弟の戦争

ロバート・ウェストール

原田勝訳 徳間書店 1995


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 五年前の湾岸戦争を思い出していただこう。皆さんは湾岸戦争に対して、どんな印象をお持ちだろうか。多分、油にまみれた悲惨な海鳥の姿と、まるでテレビゲームの画面でも見るようにテレビに映し出された多国籍軍のハイテク兵器による爆撃の様子と、ではないだろうか。この『弟の戦争』の原題は湾岸戦争の湾岸「ガルフ」であり、悲惨だったのはひとり海鳥だけでなくテレビの向こう側のイラクの人々もそうであったことを教えてくれる。
 物語は弟思いのトムが一人称で、弟を襲った不思議な事件を語る形式をとっている。トムの弟フィギスことアンディには、強迫観念と呼べばいいような、突然なにかにとりつかれたようになる変わったところがあった。巣から落ちたリスの子や飢えに苦しむエチオピアの親子の写真などを見ると、それが解決するまでは、他のことは何も考えられなくなるのだ。フィギスが十二歳の時に湾岸戦争が勃発する。フィギスは突然アラビア語をしゃべりだし、自分はイラクの少年兵ラティーフだと言い始める。フィギスの憑依の状態は、戦争でラティーフが死ぬまで続く。
 多国籍軍側であるまわりの人々が平静であるだけ、ラティーフたちの悲惨さが浮き彫りになる。精神病院の病室に作った防空壕で、排泄物をもらして空襲に怯えるフィギスことラティーフ。火だるまの仲間を救おうとするラティーフ、焼けただれた両手を振り上げ、声を限りにアメリカ人をののしるラティーフ、そしてラティーフの死。死んだラティーフや仲間たちには、帰りを待つ家族がいる。また、本書はフィギスの担当医にアラブ人のラシード先生を登場させ、どうしてイラク人がフセインを支持するかという人種差別の問題にまでふれている。
 本書のすごいところは、直接戦争を語らずして戦争の悲惨さを伝えている独創的な手法と描写力である。ウェストールは、戦争を題材にした『機関銃要塞の少年たち』『ブラッカムの爆撃機』『海辺の王国』で、そこに生きる少年の気持ちを鋭く描いてみせた。また『かかし』では、母親の再婚相手への憎しみにとりつかれた少年という憑依を扱っている。本書は戦争と憑依を結びつけたものであるが、そこにこめられているのは、「きれいな戦争」などは有りえない、子どもはいつも戦争の犠牲者であるという戦争に対する激しい怒りである。ウェストールは湾岸戦争終結後、物語の後半部分を一気に書き上げたという。戦争をテレビや新聞の中でしか知らない日本の若者にこそ読んでほしい作品である。
 ところで、フィギスというのは寂しがり屋のトムが小さい時考えだした目に見えない友だちで、意味は「頼れるやつ」。アンディが生まれるまではどこへ行くにもトムと一緒だった。そのフィギスがアンディの呼び名になった。フィギスが物にとりつかれた状態を目撃していたのは常にトムである。そして最後、人間の良心ともいうべきフィギスだった部分はラティーフと共にアンディの中で死んでしまう。トムはいなくなったフィギスをむしょうに懐かしがる。こう見ていくと、他人のことを気にかけ心優しいのは、本当はアンディではなくトムではなかったのか。物にとりつかれたフィギスはあくまでもトム自身ではなかったのだろうか。(森恵子)
図書新聞1996年3月23日