裏庭

梨木香歩

理論社 1996


           
         
         
         
         
         
         
         
     
 この『裏庭』という作品を読んで思いだしたことがある。 
 僕が中学生のころだったか、幼い妹が「切っても切れないものなーに?」というなぞなぞを出した。すると、近くにいた母が「親子の縁」と答えたのである。「なんてことをいう人だ!」と当時は考えたものだが、今になって思えば、それは正解であった。 
 いくら切ろうとしたところで、いや応もなくつながってくる関係が親子ならば、子供の自立とは、つまりその関係を整え直すことである。したがって、それは親子それぞれの問題としてあり、どちらか一方の変化によってなされることはない。『裏庭』が克明に描き出そうとしたのは、おそらくそういうことである。 
 主人公・照美(このネーミングが実にうまい)が、バーンズ屋敷の「裏庭」の旅を経て乗り越えなければならなかった自意識の不安は、彼女の母親の子供時代の不安が転移したものである。だから、照美の旅にシンクロして、母親も自分自身の問題と向き合わねばならなかったのだ。それは、作中で彼女が子供のころの呼び名によって語られることからも、よくわかる。 
 親が親たることを引き受けてくれなければ、子供はアイデンティティーを得ることができない、という今日的な問題を描き出し、しかも、なおかつ、正統的な児童文学の味わいを濃厚に持つ『裏庭』は、最近まれに見る傑作である。(甲木善久)
産経新聞 1997/02/11