真夜中の電話


ロバート・コーミア


金原瑞人訳/扶桑社ミステリー/1997


           
         
         
         
         
         
         
     
 昨年(1997)翻訳されたロバート・コーミアの作品で、原著“In the Middle of the Night"は95年に出版されている。ちなみに、97年には『ぼくの心の闇の声』(92)が徳間書店から刊行された。巻末に付された作品リスト(97年9月現在)によれば、本作を含めて7作品を日本語で読むことができる訳で、本書収録の「特別解説座談会」(金原瑞人・馳星周・吉野仁)ではないが、もう少し読まれてもよい作家であろう。一般に、コーミアはミステリー作家として知られているが、すぐれたミステリー作家がそうであるように、作中人物の関わらせ方が抜群に上手い。ミステリーの醍醐味の一つは、事件あるいは事故などのアクシデントがなければ成立しないような出会いの場が設定されることで、思いもよらないコミュニケーションが成立してしまう点にある。ミステリーが「怖い」のは、コミュニケーションが本人の意志とは無関係に、まるで天災か何かのように作中人物を巻き込んでいく怪物であるからに他ならない。コーミアと言えばアンハッピーな結末ばかりがクローズアップされるが、ミステリーとは本来的に「unhappy(不運)」であるコミュニケーションを扱うジャンルなのではないか。だ いいち、コミュニケーションが成立するかどうかは偶有的な訳だから、一般にコミュニケーションとは「幸運/不運」という確率的事象なのである。本作『真夜中の電話』もまた、不運なコミュニケーションを取り扱うが、果たしてそれは「不幸」であったと言えるのだろうか。
 25年前、ある劇場のバルコニーが炎上、崩壊した。当時、16歳のジョン・ポールは劇場で案内係をしていたが、事故当日、老朽化したバルコニーを点検するために手にしていたマッチを落とし、火災を引き起こしてしまう。調査の結果、火災とバルコニー崩壊には直接的な因果関係は認められず、刑事責任を問われずに済む。しかし、不幸なことに、バルコニー崩壊の責任者であるオーナーは自殺してしまい、ジョンにのみ非難が集中する。以後、ジョンは悪質な電話などのいやがらせを引き受け続ける…。そして、25年後のある日、ジョンの息子デニーは(それまで禁止されていたにもかかわらず)電話に応対してしまう。電話口の相手は「ルル」と名乗る女性で、いつしかデニーはルルの声に惹かれていく。ルルの正体については、デニーは最後になって知ることになるが、読者は早くからルルが事故の被害者の一人であり、何かしら企んでいることをルルの弟から知らされている(ルルの内面はルルの弟を語り手とすることで読者にとっても未知なままではあるが)。最後に、デニーはルルと対面することになるが、如何なる結末を迎えるのかについては伏せておこう。ここでは、アクシデントを契機と したコミュニケーションの一つを見ていくことにしたい。
 ジョンは事故を契機にコミュニケーションという怪物に呑み込まれる(ネタばれになるので具体的には言えないが、幸運なそれがない訳ではない)。メディアに対して頑なに沈黙を続けるジョンは、沈黙することでコミュニケートしていたことが後に明らかにされるが、沈黙の意味を知らないデニーにはそのような父親の態度が納得できない。自分とは無関係であるにもかかわらず、一方的に関与してくる怪物に立ち向かうために、デニーは自らの意志と責任において、父親の禁止に敢えて背いてまで、受話器を手にしたのである。皮肉なことにデニーの行為は、彼にそれまで以上に(父親とは違った形で)事故を引け受けさせることになる。その意味で、例の電話はデニーにとって不運であった。しかし、だからといって「不幸」であるとは限らない。彼がルルとの電話で幸福であったことは確かである(ルルの声に股間を濡らしていたデニー)。ルルが被害者の一人であり、彼女はデニーがジョンの息子であることを承知の上で電話していたことを知った後でさえ、「あの声を心から愛していた。そして毎日、心に響いてくるあの声を今も愛している」と言っているのだから。例の事故がなければ、決して 聞くことがなかったであろう声に出会えたのだから、それは幸運であったとさえ言えるかも知れない(同様のことが、ルルについて言えるだろうか)。
 デニーにとっての悲劇は、ルルとの出会いが「電話」を通してであったということ、正確に言えば、ルルにではなく「(ルルの)声」に出会ってしまったことにある。ある意味、「声」ほど得体の知れないものはない。デニーが「ルルの声」と言うとき、面識がない訳だから、「声」の所有者たる「ルル」は端的に不在である(「それは無を愛していたということであり、存在しない人を愛していたということだ」)。したがって、彼は「誰」も愛してはいなかったことになる。だからこそ、決定的な結末を迎えてもなお、彼の愛は消滅しない。たしかに、デニーはルルに裏切られたと言えるかも知れないが、「声」は主体ではない以上、裏切りとは無縁であろう。ルルという主人を失った「声」は、あたかも幽霊のように、デニーに取り憑くに違いない。もちろん、このような結末はルルが望んだものではなかったが、少なくとも父親の罪を息子に「伝達」することができたという意味において、彼女の復讐は半ば成就したと言えるだろう。つまり、デニーとルル双方の意図は不運にも挫折したにもかかわらず、結果として幸運にも、デニーは永遠の愛を手に入れ、ルルの復讐は最も隠微な形で生き長らえた 訳である。本書でもっともミステリアスなのは、以上のように一度は死んだはずのコミュニケーションが再び甦るところではないだろうか。
               (目黒 強/書き下ろし/1998.9.26.)