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 あの徳間書店から、この度児童書のシリーズが創刊された。「あの」というのは、なんとなくこれまで、徳間書店の子どもの本といえばアニメ絵本というイメージしかなかったせいである。
 それが・・・。創立四0周年を記念して、五月から絵本、六月から児童文学のシリーズを刊行し、以後毎月出し続けていくという。創刊に当たり用意されたそのラインアップは、まさに粒揃いである。
 そんなわけで、五月刊行の絵本から六月刊行の児童文学まで、とりあえず列挙する。
 まず、一九四四年にカルデコット章を受賞し、日本でも一九四九年に翻訳出版されたもののその後手に入らなくなった、知ることぞ知る幻の名作、ジェームズ・サーバー『たくさんのお月さま』(一六00円)。ルイス・スロボドキン絵のオリジナル・バージョンは貴重である。もちろん、訳は中川千尋による新訳で、この古典的作品に古くささを感じさせない。
 ユリ・シュルヴィッツの『ある げつようびの あさ』(谷川俊太郎訳、一六00円)。シュルヴィッツといっても、ピンとこない方も多いかもしれないが、野外生活の喜びー特に焚き火の楽しさを存分に伝えてくれる名作として誉れ高い『よあけ』(福音館書店)の作者といえば、おわかりいただけるだろうか。フランスの古い民謡を、ニューヨークはソーホーの町並みの中に移植して展開するこの作品、(たぶん)ペンと鉛筆による細めの線画に水彩をのせたもので、すばらしくいい絵である。
 バーバラ・ポットナー作、ペギー・ラスマン絵のいじわるブッチー』(ひがしはるみ訳、一三00円)。前述の二作品がどちらかというと名作・古典主義によるチョイスだったのに対し、この作品は新鮮だ。爬虫類の好きな語り手の少女が、フェミニンな服装とはおよそ相容れない強烈にいじわるな少女ブッチーを、いかにして撃退したかという内容は、まず、そこに描かれる少女たちがステレオタイプ化されていないところがいい。さらに語り口も軽快で(これは訳がいいということなんだろう)、笑わしてくれる。そしてなにより、絵がうまい。人物の表情、影の処理、それらによって細やかな真理のでも描き込んでみせる。
 ロバート・ウェストール『海辺の王国』(坂崎麻子訳、一四00円)。これは、『機関銃要塞の少年たち』(評論社)、『かかし』(福武書店)で二度のカーネギー章受賞を果たした作者の転機ともいえる作品だが、ただのハッピー・エンディングとしなかったところに児童文学に対する大きな問題提起をはらんでいる話題作である。
 バウゼバンクの『おじいちゃんは荷車にのって』(遠山明子訳、一二00円)。インゲ・シュタイネケの絵がすばらしく、そのために本文のインクの色まで変えているほどである。
 リンドベリィ『オスカルとポプラ通りのひみつ』(石井登志子訳、一五00円)。これは、日本で初めて紹介されるスウェーデンの作家の作品であり、いかにも北欧の児童文学らしい伸びやかな味わいがあって楽しめる。
 と、急ぎ足で本の紹介をした後で、この児童書の創刊に際し、面白く思ったことがあるのでちょっと書いておく。「創刊の辞」というほどのものでもなかろうが、折り込みのリーフレットの中に「読む喜びを子どもたちの手に・・・」というタイトルで書かれた文章がある。実は、それを読みながら、四0年前の「岩波の子どもの本の発刊の辞」を思い出してしまったのだ。「おさない時に聞いた話、あるいは、読んだ本ほど、人々の記憶にのこるものはありません。また、おさない子どもが、最初に手にする本ほど、だいじな本はないとも言えましょう」という言辞で始まるそれと、「子どもたちにとって、本との出会いはその後の人生に大きな意味を持つものです」という一文に始まる今回の言い回しのなんと似ていることか。片や長々と、片やシンプルにまとめてはいるものの、その言説の質はほとんど同じなのである。
 四0年の歳月を経、子どもを取り巻くメディアは質量共に格段の変わった。そして、そのことを徳間書店という出版社は身をもって体現してきたのではなかったのか。その出版社においてなお、「児童書」創刊にあたってはこれである。とりあえず、本とは関係ないけれど、気になったのよねぇ。(甲木善久) 
読書人 1994/07/08
テキストファイル化 妹尾良子