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障害を持つ子どもを扱った作品には、健常者の立場から理解と同情にあふれた態度で障害者を眺めたものが多いが、すごいと思わせる作品は健常者と障害者の区別なく障害者を人間として見つめたものである。パトリシア・ライトソンの『ぼくはレース場の持ち主だ!』、ペーター・ヘルトリングの『ヒルベルという子がいた』、V・ヴェルフェルの『灰色の畑と緑の畑』などが後者に当たるが、本書もこのうちの一冊である。 ベンはダウン症という障害を持った十六歳の少年で、双子の妹ベスと両親との四人家族である。ベンの人間的成長を願う父は、ベンに「決して途中で放棄しないこと」そして「哀れみなんかほしくない」という負けず嫌いの精神をたたきこむ。やる気と負けん気に溢れたベンは、特殊学級の「めげることなきクリストファー・コロンブス」であるが、誰かが一所懸命世話してやらないと死んでしまうからと、生まれた中で一番弱っている子犬をもらってくるようなやさしい気持ちの持ち主でもある。 感謝祭の日、一家に悲劇が襲いかかる。四人の乗った車が追突され、ベンはかすり傷を負っただけで助かるが、母と妹は死に父は重傷を負う。生きる希望をなくし生死をさまよう父のもとに、ベンは必死で通い続ける。そのベンを、仮保護者になったフィービおばは無理やり障害者用の施設の病院へ、はては精神障害者用の施設へ入れようとする。このフィービおばの企てからベンを守ろうと、ベンの隣人一家やベンが通う特殊学級の先生や父兄が立ち上がる。ベンに支えられ父は生きる意欲を取り戻す。 この物語は父と子が明るく競争で落ち葉をかき集めるシーンに始まり、一年後自動車事故による心の痛みに耐えながら新しい人生を懸命に生きる二人が落ち葉をかき集める同じシーンで終わる。本書は父の視点から障害を持った息子と父の心の交わりが描かれているのだが、印象的な落ち葉のシーンの間にいかに多くの父の真実の思いがこめられていることか。ベン本人を見ようともせずダウン症候群というレッテルばかりを見る世間の人々への怒り、生きるために悪戦苦闘しててきたベンこそが本物の勇気ある人間だとする父としての誇り、ベンが隣家の優秀なマットに対抗してバスケットボールチームのマネージャーの適性検査を受けると言いだした時、ベンに猪突猛進の精神をたたきこんだことが間違っていたのではないかと悩む父の姿。 なかでも強烈だったのは、ベンを愛し理解しているはずの妹のベスがデートを台無しにしたと父に訴える場面である。父はベンのことを恥ずかしく思っているのかとベスを怒ると、ベスも親がついてやれなくなった時ベンはどうなると思うのかとやり返す。 「私は橋でありたい。障害を負う人たちと障害のない人たちが、理解しあって一つの社会でともに生きるよう、たがいにいきかう橋でありたい。」これは本書の著者ロバート・バースクの言葉だが、長年障害者のかたわらにあって仕事を続けているバースクの根底にある思いは、「われわれは一人として完璧な人間ではあり得ない」というベンの父に言わせた一言であろう。障害を持つ人もない人も同じ不完全な人間同士なのだ。本書はバースク自身と共にバースクの願う「橋」になっている。 障害を持つ人と持たない人の橋になるすごい作品が日本にもある。丘修三の『ぼくのお姉さん』である。著者の丘修三は養護学校の先生で、バースク同様障害者と長年関わってきている。この作品は全六編の短編集で、一編をぬかしいずれも子どもの視点から話が書かれている。 第一話「ぼくのお姉さん」のぼくは友だちにからかわれダウン症の姉がうとましくなる。しかし姉が初めてもらった給料でご馳走した夜、宿題の作文の第一行目ら「ぼくのお姉さんは障害者です」と力強く書く。第二話「歯型」は、脳性マヒの少年をいじめたぼくの仲間の一人が足をかまれ大けがをする。校長先生を前にしてもぼくたちはついに真実を告白することができない。ぼくの心に消えることのない少年の歯型が残った。第六話「ワシントンポスト・マーチ」のぼくは脳性マヒの少年。友だちの美雪もぼくも兄や姉の結婚式が近い。結婚式へ出席することをめぐって、ぼくはぼくたちが親戚中の恥さらしと思われていることを知ってしまう。どの一編も現実にあり得る問題を淡々と語っていてそれだけに「ぼく」の負った心の傷がズキンと伝わってくる。 障害を持つ子どもを扱った作品を読む度に、一人で社会に放り出されたらこの子どもたちはどうなるだろうという思いにとらわれ暗い気持ちになるのだが、この二つの作品は違った。まだまだ社会の受け皿は貧しく現実は厳しいだろうが、障害を持つ物も人間同士という立場に立つ人がふえれば、明るい希望が持てるのではないかと。(森恵子)
図書新聞1987/09/26
テキストファイル化 妹尾良子
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