横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

いま児童文学にとってなにが必要か

1 転換期の児童文学

(1)
現在、日本の児童文学のおかれている状況をとらえて、ある人は「いまの児童文学には芯になるものがない」という意味のことをいっている。
この言葉は、今日の児童文学をめぐる風潮を、ムード的ではあるがかなり的確にいいあてているとわたしは考えている。
およそ今日ほど、児童文学とはなにか、なにが児童文学でなにが児童文学ではないか、についての判断の基準や境界の区別が、あいまいになり混乱している時代はないのではなかろうか。
そこにみられる状況はある意味で「雑兵混戦の図」であり、恣意的な主観主義が無政府状態のなかで、野放しされ横行しているといってもいいだろう。
一、二の例をあげてみてもいい。
たまたま「童話」(日本童話会)の昭和三十九年六月号の巻頭言に「子どもを対象とする文学」か「子どもを対象とする文学か」というタイトルで、つぎのような問題提起がなされているのを知った。
つまり、「この二つの傾向は、今後の子どもの『文学』を作る作家の大きな関心事でなければならない。『子どもにもわかる文学』の作家たらんとするのか、『おとなも鑑賞しうる子ども向けの文学』の作家たらんとするのか」というのである。
わたしはここで、この問いかけの是非を論議しようとするのではない。この偶然眼にした文章のなかにも、いやさらにいうならばこうした問題提起のされかた自体のなかに、現在の日本の児童文学がおかれている、過渡的な実体が象徴的に現示されていると考えるのである。
また、昭和四十年度の「週刊読書人」に『わたしの児童文学』という文章が連載されたことがあった。それは現在活躍している児童文学作家が、児童文学についての考えやこれから書こうとする作品についてのイメージを語ったものであったが、それをよむとき、ある作家は児童文学を少年少女小説を中心的において思考し、ある作家は空想やユーモアを核とした童話文学を基点にして意見を展開しているといったぐあいであった。方法についても、ある人はリアリズムを主張し、ある人はメルヘンを、ファンタジーを志向している。
これらの文章の一つ一つは、その作家を知るうえにも興味深く貴重なものであったが、しかしそれらの幾多の文章のなかから、輪郭の明確な児童文学についての概念をひきだすことは、きわめて困難な作業だと思われた。
この一事をみてもわかることは、今日児童文学についての概念が、いかに各人各様の主観のもとに理解され、はげしく分裂しているかということである。
今日の児童文学作家は、同じ時代に生き、その時代の制約をうけているという意味では共通したものをもっているとはいえ、そのめざしている児童文学の理念には、ほとんど共通のものをもっていないのである。むしろ、心ある作家は、自らえらんだ孤独の美学に自己の存在をかけ、その創造活動を通して自らに課した理念の正当性と可能性を立証しようとつとめている。そして、独自な問題意識をもって、自己のえらびとった児童文学理念を解明しようと模索や実験をつみかさねている作家の仕事のみが、わたしたちの興味をよびおこすのも事実なのである。
ところで、このような児童文学の核の喪失、いいかえれば、共通の児童文学理念ないし美学の崩壊という現象は、けっして児童文学の世界だけのものではない。おなじことは一般の文学についてもいえる。
この文学全体にみられる過渡的現象は、大きくはヨーロッパでは二十世紀初頭から、わが国では大正十二年の関東大震災あたりから、しだいにきざしはじめたといわれている。それが第二次大戦後の政治的、社会的、経済的な激しい変化と、第二の産業革命ともいわれる技術革新による強大なマス・メディアの出現によって、その変質転換が急激におこなわれたとみるのが、ほぼ常識的な見解である。
今日にみられる児童文学の混乱も、巨視的にみればその波の一つのうねりのあらわれであり、昭和の児童文学の歴史は、その流れのあおりをうけて、児童文学の共通の理想がくずれ去っていくあゆみとして考えることも可能である。ただ、その現象がより明確になってきたのは戦後になって特にここ六、七年のあいだのできごとであるといえるだろう。
もっとも、昭和の初年から十年にかけておこった。プロレタリア児童文学、集団主義童話、生活童話という流れは、たしかに大正期児童文学の保持してきた共通の理想にたいするアンチ・テーゼではあったが、まだそこでは、すくなくとも互いのあいだに話の通じあうだけの、せまいけれどもある共通の土俵はのこされていたように思う。
つまり、そこでは主義や主張、あるいは児童文学がよってたつところの基盤等については相対立しても、児童文学作家が相互に暗黙のうちに認めあうところの理想というか児童文学のあるべき姿というものが、なんとなく存在し、その土俵の内ではいかにいがみあい、批判しあってもそこでは調和し共通して確認しあえる世界が、まがりなりにも存在していたのではなかろうか。
いまこれらの点について、文学史的、精神構造的な側面から実証的に裏付けるだけの余裕はないが、大きなところでくくりうる共通項があったことはたしかである。
ではもしかりに、その共通項を適当な言葉で表現すれば、どういうことになるのであろうか。いまのわたしの感じでは、「詩精神」とでもいっておきたい気もちがしている。
おそらく、こうしたいいかたはあいまいなわたし好みの表現であるという非難はまぬがれないだろう。しかしいずれにしてもその共通の理想の内実は、科学的な分析にたえるような美学といった質のものではない。それはどちらかというと、せまい児童文学の文壇において、おのずからつちかわれた感受性と、ギルド的なきびしさをもった趣味によってかたちづくられ、しかも、多分に近代日本の封建的資本主義社会の矛盾のなかで、苦闘する児童文学作家の生き方と密接につながったものであった。
ついでにいえば、戦後になって若手の児童文学者からおこった「未明伝統批判」というものの対象も、その大部分がこのあたりにむけられたものであったといえるのではなかろうか。

(2)
いずれにしても、現在の児童文学は従来の古い概念ではつかみきれない複雑な変質の過程を経験しつつある。
問題はこの変質の過程を、別な言葉でいえばいちじるしい転換期の意味を、わたしたちはどう考え、これをどううけとめればいいのかということである。
つまり、現在の児童文学にみられる文学理念の分裂や共通の理想の喪失、あるいは批評の基準の混乱といういわば過渡期特有の現象を、児童文学の救いがたい退廃現象とみるか、逆に新しい可能性への模索的な現象とみるか、この転換をどう考えるかによって、その内容に大きなへだたりが生じることはいうまでもない。
ところで、すべての過渡期にあらわれる現象がそうであるように、そこにはまだ十分に型の整合しない、意図ばかりの試みがつよくて、高い安定性をもたないものが目立っている。一口にいうならば、海のものとも山のものとも見分けのつかないものが多すぎるのである。
作品についてもしかりで、そこに表現されているイメージがどのような可能性をもっているのか、あるいは新しいリアリティの創造によって、未来への展望をさししめしているのかその作品のもつ意味をとらえ、どの面に今後の方向をさぐりだすかは、きわめて困難な作業だといわなければならない。
そのためには、今日の児童文学が直面している、外的・内的な条件をきめこまかく分析してみる必要があるだろう。
今日の児童文学作品がどのような基盤から生みだされているか、またそれはどのような時代的矛盾のなかにおかれているのか、あるいは作品のなかにふくまれている傾向のなにが望ましく、なにが望ましくないか。さらにはいまの児童文学はどのような子どもの要求の前にたたされているのか、どのような手段によって伝達され、どのように用いられるのがより有効なのかといった外的条件のほかに、望ましい作品をうみだすためには人生や現実にたいしてどのような姿勢を必要とするか、どのような意識をもって創造活動をおこなうべきか、またどのような創作方法がのぞましいか等々の内的条件についても考察されなければならない。
ともあれ、すべてが根底から問いなおさなければならないのである。
そして、そこにまず要求されるものは、混沌として、まだ自らを規定するだけの概念や様式をもたない現象のなかから、新しい現実をとらえるための眼であり、同時になにが積極的なモメントであり、否定的なモメントであるかを選択し、問題の解決への見通しをあたえるところの主体的な責任ある行為である。
ではまず、この現在の児童文学の変質過程を、大きな観点からみて、どう考えどう評価すればいいのであろうか。
つまり、今日の転換を児童文学の成長、進展への生きた連続とみるか、逆になんの脈絡もない、生命の断絶のつらなりとみるかである。あるいは、いま進行しつつある過程が、新しい革命的な時代を形造っていくものなのか、あるいは一つの時代から次の時代へと単純にうつりかわっていくだけの移動現象にすぎないのかということでもある。
かつて北村透谷は、明治二十年代の東京の風俗を批判して、つぎのようにいっている。
「今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつつあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり、人心自ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺さざるもの稀なり」
この言葉を、いまの児童文学の状況にあてはめて考えるとき、なによりも大切なことは、「革命にあらず、移動なり」という観点をテコにして、この転換期を吟味してみることであろう。
もし、いまの児童文学の過渡的現象が、ファッション・モードのように、その年その年によってうつりかわって意匠の新しさだけをきそうようなものであるとすれば、もはやそれについて論じることはほとんど無意味なことである。なぜなら、そこには流行に鋭敏な風俗の眼だけがあればことたりるからである。
小林秀雄の『様々なる意匠』という指摘をまつまでもなく、日本の近代はさまざまな思想や観念が「移動」していく過程であった。それは社会や民族の内部の論理によって深められ追求されるよりも、「外部の刺激」だけに動かされ、自分の手でそれを解決していく暇ももたないまま、といって次の世代に継承されることもなく、ただ移り動いていくのみであった。
ここでわたしが心配することは、転換期の児童文学が内包する多くの問題が、真の意味での次の時代を形成していく要素として対象化されることなく、ただなんとなく「移動」していってしまうことなのである。
その意味からも、過渡的現象の底に横たわる問題を正しく把握し、それを徹底的にあきらかにしていく必要がある。そのことがとりもなおさず、今日から明日にかけての児童文学の根本問題を明確にするだけでなく、現代の日本がぶつかっている厚い壁の正体にも、接近していくことが可能となるはずである。
そのためにも、わたしはまず、この現在の児童文学にみられる転換の意味を、はっきりと次の時代への成長・進展への生きた連続としてとらえる視点をもちたいと思う。
一般の文学においては、今日の混乱現象を秩序の失われた状況として、まず秩序の回復にその可能性を求めたり、この転換期を全く新しい時代の招来として、それにふさわしい文学の自律性をさぐろうとしたりする動きがみられる。
児童文学の世界においては、それほど明確な主張はみられないとしても、かつての児童文学の核であった、大人の自己表現の児童文学から、子どもを核とした児童文学の確立という動きが大きな潮流としてある。
これらの問題は、もっとくわしく立ち入って論じなければならないことがらではあるが、いまさしあたってわたしなりの見解を結論風にいえば、つぎのようなことになる。
つまり、いまわたしたちが、ここでどうしてもかかせないことは、この激しい転換期の流れのなかにただぼんやりと手をこまぬいて傍観していたり、現状のなかに埋没したりすることではなく、かといって、この混乱を整理しようとして、いたずらに秩序の回復をさけび、それを教訓的に子どもたちに押しつけることでもなく、あるいは個人の解放や個性の実現は大人の古い感傷的な理念として排斥し、なにをおいてもまず子どもへのサービスが大切であると考えることでもないと思う。
むしろ、この転換期にこそ、なにを核にして、読者である子どもに訴えるかという基点というか、原点こそまず発見し確認しなければならないのではないか。このことはけっして単純な自己表現のための拠点ではなく、なによりも、人間、現実社会とのダイナミックなかかわりにかかすことのできない表現主体の確立に通じるものである。
そのうえにたって、一つは人間の生の根源への探求、いいかえれば人間存在の原型への追求にむかうことであり、いま一つは転換期の激動する現実との交渉のなかで人間と人間のつながりをどう回復するかをさぐることである。そこに人間と同時に児童文学の未来への展望を見通すことである。
さらにいうならば、このようにすべてをあらためて問いなおすことによって、いままでの児童文学の理念を積極的に検討してみることである。生産、実践、変革の視点のうえにたって、なにごとも疑いなおしてみないところには、けっして新しい道はひらけてこないだろう。

(3)
ところで、問題をもうすこし具体的なところにもどして考えてみよう。
いうまでもなく、現在のような児童文学の過渡的現象がもっとも鋭いかたちで突出しているものは、作品評価の面においてである。もちろん、さきほどでもふれたように、児童文学は子どものためにかくのか、自己表現なのかといった古くて新しい問題においても、あるいは児童文学の境界区分にしても、そこには混乱の状態がかなり端的に反映していないことはない。しかし、やはりなんといっても作品評価における批評基準に、その分裂が典型的に示されているといえるだろう。
そして、その分裂は大きくは、児童文学史の評価にかかわる、小川未明、坪田譲治、浜田広介氏らの業績にたいする価値判断の問題から、小さくは最近作の『キューポラのある街』『星の牧場』などの評価をめぐる論争など、すこし大げさにいえばいたるところに頭をもたげ露出してきている。
これはすこし余談になるが、かつてNHK児童文学賞(奨励賞)を受賞した香山美子氏の『あり子の記』にたいして、審査委員の一人である川端康成氏が「この作品は子どもの文学としてはむずかしく、大人の文学としては人間の描き方に、いま一つつっこみがたりない」という意味の批評をしたという。
これは一つのエピソードにしかすぎないが、児童文学の作品評価という問題としてうけとればそのむずかしさやあり方の面で、多くのことを示唆しているといえないだろうか。
このような批評基準の混乱、あるいは児童文学理念の分裂という状態は、なにをきっかけにしてもたらされたのであろうか。さだかな通説といったものがあるわけではないが、おおよそのことでいえることは、前述した「未明伝統批判」によって、未明―譲治―広介の系譜の作家たちによって、なんとなく形づくられてきた児童文学理念がくずれさることによって生じたというのが一応の常識的見解である。
いうならば、童話文学のもっているリアリズムが崩壊したのである。童話文学のもつリアリズムは、大人の心情や郷愁に生きる閉鎖的な子どもや、作家の身辺の現実を描写することはできても、現代という激しく動いてやまない現実を包括的にとらえることはできず、そのなかに生きている子どもをひきつけることはできないというわけである。
戦後児童文学の問題史的観点からいえば「少年少女文学宣言」や「子どもと文学」の主張がそれに該当する。そして、それらの主張が大きな反響と共感を呼びおこし、同時につよい反発もまきおこしたことは、この批判がある的を射ていたことをあらわしていた。
しかし、問題はそのことにあるのではない。
一口に「未明伝統批判」といわれるところのものが、批判の対象としてつきくずしたのが、きわめて閉鎖的、心情的な童話文学のリアリズムだけであれば、ことはかんたんである。問題はもっと広い視野のもとに、社会的現実、そこに生きる子どもをとらえればいいのである。つまり作品のシチュエイションをひろげることによって解決される問題にすぎない。
だが、はたしてそうか。
戦後の昭和三十五年ごろから出現した、長篇少年少女小説は従来の童話文学と比べて量的にも素材的にも、視野はかなり拡大し、そこには社会的現実に生きる子どもがまがりなりにも登場するようになった。そして、最初のうちは目新しさも手つだって、そこに好意的に可能性を見出し、それがたくましく成長していくことを期待する声が多かった。
しかし、そのような希望的観測は、たちまちにして裏切られ、いくつかの長篇少年少女小説には現実とは名のみの、底の浅薄な風俗しか描ききれない弱さを露呈しはじめたのである。
どこにそうした原因がひそんでいたのだろうか。
わたしはその原因の一つとして、童話文学の理念の批判が、さきほどものべたような共通の文学理想としてあった「詩精神」をも、同時に押しながしてしまったことをあげたい。俗にいうタライの水と共に赤ん坊までも捨てさってしまったのである。
もちろん、それすらも捨てさるに価するものならばけっして捨てさっていけないとは思わない。ただそれがどのような内実をもっていたのかを、もっときめこまかく、歴史的にも検討してしかるべきであったと思う。
こうしてきわめて機械的、技術的な安易な態度が第二の原因を必然的に生んでいる。
つまり、童話文学のもつリアリズムを、日本の特殊な現実のなかから生みだされた側面をあまり深く追求しないで、単純に現実をとらえる技術的方法としてだけしか理解せず処理しようとしたことである。
このようなリアリズムの理解は、当然に自分の外側にある現実を、ありのままにうつしとっていけばいいという機能に限定されざるをえないし、きわめてかんたんに欧米児童文学のもつ方法とすりかえて平然としておられる感覚とつながっていかざるをえないのである。
これこそ、児童文学におけるあしき「近代主義」とでもいうべきものであろう。
この「近代主義」的な姿勢が、現在の児童文学理念の分裂をいっそう促進しているといえないであろうか。
この問題について、いますこしわたし自身に関連させて考えをすすめてみたいと思う。
わたしは「童話」昭和四十年九月号の『最近の問題作と今後の児童文学』という講演筆記のなかで、『星の牧場』の評価について、およそつぎのような意味のことをかいた。
「この作品はたしかに文学として評価しうるすぐれた要素をもっているが、そこにあらわれた作者の思想はそのネガチブな側面で、児童文学としては否定的評価を下さざるをえない」と。
こうした評価は考えてみれば、あきらかに分裂している。いうならば、ここでは文学と児童文学という二つの機軸の間をゆれうごいているわけである。そこには主観と客観の分裂がある。
だが、こうした作品評価のあいまいさは、今日いたるところにみられる現象ではないだろうか。作者の意図の積極的な意義は認めるが、作品の完成度はそれほど高くないとか、見事な失敗作とか、けっしてふまじめな考えでなくとも、このような社交辞令ととられやすい評価をおこなうことはしばしば経験することである。
この批評基準の混乱も、つまるところは児童文学理念が確立していないからである。児童文学をとらえる核が存在しないからである。さらにいうならば、自己分裂を回復する契機をとらえることができないからである。

(4)
では、どうすればこの児童文学理念の分裂を克服することができるのであろうか。あるいは恣意的な主観主義のハンランを処理することが可能なのだろうか。
そのためには、さしあたり二つの基点から考えることができるだろう。
その一つは、子どもの側からであり、いま一つは作家主体の問題としてである。
わたしたちは、ふつう児童文学を考えるとき、その対象となる子どもの存在を、具体的にどう思い描くだろうか。ある人は三、四歳の幼児を中心にして考え、ある人は小学校五、六年から中学生の子どもを基点として考えるということがあるはずである。
わたしの場合、児童文学としてまず思いうかべる読者対象はどうしても小学校上級以上の子どもになってしまう。そして、児童文学には幼年から中学生までの段階があると一応は意識しながら、しらずしらずのうちに考えることは、やはり小学校上級の子どもを核にした児童文学のあり方である。
いうまでもなく、小学校上級の子どもを対象とした場合と三、四歳、あるいは小学二、三年を対象とした場合とでは、そのあり方において、当然相当なひらきが生じてこなければならない。
児童文学の考えかたのくいちがいの一つには、おそらくここらあたりの問題のとりあげかたに基因していることが多いのではなかろうか。
たとえば、三、四歳から小学二、三年の子どもを原点にして、児童文学を考えようとするとき、それは必然的に、児童文学の特殊性を強調した論理になっていく。
なぜなら、この時期の子どもほど、子ども独自の論理を保持しているからである。大人の論理との相違点がもっとも目立つのが、この時期の子どもの特徴といっていいだろう。だが、小学校も四年生になると急激に大人の論理に影響され、社会常識によって子どもの論理は否定されていくようになる。それ以上の段階になると、ほとんど大人の思考とかわらない。ただ、その思考は生活経験の不足のため、とかく言葉の上だけの観念にとどまりがちで、なにかの契機にがらりと転倒することがしばしばおこりうることである。
これらの点については、もっと実証的な分析と裏付けが必要であるが、以上の点からも、児童文学の理念を、ただ子どもの独自の論理の上だけにうちたてることは賛成できない。
たとえば、幼児の心理をたくみにとらえて表現した中川李枝子の『いやいやえん』は、たしかに児童文学としてすぐれたものではあるが、なにかがかけているという感じをぬぐいさることはできない。
このなにかこそ、作家主体の問題にほかならない。
わたしの感じでは、『いやいやえん』は、作者が最初から子どもに下駄をあずけてしまっている。したがって目の前の子どもを、いかにたくみにとらえるかということだけに作者は心をくばればいいのみで、この今日の複雑な日本の現実のなかで、いかに生き、この現実をどう変革していけばいいのかという観点がはじめからぬけおちてしまっている。
このことは、けっして『いやいやえん』に社会的現実とたたかう子どもの姿やシーンを描けということではない。
この現実をどう考え、どう生きるかという作家の主体的な行動の持続があれば、あの作品はもっとリアリティをもっただろうということである。それがないところでは、深い世界をもった文学は生みだすことができないのである。
現在の児童文学にみられる理念の分裂の大きな原因の一つは、この作家、批評家の主体的な行動の欠如である。このことを裏返していえば、子どもと自己表現という二つの軸のあいだをゆれうごく、中間的な自己の存在にたいして、つよい否定の声を発することを意味する。
すべてはこの不安定な自己の確認と、その自己否定からはじまる。それのないところに、児童文学理念の分裂の克服もありえない。
わたしには、子どもへのサービスも安易な自己表現も、いまの時点では子ども文化への甘い認識と態度からきているとしか思えない。
おそらく真の意味の児童文学は、子どもや文化にたいするもっともきびしい認識と姿勢のなかからしか生れてこないのではないか。そして主観と客観の統一も、たんなる作家の想像力のなかでだけおこなうのではなく、社会的現実と、歴史の進展のあゆみとのかかわりのなかでみいださなければならない。
(「童話」昭和四十一年四月号掲載)
テキスト化秋山トモコ