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『めざめれば魔女』などの作品で注目を集めるニュージーランドの児童文学作家マーガレット・マーヒーの作品の中心には必ず、思春期に心も体も揺れ動く若者がいる。この若者の姿がファンタジーの枠組みの中に浮かび上がってくるのである。マーヒーの魔法の本質は「想像力」であり、想像力を駆使しマーヒーは現実の不可思議な暗部に踏み込んでいく。『クリスマスの魔術師』では、夏至とクリスマスがほとんど同時にやってくるニュージーランドの夏至、クリスマス、新年と続く季節を背景に、「想像力」が余すところ無く発揮されている。 ハリーたちハミルトンの一家がクリスマスを過ごすため、お客のアンソニーと共に海岸の別荘にやってくる。九十年前にこの別荘を建てたカーニバル家の父親は、三人目の子どもの出産時に妻を失い、その原因は自分の情欲のせいだと思いこみ、世間から離れて娘ミネルバと息子テディを厳格に育てる。テディは父親の精神的虐待に耐えられず多重人格になり、父親に復讐しようとする。テディは二十歳になったある日、海へ出かけたきり戻ってこず死体も上がらず、テディの死は謎につつまれたままである。ハリーたちはテディを「我が家の幽霊候補」と呼んでいる。 別荘に絡む謎の他、ハミルトン家にも秘密が用意されている。十七歳の少女ハリーは五人兄弟の真ん中で、自分が疎外されていると感じ、特に自分を美しい姉クリストベルの影の存在だと思っている。ハリーは鬱積した思いをこっそり本を書くことで紛らわしている。またハリーはハミルトン家の重大な秘密もつかんでいる。 物語はこの三つの秘密を軸に展開する。イギリスでは昔から不思議なことが起こると言われている夏至の夜、ハリーが変身を願ったために、自分の本の登場人物に人格を与えるかたちで、テディの幽霊を呼びだしてしまう。テディの幽霊は一人ではなく三人だった。三人はテディの頭と本能と心である。テディは肉体は滅びたが、頭と本能と心がせめぎあったまま消滅できないでいたのである。 ハリーはテディの心と親しくなり愛を交わすまでになる。ハリーが自分に自信をもつにつれ心はパワーを増す。頭と本能の抵抗と攻撃は激しさをきわめ、頭がクリストベルを使いハリーの書いていた本を揶揄したときには、ハリーはたまらずハミルトン家の秘密を暴露する。また、ミネルバの曾孫であるアンソニーから、テディの死の真相も明かされる。夏至からクリスマスにかけてのテディの幽霊騒ぎで、ハミルトン家は分裂しかけるが、新年には家族は危機を乗り越え、そこにいるハリーは、もはやクリストベルの影ではない。 ハリーの成長を描くのが目的で、エブリデイマジック的なファンタジーの枠組みはそのための手段なのかもしれないが、夏至とクリスマスの背景、別荘にまつわるテディの死やハミルトン家の秘密、テディの分身の幽霊、アンソニーの証言など、用意周到なファンタジーの部分の方が私には魅力である。 本書とほぼ同時期にマーヒーの作品が二冊翻訳されている。『危険な空間』と『ゆがめられた記憶』である。『危険な空間』は本書と同系列のファンタジーで、古い屋敷とその屋敷に住みついた幽霊を素材に、両親を失い親戚にひきとられたがその親戚になじめない少女が、孤独さゆえに幽霊の世界にひきこまれる物語である。『ゆがめられた記憶』は、姉の死の記憶に苦しむ若者が、アルツハイマーで記憶を失いつつある老婆に再開発の波が押し寄せている現代の都市の片隅で出会い、老婆の世話をしていくうちに、自分をとりもどしていく物語である。一見リアリズムの作品に思えるが、「幽霊にとりつかれた若者」ととればこの作品もファンタジーである。両作品とも、子どもが大人になる意味というマーヒーの主題が扱われているのは言うまでもない。(森恵子)
図書新聞1996年8月17日
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