両手のなかの海

西田俊也

徳間書店  1997


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 前作「少女A」(ベネッセ 92)は、「高校入試に失敗しつづけ、ジョーダンのつもりで女装して受けた女子高に、なんと入学してしまった」(表紙折返し)という設定。十五歳のナオは、禁断の花園に堂々と入ることができて嬉しい。ところが真実は違った。ナオが知っている女の子像は男の子の前で見せられる女の子像に過ぎなかった。
 そこから物語は「十五歳の体に生々しくセットされて爆発寸前の状態でドクドクと動き回っているノンコントロールな性的欲求」「打算も計画も理性もはね飛ばして突き進むキョーレツなセックスパワー」(あとがき)を具体的に描きだしていくのだけれど、「打算」と「計画」と「理性」を「はね飛ば」すとはそうすることで残されたものをよりクリアに提示したい欲望に違いなく、「突き進む」先にはピュアでシンプルな倫理とでも言いたいもの、例えば「オレはこれからオレのスケベとだけ向き合ってずっと生きていくからよ。オレはスケベのホンバンをもう逃したりしないさ。それは入試のホンバンでもないし、セックスのでもないよな」が立ち現れて来たのだった。
 ここでの「スケベ」とはもちろん、「打算」と「計画」と「理性」を「はね飛ば」した果てにある本当の気持ちとでもいえばいいものである。「どこにでもいる私少女A」と歌われた中森明菜のタイトルをあえて借用し、少女Aでしかない存在(男の子も含まれる)を「私」に還すこと(魂のルフラン」みたいでヤな言い方やけど)。
 この物語の設定のキワモノ振りは、無自覚無批判的に堂々とモラルを開示するのとの多いこのジャンルへのメッセージともなっていた。
 「両手の中の海」は前作の方法を踏襲しバージョンアップしている。前作が新たな個の確立とすれば、今回は関係性の構築となろうか。マイホームを買ったばかりのときに失業した父親が、そのまま蒸発したのは、ぼくが志望私立中学入試を間近にした小学六年生のときのこと。結局ぼくは受験に失敗し父親のようにはなりたくないと思う。四年が過ぎその私立中学からでも合格するのは難しい名門の高校に通っている。「ぼくは勝ったんだ」。
 ぼくはレベルの低い中学がとてもいやだったし、そう思う自分がヤなやつであることも知っている。高校は受験校だからクラスメイトとの交流も成績というソフトに支配されており、自らが勉強をしていないフリが基本で、もちろんお互いにそんなことは全く信じていず、信じられていないことも知っている日々。それがぼくにとっての「関係」である。。
 当面のぼくの悩みは転校問題。母親が北海道へ転勤になり、やっと入った高校を止めるのかここに残るのか。決断までの時間は四週間。
 「ふだんの生活の中で生まれる難しい問題に答える」のは苦手だが、「制限時間があれば答えは出せる」。「回答欄を空白にするのは自殺行為に等しいのだから」。
 与えられた四週間の一人暮らし。のはずが、帰宅すると見知らぬ中年女性がいる。いや、女の格好をした中年のオヤジが。彼(彼女)は言う「お前の父さんだよ」と。
  こうして物語は前作同様に「打算」と「計画」と「理性」を「はね飛ばし」ていく。ぼくが思い描いている父親像からは降りてしまっている父さんは、「笑いたいやつには笑らわせとけばいいじゃない。あたしはあたしなんだから」とばかりに、ぼくの常識、ぼくが設定している人間関係のあり方を次々に骨抜きにし、「間違いも正しいもないんだと思うよ。いまある自分を受け入れて、そこから始めるしかないんだって」と、新しい関係の構築をぼくに迫るのだった。(ひこ・田中

季刊・ぱろる 7号 1997,8




 主人公は、県内で有数の進学校に通う、高校一年の一海。一流の国立大学から一部上場企業に就職していた父親が、四年前に会社のリストラで失業し、それから家を出たまま何の連絡もない。代わりに仕事に出るようになった母親が、函館に転勤になるというので、それについていくかどうかの結論を、母親が出張から帰る四週間後までにださなくてはいけない。一人暮らしをするか、転校して母親と一緒に暮らすか迷っていたところに、行方不明だった父親が突然帰ってきた。しかも女装してオネエ言葉を話す。真面目で冗談も言わない無口な仕事人間だった父親の変わりように、一海はうろたえる。
 一海が子どものころは、朝早くから家を出て、夜遅く帰宅し、休日も仕事や付き合いゴルフでほとんど家にいたことのなかった父親が、かいがいしく料理を作ったり、まるで母親のように家事を取り仕切る。高校生の息子とニューハーフの父親の、奇妙な共同生活が始まるのだが、一海はそんな父親に心を許せない。男子だけの進学校のいかにもありそうなエピソードを巧みに絡め、ユーモラスな展開の中に、作者は思春期の少年たちの微妙な心理を鮮烈に浮かび上がらせる。特異なシチュエーションの中で、一海と父親が次第にお互いを理解し合うに至る過程は、なかなか感動的でもあり、その別離もまた印象的だ。

産経新聞 1779/05/13