プリティ・パールの ふしぎな冒険

ヴァジニア・ハミルトン

荒このみ訳 岩波書店 1996

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 アメリカの代表的児童文学作家ヴァジニア・ハミルトンは、『わたしは女王を見たのか』『偉大なるM.C.』『ジュニア・ブラウンの惑星』『わたしはアリラ』などで、一貫して、アメリカ社会で敗北を余儀なくされてきた黒人(インディアンも含む)の歴史、そしてその祖先につながる自己に目覚める主人公を描いてきた。また、『人間だって空を飛べる』ではアメリカ黒人の民話を語っている。本書の『プリティ・パールのふしぎな冒険』は、アメリカ黒人の歴史を背景に黒人の民話を取り入れた物語である。
 背景となる黒人の歴史は、故郷のアフリカから連れ去られた黒人たちが、ジョージア州で奴隷となり、その後南北戦争を経て奴隷制度は廃止され自由民になる。しかしひどい差別に苦しめられ、森の奥に逃げ込んで共同体をつくる。この共同体が鉄道が敷設されるためオハイオ州やイリノイ州に移り、そこで自由をえるまでである。
 黒人の民話からは、パールの二人の兄で、次兄のジョン・デ・コンケア(征服王ジョン)と長兄のジョン・ヘンリー・ラウスタバウト(雑役夫ジョン・ヘンリー)が登場する。二人は黒人の英雄であり、特にジョン・ヘンリーは鉄道工夫で、蒸気ドリルに対抗してハンマーをふるいこれに勝つが、勝ったとたん精根尽きはてハンマーを手にしたまま死んだという伝説の主である。他にパールに与えられる霊の、ホーダック、フール・ラ・ファファ、ハイド・ビハインドと、パールを助けるムチ蛇は民話に出てくる動物である。ジョン・デ・コンケアの根っこは、民話にある薬草の一つで、森の王と呼ばれ幸運のお守りである。
 神の子、プリティ・パールは最高の神である兄のジョン・デ・コンケアとケニア山に住んでいた。神々の世界に飽きたパールは人間世界をのぞき、黒人が奴隷としてアフリカから連れ去られるのを目撃する。人間を助けたいパールはデ・コンケアとアホウドリに姿を変え、奴隷船のマストにとまりアメリカへ渡る。南北戦争後パールは独り立ちし、森の奥の黒人(「内の人間」)の共同体で人間と暮らすようになる。
 独り立ちに際し、デ・コンケアは、パールを守るため、四つの霊とジョン・デ・コンケアの根っこの首飾りをパールに与える。そして、根っこは、決して人間をおどすのに使ってはならないと言いわたす。さらに、こっそりとパールの大人の部分マザー・パールを見張りにつける。パールの兄よりも力をもちたいという勝ち気さに、不安を抱いたからである。
 デ・コンケアの不安は当たる。共同体の暮らしのなかで、あまりに人間の気持ちになりすぎたパールは、仲良しのジョサイアスや他の子どもたちに自分の魔法の力を見せびらかしたくなり、首飾りからハイド・ビハインドを放してしまう。しかも、怒りをジョサイアスたちに向けてしまうのである。決まりを破ったため、根っこは枯れ、パールはかわいい子プリティではなくなってしまう。
 その後、自由の太鼓をたたきながらやってきたデ・コンケアは、パールをもとのプリティにもどしてはやるが、パールを神から格下げする。パールは人間となり、共同体で物語の語り部として暮らすのである。格下げされたとはいえ、民族の物語の語り部は『わたしはアリラ』のアリラもそうであり、ハミルトン自身もそうである、重要な存在である さて、自由の太鼓と書いたが、この物語は自由を描いた物語でもある。森に隠れていた「内の人間」の共同体は、自由を求めてオハイオ州まで旅をするのだし、パールが手助けしようとしたのもこの自由にである。また、パールの長兄のジョン・ヘンリー・ラウスタバウトは、神として生きるよりも、蒸気ドリルと競争して人間として死ぬ自由を選んぶのである。
 カバー絵にも描かれた象徴的なマザー・パールのエプロンも含め、民族色豊かな物語に仕上がっている。 (森恵子)
図書新聞1996年10月5日