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わたしは 心に日を燃やした/どんな暴力も それを消すことはできない わたしは 胸に焔(ほのお)を燃やした/死とてもそれを消すことはできない (わたしは心に T) ――わたしは目が見えない。四歳のとき盲目になった。うつくしい色彩や明るい太陽の世界にわかれをつげなければならなくなったとき、わたしはさんざん涙をながしたり、ぐちをこぼしたりした。(モスクワ盲学校の思い出) 今からちょうど80年前、24歳の青年エロシェンコは“指圧”の技術を学ぶために日本にやってきました。たまたま同じ下宿の日本人の紹介で、劇作家秋田雨雀と知り合い、エスペラント(世界共通語)の自作の文章を雨雀に訳してもらって、日本の新聞、雑誌に発表しはじめます。 その6年後、新宿の「中村屋」(相馬黒光)のまわりの人びとと交流し、エロシェンコが日本語で語る童話を神近市子が筆記して発表しました。 その童話は、それまでの日本の児童文学にはない全く新しい、ロシア文学のこころを受けついだものでした。 「すべて不幸な人間、弱い人間が、その弱さと不幸のなかでみる美しい悪夢」と、雨雀がいったそうです。 とじこめられた人間の苦痛をあがいた「せまい檻(おり)」のほか、四つの童話・詩・自伝がおさめられています。 エスペランチスト高杉一郎氏の解説にも教えられます。 (仁)=静岡子どもの本を読む会
テキストファイル化富田真珠子
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