横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

解説  大岡秀明

 この巻は、横谷輝氏が雑誌等に発表した児童文学の本質に関する評論の主なもの全てを、第一巻『児童文学の思想と方法』で氏自身が使用した部分を除いて年代順に収録したものである。
 このように氏の評論を年代順に並べてみるとき、一九五〇年代の近代童話否定にはじまる戦後児童文学の転換期の内で、いかに横谷輝氏がその渦中に自らをおき苦悩しながら、民主主義児童文学の確立への情熱をもやしたかが、いまさらながらに再認識される。と同時に、氏が児童文学を単に「児童」の文学としてだけではなく、戦後文学の潮流の内で、さらには文化の問題として捉えようとする巨視的な視点を持ちつづけていたことをもあらためて知ることができるのである。


『「集団・生活主義童話」覚え書』(昭和二十七年)は、横谷輝氏が児童文学評論家として出発しようとした時期に同人誌「はくぼく」に発表したものであるが、そこで氏は次のように述べている。
「ぼくがここで考えたいことは、未明童話の流れとは別に、昭和初年からおこったプロレタリアの童話、それに続いてあらわれた、集団主義・生活主義童話、更には生活童話に至る流れについてであります。特にプロレタリア童話が何故、集団・生活主義童話を通して生活童話にまで変質して行ったのか、その中にはさまれた集団・生活主義を中心としてその原因なり過程を追求してみたいと思っているのです。このプロレタリア童話から生活童話への流れを再検討することは、今日の児童文学を知る上からもまたより正しい方向に発展させるためにも是非必要なことだと考えられます。」
 この横谷輝氏の戦後児童文学の出発点は、多くの児童文学者達の出発点とは異なったものであった。それは、当時の児童文学理論の中心的位置をしめていた、早大童話会の出した宣言文「少年文学の旗の下に」と比較すると明確にされる。そこには、戦後児童文学の方向が次のように書かれている。
「我々の進むべき道も、真に日本の近代革命をめざす変革の論理に立つ以外にはなく、その論理に裏付けられた制作方法が、少年小説を主流としたものでなくてはならぬことも、また自明の理である。我々が従来の『童話精神』によって立つ『児童文学』ではなくて、近代的『小説精神』を中核とする『少年文学』の道を選んだゆえんも実にそこにある。」
 児童文学者の多くは、「変革の論理」を根底にした「童話精神」から「小説精神」への移行を、戦後児童文学の新たな方法としようとしたのである。
 たしかに、激動する戦後社会、その内で民主主義社会の建設を願い、その実現のために胎動をはじめた人々の姿、この新しい現実の動きは、作家の心情世界の表現に中心を置き現実から眼をそむけがちであった「童話精神」では捉えられないものであった。そして、この戦後社会を捉えるためには、現実社会と人間の関係を中心に置く「小説精神」、現実を発展するものとして捉える「変革の論理」は必要不可欠のものであった。
 しかし、この新しい創作方法は、近代童話の全面的に近い否定の上に成立するものであり、「変革の論理」も全く新たに児童文学に付け加えられるものとしたものであるというように、従来の児童文学の伝統を清算主義的に捉えることはよって創り出されようとしたものであった。
 横谷輝氏は、この新しい動きに対して、あくまでも、戦後の児童文学を、また新たな創作方法を、児童文学の潮流の内で捉えようとしたのである。氏の眼は、戦前の社会の内でさまざまな弾圧を受けながらも社会変革の願いのもとに生まれた「プロレタリア童話」、「児童の集団生活(社会的)の中に於ける自主的、且つ創造的な生活を助長してその個々の生活行動を通じて、新しい明日の社会に向って行くための童話」という主張の下に提唱された「集団主義童話」といった当然、戦後社会の内で開花し発展すべきはずの「変革の論理」にもとづいた童話の欠陥を克服しつつ、継承発展させようとしたのである。
 そして、氏はそれらの童話の欠陥について次のように述べている。
「自己の内部から抽出された普遍的な『自主性』という観念を、作品の中で現実社会と対決さすことによってその正しさを試そうとせずに、最初からその観念を正しいとしてその観念をどれほどうまく形象化するかということにのみ重点をおき、作品自体を観念によって包んでしまっているのです。」
「プロレタリア児童文学は未明以来の伝統を克服しようとしながら、結果は未明童話の持つ方法の欠陥を間接的に証明したのみで、目的意識と観念性の強い実験文学としての価値を残して挫折したのです。」
「事実プロレタリア児童文学から『生活童話』への敗北の原因は、弾圧、戦争という外的条件と共に児童文学の内部つまりリアリズムの弱さと、作家の抵抗意識の低さの内的条件を考えなければ正当な評価は不可能だといえるでしょう。」
 ここで注目すべきは、横谷輝氏は、戦前の童話の流れの内に、未明童話伝統の否定や、現実社会変革への志向といった、一九五〇年代の児童文学の新しい制作方法の中心に据えられた要素を見出していることである。氏にとっては、むしろ、それらの要素が、童話、児童文学の内でなぜ発展させられなかったかというもう一歩進んだ問題にあった。氏は、それを童話の持っていた観念性に、つまり観念を「作品の中で現実社会と対決さすことによってその正しさを試そうと」しなかった「児童文学内部つまりリアリズムの弱さ」に求ようとしたのである。この氏の指摘はともすれば作家主体の戦争責任や現実認識の弱さのみに眼を向けがちであった、戦後児童文学の思想状況の内で、児童文学の総体的、本質的問題への鋭い指摘であったといえる。
「それを先ず果たすのは、生活綴方教育をやり、子どもたちの作文を読み、子ども達の姿をよく知っているぼくたちであっていいわけです。いやそうでなければいけないといえます。」
 教育活動をはじめとして、現実の児童とのふれ合いを通し、自己とともに児童の真の姿をつかもうとする方法、これが当時、小学校の教員をしていた横谷輝氏が実践の内からまず獲得した児童文学の新しい方法であり、従来の児童文学の観念性を超克するための道だったのである。
 それは、従来の児童文学では眼を向けられなかった現実の児童の問題に中心が据えられているといった点では、たしかに「リアリズム」的一面を児童文学に付け加えたものであるといえよう。しかし、それは、氏が問題にした「作家の観念」と現実社会の対決といった部分が抜け落ちたものであり、教育者という氏の経験的な範疇を出ないものだった。
 しかし、氏は、いつまでもそこにとどまっていたわけではなかった。
 『伊藤整理論を児童文学の立場から見る』(「日本児童文学」昭和三十二年七月号)で横谷輝氏は、伊藤整の『創作と批評の論理』の内の「文芸作品をもって教育、指導の具たらしめようとする愚劣な考え方についてであります。秩序を作る材料として芸術を利用するほど芸術の本来の性格に反したことはありません。芸術は、秩序に対立して人間性を主張する力の現われであり、常に被圧迫者または攻撃者、破壊者の立場をとるものです。」という意見に対し「伊藤整氏は、教育を秩序を作る側に立つものとして受け取っておられる」「ゆたかで深い教育性の存在をその本質とする児童文学は、どこに芸術としての存在理由を見出さねばならないのだろうか。児童文学は結局教育ではあり得ても、芸術にはなり得ない運命を持っているのであろうか。」と批判と疑問を投げかけながらも、次のように述べている。
 「児童文学も文学である以上、人間を追及することにすべてがなければならないことはいうまでもない。……(中略)…… そこにはけっして安易な教育性など入る余地はないはずである。生きている実感を作品から味わうことによる結果として、教育に役立つことはあり得ても、最初から教えるという立場の侵入を許した作品は、当然教育であっても芸術とはいえないであろう。」
 教育的実践という現実の問題を方法論の一つの基底にした横谷輝氏は、そのために児童文学の持つ「教育性」と「文学性」の問題と対決しなければならなかった。氏は、ここで様々な曲折を経ながらも、「教育性」という児童文学に付随した部分よりも、「人間を追及する」という「文学性」という児童文学の本質的部分に視点をあてようとした点、またその本質的部分をあいまいに終らせている「安易な教育性」を超克しようとしたことは注目に価するものである。 
「最近児童文学においても創作方法が云々されているとき、このような伊藤整氏の主張は、謙虚に耳を傾けるべきであると思う。無論創作方法を考える場合、児童文学と一般文学とを同一に論じることは不可能である。殊に児童文学にあっては、大人である作者のエゴをどのようにして、作品の上に投影するべきかという問題は、けっしてやさしいことではない。
 だが文学の魅力が、作家の自我の存在と、現実社会との戦いの中にこそ存在するものである限り、またそうした人間のあり方がぎりぎりのところまで追求されている文学によってのみ、正しく人間を認識することが可能であるならば児童文学作家は、自己の内部にひそむエゴをどのように処理し、その力をどのように作品を生かすべきかをまず考えるべきではないかと信じるのである。」
 児童文学の「安易な教育性」を超克すべき対象として捉えた時、氏の前には「作者のエゴ」がまた「作者の自我の存在と現代社会の問題」が、創作方法上の大きな問題としてクローズアップされて来たのである。
 この「現実と人間自我との戦い」といった近代文学の方法を児童文学の創作方法の中心的課題とする氏の提唱は、「童話精神」から「小説精神」へといった抽象的な概念に基づく当時の創作方法への探求を更に深め、児童文学の特質に対する具体的、本質的な問いかけであり、また戦後の児童文学の転換への指針でもあった。と同時に、さらに重要なことは、「安易な教育性」の殻を打ち破り、「現実と人間自我の戦い」を中心に据えた、この氏の提唱は、児童文学を「児童」のためのみの文学といったせまい範疇から解放し、現実社会、児童、作者の自我といった総体的な現実を捉えるリアリズム文学にまで高めたのである。
 しかしこの新たな児童文学創作方法を獲得した氏の前に展開されていた児童文学状況はというと、それは氏の目指そうとする方向とはうらはらなものであった。同人雑誌運動や児童文学者の多くは「未明否定論争」に象徴されるように、近代童話の否定か肯定かといった瑣末な問題にのみ眼を奪われ、またその内からは、「子どもと文学」一派に代表されるように「面白さとわかりやすさ」といった児童文学の機能的な面のみを強調し、「時代によって価値のかわるイデオロギー――例えば日本では、プロレタリア児童文学などというジャンルも、ある時代に生れましたが――それをテーマにとりあげること自体、作品の古典的価値(時代の変遷にかかわらずかわらぬ価値)をそこなうと同時に、人生経験の浅い子どもたちにとって意味のないことです。」というように、むしろ現実的課題を避けようとする傾向すら生れて来たのである。
 この混沌とした状況の中で、横谷輝氏は、氏の独自の理論をより明確なものとして行かねばならなかったのである。


「もし、一般的な傾向をあげるとすれば、今日の児童文学作品の大部分のものは、社会的良識ないし善意を基調として、そのなかに実感からえたものをとり込むことによって、その本質を形成しているといえるだろう。ただこれらのなかにあって、リアリズムの立場にある新しい作家たちが、めざしているものはいわゆる第三の思考方法によるくみたてで、できるかぎり、良識や善意を基調とした思考のパターンを打ちくずし、唯物的、論理的な思考によって、社会を把握、理解し、それを作品構造のかなめとして、創造していこうというねらいが強いのである。
 だが、問題はそうしたねらいをもった作品の多くが意図はよくわかっても、文学作品としては、その完成度が高くないという矛盾を露呈しているという事実であり、逆に、素朴な感覚的リアリズムによってまとめあげた作品の方が、印象も強く成功しているというケースが多いということである。」(『新人作家の方法とその可能性』「日本児童文学」昭和三十八年五月号)
 昭和三十四年をはじめとして起こった、長編創作児童文学の隆盛、その内の多くの部分を占めていた「リアリズム」的作品、そしてそこに描かれた現実社会の問題と児童との関係に対する追求、この現象はリアリズム児童文学を志向する横谷輝氏を満足させる一面を持っていた。
 しかし、氏は、そこに依然として存在している「唯物的、論理的思考によって、社会を把握、理解」しようとする作品の意図のみが図式的に表出し、その「文学性」の希薄さに眼をつけたのである。
 氏は、その克服の方法として、次のように述べている。
「現実を自然主義のように新鮮素朴に写生するのでなく、感覚によって抽象し、それを純粋表現するという近代的な方法を、はじめて児童文学のうえにつくり出したのは、いうまでもなく小川未明であった。未明はその近代的な感覚と、本質抽出を好む気質によって、あの独特な文体を創造し、ごくわずかな作品ではあるが、事象のうらに本質を象徴的にとらえることに成功したのである。例えば『赤いろうそくと人魚』のように……。もし、未明の方法が今日継承発展せられる可能性があるとしたら、この地点をおいて他にない。」(同前)
「たしかに、生活童話のもつひよわいリアリズム、特にその観念過剰的な側面と恣意的な抽象、あるいは論理的にでなく、より多く倫理的に現実をとらえようとした側面は、批判克服されなければならないが、このリアリズムが可能性としてもっていたところの、現実を実践的・批判的・変革的な視点で把握しようとした意図は、現在でも生かすに価するものである。」(同前)
 ともすれば、戦後の激動する社会に押し流され、その現象のみの図式的反映に終始し本質に迫れない「リアリズム」児童文学に、氏は「事象のうらに本質を象徴的に捉えることに成功した」未明童話、「現実を実践的・批判的・変革的な視点で把握しようとした」生活童話の持つ「リアリズムの可能性」といった児童文学がその歴史的発展の内で手に入れた部分を継承発展させることによって克服しようとしたのである。
 そして、このことは、氏に近代童話、児童文学の本質に対する歴史的実証というこれまで手がつけられていなかった部分を解明することを余儀なくされて行ったのである。と同時に、この氏の仕事は、日本の児童文学に対する歴史的科学的なアプローチへの第一歩だったのである。
「……社会の虚偽や混乱した現実に挑戦しようとする正義感や情熱にうらづけられたリアリズムが、必然的に表裏して生み出すところのロマンチシズムに対して、どれだけ意識し、計算していたかということである。このロマンチシズムが、思うように自由に駆使できるとき、はじめて大衆児童文学でも冒険小説でも新しい可能性がひらけてくるのではないか。」
 「リアリズム」児童文学の内の現実社会に対し、「唯物的、論理的見方によって」その矛盾や封建的残滓をきびしく批判して行こうとする批判的リアリズムの芽生えと、童話の伝統の内にその兆候を見せた現実の社会変革の願望や理想社会の希求といったロマンチシズムとの弁証法的統一によるリアリズム児童文学、横谷輝氏の児童文学の方方は、具体的な実証性を持ちながら、雄大なスケールを持つものであった。
 氏は、さらに、この新たに獲得した児童文学論にもとづき、「リアリズム」児童文学作品群に対して次のように語る。
「わたしたちは、もはや未明が自己の内面の『童心』を信じたようには、自我を信じることはできなくなっている。……(中略)……なぜなら未明が現世を拒否して社会の外側に自我を確立をしたのとは逆に、自我を社会の内側において、他人とのかかわりのなかで確立しうる可能性がそこにあったからである。つまり、それは自我を社会化するチャンスでもあった。
 このことはまた、戦後の児童文学運動が目指してきた、本来のリアリズムが成立しうる、あるいは物語性、社会性をとりもどしうる出発点に、わたしたちがおかれていたということでもあった。……(中略)……
 ところが奇妙なことに、実際におこなわれたことは、そのような方向での自我の再建ではなく、解体したままの『自我』でもって、『社会』にいどみかかるということであった。その結果が『社会』に対する無条件な信仰となり全面的なもたれかかりになってあらわれてくることはあまりにも当然のことであろう。
 ちょうど、そこには未明が『童心』という観念にもたれかかったのと裏腹に、『社会』という観念へのロマンチックなよりかかりがあった。
 しかも、その信じようとする『社会』の実体は、高度の資本主義の発達にともなう、ゆがめられた大衆社会状況としてのそれであり、表面的な世俗風景でしかなかったのである。」(『現代児童文学への問い』「日本児童文学」昭和三十九年四月号)
 六〇年安保後の「大衆社会状況」の内で、犯されつつある自我に眼を向けずその「社会」にもたれかかる作品群、それは批判的リアリズムとロマンチシズムの統一を計ろうとする氏にとってはがまんできないものであったといえよう。
 しかしながらここで注目しなければならないのは、氏は児童文学の現状と「大衆社会状況」といった現実社会の現状を短絡的に結びつけようとしている点であり、そこには氏が、それまで求めようとした児童文学の方法への問いかけが姿を消していることである。
 このことは、やがて、氏に「児童文学で現代をとらえることの可能な方法として、わたしはまずさしあたって二つの道を考えてみたいと思っている。……その一つは、現実をできるだけ総合的かつ構想的にとらえるために、複合的な視野と多元的な視点の上にたって、現代の複雑な様相に迫ろうとする試みである。いま一つは、これとはウラハラな関係にあるとも考えられるもので、現代というきわめて漠然たるものをとらえるために、ある一つの動かない座標のようなものをもとめ、それをささえとして現代を逆にみつめていこうとする方法である。」(『いま児童文学にとってなにが必要か』「童話」昭和四十一年七月号)といわしめる。
 現代を「複雑な様相」「きわめて漠然たるもの」として捉え、一つの現実を「一つの動かない座標」と「複合的な視野と多元的な視点」から捉えようとする、この氏の方法は、現実社会と人間を二元論的なものとして捉える童話、戦後児童文学の欠点を克服しようとした氏の雄大なスケールを持つ方法とはズレを見せている。ここで氏は、自らの方向性を見失ったかのように見えた。しかし、氏の獲得した科学的実証的な方法は、氏を永い間そこにとどめてはおかなかった。
「現代という時代に真剣にたちむかおうとしている作家や批評家が、社会のなかにおける自己の位置やそのなしうる役割について、全く無関心でいられるはずがない。心ある作家や批評家は、なんらかのかたちで、これらの問題にたいする答えをたえず問いつづけながら、自己の仕事を推し進めているにちがいないのである。」(『児童文学批評の姿勢』「童話」昭和四十二年二月号)
 「大衆社会状況」の内に押し流されているかに見える児童文学状況の内に、氏はその現実に立ち向かおうとしながらも、その手がかりとしての方法が見出せずに混迷を強いられている作家、批評家の姿を見たのである。
 氏は、この混迷と低滞の児童文学の状況の内で、再び氏の獲得した方法論を大相に展開しようとするのである。
「……はやいスピードで推移する時代の動きの底にあるものを、はっきりと見つめるとともに、結局は自分自身ととりくむことによって、自己の内面の論理をより強固なものにしていくほかに道はない。」(『いま執拗に問わなければならないもの』「日本児童文学」昭和四十五年八月号)
「今日では、自己の『私』が絶対的な価値をもっているとは信じられなくなっている。『私』は他者とのかかわりのなかで、考えていかなければならない。他者を考えるとは、いうまでもなく社会を考えることである。このようにして、『私』のそのままの、表現が成立しえなくなったとき、残された道は、仮構のなかに自我をこめて表現することしかない。」(同前)
 ここには氏が前に見せた二元論的なズレが是正され、七〇年代というさらに激動する時代の内で、「自我」を問いつづけることの重要性と、その価値を、現実社会の内で常に問いつづけるといった、氏の獲得したあの雄大な方法論の新たな展開の糸口が見られる。だが氏は、その糸口と出発点を私達の前に提示しただけでこの世を去ってしまったのである。



 このように氏の仕事の後をなぞってみると、それはたしかに、「横谷輝氏追悼式」の弔辞の多くに挙げられている「地味」なものであったといえよう。
 しかし、氏の科学的弁証法的な基盤の上に創り上げられた児童文学の方法論の重厚さと新鮮さは、いまさらながらに目を見張るものがある。
 そして、私達に残されているのは、その方法論を受け継ぐと同時に、氏が「執拗に問いつづけ」ようとした方法論を、さらに確立して行くことであるといえよう。


編集委員・鳥越 信
     古田足日
     渋谷清視
     大岡秀明





日本子どもの本研究会・編
横谷輝児童文学論集第二巻・現代児童文学への問いかけ

昭和49年8月14日 発行

著者 横谷 輝
発行者 今村 広
発行所 偕成社
東京都新宿区市ヶ谷砂土原町3の5
振替・東京1352番 〒162
電話・東京(03)260−3221

印刷・新興印刷製本株式会社
製本・常川製本株式会社

1974 Teru Yokotani, Printed in Japan     1390−002020−0904

テキストファイル化 鈴木真紀