『横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
戦後の児童文学にあらわれた子ども像
−高学年の場合−
(1)
戦後の児童文学は、その作品のなかで、さまざまな子どもたちの姿や、子どもの世界を描いてきた。その多様さは、戦後の児童文学の一つの特色である。おそらく、それらの作品をきめこまかくみていくとすれば、枚挙にいとまがないと思う。
こころみに、昭和二十年代にかかれた、『ノンちゃん雲に乗る』(石井桃子)、『太陽よりも月よりも』(平塚武二)、『三太武勇伝』『三太物語』(以上青木茂)、『母のない子と子のない母と』『二十四の瞳』(以上壺井栄)、『五十一番めのザボン』(与田凖一)、『あくたれ童子ポコ』(北畠八穂)、『夜あけ朝あけ』(住井すゑ)、『鉄の町の少年』(国分一太郎)などの長編作品に描かれた、子どもの姿ないし子どもの世界を思いうかべるだけでもその想像はつく。
これらの作品には、たしかに、いろいろな視点から子どもの姿やその世界がとりあげられ、作家の思想・方法にささえられて描きだされている。
しかし、それが一個の人間として、あるいは一個の子どもとしてトータルにとらえられ、明確な像をもって表現されているかどうかになると、その印象は必ずしも深くない。
わずかに、『ノンちゃん雲に乗る』の“ノンちゃん”や、『三太物語』の“三太”などが、比較的に輪郭のととのった子ども像として、うかびでてくるぐらいである。それも、現代のヒーローやヒロインということになると、遠くおよばない感じがつよい。
もっとも、このことは、なにも昭和二十年代の作品に限ったことではない。戦後の児童文学全体についてもいえることである。わたしたちは、戦前の児童文学において、たとえば、坪田譲治の“善太・三平”像や、千葉省三の“虎ちゃん”像を財産としてもっているが、それに対応しうるような子ども像を、戦後の児童文学がどれほど造型したかという点になると、その成果はけっしてゆたかだとはいえないのである。
もちろん、冒頭にものべたように、戦後の児童文学作品には、多様な子どもの姿や世界がとりあげられてきており、その意味では、いちがいに貧困だとはいえないにしても、その子どもの姿のあらわれ方は、どちらかというと総体的ではなく、多分に断面的、部分的なところに特徴がある。
だからといって、戦後の児童文学作家が、戦前の作家に比して、子ども像の造型に関心がなく低い技量しか持ちあわせていないということではない。むしろそれは、作家の力量にかかわる問題というよりも、現代の社会そのもののあり方にかかわっている。
つまり、一口でいってしまえば、現代社会のなかで生きている子どもの存在そのものが、きわめてとらえにくくなっているという事実である。子ども自体が複雑に分化し、ある意味では分裂してしまっているといってもいい。そうしたところでは、わたしたちおとなは、確固とした児童観をもつことが、きわめて困難になっている。
たとえば、戦前にあっては、子どもはおとなの理想像として、明確なかたちで存在していた。「吾人は、常に子供の如く『無知』でありたい。子供の如く『感覚的』でありたい。子供の如く『柔順』で、『真率』でありたい」(小川未明『少年主人公の文学』)
といった文章にも、それがうかがわれる。もっとも、ここには多分に抽象的、観念的な性格が顔をのぞかせているが、子どもを理想像として、とらえる姿勢には、みじんの動揺もなく確信にみちているのである。
だが、今日わたしたちは、このような単純さと確信において、子どもをとらえることはできない。現代の子どもは、複雑に多様化し屈折したかたちで、おとなとむきあっている。 情報化社会に生きる子ども一つを考えても、戦前とは比較にならない質的な飛躍がそこにはみられるのである。一つの事例をあげれば、いままで家庭のなかにおける情報の伝達者は、主として父親の役割であったが、テレビの普及によって、子どもは父親をとおさずに、じかに社会から情報をうけとめるようになっている。時と場合によっては、おとなよりも早く、テレビからの情報を子どもはうけとめることもありうるのである。
そこでは、父親と子どもの関係は、上から下へという固定した一方通行ではなく、同等ないし逆の関係図式も成立することになるわけである。
このような現代社会にみられる情報の画一化は、おとなと子どもの境界をアイマイにし、きわめて複雑なものにしている。それだけに子どもをとらえることはむずかしく、首尾のととのった児童観の成立を困難なものにしているのである。しっかりとした児童観のないところに、子ども像の造型がありえないことはいうまでもない。
戦後の児童文学が、トータルな子ども像をもつことがむずかしくなっている、もっとも、大きな原因の一つがここにあると思う。
いま一つの要因として考えられることは、児童文学の方法の問題である。特に、リアリズムとの関連においてである。
戦後の児童文学がその方法において多面的な進展をしめし、リアリズムにおいてもそれなりの深化があったことはたしかである。
子どもとそれをとりまく社会現実との緊張関係をとらえようとする姿勢や、自己の体験をもとにして、そこにいくらかの想像力をはたらかせ、感性的なリアリズムによって作品創造をおこなう技術においては、多くの成果がみられかなり精密なところまで発展をみたと思う。しかし、いわゆるリアリズム本来の技法そのものは、必ずしも深められなかったといえるのではないか。
いうまでもなく、リアリズムはあるもをあるがままに描く外面的な技術ではない。そうではなくて、仮構の世界のなかで、ほんとうらしさをつくりあげるための技術であって、それは根本的には、作者の人生や人間、社会にたいする判断力、思考によってささえられているものである。
言葉をかえていえば、作者のいだいている思想や判断力の正しさを立証するために、「他者」−「子ども」(つまり社会)をとおして検証していくための技術にほかならない。ウソの世界をささえるためには、どうしても細部の真実がしっかり描きだされていなければならない。この細部の真実=リアリティをつくりあげるものこそリアリズムそのものにほかならないのである。
ところで、戦後の児童文学においては、自己の体験と一応切れたところで仮構の世界を構築し、そのなかで自己の思想を、他人である「子ども」をとおして実験し、立証しようとした作品は必ずしもそんなに多くない。それよりも、自己の体験をもとにした作品のほうがはるかに多いのである。
こうした体験という事実にもたれかかり、そこにすこしばかりの想像力を付加して、その体験をできるだけ精細に再現していけば、おのずからリアリティに達するのだと考えるところでは、描写自体の客観性も、人物の典型もつくりだす必要はない。まして、自己の思想を検証することもないわけである。
そこでは、フィクションによって、ほんとうらしく他人を描きだす面倒な作業をしなくとも、ただ、自己の体験の事実によって、作品の真実性を保証しさえすればいいのである。作品のリアリティが、作者の体験によって保証されている限り、リアリズムは自己の思想の普遍化にはむかわず、感性的な描写の精密化に傾斜していくのは必然である。
この戦後の児童文学における、いわばリアリズムの未成熟が、子ども像の造型をはばんでいるいま一つの理由ではないか。もちろん自己の体験をもとにした作品にも、多くの子どもは登場しているが、それは像というよりも、感性的、印象的な子どもの姿の描出にとどまっていることがしばしばである。
(2)
では、戦後の児童文学は、どのような子どもを造型し、それはどのような特色をもっているのであろうか。
この問いにこたえることは、容易なことではないが、まず、ごく一般的にいって、戦後ないし今日の子どもたちの、ごくありのままな自然の姿を描いたもの、子どもの欲求とそれを充足させるための行動をとらえたもの、状況=社会、歴史との緊張関係のなかで、さまざまな困難と主体的にかかわり、それを克服するかたちで成長していく姿を描いたもの、作家の理想的人間像を投影させながら、子どもの人間的な生き方をさししめしたものなどが、そこにはふくまれている。
そして、そこでの戦後の特徴としては、子どもの自我の確立と拡充、それにともなうたくましい成長、主体的、行動的、集団的な生き方、状況変革への積極的な姿勢といったことを指摘することができる。
そうしたなかでも、わたしにとって関心がひかれるのは、現代の子どもの生活とそれをめぐって生じるいろいろな問題を、集団として描きだした作品である。たとえば、『宿題ひきうけ株式会社』(古田足日)や、『うみねこの空』(いぬいとみこ)をあげることができる。
子どもの集団を描くというテーマは、なにも戦後にはじまったことではなく、すでに昭和八年に塚原健二郎によって、「集団主義童話の提唱」がおこなわれていた。
それは、「児童の集団的生活(社会的)の中に於ける自主的、且つ創造的な生活を助長しその個々の生活行動を通して、新しい明日の社会に向かってのびて行くための童話」の必要性を強調したものであった。いいかえれば、子どもたちの生活のなかにある問題を、社会的な関連においてとりあげ、それをただ個人的に解決するのではなく、集団によって解決をはかっていくことの重要さをとなえたのである。
この提唱は、今日からみればごく常識的なことにすぎないが、戦後の子どもの集団を描いた児童文学作品は、その延長線上にあるといっていい。その差異は、「集団主義童話の提唱」が、子どもの日常生活を社会的関連においてとりあげるといった程度の、具体的な方法をふくまない素朴な主張にとどまり、ともすれば日常的な生活の模写に傾斜しがちであったのにたいして、戦後の児童文学作品では、社会的な関連のなかで、子どもの現実生活をとらえていく視点を堅持しながら、そこからさらに進んで、フィクションと想像力による、子どもの集団生活のいきいきとしたほりさげの方向にむかっていることである。
『宿題ひきうけ株式会社』では、学校の宿題をめぐる悩みをきっかけにして、自分たちの身のまわりにある問題や社会の矛盾にめざめていき、その解決のために集団で思考し行動していく現代の子どもの姿がとらえられている。
具体的には、サクラ市サクラ小学校五年三組の、アキコ、ミツエ、タケシ、ヨシヒロ、サブロ、フミオといった子どもたちが小学校のときから野球ばかりして、ほとんど勉強もしていないテルちゃんのプロ野球入団というニュースに刺激されて、「一千万円ほどじゃないけど、五百円ぐらいならもうかる方法がある」という発想をうみだしてくる。そして、宿題にこまっているみんなに、十円でその肩代わりをしてやる“宿題ひきうけ株式会社”をつくりだす。その会社は、結果において失敗するが、そこから発展して、自分たちの生活やそれをとりまいている社会のなかにひそむいろいろな問題に気づき、さいごには、“宿題なくそう組合”を結成するまでに進展する。
この作品に登場する子どもたちの性格は、必ずしも鮮明に描きわけられているとはいえないにしても、自分たちのまわりにある問題を、集団のなかで考え、それを積極的、主体的に解決しようとする現代の子どもの特徴的な姿はよく表現されている。
“宿題ひきうけ株式会社”から、“宿題なくそう組合”への過程は、子どもの日常生活の模写的な描写では不可能なことで、仮構の世界における想像力の働きにまたなければならない。もっとも、そのプロセスの表現は、十分に説得的だとはいいえないが、子どもを大人の理想像としてとらえる作者の児童観がそれをささえている。
『うみねこの空』は、青森県八戸市という、うみねこのすむ蕪島を舞台にして、うみねこの世界とそのうみねこによって田畑をあらされる農民とのあいだに生じた矛盾、そのような生活環境のなかで、うみねこを主題にした版画集を作ろうとする中学生の群像をからませた、どちらかというと記録性のつよい作品である。
この作品について、作者は、「青森県八戸の蕪島ちかくで、ほんとうにあったいくつかの事件をもとにして書きました。作中人物などにモデルはありますが、すべて作者の心の〈フィルター〉を通したフィクションであることはいうまでもありません」といっているが、調査、観察にもとづく記録的要素のうえに、想像力によるうみねこの世界を結びつけることによって、現実そのものにより深く迫ろうとしたところに特色がある。
ここに描きだされている高行、冬子たち中学生の群像は、海上自衛隊の基地であり、新産業都市としてはげしく変貌しつつある地域社会を背景として、生きていくために安全操業をおかしてコンブ漁にでざるをえない漁師の生活や、勤評による圧迫のもとで、民主教育を推進しようとして左遷される教師などとの、広い社会的関連のなかでとらえられている。
そして、うみねこの版画集をつくる創造活動をとおして、学力テストや受験勉強などのもつ非人間的な圧力をはねのけ、ものをつくるよろこびとたしかさを自己の内部でたしかめることによって、真に人間的なものとはなにかについて意識的になっていく中学生の姿がうきぼりにされているのである。
ここにも、いままでの児童文学作品には登場してこなかった、戦後に生きる子どもたちの積極的な姿が描出されているといえるだろう。
このようにみていくと、なおふれなければならない作品が少なくないが、またの機会にゆずるしかない。ただ、戦後の児童文学にあらわれた子どもの、いま一つの特色としてみのがすことができないのは、家出、放浪する子どもの姿が比較的数多くとりあげられていることであろう。
たとえば、『とべたら本こ』『ぼくはぼくであること』(以上山中恒)、『ぼくらははだしで』(後藤竜二)、『小さなハチかい』(岩崎京子)、『小さい心の旅』(関英雄)、『教室二〇五号』(大石真)などに、そうした子どもの姿をみることができる。
もちろん、こうしたテーマは、児童文学にとってけっして新しいものではないが、家出なり放浪をとおして、子どもの自我の確立、自主性とその世界の拡充、成長の契機を描きだしているところに、やはり、戦後の児童文学の特徴をみることができる。
(3)
戦後の児童文学において、比較的明確な子ども像が描きだされているのは、先述したように、リアリズム本来の機能を十分に生かした作品に多い。ありのままの自然の子どもを描いた作品よりも、自己の思想を子どもという他人を造型するなかで立証しようとした作品に、興味ある子ども像がうかびでてくるのである。
そこで、そうした子ども像を、社会現実に素材をとった『赤毛のポチ』(山中恒)、戦争を主題にした『ぴいちゃあしゃん』(乙骨淑子)、歴史的な背景をもった『ちょうちん屋のままっ子』(斉藤隆介)のなかにさぐってみたいと思う。
『赤毛のポチ』は、作者の処女作で、“カッコ”とよばれている小学校五年生の女の子が主人公である。物語の舞台は、北海道の小さな炭鉱町の南はずれにある軍艦長屋とその周辺で、そこに住むカッコの一家を中心にして話は展開する。
父は町の工場の臨時工をしているが、安い給料のため母が砂利採取にでて、なんとかとぼしい生活をおくっている。そのためカッコは、学校を休んで家事をみなければならないことが多い。
そのカッコは、勉強はあまりできるほうではないが、音楽や図画は得意で、シンはしっかりとしている。ただ、まずしさのために、自由な行動も、自分の欲求をみたすことができないので、長屋に迷いこんできた赤毛のポチをかわいがることで、心の慰めを見出している。
カッコは、その赤毛のポチをめぐって、“カロチン”という炭鉱会社の重役の息子で、原爆によって精神に障害をうけている男の子に対立し、金持ちをにくむ。だが、まずしい生活にたえてせいいっぱい生きていくなかで、すこしずつ社会の現実にふれていき、現実そのものを自分なりに認識していく。そして、“カロチン”も戦争の犠牲者だということがわかる。軍艦長屋の大人たちは、カッコがだした素朴な疑問から、自分たちの権利にめざめ、もっとよくなるために労働組合をつくってストライキにたちあがる。
このように労働者の家庭に育ったカッコは、みじめな生活のなかで、しっかりと根をおろして生きながら、自分をとりまく状況にまともにかかわることによって、しだいに成長していくようすが描かれている。
主人公のカッコは、けっしてカッコよい子どもではない。いたずらでも、わんぱくでも、あくたれでもない。といって、単純な“よい子”でもない。どこにでもみかける普通の女の子にすぎないが、シンのつよさを内にひめ、地味ではあるが足を地につけた生き方は、いたずらによろこびもせず、かといって、いたずらに悲しみもせず、どこまでもねばりづよくあるいていくしたたかさを持っている。
ここに、作者の思想や人間の理想像が表現されている。そして重要なことは、このカッコという少女の造型をとおして、一九六〇年代の子ども像を先取りしようとしていることであろう。
作者は、“愛蔵版へのあとがき”のなかでつぎのようにいっている。
「この作品は戦後の日本のリアリズム児童文学が到達した記念碑的作品という光栄ある評価を得てきました。しかし発表されてから十三年へた現在、その作品がぼくにとってなにを意味するのか再検討の時期にさしかかっています。作家にとって、良いにつけ悪しきにつけ足かせとなる作品があるものです。そうした意味で、この作品は現在なお、ぼく自身に意義を問いつづけているのです」
つまり、カッコという子ども像が、はたして今日においてもなお積極的な意義をもっているのかどうか、再検討してみなければならないとうわけである。
たしかに、『赤毛のポチ』の“カッコ”には、どこかに“よい子”のイメージを、尻尾にひきずっている面がないわけではない。大人の理想像としての、ある種の甘さがあるといってもいい。『赤毛のポチ』と同じ年に出版された『とべたら本こ』では、作者はカッコがひきずっている“よい子”のイメージを、徹底的にうちこわそうとして、“カズオ”という子ども像をつくりだしている。
この“カッコ”と“カズオ”のいずれに、今日の子どもとしての可能性があるかについて論議のあるところであるが、“カッコ”が戦後の児童文学からうみだした、数少ない子ども像の一つであることはたしかなことである。
『ぴいちゃあしゃん』は、杉田隆という少年通信兵をとおして日中戦争というものの正体にせまろうとした作品である。戦後の児童文学においては、当然のことながら数多くの戦争児童文学がかかれてきた。そして、そのほとんどは自己の戦争体験に密着したところで表現されている。それだけに、体験のもつつらさ、くるしさ、みじめさ、非情さに重点がかかり、被害者の立場からの、戦争の悪にたいするナゲキブシとなりがちであった。そこでは、戦争の正体にせまる冷徹な眼はくもりがちであったといわなければならない。
そうしたなかで、この『ぴいちゃあしゃん』は、体験を超えたところで戦争そのものに迫ろうとしている点で異質な作品である。
「戦争というものを、ただ体験としてとらえるのではなく、私は戦争によってゆがめられ、たたきこわされた、もろもろのもを、真正面からみすえ、はぐらかさずに、しっかりと、とらえたいと思いました。そうすることが、より少年少女に説得力のある物語を書けるにちがいないと思ったからです」
という言葉が、作者の立場をよくあらわしている。
この作品では、杉田隆の正義感とヒューマニズムにささえられた行動によって、戦争の裏側にうごめいているものを、さぐりだそうとする。もちろん、戦争という巨大なメカニズムにとっては、それはごく一部のものでしかないが、正義という仮面をかぶっておこなわれている戦争の裏面がいかにうすよごれたものであるかは、ある程度表現されているといっていい。そのために作者は、中国人の少年少女との交流という、インターナショナルな視点も導入し、杉田隆の行動範囲を拡大している。それは子ども像というにしては、物足りないところもあるが、戦後の子どもに、共通する少年の姿として、描きだされているところに、杉田隆の存在の意味がある。
『ちょうちん屋のままっ子』は、秋田のちょうちん屋の息子にうまれた長吉が、江戸末期から明治維新にかけて職人としての道をあゆみながら、人間としての、成長をとげていく物語である。この主人公の長吉も、あたりまえの子どもにすぎないが、ちょうちんづくり、庭師、料理人と、職人の世界をわたりあるくなかで、技術というものを身につけ、その技術をとおして、「物」からさまざまなものを学びとりながら、人間的なゆたかさを蓄積していく。
現在では手に職をつけることにたいする軽視の風潮があり、「物」とのかかわりなしに、手っとりばやく頭だけで知識を得ようとする傾向がつよいが、長吉の生き方は、そうしたことにたいするきびしい抵抗である。
作者は、長吉がたどってきた成長の過程こそ、人間のもっともたしかな道なのだということを言外にしめしている。もちろん、技術だけがすべてではない。それをささえている論理の重要さもわすれてはならない。
「おめえは、理屈はきらいのようだなア。やらせりゃチャンとやれる手を持っているのはおれも知っているが、理屈も大切だぞ。すじ張った無理な理屈はいけねえが、仕事のシンてものは理屈で支えられてるもんだ。それをキッチリ覚えておくと、ムダをしねえで済むんだよ」
『ちょうちん屋のままっ子』がさしだしている内容はこれにつきるものではないが、子ども像に重点をあてていえば、長吉の生き方をとおして、「物」から学ぶ精神の重要さを語っているところにその特色がある。そして、それは作者のいだく理想像でもあるのだ。その意味で、長吉像が今日のわたしたちに示唆するものはけっして小さくはない。
ところで、冒頭においてもふれたように、子ども像をトータルにおいてとらえ、それを造型することはけっしてやさしいことではない。
イギリスの児童文学の最近の傾向について、猪熊葉子は、「ランサムの時代の子どもは、大人の理想像という意味をもっていたのが、戦後の作家のなかには、子どもを理想像として描くよりも、むしろその真実の姿をとらえようとし始めた人びとが出てきたのだといってよいのではないだろうか。しかしこれはうっかりすると児童文学の否定をまねくことになりかねない方向である」(『英米児童文学史』)と述べている。こうした動きは、ある意味で、子ども像の造型をいっそうむずかしくする。
日本の児童文学にもとめられている子ども像はさまざまであるが、わたしはかるがるしく、子どもたちの心を魅了する現代のヒーローやヒロインをという言葉を信用することはできない。にもかかわらず、わたしたちは、時代を先取りした子ども像の造型と、子どもの世界のトータルな表現という課題を放棄することはできないのである。この重い作業にどう腰をすえてとりくむかがまずさぐられなければならない。
(「日本児童文学」昭和四十八年五月号掲載)
テキスト化伊藤紀代美