絵本、むかしも、いまも
第16回「洗練されたモダニズム――村山知義」

『3びきのこぐまさん』
村山籌子文/村山知義絵/婦人之友社刊

           
         
         
         
         
         
         
    
    

 ヨーロッパの国々で、次々と魅力的な絵本が登場していたちょうどその頃、日本でも、今日に残る絵本が生まれています。時は大正時代。「子供之友」「コドモノクニ」といった絵雑誌の全盛時代です。絵雑誌は、各見開きごとに異なった物語や詩が、挿し絵とともに展開するスタイルの月刊雑誌。絵雑誌を舞台に、叙情画で知られる竹久夢二をはじめ、岡本帰一、武井武雄、初山滋、村山知義といった画家たちが活躍し、幼い読者の心を魅了しました。
 ここに紹介する村山知義(1901〜77)の『3びきのこぐまさん』(1924〜28年婦人之友社刊「子供之友」に連載)もそのひとつ。村山知義の名は、前衛美術集団「マヴォ」を結成したアヴァンギャルドの画家として、または戯曲作家や演出家として、舞台美術家として知る人も少なくないでしょう。現に、東京竹橋の国立近代美術館に行くと、当時を代表する村山の抽象絵画と出会うことができます。
 絵本の初仕事は意外に早く、第一高等学校在学中。母親が婦人之友社に勤めていた関係で、「子供之友」に絵を描きはじめたのが最初です。後に、東京帝国大学文学部を中退し、ドイツへ留学してダダイズム、構成主義といった芸術運動に触れ、大いに影響を受けて帰国し、日本に新しい芸術の息吹を吹きこんだ後も、変わらず子どもの本に絵筆を振るいつづけました。
 この『3びきのこぐまさん』も、他の多くの傑作同様、夫人の村山籌子が物語を作り、知義が絵を描くという組み合わせで生まれた絵本。籌子の自由な発想と展開の簡潔な文章で、三びきのこぐまを通して子どもの日常と、幼いいたずらや智恵、冒険を描き出しています。無駄のない知義の絵は、そこはかとないユーモアと親しみやすさを持っています。
 すでにこの絵ものがたりが生まれて70年もの歳月が流れていますが、未だに洗練されたモダニズムは失われることなく、今も読者に新鮮な風を伝えてくれます。
 昨年、安曇野のちひろ美術館で「大正の童画家展」を開き、村山作品も展示しましたが、その作品を前に、今更ながらにその斬新さに驚かされたものです。村山は生前「美とは時代をとらえながら移り変わっていくもの」(『村山知義の美術の仕事』未来社)と語りましたが、村山知義の仕事は、そういう意味では、時代を超えてすでに新しい世紀を見据えていたのかもしれません。(竹迫祐子

テキストファイル化富田真珠子