『横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
5 作家と読者の関係
(1)
「文章を書くのが自分の仕事でありながら、自分の文章がどんな効果を広い層の読者に与えるのか、私にはよく分らない。(中略)文学の仕事というのは、一種の劇薬のようなもので、役に立つこともあるが、ひどい苦しみや迷いを人に与えることが多い。その薬を薄めて、だれがのんでも害にならないようにすれば、その本来持っていた力は失われるのである。だから文士は、あまり多くの読者を持つと、私たちの考え方を薬にして下さい。という読者の気持に負けて考え方が甘くなる危険がある」
これは伊藤整が、一九五四年十月九日の「河北新報」にのせた『文士と読者』という文章の一部である。
ここには、現代文学における作者と読者の関係が、きわめて的確にとらえられている。つまり今日の文学作品が巨大なマス・コミによって社会的に拡がっていく反面、作者と読者の直接的なコミュニケーションはたちきられ、作家は読者の明確な姿をとらえることができなくなってしまっている。それだけではない。作者と読者の直接のつながりの喪失は、必然的に創造力の稀薄化という現象をひきおこさざるをえないという、見のがすことのできない指摘がおこなわれているのである。
このことは、児童文学の場合でもけっして例外ではない。いま日本の児童文学が当面しているもっとも困難な問題の一つは、この作者と読者の連帯をどのようにしてつくりあげるかということにある。この課題をさけてとおるところからは文学の創造力の回復もありえないはずである。
ここ数年間の日本の児童文学は、ある意味で文運隆盛であり、社会化という前進の現象があらわれてきている。だが、その文運隆盛の底には、堕落の現象かあるいは不毛の状況が根深く浸透しつつあることもたしかである。年間かなりの創作児童文学の出版がおこなわれ、量的にはいくたの進歩を見せながら、それにともなって必ずしも質的に向上していかないというゆがみが一方にあり、他方には、すぐれた問題意識をもって、子どものために情熱こめてかかれた内容ゆたかな作品が、それほど子どもに読まれていないという分裂現象がある。また数多く出版される児童文学作品が、子どもの要求なり問題意識なりにふれ、それを満足させることは、ごくまれであるという状況も直視しなければならない。
このような現象はなにを意味するのか。
いうなれば、児童文学本来の機能があまり果たされていないことをしめしているのである。あるいは機能が喪失しかかっているといってもいい。
児童文学をふくめての文学の本来の機能は、一口にいって共同体における人間の内面のつながりを強化するために、人間の感情や思想を普遍化し固定化して表現することにある。
ここに一人の作家がいて作品をかこうとするとき、そこには必然的にある意志がはたらいている。その意志とは、作家が現実との深い交渉によって発見し獲得したものを、他者にたいして語りかけようとする欲望である。
作家は自己と現実とのかかわりのなかでつかんだあるものを、言語に表現することによって、読者に働きかけ自己を孤独や圧迫から解放しようとすると同時に、読者との間に連帯をつくりあげようとするのである。
このようにしてかかれた文学作品は、読者によまれることによって、はじめて存在し、読者に感動をよびおこすことによって完成される。つまり作品と読者のあいだにその連帯が生じたときにおいてのみ、作品の価値というものが生まれてくるのである。だが、実際には作者と読者の関係は、そうかんたんにははこばない。そこにはさまざなな阻害があって、流れをさえぎっている。
その阻害の原因は、きわめて複雑で容易にあきらかにすることはできない。作家の側にも読者の側にも、あるいは子どもをとりまく教師・母親・社会にも、原因はいたるところにあるといっていいだろう。
まず作家の側について考えれば、児童文学についての考えがひどく混乱しているということである。ある人は児童文学を子どものオモチャとして考え、子どもへのサービスが第一条件として重視され、ある人は子どもなどどうでもいい、自分のかきたいものをかくという広い意味の芸術至上主義的な立場にたって作品をかいている。
これらの考えかたで特徴的なことは、児童文学というものを作者と読者をつなぐ行為としてとらえることを拒否していることである。児童文学のもっている本来の機能をほとんど無視し、その機能を断絶したところで、児童文学を成立させようとしているわけである。こうした他者への働きかけを喪失した児童文学作品は、必然的に流れが停滞し退廃することはいうまでもない。
一方読者の側にも多くのゆがみがひそんでいる。子どもたちはさまざまな階層に分解していてそこからでてくる文学的要求が矛盾しあっていること。文学作品を読もうとする意欲が相対的にひくいこと。また文学作品に接しようとしても、経済的・社会的条件のために、なかなかスムーズにはいかないこと。教育の場においても、文学教育、読書指導等によっていくらか可能性がでてきているとはいえ、まだまだ文学にふれる機会がすくないことなどが指摘できる。
もちろん、これらは子ども自身の問題というよりも、社会の問題である。つきつめていけば、日本人のおかれている社会・生活条件にまでいきつかざるをえないのである。
結論的にいえば、現在日本の子どもの生活をゆがめ、抑圧し、分裂されている社会的条件が、子どもたちの児童文学を享受する行為をゆがめ、マヒさせているのである。したがって、創造と享受の関係・作者と読者の関係が真の連帯をもって調整されるためには、なによりもそうした社会的条件の変改やその条件を生じさせている機構そのものの変革がなされなければならない。もちろんこれは政治のプログラムであって、文学のプログラムではないだろう。しかしだからといって、作家はそこに眼をふさいでいていいとは考えない。むしろそこにむかって、文学の方法でたたかいをいどむべきである。
そのことが、児童文学のもっとも根元的な基盤をつちかうことにほかならないのである。注意したいことは、この根元的なるものへのきびしい眼をないがしろにして、個々の文学作品の欠点だけをあげつらっても、あるいは文学の領域だけであれこれの対策をねりあげても、けっして問題は解決しないということである。
だが、ここでは問題点の指摘だけにとどめて、これ以上深入りはしないことにする。
(2)
つぎに作者と読者の連帯をつくりあげるための二、三の問題点について作家の主体に照明をあてながら考えてみたいと思う。
もっとも、この問題を基本的に解明するためには、日本人の文学生活の実態をはじめ、子どもの文学的要求とその生活条件、どのような作品が読まれ、それがどのような効果を生んでいるか等々のことがらが、明確にとらえられなければならない。それなしに、創造力の回復もありえないのであるが、このきわめて困難な課題は長い時間を必要とする。さしあたっては、それに向かって努力することを確認しておくほかはない。
ところでこれらの問題へのアプローチは、心ある作家によっていくらかはなされている。子どもの思考・欲求・行動をどう考え、どうとらえるかという問題意識が、現在ほど高まったことは日本の児童文学においてかつてなかったように思う。そして作者との読者の連帯はこの方向をさらに意識的に追求していくことによって一つの突破口が開かれるのではないかと考えられるのである。つまり子どものもつ文学的要求にどうこたえるか、だれのために、なんのためにかくかをはっきりと意識することである。このことは子どもに迎合することではなく子どもの要求に負けることでもない。
子どもの文学的要求をとらえることと、それを無条件にうけ入れて作品化することとは、はっきり別のことでなければならないだろう。
ところが、現実にはこの区別が必ずしもはっきりとしていない作品が数多くかかれている。
たとえば、いささか古い作品になるが、『あすの山歌』(高橋健)などはその一つの例である。
この作品は、計算された構成、ストーリーのおもしろさ、表現のわかりやすさ、テーマの明快さ、社会批判の視点などにおいて、それなりの水準をもったものであるが、ここで強調されているテーマは、正者あるいは善者は、必ず最後には勝つという、使い古されたモラルである。
太田竜太郎という村の権力者と渡辺久治というその使用人で貧乏な炭焼人夫が、村の選挙を通して対立するという組立てのなかで、子どもたちはそのたくみなストーリーにつられて、おもしろく読みすすみ、村のボスにやとわれた暴力団が、子どもたちのはたらきでやっつけられるという最後の場面で、それなりにカッサイをさけぶだろう。
しかし、この作品にもられているモラルや常識的ヒューマニズムは、ほんとうの意味で子どもの文学的要求にこたえているのだろうか。ここに描かれた通俗的モラルやヒューマニズムは、今日の状況のなかで子どもをどこへつれていくかが、なによりもまず見きわめなられなければならないだろう。それは容易に古い価値体系と結びつき、あしき秩序や権威を保守する側につながっていく危険は十分にある。
この作品は結果において、広い視野のもとで、新しい生活をつくりあげていこうとする行動を中絶させる効果しか、もたらさないのではあるまいか。
最初に引用した伊藤整の言葉にてらしていえば、毒にも薬にもならないで、文学の力を失った作品のように思う。子どもの文学的要求にこたえ得たとしても、それはごく低い段階でのものでしかないだろう。
これにたいして、『とべたら本こ』(山中恒)は、きわめて危険な劇薬をふくんだ作品である。一部のオトナたちからは、不良少年の家出物語としてうけとられ、良識ある母親からは、子どもの教育上のぞましくない本として子どもによませることを拒否されている。
だが、子どもたちはこの作品の主人公吉川カズオの行動に共鳴しながらオトナをふくめた社会からの抑圧をはねのけ、自己を解放する手がかりをつかみとっている。
この作品のもたらす効用は、通俗的なモラルや秩序にたいして反抗し、それを根元から問いなおす姿勢をつくりだすところにある。すくなくともここには新しい読者の要求にこたえるにたるなにものかがある。
ともかく今日の子どもの文学的要求をみたすにたる作品を創造するためには、まずなによりも実感的・自然発生的なかまえを否定しなければならない。また自己表現の普遍性にたいする甘ったれた信仰をすてなければならない。
いうならば、作家と読者の関係を根底からえぐりだし読者の生活の場へ自己を還元することによって、読者とのあいだに新たな関係をつくりなおす必要があるということである。
さらにいえば、文学創造のエネルギーの回復をいたずらに、作者の内的動機の純粋さにもとめるよりも、もっと明確な目的意識をもった行為こそ必要であることを強調したい。
なんのために、だれのためにかくのかという意識的なとりくみによって、その表現のもたらす効果をより的確にとらえることが可能だからである。
作家は自己の生みだした作品が、読者にどのような効果をあたえるかについて一切の責任を負わねばならない。
そのためにも、子どもの要求に応じた新しい表現を意識的に創造していく必要がある。
(「童話」昭和四十一年八月号掲載)
6 児童文学批評は必要か
(1)
四ヵ月も続けて休載した。読者並びに編集者のみなさんに、ご迷惑をかけたことをまずおわびしたい。どのようなものであれ、連載を約束しておきながら、その責任をはたさなかったことは、なんとも後味のわるい思いで気がかりなものであった。
休載した理由については、言い訳めくのでふれないでおきたい。ただ正直にいっておかなければならないことは、休載したのは怠けてかかなかったというよりも、かこうと思ってもかけなかったことのほうがより実情に近いということである。
それも病気で身体が弱っていたとか、身辺がなにかと多忙だったという理由以上に、なにをかいていいのか、どうかけばいいのか、どうにもはっきりしなかったからである。
「いま児童文学にとってなにが必要か」というタイトルで、一連の評論をかこうと思いたち、この連載をはじめたときは、いくらかいてもかきたりないといえばすこし誇張になるが、いくつかの、かきたいと思うテーマがあった。すくなくとも、そのいくつかは、わたしの頭のなかで生きて動いていた。一つのきっかけがあればすぐにでも一まとまりの評論がかけるように感じていた。したがって、肉体的な条件が許せば、できるだけ間隔をおかずにかきつづけておきたい思いだった。ところが、夏の盛りに身体の調子をくずし、八月いっぱいぼんやりすごしているうちにあの生きて動いていたはずのものがなんとなく色あせた感じになってしまった。どうしてもいまここでいっておかなければならないといった一種の切迫感というか緊張感というものが薄れ、いつでもいいような感じにおちこんでしまったわけである。
ということは、頭のなかに浮かんだテーマが生きて動いていたというのは、いうならばわたしの錯覚で、それは単なる思いつき程度の抽象的な評論の題目にすぎなかったことを意味するのかもしれない。そのテーマはいまでも頭の片隅にこびりついているが、それが一つの評論の核心になるには、現代の児童文学の状況との結び目がよくつかめない思いなのである。
このようなことは、だれしもよく経験することでけっして特別なことではないような気もする。あるいは身体の弱りから気力がなくなったために生じた単純な現象にすぎないのかもしれないと思う。しかし、その一方でわたしは現代の児童文学のものすごい勢いで変化している様相を考えてみる。みる立場によっては、日本の児童文学はそれほど動いていないものとしてとらえることもできる。だがある視点に立ってみれば、それがいいかわるいかは別にして、相当なスピードで変化し流動している面があることはたしかであろう。
一つの現象が出現する。その現象がどのような基盤から生れ、どのような実質をもち、日本の児童文学の流れのなかでどのような位置をしめ、どのようなプラス、マイナス、あるいは可能性をもっているのか、といった定着のための判断や分析はほとんどおこなわれないまま、つぎの新しい現象が生れ、先のものは横におしやられたまま放置される。そこで示されるのはせいぜい三四枚ていどの時評的関心にすぎない。もちろん、こうしたことはなにも児童文学の世界だけの現象ではない。日本の社会全体にわたってみられるところのものである。そして楽観的にいえば、つぎからつぎへおこる現象のなかですぐれたものはやはりそれなりに定着していき、評価されているので、なにもそう神経質になって心配しなくてもいいだろう。しかし、そうした目まぐるしい流動が、いらただしい気もちをひきおこしていることは事実である。いらただしさは、ともすれば対象への落着いたアプローチをむずかしくする。現象だけにかかずらって、足もとをすくわれがちである。
わたしは「いま児童文学にとってなにが必要か」という一連の評論で、時評的なものをとおして児童文学の根源的なものをさぐるというねらいをもっていたが、その困難さはいっそう強くなった感じである。この困難さを切り開いていくためにも、わたしはあらためて自分のたっている足もとを、じっくりみつめるところからはじめなければならないと考えている。
(2)
わたしはまがりなりにも、「児童文学批評」というか「児童文学評論」といったものをかいている。ところでこの「児童文学批評」とか「児童文学評論」というものは、いったいなになのだろうか。
すでに自分でやっていながら、いまさらなにを馬鹿なことをいっているかと顔をしかめるむきもあるだろうが、わたしはこの一見奇異な感じのする疑問を、人にではなく自分自身に投げかけてみようと思う。
「児童文学批評」あるいは「児童文学評論」に関して、そののぞましいあり方や機能については、いままでにも多くの人が言及してきた。だが、そのいずれもが、「児童文学批評」というものを自明のこととし、それを前提として語ってきている。
「児童文学批評」とはなになのか、それはなぜおこなわなければならないのか、といった根本のところについては、あまりつきつめて考えられていないような気がする。すくなくともわたしの眼にふれた限りでは見当らない。
そこでわたしは、もうすこし根元のところを、自分の身にひきつけることによってさぐってみたい。「児童文学批評」の基盤にもふれながら考えてみたいのである。
最近、児童文学の批評にたいする不信のことばや、不振をなげく声をしばしば耳にする。端的にいって、それはいまの児童文学批評が、児童文学のあり方についてのイメージをもたず、それほどの有効性をもたないことにたいする疑問や失望である。
例えば、「新潮」(昭和四十一年十一月号)に福田清人氏が『児童文学への情熱』という一文をかき、児童文学には純文芸雑誌に匹敵するような発表機関がない。批評活動が活発でない。児童文学者は低収入である。テレビやマンガの攻勢が、児童文学不振の原因になっている。児童文学者はその姿勢として、成人文学にたいするコンプレックスを捨てるべきだなど、現代の児童文学が当面している問題点を指摘しているが、そのなかで児童文学批評にふれてつぎのようにいっている。
「二、三の批評家はいるが、現在の文芸批評の水準からみると、三、四十年前の過去を思い出させるような公式主義批評である、ノヴァーリスの言葉を彷彿させる作品が現れても、『うしろ向き』と片附けられるだろう」
またこの文章の前の部分では、「私には幸い児童読物を好む年齢にあたる姪や甥がいて、その素直な批評はある種の傾向を帯びた児童文学批評家より、私のためになっている」とも述べている。
これは氷山の一角ともいっていい例である。児童文学専門の批評家にたいする批評やうらみ、つらみ、あるいは批評の的はずれや無力さを、このような形でいいあらわした事例にはことかかない。子どもの感想のほうが、専門批評家の批評よりはるかに有効だという作家の言葉に、わたしは数多くぶつかっている。そのたびに、わたしなどは身のおきどころがないような、いたたまれない思いにかられた経験がある。昭和四十一年八月号の「童話」でも、山本和夫氏がやや冗談めかして、「批評家というものは、いつもイジ悪です。(イジ悪はいけません)私はいつも、いつも、批評家というイジ悪に、いじめられています。泣くに泣かれぬこともあります。――だから、作者は、批評家にイジ悪をいわれても、びくともしないような作品にヨロイをつけるべきです。批評家なんて、表面はいばっていますが、内心は、一茎の葦のように風に戦いでいるのです」とかき、批評へのというよりも批評家へのうらみをかいている。
こうした作家と批評家の問題は、一般文学のあいだでもたびたび論じられていることで、「群像」(昭和四十一年十一月号)にのった「現代をどう書くか」という座談会でも、小島信夫、阿部公房、安岡章太郎、大江健三郎たちが、小説家と批評家の発想のちがいをとりあげ、巨視的な立場の批評は、実際の創作にはあまり役立たないことを主張していた。
たしかにそのとおりだろうと思う。批評家がいくら大局的にりっぱなことをいっても、一つ一つの言葉をつみあげて作品を造っていかなければならない作家にとっては、それほど身につまされないし、むしろどちらかというと自らの手をよごさないできれいごとをならべているという不満の情のほうが大きいということは、よくわかるような気がする。この不満が深くなると、批評家のいうりっぱな作品を自分自身でかいて見せてほしいという作家の開きなおりをひきだすわけである。これも情においては無理のない面がある。
だが、ここではっきりしておかなければならないことは、一つの批評は一種の空論で無力だという見解はありふれた常識にすぎないということであり、いま一つは、現在おこなわれている児童文学批評への不信は、現代の児童文学批評ないし批評家の非力から生じてきたものであって、けっして児童文学批評そのものに罪がないということである。なぜこのようなあたりまえのことを、ことあたらしくもちだすかといえば、児童文学批評への不信が、つきつめると児童文学批評、批評家無用論におちていく懸念が多分にあるからである。先述の福田氏の文章を論理的においつめていくと、結局いきつくところは児童文学批評家は無用で、子どもの批評だけがあればいいということになる。そのうえに、児童文学の世界では作家と批評家のあいだにただよっている空気が、なんとなくじめじめしていることも、わたしには気がかりなことである。おそらく現代児童文学がかかえている大きな問題の一つは、このあたりにひそんでいるはずである。
作家は批評家を信ずる信じないは、その作家の自由である。だれもそれを強制する権限はない。しかし作家が批評そのものを拒否することは、その作家のタイハイを意味する。正しい意味での批評の発展がないところで、創作の前進ものぞめないことは、いまさらいうまでもないことであろう。
今日の児童文学批評には、多くの問題がある。そしてそのいくつかは児童文学批評家の非力から生じている。だが大きくは、やはり「児童文学批評」の歴史の浅さや、そのジャンルの確立が全く不十分にしかなされていないことに基因しているといわざるをえない。
(3)
児童文学の世界のなかで、今日の「児童文学批評」がどのような位相を占めているかは、もはやくどくどとのべたてる必要はないだろう。すでに述べたところからも十分に推察できる。このような「児童文学批評」の低くかつ不安定な位置は、「児童文学批評」そのもののありかたにもかかっている。
つまり、児童文学に関する批評、評論は、直接子どもに読まれるものではなく、児童文学に関心をもつ大人たちを対象としてかかれるものだということである。大人の文学では、文芸評論はひとつの文学作品として位置づけられ評価される。ところが児童文学の世界では、「児童文学批評」はけっして児童文学作品ではなく、正体のいささか不確なジャンルにくみ入れられる運命をもっている。「科学書または実用書のなかに入れておくべきものである」(国分一太郎)という見解もある。
いずれにしても、こうした「児童文学批評」の間接性は、そのまま「児童文学批評」の特殊性と結びつき、その位置づけの大きな要因となっている。またこの「児童文学批評」が必然的にになわなければならなかった特異な性格は、そのよってたつ基盤をあいまいにする作用をもたらした。
これまでの「児童文学批評」がともすれば大人の文学世界でおこなわれている文学思潮や評論の傾向を、なんの媒介もなしに直線的に導入し、それを唯一の武器にして児童文学作品を裁断するという非難などはその一つの事例である。いままでの日本の児童文学に、どれほどの「児童文学批評」が成立していたかについては疑問の余地があるとしても、その批評の基盤は、児童文学の独自なものというより、多分に大人の文学評論のそれに依拠していたことはたしかである。
例えばプロレタリア児童文学運動がおこったとき、それを主唱した槇本楠郎氏の理論は、当時のプロレタリア文学の理論的支柱であった蔵原理論の直線的な適用によって形成されていた。したがって、それは理論的にはきわめて正当であり、日本の児童文学に新しい側面を切り開く可能性をもっていたにもかかわらず、具体的な児童文学の創作方法については、かならずしも有効性をもちえなかったのである。おそらく、プロレタリア児童文学における理論と作品の乖離は、このあたりに原因があった。
だが、わたしは「児童文学批評」が一般の文学をとりまいている文芸思潮や文学理論に、影響されることがいけないといっているのではない。むしろ影響は大いにうけるべきだし、そこから多くのものを吸収すべきだと思っている。そうしたものから独立して、「児童文学批評」が成立するというような「神話」をわたしは信じない。児童文学も「文学」であるかぎりそのようなことはありえないことだからである。問題は一般の文学思潮や理論から、なにを学びとり、それをどう児童文学のなかに創造的に生かすかである。
戦後における児童文学の批評は、なによりもまず自己の「戦争体験」の意味を問うところからはじめられたと思う。「戦争体験」をテコとして、あるいは一つの批評の原理として戦後の児童文学批評は成立した。この原理は児童文学のみでなく、大人の文学批評にも共通するものであった。そこでは、児童文学批評は戦争の体験と戦後の体験がかさなりあったところに形成された基盤にしっかりと根をおろしていたのである。そして、批評活動と創造活動は交錯していたといっていい。短い時期であったとはいえ、民主主義児童文学の熱っぽい隆盛は、批評と創造の幸福な調和をしめていたと思う。
だがこうした調和は、反動的な時代思潮のなかでうしなわれ、児童文学の批評の空転、ある意味では先行がはじまる。具体的には、創作児童文学の慢性的不況、停滞を打ち破る方途として、読者である子どもの存在の確認や本質の把握が主張されたのである。このことは戦後児童文学批評の基盤に変化をもたらし、戦後児童文学批評の大きな特色のひとつとなった。その代表的なものとして石井桃子氏たちの批評活動をあげることができる。
「批評家たちの従来までの欠陥はどこにあるか。日本には、児童文学の歴史について語る評論家や、個々の作品について印象批評をする批評家は、比較的多いけれども、作家に対して実作指導までするような批評家は少いのだ。これが芸術児童文学の創造を停滞させている。児童文学の読者は子ども自身である。したがって、作品に対する批評は、ほんとうのところは子どもの側から出なければならない。けれども、子どもは、自分の精神の内部にもたらされたものを、自分のコトバで、そのまま表現するまでには、成長していないといううらみがある。しかし、その部分的なものでも、これを集大成して、子どもたちの代弁者となるときに、児童文学の真の批評家は生まれるであろう。(中略)今後必要な児童文学批評家とは、子どもの感想、批評を忠実にとらえる努力をした上で、おのれの意見を述べるような新しい型の批評家でなければならない」(『芸術児童文学の創造』国分一太郎、昭和三十一年一一月)
といった主張にも、それは端的にあらわれている。
ともあれ児童文学の批評は、子どもを基盤としておこなわれるべきであり、その批評や感想を反映させなければならないということが確認されたことは、児童文学批評にとって前進である。このような主張が、例えば、
「私たちの時代に必要なのは、ある出版シーズンに出る子どもの本を、なんでもかまわずにほめあげて広告することではない。よい作品とつまらない作品とをはっきりわけた、識見ある批評である。そのような批評がないと、児童文学の分野に、秀でた独創的な作品を多く望んでもむりである。しかし、つまるところ、この分野でのいちばん本当の批評家は子どもたちなのだ」(アン・カロル・ムア『子ども時代に通ずる道』)
という言葉にあらわれたような、欧米児童文学の理念とからまってできている背景があるにしろ、児童文学批評家が、子どもの読者の感想、批判をふまえて、自分の論理を展開することは、あまりにも当然のことである。
従来の児童文学批評において、これらのことがほとんど軽視されていたことは、「児童文学批評」に大きな盲点をもたらすことになった。さらには「児童文学批評」というジャンルの確立にとって、一つの障害となっていたにちがいない。
批評家というものは、ある意味で総合的な存在でなければならないといわれている。このことを考えるとき、児童文学批評家が、自己の感覚や主観だけによって批評をおこなうことが、いかに偏向の危険をおかすものであるかがわかる。できるだけ広い視野をもって、子どもの批評をもくみこんでいかなければならないことは、自明すぎることがらである。この意味からいっても、児童文学批評家は、つねに自分自身にたいして、「子どものために何をやっているのか」という問いを、発していなければならないだろう。
(4)
だが、児童文学批評は、子どもの感想、批評をとらえてそのうえにたって自己の意見をのべることで、すべてが完結するわけではない。それは出発点であって到着点ではないのである。ここのところを、あまり単純に図式化してとらえることはむしろ危険であるだろう。
批評の本来のはたらきは、他人の作品の良し悪しを弁別するところにあり、批評家の役割は、その機能を客観的なものとして社会に提出することにある。だが同時に、そこには批評家の自己表現という側面もふくまれているのである。
したがって、児童文学批評家は、子どもにかわって作品のいいわるいをわきまえるとともに、その代弁をとおして自己を表現しようとしているのだ。
なぜなら、批評の常識からいってもまずはじめに子どもの感想や批評があるわけではない。最初にあるものは、作品からうけたわたしの感じである。作品をとおしてえた印象なり感動なりを新しい言葉によって表現しようとすることである。子どもの感想、批評をくみこむ作業が、この過程においてである。しかもそれはわたしが発見したものと、つきあわせる一つの資料の資格においてである。
わたしはかつて「児童文学における自己表現」の問題についてふれ、作家の「自己表現」が、そのまま子どもに通じるためには、作家の「私」が社会化されていないければならないとかいた。子どもを直接の読者対象としない児童文学批評において、なによりもまず批評家としての自分の立場を明確に打ちだすことが、「自己表現」として求められるのではないか。どのような立場から、どのような方向に、どのようななかみのイメージをさしだすかにすべてはかかっているのである。
そのためには、批評の基軸になるものを発見しなければならないし、自己のすべてをあげてぶつかりあうことのできる作品がなければならないと思う。だが、このことは、今日きわめて困難な状況のもとにおかれている。
大衆社会状況のなかで、児童文学の理念はしだいに空洞化し、新しい感情や新しいイメージを創造するよりも、おもしろい話をつくりあげることにエネルギーが費消されているところでは、批評が成立するためのモチーフは稀薄になり、批評の機能は喪失せざるをえないのである。
かつて「戦争体験」を基軸としておこなわれた批評も現在ではもう一歩つきすすめたものがなければならなくなっている。でなければ今日の問題を根抵的に批判することはできないだろう。だが正直いって、わたしにはそのヴィジョンは明確ではない。いまわたしのまえにある現実はなんとしても変革しなければならないという、アクチュアルな面は比較的はっきりととらえることはできても、その解体、破壊のあとにつくりあげる「宇宙」というか「世界」についてのヴィジョンは、まだわたしには生き生きと描けないでいるのである。ということは、つまるところ批評のテコが見出せないことを意味する。
わたしは、児童文学批評はテクニックの問題も大いに論じなければならないけれども、同時にそれは人類の未来社会へのヴィジョンを提出する文明批評でありたいと願っている。
したがって、わたしにとってもっとも関心をそそられる批評対象は、わたしとおなじような問題意識をもち、それを形象化するために格闘している作家や作品である。いうならば、そこに同時代的な共感をもちうるような作品である。そこでは批評活動と創造活動の真の対立が可能となるかもしれない。
現代の児童文学が当面しているさまざまな問題を、わずかでも切りひらいていくためには、なによりも作家と批評家の正しい意味での対立がなければならないと思う。ところが、いまわたしたちのまわりにあるものは、そのような対立ではなく、「解説」であり、あいまいな「鑑賞」であり、通人的な「辞令」である。あるいは作家は作家、批評家は批評家だという「分類」である。ここからは、なんら生産的な行動を生みだすことはできないだろう。せいぜい作品にたいするなれあい的な判断か、その裏返しのせっかちな裁断批評か、批評家にたいする不毛なうらみごとが生れるだけである。
わたしたちはいま、作家も批評家もともに共通の目的のためにたたかわなければならない状況におかれている。そこではけっして、じめじめした「いじ悪」などしている余裕などはない。また甘いいたわりなどをしていてはならないのである。自分のおかれている状況を、はっきりと見きわめ、どこにむかってどう行動しなければならないかを自分の責任において選択することによって、作家と批評家、批評家と批評家のあいだに、ドラマを回復しなければならないのである。
わたしにとって、児童文学批評をおこなうということは、そうしたリアリズムを確立することにほかならない。わたしは児童文学批評の態度として、まず作品にたいする自己の感受したものを大切にするところから出発し、子ども、教師はいうにおよばず、社会や経済などもろもろの価値や基盤の関連のなかでそれをたしかめ、すこしでも創造活動を刺激して高めるようなものでありたいと願っている。
児童文学批評によって、現実を動かすことはできないかもしれない。だがその現実といつも緊張した関係を持続させることを志し、そこに自分をかける以外に児童文学批評を生かすことはできないのである。
(「童話」昭和四十二年一月号掲載)
テキストファイル化 鈴木真紀