グリーンノウのお客さま

ルーシ・ボストン作

亀井俊介訳 評論社 1961/1978

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
主人公のピンは孤児。イギリスの収容所で暮らす中国系の難民。夏休み、グリーンノウと名付けられた数百年の歴史を持つ屋敷に住む、オールドノウ夫人から招待されます。屋敷の裏にある森で遊ぶピン。数日後、動物園からオスのゴリラ、ハンノーが逃げ出します。ピンは以前、遠足で出掛けた動物園で、囚われの身ながら威厳を失わないハンノーに、強く引かれたことがあります。
ある日、グリーノウの裏の森の中でハンノーを発見。できることならこの森で暮らせないものか。ピンはハンノーに食料を与えることを決心する。やがてハンノーはピンを子ゴリラのように扱うようになる。ピンに家族ができたわけ。もちろん、ここはイギリス。こんなことはいつまでも続けられない‥‥。
孤児物語の多くは、女の子が主人公。それは孤児物語が、家の外にいる孤児が新しい家族に所属できるようになる、つまり家の中へと向かうベクトルを持っているからですね。女の子の居場所は家の中であるというわけです。逆のベクトル、家の中から外へと向かう冒険物語の主人公の殆どが、男の子なのは申すまでもありません。
なのにこの孤児は、男の子。けれど、ここまでのストーリーは、家族愛に恵まれない男の子が野生動物と巡り会い、疑似家族を営むというもの。どこかにあったような。そう、「子鹿物語」と同じ動物物語の構造。このあとの物語展開もほぼ重なります。つかの間の疑似家族は、野生動物の死で打ち切られるのです。
今回の場合は、暴走し向かってくる雄牛からピンを守ろうと森から飛び出したハンノーが、ピンを襲おうとしていると間違われ、射殺されるという結末。それはピンにとってショックな出来事ですが、そうして疑似家族を手放すことで、オールドノウ夫人という本物の家族を得ることができるようになっています。
アンたち女の子は想像力を失うことで、ピンたち男の子は野生を手放すことで家族を手に入れる。ここには社会が両者に振り分けた、家族の一員としての役割が露呈しています。女の子には現実、実務、日常といった方向の役割。男の子は、文明、理性、科学といったそれですね。こうした呪縛に児童文学が気づき始めるのは、この物語の書かれた時代(六〇年代)よりもう少し後となるでしょう。
ところで、この作者の自伝「意地っ張りのお馬鹿さん」(福音館)は超オススメです。絶版ですので図書館でどうぞ。(ひこ・田中
「子どもの本だより」(徳間書店)1996年9,10月号