ジュニア・ブラウンの惑星

ヴァジニア・ハミルトン

掛川恭子訳 岩波書店 1988

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 『わたしは女王を見たのか』『偉大なるM.C.』『わたしはアリラ』など、ヴァジニア・ハミルトンの作品を読むたびに感じるのは、ずっしりとした重量感と暖かさである。ハミルトンは現代のアメリカを代表する黒人作家で、『偉大なるM.C.』ではニューベリー賞を受賞している。ハミルトンは人間のルーツを探り、それを主人公がsurvive (生きのびる)力とする。主人公の内面を見つめ土地と結びついた主人公のルーツを探っていくところに作品の重量感が生まれ、生きのびる力を得る主人公に作品の暖かさが感じられる。
 本書の『ジュニア・ブラウンの惑星』は『偉大なるM.C.』の前に書かれたが、オハイハを舞台とした他の作品と違って珍しく舞台をニューヨークにとっている。様々な人間が集まる大都会を舞台にしたためか、ここでは主人公のルーツを探る代わりに人間と人間のつながりに焦点が当てられている。作品の重量感と暖かさはそのままである。
 ジュニア・ブラウンは超肥満の黒人の少年で、見るに耐えない巨体のためにせっかくの音楽の才能も認めてもらえない。その上、息子を溺愛する病弱な母親の過保護の中で窒息寸前である。そんなジュニアを気遣うのが、同じ高校の黒人の大男バディー・クラーク。バディーは天涯孤独の身だが、夜、自分の隠れ家の「惑星」で宿無しの少年達の世話をし生きのびるすべを教える「明日のビリー」でもある。ジュニアもバディーももう何か月も授業に出ていない。学校に来ると、用務員のプールさんと地下の秘密の教室に隠れるのだ。部屋には、ジュニアのために、バディーと元教師のプールさんが作った新太陽系の模型がぶらさがっている。新太陽系とは、地球の隣りに十個目の惑星「ジュニア・ブラウン」を加えた太陽系だ。
 ジュニアのピアノの先生であるミス・ピーブスの謎を絡めながらも変化らしい変化を見せなかった物語は、後半、急展開をとげる。唯一の自由へのはけ口だった描きかけの絵を母親に燃やされ、ついにジュニアは家を飛び出す。またミス・ピーブスを助けようとしたジュニアは妄想を背負いこんでしまう。学校では、ジュニアとバディーが授業に出ていなかったことが分かってしまい、おまけにプールさんまで学校を追い出されそうになる。バディーとプールさんは、精神にダメジを負ったジュニアをバディーの隠れ家に連れていく。 ハミルトンは自らをシンボリストと呼ぶが、題名にもなっている「惑星」は凝った使い方をしてある。新太陽系の中でとてつもなく大きな茶色の惑星「ジュニア・ブラウン」--「無限の可能性をひめた」この惑星は、地球とは別の星ということでジュニアの孤独を表わしている。バディーの隠れ家であるもう一つの惑星「明日のビリー」も、大都会の中で帰る家のない少年達の孤独の象徴である。天体模型であった惑星「ジュニア・ブラウン」は物語の最後で惑星「明日のビリー」と一緒になって新たに惑星「ジュニア・ブラウン」となる。孤独の象徴であった二つの惑星が 合わさって、世間からはみだしながらもつながりを保って生きる人々の心の絆となったのである。「ここは、惑星ジュニア・ブラウン…・おれたちはみんなたがいのために生きる」というバディーの言葉がそれをはっきりと伝えている。
 惑星とならんで強烈な印象を残すのが「赤い男」の絵である。ジュニアは黒で輪郭をとって真っ赤に塗った巨大な男を小さな人間で埋めていく。巨大な男は自分をひと皮むけば真っ赤だというジュニアであり、人間の中には自分なりに生きるジュニアの姿も含まれている。赤い色は自由や怒りを意味する。ジュニアは肥満の体に自由を束縛され、母親に頭を押さえられ大事なピアノからはピアノ線まではずされてしまっている。「赤い男」はジュニアの自由への強い憧れと自分を押さえつけるものへの激しい怒りの象徴なのだ。
 この作品の登場人物は、ニューヨークの片隅で世間からははみだして生きる人間ばかりである。だが、一人一人実に魅力的で、しかもその存在はコンクリートジャングルのニューヨークだからこそ生きてくる。巨体だがやさしすぎるジュニア、自由なバディー、管理教育に絶望したプールさん、寂しさからジュニアを溺愛する母親、気が振れたミス・ピーブス、宿無しの少年達。ニューヨークに根を下ろした登場人物が本書に重量感を与えている。
 この作品が書かれたのは一九七一年であるが、とても十八年前の作品とは思えない。都会の孤独がより一層ひどくなっているからだろう。人と人とのつながりが今ほど重要な時はない。「たがいのために生きる」ーーなんと良い言葉ではないか。心の絆を象徴する惑星「ジュニア・ブラウン」にほっとする暖かさを感じた。(森恵子)
図書新聞 1989年1月1日