ゼバスチアンからの電話

イリーナ・コルシュノフ作

石川泰子/吉原高志共訳 ベネッセ・コーポレーション 1981/1991


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 この物語には大変民主的な父親が登場します。新しく買うシステム・キッチンの色を決める時ですら、家族で話し合う。母親はお日様のような黄色がいいとの意見。壁の色も黄色に塗り替えようと考える。彼は飽きのこない白がお薦め。で、届いたシステム・キッチンの色は白。つまり、一応みんなの意見をきくプロセスを踏んで、最終的には自分の思い通りにするのですね。それで自分は民主的だと信じている。やっかいな方。私たちの国にも良く居そうなタイプの男性です。
 娘のザビーネはそんな父親に頭にきています。けれどもっと頭にくるのは母親。だって彼女、白のシステム・キッチンが届いたら、やっぱり私もこの色が欲しかったと言うのですから。自分を主張しない、男に従っていることが幸せだと信じている。こっちもかなりやっかいな方です。
 だからザビーネは、絶対に母親のようにはならないと堅く誓っています。将来自分は、化学の研究者になり自立するのだと。
 ところが恋をしたとたんザビーネもまた、恋人であるゼバスチアンのことばかり考えて、自分の将来の夢もどうでもよくなります。あんなに否定していたはずの母親と同じになってしまうんですね。
 ここがこの物語のツボの一つ。母親と違う生き方をただ邁進する主人公じゃ、正しすぎておもしろくないけれど、彼女もまた性差別の罠にはまってしまうからリアリティがある。それだけこの問題がやっかいだというのが私たちにも実感できる。 そしてそんな風になったザビーネに少々うんざりしたゼバスチアンと彼女はケンカ別れをする。落ち込むザビーネ。
 そしてここからが二つ目のツボ。ストーリーはザビーネと母親が手を携えてこの罠から抜け出して行く様を描いていきます(一つ目のツボは、この二つ目のために用意されてたんです。ザビーネ一人が母親を残して、自立心をもった女に育って行くのじゃ駄目だ、母親をまた娘と共にってことですね)。どう展開するのかは、読まれるときの楽しみに残しておきましょう。これじゃあ父親が可哀想だなんて感想も出てくるかもしれません。けれどこの母娘が変わって行くことで実は、この父親も大変民主的でやっかいな方から、変わることができるんですよ。(ひこ・田中

げきじょう 41号 1996春



 イリーナ・コルシュノフの『だれが君を殺したのか』を読んでがっくりきた読者は多いと思う。社会の無理解と周囲の無関心のなかで死に追いやられる青年という設定もそうだが、テーマへの迫りかたがありきたりで、いわゆるテーマ先行型の図式的問題小説になってしまっている。コルシュノフはこの手の作品を書かせてうまい作家ではない。その証拠に、問題意識をそうはっきりだしていない『セバスチアンからの電話』のほうは読みごたえのある青春小説になっている。
 民主的で家族の意見を尊重しているようなふりをしているものの、専制君主でなくては気がすまない父親。そんな父親にいわれるがままになっている母親。そんな母親を腹立たしく思いながらも、セバスチアンというボーイフレンドにふりまわされる主人公のザビーネ。この三人が、引っ越し騷ぎをきっかけに、反発しあい、悩み、考え、それぞれに大きく変わっていく。
 テーマは家族、恋という古典的なものだが、現代という状況のなかで生き生きと描かれているし、古く固いものがこわれて、新しく柔らかいものが生まれるときの不安と期待が見事に表現されている。そしてなによりもザビーネの心理描写のうまさ。コルシュノフの魅力はここにある。こくのある小説に飢えている方に。(金原瑞人

朝日新聞 ヤングアダルト招待席900415