『横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
文学のおもしろさ感動について
―――児童文学を中心に―――
(1) 文学作品の生命の実体は何か
文学作品が人間に与える効果は、具体的にはおもしろさとか、よろこびとか、感動というかたちであらわれる。ところで、このおもしろさ・よろこび・感動のはたらきの、実質をかたちづくっているものはなんであろうか。いいかえれば、文学作品の生命の実体は、どのようなものなのかということである。
単純にいって、文学は、作者が自己をとりまく現実に対してはたらきかけ、作者の主体と現実とのたたかいの結果として、生みだされてくるものである。そして、その文学の質は、現実とのたたかいの真剣さ、切り込みの深さ、鋭さによって、おのずからきまってくる。
ここから、文学作品の実質的な核をなしているものは、作者の思想、あるいは認識、判断のはたらきであるといえるだろう。この認識のはたらきが、どの程度に真実性をもち、人間を変革する力をもっているかどうかによって、その文学の価値も評価されるのがふつうである。
ところで、この文学作品における作者の思想、認識のはたらきは、その作者が人生をどう生き、社会に対してどう考え、どう行動するかに深くかかわっている。たとえば、作者が人間の存在などは、はかないもので、社会の仮のしくみにすぎないと考え、孤独の生活をえらんで生きている場合、その文学の質は必然的に、人間がほろびていくすがたにおいて、現実をとらえようとするものになるだろう。日本の近代文学の主流を形成している私小説もその例の一つで、日本の社会を封建的な秩序によってささえられ、自由にものを考え、真実をのべることが許されない非合理なしくみをもっていると判断した作家たちによって、生みだされてきたものである。
だから当時の作家たちは、古い道徳や秩序からのがれるために、家庭や職業から離れ、自由な世界をもとめて生活した。その世界は主として、ジャーナリズムであったが、そこで作家たちは革命運動に参加したり、恋愛をしたりして、自分の信ずる良心にしたがって、せいいっぱいに生きようと努力した。しかし、社会のワクからはみだし、その道徳や秩序に対して反抗することは世俗的には社会の落伍者であり、失敗者であることを意味する。こうした現世とのたたかいによって、しだいに貧乏になり、追いつめられ、生活の基盤を失っていく過程を、自己の生活体験にもとづいてえがいたのが、自然主義ないし私小説と呼ばれているところの作品(*)である。
* たとえば島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、葛西善蔵、嘉村礒多、太宰治、坂口安吾、織田作之助、田中英光などの作品がその例である。
こうした作品にある認識は、われわれが、良心によって、善や正義をもとめようとして生きる限り、われわれは生活の基盤を失い、生命を破滅しなければならないという質のものである。そして、これらの作品をよんであたえられる感動は、社会や生活の虚偽にこたえられず、真実をもとめて良心的に生きようとすれば、貧乏をし、ときには生命をほろぼしてしまうが、そこには清らかな、真実味のある生活が発見できるという、よろこびである。つまり社会の秩序や古い道徳にがんじがらめになって、自己の生活に不満をいだいている人が、これらの作品をよんでうる感動は、自分がやりたいと思ってやれないことを、準体験することによってうける快感と、そこに純粋な生命のあり方を見出してうける充実感が、その核となっている。
ここでいえることは、文学というものは、その人のまごころなり、人柄なり、善や正義を追求するという態度が、他の芸術、たとえば、音楽や絵画に比べて、より多く作品のなかに力としてあらわれ、美点としていかされるものだということである。まごころや、善や正義について関心をもたない作家、いいかえれば、自己や社会に対して、よりよく生き、良心的にかかわろうとしない作家は、いくら、文章表現がうまくても、結局その作品は文学としてダメなものであるということである。
(2)作者の思想と技術との関係
作家の認識あるいは判断のはたらきが、その作品の生命をつくるものであることは、前にのべたとおりである。しかし、作者が認識・判断のはたらきによって現実からえてきたものを、どう作品のなかに表現し、定着させるかということは、また別の問題となる。
認識・判断のはたらきが、より強く、より効果的に発揮されるためには、それをどういう仕方で実現するかという技術が、どうしても必要になってくる。文章に自己の思考を正確にとらえ、うつしだすだけの技術のないところでは、いかによい思想をもっていても、文学の仕事にはならないことはいまさらいうまでもないだろう。
だが、ここで厄介なことには、この技術は認識や判断のように、必ずしもその人の人格や人柄が、そのまま反映しないということである。論理的にいって両者に直接の関係はない。
つまり善意の人がかく文章が、下品でつまらないものとなり、その逆の場合もけっしてめずらしくないのである。また、強い性格の人間がかいた作品が、効果として弱く、正直な人間のかいた作品が、結果として虚偽となるようなケースも多い。このことは、善意や正直さが、その作品の効果とじかにつながっていないことを示している。もし、その人の善意や正直さや、思想が、そのまま作品の内容として力をもち、効果として発揮されるためには技術が完全に生かされなければならない。文学作品の内容は、具体的にはこうした技術によって、人間をとらえ、描かれることでつくられていくものである。
しかし、日本で伝統的に、このような技術が軽視ないし、無視される傾向が強い。というのは、文学は芸術によってつくられるのではなく、作家の人間によってつくられるものであるという通念が広がっている。これはさきにあげた私小説のあり方が端的に表象していることでもわかるように、作者の生きかたそのものが、文学をつくる方法となっているという考え方である。そこでは、文学をつくある技術よりもなによりも、作者が、その生活において、社会とのたたかいにおいて体験したことを、素朴に告白することが、そのまま読者に感動をあたえることになっていたわけである。余計な方法をつかって文学をつくる必要はなかったのだ。だが、このような、私小説作家とは別に、自己の生活体験を、ありのままに表現することのできない気質の作家もいた。たとえば永井荷風、佐藤春夫、芥川竜之介、横光利一といった作家である。これらの作家たちは、生きることが、そのまま文学をつくることにならないため、当然いろいろな技術をつかって、いわば人工的に感動をおこす表現をつくりあげようと努力した。ここでは描く方法が、文学をつくっていたのである。
ところで、わたしはさきに、作者の人柄や思想と、それを描く技術とはじかにつながらないといった。しかし、実際的にはこの二つは、作者の内部で、たがいにかかわりあいながら存在しているのである。もし、技術だけが、その作者の思想や生きかたとまったく関係なく、生かされたとすれば、そこに生じるものは、ただ巧妙な、うまいというだけの通俗的な作品であろう。中味の空白な作品が、いくらもっともらしく描かれていても、それはしらじらしい感じを与えるだけで、感動などおよびもつかないはずである。
いつの時代でも、小説らしいものを上手にかいて、技術的に一人前の作家になったとしても、そして現実に対する批判力や、社会的正義のイメージを持たないときは、いつ通俗作家に転落するかわからない危険を内包しているといっていい。
それから、作家はいつでも、だれでも、人間の感動をより効果的に、文学作品に実現するには、どうすればいいかを考えているものであるが、いつの時代でも通用しうるような方法はどこにもない。それは当然、個人と社会のその時代のあり方によって規制され、変化するものである。そして、もっとも必要な方法というものは、その時代の人間の生命や生活の意識を、把握するのにいちばん役立つものでなければならない。私小説の方法は、文学本来の考え方からいえば、ゆがんだものではあるが、あの当時の社会に生きる日本人の生活意識や、生きていることの実感を、かなりの程度に的確にとらえたものとして、それは正しい方法であったという意見も提出されている。
いずれにしても、文学の方法というものは、その時代の社会条件や人間の思考法によってかわっていくものなのだ。したがって、その時代にあらわれた文学の表現方法は、だいたい同じようなパターンがとられ、その国において、あるいはその社会において、伝統や特色をかたちづくっていく素因となっているのがふつうである。
(3) 二つの質の“感動”のありかた
文学における方法・技術というものは、結局人間の感動というものを、文章によって構成し定着するものであるが、具体的にいって、われわれは、どのような場合に、文学作品から感動をうけとるのであろうか。
そのまえに、感動ということについて、考えてみると、それは作品を読むことによって、そこに表現された人間の姿や行動や、思考に、あるいは事件の発展に接し、よろこんだり、悲しんだり、新しい発見をしたり、ショックをうけたりすることである。抽象的にいえば、自分が、人間が生きているという感じを、実際の生活からうけるものよりも、もっと強く、深く、かつ純粋なものとして感じ、生命の存在を実感することだといえるだろう。したがって、その感動のあらわれには、いろいろな場合が考えられるのである。
たとえば、その一つとして、さきにあげた私小説のケースがある。その感動のあらわれかたについて、いま一どくりかえせば、良心的な心がまえで、善や正義をまとめて生きようとすれば、他と調和がとれず、生活がほろびざるをえない。しかし、たとえ貧乏に苦しみ、生活が破滅しても、良心的な、純粋な生き方を守っていこうとする、自由な行動に、人は安心と畏敬と、充実と解放のよろこびを味わうのである。
また一つには、社会や家庭という、強くて大きなワクが、そのなかに生きる人間の考えや行動をきびしく制約し、そのワクをうちこわして、自由な世界に脱出しようとするときにも、そこに人間の生命というものが意識され、感動をよびおこす場合もある。
あるいは、病気とか、死に直面するような事故にあった場合、そこにとらえられる生命というものは、いままでに見られなかった新鮮さ、美しさが感じられるが、そこにも感動がひきおこされてくる。
さらには、この社会に生きる人間が、自分のエゴを生かしながら、しかも他人を傷つけずに、たがいに調和して生きようとする願いから、社会の不合理さやゆがみや矛盾を、論理的に認識し、ただしていこうとするたたかいが、人間の感動をゆりうごかすことがある。
ところで、文学による感動も、その方法と同じく、その時代における人間と社会のあり方、条件によって、そのあらわれ方も変化していくものである。
このことを別なことばでいえば、文学のあり方も、時代によって変化するということである。
しかし、この時代の変化に、関係なく存在する感動のあらわれ方というものもある。つまり、病気とか死とかいう人間存在にかかわったところで、とらえられるところの生の感動がそれである。
日本人は、だいたいにおいて、この人間存在の面での生命の認識が得意で、社会的な関係において、調和的に人間を把握することに、あまりなれていない。だが、戦後はむしろ、多くの作家がこの方向において人間をとらえることに、エネルギーを集注してきている。これはとりもなおさず、戦後の社会的、政治的状態が、大きく変革され、社会的な人間の関係を無視しては、現代に生きる人間の実体をつかむことが困難になってきたからである。つまり条件の変化による、感動のあらわれかたの相違がここにある。
このように大きくわけて、二つの質の感動のあり方は、それをとらえる作者の人間認識、社会認識あるいは客観的な社会条件、その時代に生きる人間の好み、感じかた、考えかたによって、おのずから決定される性質のものであるが、理想的にいえば、社会的な人間の関係と、同時に人間の存在についての現実感をもとらえることができれば、それがもっとものぞましいものとなる。人間の生きる現実感なしに、認識も思想も存在しないのである。
(4)日本の近代児童文学の特色
さて、以上のような考えのうえにたって、日本の児童文学の実体をふりかえってみよう。そこには、どのような特色があるのだろうか。その特色はなにによっておこり、なにによってかたちづくられてきたのか。読者の方からいえば、児童文学をよんで、おもしろく思い感動したりするのは、そこにどんな意味があるからなのか。それは作品のなかのどういう考えや表現のためなのか――などについて分析し、文学教育をおこなううえでの参考にしたいと思う。しかし、そのすべてにわたって考えるだけの余裕も、能力もないので、ごく特徴的な二、三の点についてふれてみることにしたい。
いうまでもなく、日本の近代児童文学のなかで、もっとも大きな足跡をのこし、その進む方向についてある程度の決定をあたえたのは小川未明である。そこからいわゆる日本の近代児童文学の主流をかたちづくった、童話文学がでてくるのであるが、その大きな特色は現実を、詩的、感覚的、象徴的な手法によって、とらえ、表現したことにもある。たとえば、『月夜とめがね(*)』という作品は、その特色がもっともよくあらわれているものである。
*この作品は、しずかな町はずれにすむおばあさんが、おだやかな月のいい晩、「いま、じぶんはどこにどうしているのすら、思い出せないように、ぼんやりとして夢をみるような、おだやかな気持」の状態のなかで、経験する心象世界のようすを、詩的フンイキのうちにえがいたものである。
この作品で未明が表現しようとしたものは、現実のすがたではない。ある詩的なムードのようなもの、あるいは象徴的なフンイキのようなものを、感覚によって純粋に抽出しようとしたものである。したがって、ここでは極端にいって、作品にえがかれていることがらよりも、表現それ自体(*)に、感覚的なよろこびを見出し、皮膚によって、その幻想的な世界の美しさや純粋さを味わえばいいのである。
*つぎに『月夜とめがね』の中の一節を引用しておく。「花ぞのには、いろいろの花が、今をさかりと咲いていました。ひるまは、そこに蝶や、みつばちが集まっていて、にぎやかでありましたけれど、今は葉かげで楽しい夢をみながらやすんでいるとみえて、まったく静かでした。ただれのように月の青白い光りが流れていました。あちらの垣根には、白い野ばらの花が、こんもりとかたまって、雪のように咲いていました。」
その典型的なうけとめ方の例として「話の筋はさほど印象に残らず、ただ子ども心に不思議な香気と、なにか、未知の世界への美しいあこがれを感じさせられた」(関英雄)といった、感想がある。
ある作品がひきおこす感動は、その作品のなかに描かれている事件のみがあたえるのではない。このような、表現のもつはたらきがひきおこすこともある。もし、この作品をよんで感動したとすれば、それは詩をよんでえた感動とおなじものであろう。つまり詩の効果は、散文とちがい、表現の言葉自体が生むものであって、意味とリズムの二つがあたえる効果が、その感動の実質をなしている。だから詩は、内容が具体的に理解できなくても、人にある具体的な印象をあたえ、感覚的に訴えかければいいわけである。
『月夜とめがね』という作品が、月のいい晩のふしぎなフンイキ、まだ見ぬ美しい世界の存在を読者の皮膚に感じさせたとすれば、この作品の効果はあったのである。ただ、こうした感覚が、子どもの読者に味わえるかどうか、また必要かどうかは別の問題である。
このように、童話文学の多くは、詩的感覚によって、現実を観念的・象徴的に抽出しようとしたもので、自然主義文学や、私小説のように、現実に密着せず、まして生活そのものや、自己の体験を素朴に記述することはなかった。ナマの現実から、ある一定の距離をおいて対していたのである。といって、童話文学が現実について、その社会・時代についてかかわらなかったというのではない。
『赤いロウソクと人魚』のように、その当時の社会のもっている矛盾面を、きびしく批判する立場から、生みだされてきた作品もある。だが、それもナマの現実・社会に生きる人間のさまざまな関係について、とらえるのではなく、人間そのもの、社会そのものを違った過程、違った材料をつかって表現し、現実とおなじような効果を生みだそうとするものであった。いわゆる象徴的・観念的な手法である。
だから、それらの童話文学が、もたらすところの感動の質は、どちらかというと人間存在とかかわるところで、あらわれるものであると考えられる。いいかえれば、社会意識の変化にかかわらず、それと無関係に生ずる感動のパターンがそこにはある。
昨今、これら未明童話をはじめとする、童話文学の効果を否定しようとする動きが強くでてきているが、そのでてくる根源はいうまでもなく社会意識の変化による。しかし、未明のある種の作品は、そうした時代の推移にもたえるだけの核をもっている。その核から生ずる感動の実質は、たとえ時代の変化によって、その味わう角度がかわっても、力を失うことはないのではないかと想像されるのである。
これをも、じゅっぱひとからげに否定し去ることは、とりもなおさず、日本人の意識や生活感情を自らの手で圧殺するということで、それは無謀な行為のほかのなにものでもないだろう。
しかし、日本の近代児童文学の主流である童話文学には、現在の視点からみれば、いくたの欠点や弱点を内包していることも事実である。その童話文学の文体や構造のもつ弱さは、当時の日本の社会の反映であり、また同時に、童話作家の気質、生活とも深く関係のあることなのだ。
つまり、童話作家は、一般的にいって多かれすくなかれロマンチックな心情の持主で、純粋さをこのみ、善や正義に無関心でおれない気質の人間であった。だが、その態度はどちらかというと現実逃避的で、非政治的、非実践的な性格を本質とし、観念的、心情的な発想を得意とした。
それに、当時の社会においては、童話文学の主な対象である子どもが社会的存在として認められず、日本の社会の生活感情をとらえるには、子どもとは別な対象をえらんでおこなうしかなかったという制約もあった。未明童話のもつ、「あります」という文体も、特異な題材もそうした必然が生みだしたものであったといえる。
(5)プロレタリア児童文学の意義と限界
この日本の近代児童文学のもつ弱さを、批判し、社会や人間関係を論理的、科学的にあきらかにしようとする立場から、出発したのが、プロレタリア児童文学であり、その考えを継承したところの集団主義童話・生活童話であった。
この運動はいうまでもなく、マルクス主義思想にもとづいた、マルクス主義文学運動から発生したもので、根本の考え方は、道徳的、政治的変革を文学の方法でおこなおうとするものである。すべての人間の貧乏や苦悩は、社会生産の基底となっている経済のしくみを変革することによって解決する。また、人間の行動を制約している道徳は、実は社会の生産方式によって、きめられているところのもので、支配階級が、自己の都合のいいようにつくった秩序にしたがっているにすぎない。道徳も、この社会の生産方式を変えれば、そのあり方も必然的にかわるものだ。そのためには、被支配者に属している労働者階級、農民が団結して、階級矛盾を打破しなければならない。このような内容をもつマルクス主義思想によって、おこなわれる労働運動や無産者の生活を、文学によってとらえようとするのが、プロレタリア文学運動の実体で、文学思想の上からいっても、自然主義運動にまさるとも劣らない、大きな変革であったのである。
この事情は、児童文学にとっても同じことで、未明が考えた、「この空間と、時間の観念に支配されず、貧富の差別によって、階級などの考えをまったく頭に持たないものは子どもであります」(童話の詩的価値)という子どもについての認識を、プロレタリア児童文学はさらに発展深化させ、子どももさまざまな社会の条件のなかで、影響されながら生きている存在であり、けっして階級から超越したものではないという考えをうちだし、子どもをめぐる社会の矛盾やゆがみを打破することによって、正義と善をうちたてようとする立場にたった。
したがって、当然そこから生みだされてくる作品は、論理性と倫理性をおびたものとなるはずであった。しかし作品のうえでは、必ずしも新しい論理が十分に発揮されなかったうらみがある。
たとえば、『ドンドンやき(*)』(野猪省三)という作品がある。
*この作品は一九二八年二月に「プロレタリア芸術」に発表されたもので、その内容はこうである。
健二は、小作人のむすこで、父は地主とけんかして、けいさつにつれていかれている。その健二の父に同情する柏木先生は、いつも、「地主も校長もじゅんさもいっしょになってびんぼう人をいじめるんだ。どろぼうはあいつらなんだ。しっかりするんだぞ健二くん」と、はげましてくれた。だが、二学期が終わったとき、その柏木先生は学校を追いだされてしまう。父も、先生もとられてしまった健二は、それでも元気に学校へ通い、正月をむかえてどんどん焼きをたのしみにしていた。ところが、待ちに待ったどんどん焼きも、校長から禁止されてしまう。しかし、健二たちは、校長のいいつけを破って、どんどん焼きをおこなう。といったものである。
この作品では、地主対小作人、子ども対大人という図式によって、現実の人間関係をとらえようとする萌芽がみられるが、それは観念的なもので、十分に社会の関係を描くところまではいっていない。その立場は一応リアリズムではあるが、観念的、主観的な手法は、それまでの童話文学における考え方が、まだ克服されていないことを示していた。それはいうならば一種の叫びであって、マルクス主義思想の文学性というにはほど遠いものであった。それはなんとしても権力に反抗してたたかう人間をうちだそうとするあまり、論理的に描くよりも、性急に感情によって訴えようとしたためである。
この意味で、従来の童話文学と質的には、それほど大きくちがってはいなかった。むしろ同質の面の方が多かった。しかし、いままでの童話文学が、人間の存在について、感覚的、詩的な面でのみ把握し、ともすれば、社会から逃亡ないし無関心におちいろうとする危険性をもっていたのに対し、人間を社会関係において考え、論理的、科学的な態度で社会に対処し、それを変革しようという、視点をすえたことは、大きな意義のあることであった。
生活童話は、この立場や視点を、さらにきめこまかく深め、文学化しようとする努力のなかで生まれてきたもので、たしかにその描写において、物語性において、一応の深化をみせたが、マルクス主義運動の弾圧というきびしい社会状況のなかにあって、当初の思想的立場がなしくずしにされ、その技法だけが浮きあがり、現実というよりも風俗をうつしとるだけのものに風化していったのである。
(6)民主主義児童文学の現状と課題
日本の児童文学の歴史のなかにおいて、いま一つの大きな変革はなんといっても、戦後の民主主義児童文学の創造である。その出発における立場は、ほぼプロレタリア児童文学以来の、人間の社会関係を論理で考えるというものの延長戦上にあった。そして手法は、童話的、小説的、映画的手法などが、その個性においてそれぞれつかわれたが、あくまでもリアリズムがその基調であった。そして、その作品の焦点は、当然のことながら、自分の生きている社会の不合理、矛盾をなくし、だれもが調和的な生活をなしうるような社会をつくりということにおかれていた。民主主義児童文学という名が、それを端的に象徴している。
人間はだれでも、他人となかよくし、自分のエゴもゆがめられず、たがいに傷つくことなしに調和した生活がおくれることを願っている。そうした社会をつくるためには、どうしても他人とのつながりを、どううまくつなげていくかということが問題になる。このことは同時に、自分のエゴをどう処理するかという問題にもなってくる。私小説作家のように、その解決のために社会の外側に、逃げだしてしまえるのならば、ことはかんたんである。だが、この現世から逃げだせないとなると、なんとしてもこの問題を解決しなければならない。
そこで、たとえば漱石はこのことに苦しんだあげく「則天去私」ということをいいだし、自分の欲をすてて、他人を生かすという思想をいだいた。もし、自分をどこまでも生かそうとすれば他人を傷つけたり、殺したりしなければならない。それよりも、自分のエゴを抑圧した方がましだというのが漱石の思想である。自己を生かそうとするもっとも愚劣なあらわれが、権力とか戦争とかいうものである。だが、自分一人だけでこの世に生きることは不可能である。どうしても他人と結びつかずには、自分も生きることはできない。ここから他人とのつながる接点を求めてセックスによるつながりとか、貧しいものの団結による社会の変革とかいったさまざまな考え方がでてくることになる。
児童文学においても、戦後になって、やっとこうした他人とどうつながっていくかという問題を考えるところまできた。このことは、戦後社会の民主化によって、子どもの存在が社会的に認識されてきたことと対応している。だが、子どもの存在は一応形の上で認められたとはいえ、実際には、それはまだひよわいものであった。このように子どもの側にたって創造活動をおこなおうとするとき、どうしても、子どもの存在をゆがめ、束縛しているところの、外部の力に対するたたかいが、作品内容の中心となると同時に、そのたたかいのなかから、どうして生活していくことが、もっとものぞましいかが、さぐられることになる(*)。
*ここで一つ一つの作品の例をあげてのべている余裕はない。ただ若干ふれておけば、『鉄の町の少年』では、子どもたちが、他人と力をあわせて、社会の矛盾をあばき、社会正義をうちたてようとする考えがえがかれている。これとほぼ同質のものに、『わが泣いている』などがある。『少年の海』『巨人の風車』には、革命の対する願望によって調和的世界への指向がみられる。『とべたら本こ』『キューポラのある街』『あり子の記』などでは、現代の状況のなかで、生きる子どものたくましい姿がえがかれ、他人との調和が成立する基礎となる生活そのものがえぐりだされていた。『ぬすまれた町』では、現代の状況そのものをとらえようとする試みが、なされている。『木かげの家の小人たち』『だれもしらない小さな国』などには、調和的世界を破る戦争への批判があるといったぐあいである。
もちろん、そのような作品の個々のものについて、きめこまかい検討を加えるとき、そこにはいろいろな弱点が露呈している。ただ、非常におおまかにいって、戦後の児童文学の特色は、プロレタリア児童文学・集団主義童話・生活童話の開拓してきた、社会を論理的に考えるという萌芽をうけつぎ、それを方法としてさらに進展させ、子どもの立場から、善意と論理によって調和をつくるために、周囲の人々にはたらきかけようとしたことにある。
だが、ここで考えなければならないことは、現在の日本の社会状況は、他の人びとと共に手をつなぎ、調和的世界をつくるには、あまりにも困難な条件にみちているということである。いいかえれば他人とのつながりの接点が、どうにも見出すことができない状況にあるということだ。
その状況について、小田切秀雄はつぎのようにいっている。
「現体制のなかでけっこう個人的な自我充足の道が与えられるなら、自我は現実にたいして鋭い緊張関係などに入る必要はない、と、いう気風が意識的、無意識的にひろがってきているのだ。(中略)なにかに自己の権利をおびやかされたときには、それの擁護のために個人的にも共同してもたたかうことをいとわず、この意味では個人主義の進歩的な側面を身につけてもいるが、ふだんはもっぱら自己の私生活上の安定と消費増大、享楽増大だけを“合理的”計算で追求しているバラバラな個人がふえており、(中略)個人と個人とは内面的にきりさかれ、個人間の関係は表面的または衝動的なものとなる。」(“政治と文学”の新たな緊張した関係)
つまりは、多くの人間が孤立の状態におちいっているのである。こうした状況をいま流行の言葉でいえば、「大衆社会的状況」ということになり、その基礎には戦後日本の独占資本の確立と発展にしたがった、政治・組織・機構・機械による人間支配がある。そしてこの非人間的な要素をもつ傾向は、当然のこととして、文学にも大きな影響を与えずにはおかない。そのもっとも象徴的な例が、戦後急速に発達した、巨大なマス・コミによって、芸術・文学の内容が質的変化を余儀なくされているという事実である。文学の読物化は、読者の増大による必然的な要請であった。想像もつかない多数の読者に理解されるためには、どうしても内容を極度に平易化しなければならないことは理の当然であるが、それがともすれば、通俗化と結びつくことに大きな問題があった。
このような影響は、児童文学にもあらわれ、子どもになにを訴えるかがはっきりとしない、無思想な作品がうまれたり、技術的にのみおもしろい作品がかかれたりした。
しかし、良心的な作家は、こうした傾向にたいして、抵抗し、批判をこころみ、子どもの存在をゆがめる、日本の社会や機構のしくみを、唯物論的思考法によってあきらかにしようとする。たとえば、不十分なものではあるが『北風の子』『ドブネズミ色の街』などがそれである。
近代文学は、いうまでもなく人間の自由と個性を尊重し、人間の自我の確立のためにたたかってきた。私小説もゆがんだ形においてではあったが、そのたたかいの日本的特殊な例でもあった。
日本の近代児童文学も広い意味で、この自我確立のためのたたかいであって、そのたしかなよりどころが、戦後になってやっと確立し、これからやらなければならないというときになって、厄介なことに人間そのものの存在が内的にも外的にも非常に不安定なものにすぎないという事態がおきた。その実体をとらえるためには、ただ自我の確立という側面にだけ照明をあてていては不可能になってしまったわけである。そしてそれにかわって社会のしくみや組織との関係で、人間をとらえるほうが、よりよく人間を把握することができるという考えがでてきた。
したがって、現在の児童文学は、人間の本質をとらえるために、この二つの側面を、どう統一し、生かしていくかという、きわめて困難な課題を背負うことになったのである。
しかもその上に、現代の状況のなかで、他人と連帯し、より調和的な世界をつくるためには、民族的・階級的な観点から、人間を、文学をとらえなおしていくという、これまたきわめて緊急な課題をもになっているのだ。
現在までのところ、こうした側面での仕事は、まだほとんど手がつけられていない状態にある。これがどう深化され、創造されるかによっては、日本の児童文学の実質も、大きくかわらなければならないのである。
そのためには、なによりもまず、現代の状況を変革し、そのことによって、自分自身をもかえていくという関係のなかで、児童文学をあらためてつかみとってくることが切実に必要なことである。
(7)文学教育者の主体性の確立
以上まことに粗描ではあったが、日本の児童文学の実体の、それもわずかな二、三の側面について、わたしの考えをのべた。そして、その特色は、作家たちの気質や生活や時代とに深く関係していることを追及しようとした。
これはあくまでも、わたしの見取図であって、他の視点もあることはいうをまたない。
ただ、文学教育のために、教材として文学作品をえらぶ場合、その作品がどのような実体をもち、どのようなはたらきをもっているかについて、すこしでも考える手引きになればと思う。
現代のようにあらゆる価値が混乱し、基準が宙に浮いているとき、なにをすぐれたものとするかは、きわめて困難の多い作業である。もし、そのなかでしいて基準をもとめるとすれば、自己の偏見を信じることでしかない。問題はその偏見が、できるだけ、客観的な現実に比して、針が大きく狂わないように、その対象を科学的、論理的に分析しなければならないということである。
それに、いかにすぐれた文学作品であったとしても、文学教育にあっては、子どもの発達段階や生活環境に適応したものでなければ大きな効果を期待することはできない。あくまでも、選択の基底心は、子どもをどう考えどうとらえるかが、たえず追求されていなければならないだろう。
その上にたってわれわれがなしうることは、いま、ここで、自分がどのような方向にむかって、どう進むべきかをえらぶことである。
ということは、現在の状況の意味を明確に知り、なにが美しく、なにが正しく、なにが真実で充実したものであるかを、自らの責任において決定することなのだ。つまり価値判断である。そして、この価値は、どこかとおくのものが、あるいは自己以外のだれかがきめるものではなく、われわれがつくりだすものである。文学の位置は、もともとすでにそこにあって、受動的にひきだし味わうといった性質のものではない。われわれの積極的なはたらきかけによってつくりだしていくものなのだ。
だから、文学教育は、ロマンチックな夢をみるディレッタントや、自分の行くべき方向を見失った文学青年が、よくなしうる仕事ではない。また、自己の主体とまったくかかわりのないところで、知識の切りうりをしているような姿勢からも、ほど遠い作業なのだ。
真の作家は、自己の存在をかけて現実とかかわりあい、思想によってつねに新しい生活や真実を発見しているのである。
文学教育をおこなおうとするわれわれも、リアリスチックな精神で、日本の現実を対象化し、連帯と責任にささえられた主体的な行動によって、それを変革していくために、エネルギーを集中しなければならないのである。 (「文学教育」昭和三十九年十月号掲載)
テキスト化矢可部尚実