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『ヴァン・ゴッホ・カフェ』を読んだ人なら、作者のシンシア・ライラントの名前は印象に残っているかもしれない。昔、劇場だったカフェで起こる不思議なできごとの数々はちょっと魔法めいていて、胸踊る連作短編集だった。 この夏、ライラントの新作が届いた。前作と同じ、ささめやゆきさんの装丁になる『人魚の島で』だ。 舞台はカナダ西部の小さな島だ。 祖父と二人暮らしの少年ダニエルは、ある日、不思議なくしを拾う。彼はそれが人魚のものだと確信し、人魚が姿を現すのを待ち続ける。果たして人魚は姿を現すが、ライラントの小説では、人魚と少年が仲良くなって海中の冒険を楽しむなんてことは決してない。人魚ははずかしがりやで、少年が声をかけただけで驚いて海中に没してしまう。 やがて少年の前には、額に白いひし形の模様のあるラッコが現れて、古い鍵をくれる。何の鍵なのかわからないまま、少年はその鍵を大切に身につけて成長していく。 人魚がくれたくしも、ラッコがくれた鍵も、少年の人生にとって重大な意味を持つものとなっていくのだが、そこにはいつも魔法めいた感覚がつきまとう。 パステルカラーの絵のように、現実なのか幻想なのか、くっきりとした境目のないまま、物語は終盤に向かいついに少年の前に「鍵」がぴたりと当てはまる物が現れる。 静かな感動が胸を浸すのは、扉が開いて、中から現れた物が何だったのかわかったときだ。いつのまにかこちらもライラントの魔法にかけられてしまった証拠だろう。 装丁も訳文も神経が行き届いた美しい本だ。 さて、もう一冊、久しぶりに文章の力に圧倒されたのは、『花をかう日』だ。視力を失ってしまった姉の誕生日のお祝いに、少しでもいい香りのする花を選ぼうとするわたし。 姉は光を失うと同時に心の病にも侵され、以来、一家からは笑い声も消えていたのだ。花を買って通りに出てくると、盲導犬とともに道を横切ろうとしている姉の姿か見える。後ろには心配そうに気づかう母親の姿もある。ぶじに渡り終えた時、わたしが振り返ると、母親の姿は幻のように消えていく。 それだけのストーリーだが、ぞくっとするほど胸に迫る。いわゆる障害のある登場人物をめぐっての、おきまりの感動物語ではない。50頁にも満たない本の中に、この一家の背負った苦悩、「わたし」の姉への思い、母親の愛、姉が苦しみを飛り越えて喜びを得るまでの気持ちが手に取るように描かれて胸を打つ。 淡い色彩で描かれた味戸ケイコさんの絵もていねいで美しい。(末吉暁子)
MOE1999/11
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