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耳からの文学としてのお話を、私たちの会が始めたのは、1977年です。当初は、お話に対しての理解がなかなか得られませんでした。 静岡市立中央図書館で定期にお話会がもてるようになりました。ところが「絵がなくて子どもは聞きますか」と、おとなから尋ねられるし、子どもからは「おばさん映画か紙芝居はやらないの」と、お話会に参加していても、耳を傾けず「なあんだ、ただのお話か」と言って帰って行きました。 参加者が二人、語り手が二人という時もありました。そんなこんなのお話会でしたが、めげずに続けていましたら、小学校の先生が声をかけてくださって学校でお話会を開くことができるようになったのです。 毎年、図書月間になると声をかけていただいて、お話を語りに行きます。中には九年も続いている学校もあります。 初めのころは布の大型絵本やペープサートを喜びました。お話を初めて聞いて、自分の頭でイメージするのが難しかったのでしょう。大層とまどった様子でした。二年目になるとたまたまグリムの昔話や日本の昔話の中でテレビや本で見たお話を語ると「大変おもしろかったよ」と、話をしにきてくれるようになりました。三年目からは知らないお話を楽しむようになりました。 ラプンチェル(グリムの昔話)は子どもに強烈な印象を与えるのか、語り手が魔女や王子様の声を出したりしないのに「一人のおばさんが話しているのに何人もの人が話しているようで声が違って聞こえた」と感想を話してくれます。物語の中をたっぷり旅をしているからです。お話の主人公が、困難に出あうと一年生は、耳をふさぎます。大きな子は口を開けて聞いたりします。お話が終わるとホッと大きな息を吸いこむ子と反応は、その子その子で異なります。 「六年生にもなると人に物語などのお話をしてもらうことがないのでとってもうれしい」と手紙をくれた男の子もいます。このごろは週休二日になって、土曜日の図書館でのお話会には、子どもと一緒のおとうさんも何人も参加して、お話や手遊びを楽しんでくれます。 この間は赤ちゃんを抱いた若いおかあさんに「あずきとぎのおばけ(日本の昔話)のおばさん」と銀行で声をかけられた会員がいました。この若いおかあさんが小学生のころ語った話を覚えていてくれたのです。 今は何でも急いで効果や結果を知りたくなりますがお話はそんなものではありません。お話がその子にどんな作用を及ぼしているか、目で見たり測ることは出来ませんし、測ってみようとも思いませんが、聞き手と語り手が互いに良い力を与え合っている、とこのごろ強く思うようになりました。これからもどこでも聞いてくれる人のいる所で語り続けたいと願っています。 (静岡子どもの本を読む会 小泉亮子) ▼すすめたい本▲ 「おはなしのろうそく」1〜20(東京子ども図書館) 「岩波おはなしの本」全11巻(岩波書店) 「日本昔話百選」(稲田浩二・稲田和子編著 三省堂)
テキストファイル化塩野裕子
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