの「自然人」が人間の普遍性にささえられているように、未明の「童心」も普遍性によってささえられている。
ここにおいて、日本の児童文学は、人間をその普遍性において、また「童心」という原型において追求するという、リアリズム本来の姿が確立される端緒が開かれたわけである。
この人間のなかの自然をとらえることによって、あらゆる人間が平等であり、普遍的な内容によって成立しているという考え方は、ルソーの場合ブルジョア革命によって導きだされてきたが、未明の場合も社会主義思潮によるめざめが、影響をおよぼしていることは、容易に予想しうることである。
だが、このルソーの「自然人」といい、未明の「童心」といい、その考え方はきわめて抽象的・観念的なものである。なぜなら、この考え方の基底にあるものは、人間を社会から切り離し、弧立した個人としてとらえようとするものであって、人間は社会関係からはなれて存在することは考えられないからである。もちろん、その逆もまた真である。
したがって、このような考え方にもとづく文学も、所詮抽象的・観念的なものにとどまらざるをえないのもやむをえないだろう。未明童話のもつ抽象性もここに由因している。しかし、その限界にもかかわらず、未明が日本の児童文学において、人間的自然の文学的追求の手がかりを切り開いたことは、非常に重要なことであったと思う。
ただ、日本の児童文学にとって不幸なことは、せっかく未明が切り開いた人間の自然の追求の端緒を徹底して推し進めることができなかったということである。それは未明の「童心」をさらに精密に分析し、人間の自然の本質を追求するかわりに、童心のもつ尊さ、美しさを心情的に歌いあげるか、郷愁的になつかしむ方向に転回していったのである。
もし未明の「童心」をつきつめていったならば、当然それは身分によって支配されている封建社会の矛盾と否応なくぶつかり、その対決をとおして、人間を社会との関係のなかで追求するところまで、いきつかざるをえなかったのではないだろうか。
だが、歴史はそうした困難な追求が、心情的なたたかいのなかで、主観的に解決しようとするにとどまってしまったことをしめしている。ただ、未明の場合、その思想的立場と強烈な主体によって、たんなる主観的主観の表現にとどまらず、そこに現実社会の矛盾をより深く反映させている。
ところで、日本の児童文学がその出発において人間の自然の追求を十分に打ちたてられず、あいまいな形のままに放置されたことは、その後のプロレタリア児童文学にも問題をのこすことになった。
プロレタリア児童文学は、その当時の革命理論にささえられて、人間は社会との関係のなかでのみ追求されなければならない。人間は社会によって規定をうけ、その規定する社会は、資本家と労働者という対立した階級のある階級社会である。したがって、人間はこの階級関係のなかでとらえなければならないという考え方を打ちたて、社会的人間を追求しようとした。これは階級性を人間の普遍性としてとらえ、人間を追求しようとする新しい文学の立場に立つものであった。だがしかし、人間自然の追求が確立されていなかったため、それは正しい意味での人間を社会関係の中に追求する仕方にならず、ともすれば社会の追求が、人間の自然の追求を無視したかたちでおこなわれがちであった。
つまり、人間の自然と社会の追求が弁証法的にとらえられなかったのである。いいかえれば、人間は労働によって、人間の自然的なものを社会的なものに変えていくという関係が、具体的に文学方法として生かす手だてがみつからなかったということである。
このため、プロレタリア児童文学はその正しい立場にもかかわらず、社会的観点から人間追求というよりも従来の主観的・個人的な観点からの追求から大きく脱出することができなかった。そしてこれらの解決は、戦後児童文学の課題としてそのままもちこされたのである。(「日本児童文学」昭和三十九年九月号掲載)
2 子どもをどうとらえるか
(1)
児童文学について、いまわたしが関心をいだいていることの一つは、大人が子どもにむかって作品をかくということは、どういう意識の作用なのかということを、理くつのうえで考えてみたいということである。
この問題は、児童文学概論や実際創作するうえでは、とうの昔に解決ずみのことで、あまりにも幼稚な疑問かもしれない。またある人びとには、この素朴な問題設定そのものがおかしなものにうつるかもしれないと思う。しかし、それがどのようにつまらなくみえても、わたしなりに根底的な問いを発してみたい気持ちにかられている。その追求を、方法論的に考えてみたい。そして、できるならば、児童文学におけるリアリズムの論理といったものを、いくらかあきらかにし、その未来への可能性をさぐってみたい思いがある。
ところで、大人である作者が子どもにむかって作品をかくとき、作者はどのような出発点というか発想に立つのだろうか。日本の児童文学においては、その近代から現代まで、ほぼ伝統的に一貫してとられてきている立場というものがある。
それを一口にいってしまえば、「子どもの代弁者」になろうとする立場である。
これは「子供は虐待に黙従する」という認識から、子どもにかわって発言しようとした未明からはじまって、「ホントウに子供を喜ばせてやりたい」「童話は子どもに対する愛情によって書かれる」という坪田譲治氏をえて、「児童の心情を内部から掴みうる文学者が、代弁者として、児童にかわって児童の真実を表現したものである」と児童文学を規定する関英雄氏まで一筋にたどることができる。
児童文学の出発において、大人である作者が子どもに関心と愛情をもち、子どものためになにかを表現し、伝達しようとすることはきわめて自然発生的なことであり、かつ正当な志向であるといえるだろう。だが、この「子どもの代弁者」が、その立場を明確にし、真に「子どもの代弁者」として自立することは、けっして容易なことではない。なぜなら、「子どもの代弁者」となることは、とりもなおさず、すぐれて人間的・思想的な行為にほかならないからである。
「子どもの代弁者」が一歩道をふみはずすとき、それはたちまちにして「子どもの保護者」から「子どもの権威者」に堕落する。そこでは優者と劣者、あるいは教えるものと教えられるもの、守るものと守られるものという絶対的な関係が成立する。それは教育の世界、一般社会の通念としてはありえても、すくなくとも文学の世界のなかでの関係ではない。
大人が子どもにむかって、作品をかくということは、優者が劣者にむかって教訓や説教をたれることではないし、大人が子どもにサービスすることでもない。もちろん、大人が自己自身のためにおこなうことではありえない。
では日本の児童文学作家は、どのようなかまえでもって「子どもの代弁者」の役割を果たそうとしたのであろうか。
このことについて、坪田譲治氏は『三つの童話について』という文章のなかで、おもしろい考察をおこなっている。つまりわが国の児童文学作家を、「子どもに対する愛情の現われ方」によって、つぎのように分類する。
一つは、子どもの友達になって、子どものように語っている作家。
第二は、自分の子どもの時代をなつかしんで、その思い出を語っている作家。
第三は、父親の愛情をもって、子どもに話しかけている作家。
第四は、以上のいずれにも属さないが、自分の芸術を子どもにわかる作品として表現している作家。
そして、第一のタイプの作家として浜田広介、第二に北原白秋、第三に島崎藤村、第四に小川未明と宮沢賢治をあげている。
坪田譲治氏自身は、児童文学を「与える芸術」としてとらえ、子どもに現実の世界や人生の客観的な様相を、語り伝えようとするタイプの作家である。
こうした作家の姿勢は、その資質や個性によって生まれてきたと同時に、必然的に「子どもの代弁者」という立場から導きだされてきたものであることはいうまでもない。
ところで、自己の資質の表出がそのまま児童文学になりうるめぐまれた作家は別として、「子どもの代弁者」としての役割を、子どもの友人や父親、あるいは自己がかつて体験した幼少年時代を回想するといったかまえで果たそうとすることは、いいかえれば大人と子ども、主体と対象のあいだによこたわるミゾを、できるだけより有効に埋めようとするはたらきにほかならない。あるいはもっと別な言葉で表現すれば、子どもの存在をとらえようとする努力のあらわれである。
しかも、このことを方法的にいえば、大人である作者は、できるだけ子どもの側に立ち、子どもと共に考え、子どもの心情にわけいり、子どもの眼をもって、周囲の対象をとらえようとすることであり、あるいは大人の視点ではなく、子どもの視点を自分のものにすることによって、大人と子どものかかわりを、より論理的に相関的にすることであった。
このような創作態度というものは、児童文学作家としてかかすことができないものであると信じられ、今日でもほぼそのまま保持されている。
だが、「子どもの代弁者」といい、子どもの側立ち、子どもの眼をもつということは、どのようなことなのだろうか。
たしかマルクスは、人間は子どもっぽくなる以外には、ふたたび子どもになることはできないという意味のことをいっていたと記憶している。つまり大人はどのように努力しても、ふたたび子どもにかえることはできないのである。大人と子どもは、はっきりと区別することができないとはいえ、自己が他者の自我と一体となることが本来ありえないように、大人はまるっきり子どもと合致することは不可能なことである。
とすれは、子どもの側に立ち、子どもの眼をもつということは、結局、子どもっぽくなること以上のものではないのではないか。
たしかに、日本の近代児童文学のなかには、ただ子どもっぽいふりをすることが、子どもの存在をとらえたことだと錯覚した作品が数少なくないと思う。そこには、子どもと友人のようにかかわりあえば、児童文学の成立の基盤が形成されるという錯誤があった。日本の近代児童文学はある意味で、いかに子どもっぽくふるまうかに苦労した過程であるといっていえなくはないのである。
ところで、大人が子どもにむかって作品をかくということは、けっして子どもっぽいふるまいを、それらしくこなすことではない。
まずなによりも、成熟した大人の眼をもつことでなければならない。成熟した大人の眼とは、「私」を対象化することのできる眼のことである。「私」を信じ、それを固執することによって自己拡大をはかろうとするロマン主義を否定する意識のことである。
中村光夫氏は、『大人と子供』という文章のなかで、「大人はみな自分のなかに始末に苦しむ子供を持っています」といい、続けて「外国の作家たちもむろん子供を彼らの身うちに持っていますが、同時にこういう子供たちが、世間の大人からどう見られるかをはっきり意識している大人も彼らのなかにすんでいる」云々といっている。
つまり、大人の眼とは自己の内部にすんでいる子どもを、はっきりと対象化することを意味している。このことはそのまま自己自身を対象化することである。
わたしたちはよく子どもは大人の鏡であるということをいう。これは子どもの上に自己自身をみるということにほかならない。だが子どもの上に見る自己は、自己自身ではなく対象化された自己である。つまりそこには「他者化」された自己があり、自己が二重化されているのである。
このように、大人にとって子どもは一つの自然対象であると同時に、自己自身であるという関係におかれている。
もし、大人が子どもの存在をとらえることが可能だとすれば、なによりも大人と子どもをこのような相関関係において追求するよりほかにない。自己を二重化することによってのみ自己の内部の子どもを所有し、自己化することができるのである。
大人が子どもにむかって作品をかくということは、こうした意識の作用なしには、ほんとうのものを生みだすことはできない。
これらのことを、いま一度方法論的に考えてみると次のようなことになる。
大人がその実体的な「私」を「他者」として、一個の対象物と化してしまう意識をもたず、子どもとの関係を優者と劣者、守るものと守られるものという硬直したものとしてとらえるとき、そこに生じるのものは、むこう側に一つの固定した現実があり、それがこちら側の固定した鏡に反映するという考え方である。
つまり、これはいわゆる素朴な現実反映論であって、大人が主観的に対象からえたものを、唯一の正しいものとして子どもに押しつけるという方法が、そこではとられるわけである。こうした方法は、けっしてリアリズム本来の姿ではない。
たしかに、文学はいくらじたばたしても現実の外からでることはできない。その意味においてなんらかの現実を反映したものであることはまちがいない。『キューポラのある街』も『星の王子さま』も、そのような考えからいえば、現実を反映したもの以外のなにものでもない。
だが、その現実の反映は、あるきまった対象があり、それをこちら側の鏡に映して、それを正確になぞることによって終了するといった単純なものではない。まさにその現実を反映することによって現実そのものに意味があたえられ、同時にそのことによって反映する人間自体も変革するという関係になる。
人間は実践によって現実にはたらきかけ、そのことによって人間として自立する。だがその現実のはたらきかけによって、人間主体は現実から規制されているのである。こうした弁証法的な関係においてのみ、人間は人間として存在するのである。
このような子どもの存在をとらえるためには、さきほど述べたように、大人にとって子どもは一つの自然対象であると同時に自己自身であるという相関関係が、まず前提されなければならないと思う。
抽象的ないいかたであるが、児童文学におけるリアリズムとは、大人と子どもをこのような弁証法的関係としてとらえ、子どもを追求するものでなければならないというのが、わたしの考えである。
(2)
わたしはいままで、大人が子どもにむかって作品をかくということを、主として大人と自己の内部にすむ子どもを含めた自然対象としての子どもの関係において考えてきた。
しかし、人間というものは単独に生きているのではない。また自分の意識とその意識を成立させる周囲の対象とによって充足しているものではない。いうまでもなく、「他者」のいる現実のなかで相対しているのである。この「他者」とのかかわりなしに、人間とはなにか、子どもとはなにかを問うことはできない。もちろん、この「他者」によって構成されている階級社会の存在とのかかわりなしに、人間を追求しえないことは、いうまでもないことである。
そこでは人間は「他者」の視線によって規定されている。他人の眼に映じる自分以外に、ほんとうの自分は存在しないといった関係におかれているのである。
このことは、意識のなかに「他者」が侵入してくることを意味する。人間はこの他者によって否定される自己を容認することによって、はじめて社会的に存在しうるのである。成熟した人間とは、自らの意識のなかにこうした社会をもちえた人間である。世俗的にいうならば、不純になるということなのだ。人間が成長するということはこのようなことである。
ところが、日本の近代児童文学では「童心」という純粋さにすがって、あくまでも不純になることを否定した。あるいは、幼少年時代こそ美しく、正しい、理想的なものであることを固執しようとした。このことが、人間の成長を自らの手で抹殺し、意識のなかに「他者」が侵入してくることを、つまり社会的に存在することを放棄した結果になったことは、いまさら指摘するまでもないだろう。
自らのなかに社会をもちえない人間がどうして社会をとらえることができるだろうか。
日本の児童文学において、こうした「他者」あるいは社会という重要な契機が、真の意味で導入されようとしたのは、やはり戦後児童文学においてである。戦後児童文学のもっともいちじるしい特徴の一つは、「子ども」概念の導入であったとわたしは考えている。
だが、この「子ども」概念はせいぜいのところ、現実の子どもを知れ、尊重せよといった程度のものでしかなかった。大人の、したがって「自己」の存在を、否定し相対化しうるにたる「他者」ではなかった。人間がその存在を獲得するのは、「他者」の眼でもって「自己」を対象化することによってのみ可能である。
かつて「子ども不在」の児童文学が批判され、いま逆に「作者不在」の児童文学が問題になり
つつあるのも、結局は「他者」あるいは社会が存在していないことからくる欠陥である。
これらのことは、たとえば、戦後児童文学の初期における作品を思い浮かべればよりはっきりするだろう。
それらの作品の多くは、戦後の解放と変革の熱っぽい波にのって、作家主体の自由への執着が無限の自己拡大と共にまざりあいながら、周囲の対象に怒りやうらみや批判を投げつけ、発散させているだけである。作品は主観的な叫びといったものになっている。そこでは「他者」はきわめてあいまいな形においてしか存在しない。
それをささえているものは、作者の激しい善意であり、ヒューマニズムであった。そして、この作者の熱にうかされたような叫びは、それなりの役割を果たし、ときには人びとの心をうった。
しかし、こうした叫びを発する「自己」を対象化するものは存在しなかった。そのよって立つ善意やヒューマニズムを疑ってみる眼はなかった。いやなかったというよりも、そうした余裕がなかったといったほうがより的確かもしれない。
戦後の人間解放あるいは自由が、人びとの眼に幻影ではないかとうたがわれはじめたとき、善意やヒューマニズムに立った主観的な叫びは、いつか空虚なひびきをもってきこえているようになっていた。
このとき、伝統批判の声がわきおこったが、それはけっして童話か小説かという形式上の問題ではなく、「他者」の存在を求める声であったはずである。だが、ここでも大人の「私」を、「他者」の子どものうえにうつすことによって、それをきびしく検証することからはじめようとはしなかった。
戦後になって「知識人」の位相が微妙に変化しつつあるなかで、文学表現をささえる「私」がどれほど信じるにたるかを徹底的に吟味することなく、他人の存在にかかわろうとしても、それは表面をなでて通った程度のものにしかなりえなかったのは必然のことであった。おそらくこうしたことをもたらした由因のなかには、戦後児童文学が「私」を新しく発見するために、自己を極限まで問いつめなかったこと。また人間の解体ではなく、人間の解放を信じて出発したことに根をひいている。被害者的発想もここに結びついていることはたしかである。多くの作品にみられる。
児童文学は「人間の行動の原型をとらえるものである」(古田足日氏『日本児童文学・現在の問題』)といわれている。このことを別な言葉で表現すれば「人間の自由」をとらえるものであるといえるだろう。この人間の自由はけっして、主観的な叫びによってとらえられることはない。すくなくとも、自由の制限であり、限界であるところの「他者」とのかかわりなしに考えることはできない。真の自由とは、他者の存在を無視し、拒否することによって求められるのではなく「他者」の存在のなかにこそ、自由を切り開いていく契機を見出すべきなのである。
(3)
いうまでもなく、文学は言語の次元につくられる仮構の世界であり、自然・人間・社会の弁証法的な関係を全体として想像的意識において表現するものである。人間の自由の追求も、文学的実践においておこなうのである。ここにおいて、想像力の問題が重要な要素として浮かびあがってくる。
ところが現代児童文学のさまざまな問題を解決する一つの大きな手だてとして、想像力がまるで救世主のごとく持ち出されることが多い。この場合児童文学の美的自律性というものをなによりも大切にしようとする見地から論じられている。つまり政治と文学のかかわりや、現実とのつながりを批判するために想像力の必要がさけばれているのである。
その意図はわからないではないが、しかしその想像力というものがどのような実体をもっているかという点になると、きわめてあいまいである。
せいぜいのところ、イメージを思い描き、作り出す力であるといった程度のものでしかない。そして、現実からできるだけ遠くかけはなれることが、よりすぐれた想像力のはたらきであるかのような観を呈している。さらにこっけいなことは、作品のなかにおけるイメージの多い少ないが、あたかも文学作品の質を決定する最大の要素のようにみなされていることである。作品がすぐれているかどうかは、けっして想像力の問題ではなく創造力の問題であるにすぎない。
感動を呼びおこす文学作品は、それが生活童話であり、少年小説であり、大衆的な少女小説であっても、想像力ははたらいているのである。
こうしたことのなかには、想像力と創造力と空想力のあまりにも初歩的な混同がある。このような想像力の概念でもって、生活童話に想像力がないとか、現代の社会的なテーマをとらえようとした少年小説を貧困だといって批判しても、たいして意味がない。なぜなら生活童話は、現実にたいして軽薄な空想力をめぐらしたり、ロマンチックな観念によってひきずられることをおそれ、むしろ思想的な意味により多くの価値を見出そうとする文学観から生みだされてきたにちがいないと考えるからである。それが結果において、ロマンチックな作品しか生まなかったとしても、それはおのずから別のことがらにすぎない。
むしろ重要なことは、生活童話においても想像力がはたらいていたはずであり、ただそれがどのような時代的限界を背負っていたかを見きわめることであろう。
ここではっきりしておかねばならないことは、想像力というものは、けっして空想力や幻想力のように、作家が日常茶飯にほしいままに思いうかべ立ち消えてしまうような不安定なものではなく、社会の発展段階、現実からの制約をもったものであるということである。わたしたちが、日頃単純に思い浮かべるイメージは、脳裡のなかだけにあり、主体の内側にのみあるものであるが、文学のイメージはそれとは異質で、まったく別な材料のうえに移転することによって、イメージをものとして定着する。
サルトルは、想像を知覚や概念と共に、「同一の対象物がそれを通じて新たに与えられるべき意識の三つのタイプ」として位置づけ、現実租措定の一つの仕方とする。概念は対象物のなかにはいってそのものの本質をつかむ作用であり、知覚は対象物を感覚によってさわりたしかめ、つかむことによってその全体をつくりあげようとする作用である。それに比べて想像は対象物の像を心におもいうかべることによってとらえようとする作用である。そして、そのような作用は疎外された社会において、社会の現実的な諸関係が矛盾し、自分の欲求する世界が見うしなわれたときに構成されるはたらきをもっている。
想像力というものは、ただ単に非実在物を存在するかのように考える力ではない。むしろより多く「想像力とは、主として現実を把握する能力、実在するあらゆるものを明晰かつ深遠に見る能力」(アーヴィング・ホウ『小説と政治』)である。サルトルも想像力が現実を非現実化するところに成立する意識であるといいながら、現実と断絶したところに成り立つとは考えていなかったはずである。むしろ現実にどこまでもかかわることによって、作品創造が可能となると考えていた。サルトルにとって現実の非現実化とは、きわめて現実的な行動にほかならなかったのである。
すくなくとも想像力の問題は、人間の自由の問題と深いところでつながっている。児童文学をゆたかにするために想像力の重要さを強調することはすこしも反対ではないが、それが単なる技術や方法上の問題として論じられるとき、それにはほとんどなにも期待することができない。それはすぐれた作品をかけというかけ声となんらかわらないからである。それは作家の意識の転換の問題であると同時に人間を自由にむかってどう解放するかという理論上の問題である。想像力を現代において論じることは、ここまでほりさげられなければなんの意味もない。
具体的な作品に即して児童文学の方法について語るだけの余白がなくなった。だが、正直にいって、その問題に確固としたものを提出するだけの自信はない。むしろはげしくゆれ動いているのが実情である。
今日の児童文学にみられる混乱や困難の一つは、十九世紀リアリズムをも十分に通過することのなかった日本の児童文学が、それとまがりなりにもとりくもうとする過程において、その形式の硬化現象と崩壊作用に立ちあわなければならなくなったということにあるのではなかろうか。
こうした困難を克服するために、一方において十九世紀リアリズムからの解放をめざして、反リアリズムがとなえられ、一方では現代という複雑な現実をまるごととらえるために全体小説が提唱されるといったぐあいである。そして、そのいずれにも、成功する可能性はきわめてすくないといわなければならない。まさしく袋小路に追いつめられた感じがつよいのである。
しかし、わたしはこの不可能こそが、可能のための豊かな母胎となりうることを信じたい。不可能のさらに深い不可能へと、くぐり入っていくことによって可能の道を見出さなければならない。
そのためには、現代において、わたしたちはなぜ児童文学者でなければならないかを、根源的に問いつめられてみることからはじめなければならないだろう。
そして、それぞれの資質と個性にしたがって、さまざまな方法的探求をこころみるしかない。
そこでは全体小説も、現実を内部でささえている理論をとらえだし、サンボリックな手法で描くことも、多元的な視点によって現実の構造をとらえようとする探求も、人間生活の全体をとらえることよりも、断片性によって現実をとらえようとする試みも、精力的になされなければならないと思う。同時に児童文学においては、リアリズムはどこまで許されるのかということも考えられなければならないと思う。
いずれにしても、現実をより正確に、より本質的に把握し、表現しようとするリアリズム本来の立場に立って、それはおこなわれなければならない。
(「日本児童文学」昭和三十九年十二月号掲載)
テキスト化赤澤まゆみ