子どもの本のまなざし

清水真砂子

JICC出版局 1991


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 このところ二冊続けて、楽しい子どもの本の評論集がでた。一冊は脇明子のァン夕ジーの秘密』。日本でもこんなファン夕ジー論がでるようになったのかと、心からうれしくなってしまった。英語圏のみならず、日本、それも鏡花あたりまでひっくるめて鮮やかに展開されたこのファンタジー論は、作者ならではの感性の輝きを美しく反射している。とくに面白かったのはルイスをあつかったところで、ルイス嫌いのぼくも、はっと胸をつかれた。じつは二月号の「翻訳の世界」で、井辻朱美がこの本を取り上げていて、まったく同じ感想を述べている。「わたしが一番驚いたのは、『ナルニア国物語』の大詰めの生と死の感動的逆転を、死後の因果応報を使って、現実の世界にせまる闇の問題をさき送りしたに過きない、ととらえた部分だった」
 そしてもう一冊は、清水真砂子の『子どもの本のまなざし』。これを読んで、また同じような経験をした。これはカニグズバーグ、ピアス、ハミルトンの三人をあつかった評論集だが、その中心になっているのはカニグズバーグで、全体の半分以上のぺ-ジがさかれている。カニグズバーグ嫌いのぼくも、このカニグズバーグ論には、ひたすら納得させられてしまった。
 「まえがき」で作者はカニグズバーグについて、こんなふうに説明している。 「児童文学の終焉が云々されるなか、児童文学を児童文学たらしめているものは何か、それをさぐりたい思いもあった児童文学の児童などいらないのかといわれれば、にわかには首をたてにふりかねる。児童ということばがふさわしいかどうかは別として、あきらかに子どものために用意される文学はあり、しかも、しばしば人々の廟笑を買うメッセ-ジ性ゆえに生きのびている作品もあるのである。私はそんなメッセージの力をカニグズバーグの作品にさぐってみたいと思った」
 作者によれば、この「メッセージ性」は「実用性」であり、カニグズバーグの本は「実用書」ということになる。「実用書」というのは、現代を健康的に生き抜くためのマニュアルといってもいい。これらをキーワードに、まず『魔女ジェニファとわたし』と『クローディアの秘密』が取り上げられる。そして『ロールパン・チームの作戦』へ。
 「『魔女ジェニファとわたし』で子どもの息づまるような内面の葛藤を、『クローディアの秘密』ではスーパー・レディを登場させて、メッセージ性を強く打ち出したカニグズバーグが続く第三作の『ロールパン・チームの作戦』で見せたのは何だったか。結論からいってしまえば、それは『クローディア……』と『魔女ジェニファ……』のみごとな結合だった」
 「カニグズバーグの本-実用書」論の中心になるのは、「物語論」である。つまりカニグズバーグは、子どもは無邪気であるとか、子どもは枠にとらわれない自由な発想ができるとかといった既成の「物語」をこわし、自前の「物語」をうちたてているということだ。それも、「子どもが生きていくために必要な、彼らにとって力となる『物語』を」
 これら初期の三作を中心に作り上げられた「カニグズバーグ論」は、骨太で堅牢で、十二分な幅と奥行きをもっており、これを土台に、『ぼこと (ジョージ)』以降『八○○番への旅』 『エリコの丘から』までさらに八作品が、快い繰り返しをまじえ、ゆったりしたテンポで論じられていく。
 ルイス嫌いの方にはとくに『ファンタジーの秘密』を、カニグズバーグ嫌いの方にはとくに『子どもの本のまなざし』を勧めたい。今年、評判になるに違いない二冊である。 (金原瑞人)
読書人1992/02/23