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 荻原規子の新作紅天女』(徳間書店、二三〇〇円)が、「勾玉」三部作の完結編として登場した。『空色勾玉』『白鳥異伝』(先月徳間書店より再刊、一七〇〇円、二六〇〇円)の二冊とは、それぞれ主人公はおろか、場所も時代も下敷きになっている伝説や神話なども異なっている。しかし、どの作品でも勾玉の行方やその使い方が物語の鍵を握り、「勾玉」三部作としてのつながりを保っている。
作者自身、最初から「勾玉」三部作になるとは予想していなかったとか(同書店の機関紙「子どもの本だより」の、<著者と話そう>欄参照)。この三部作は、欧米のファンタジー作品を好む一方、日本の上代文学を学んだ作者にしてはじめて可能だったと言えよう。三部作になった結果、覇権を広げようとする権力者と、それに逆らう人々の戦いが、延々と繰り返されている構図自体も鮮明になったようだ。それはさておき、きょうは一読者として堪能させてもらったこの物語の紹介に徹してみたい。
『薄紅天女』は、八世紀、長岡に都があったころの話だ。第一部の主人公は武蔵国の若者阿高十七歳。蝦夷征伐のときに戦死した竹芝家(『更科日記』に登場する一族)の長男を父に、蝦夷の巫女を母にもつ。阿高は巫女の生まれ変わりらしく、蝦夷一族と帝側双方がそれぞれの思惑から彼を手中に収めようと狙っている。阿高は、同い年の叔父藤太や犬のクロという心許せる味方に見守られ、自分の中に眠っている不思議な力の使い方を学び、蝦夷の一族と帝との長年の戦をおさめようと腐心する。
第二部の主人公は長岡にいる皇女苑生。十五歳の苑生は、かつて母や祖母の命を奪い、今また兄の皇太子を苦しめている物の怪に心を痛めている。苑生は男の子に変装して弟皇子と入れ替わり、東北から都に近づいてくる災い(阿高たち)を阻止しようと大津へむかう。と書けば、その後阿高と苑生が出会い、物の怪の正体をつきとめること、さらに物の怪退治に勾玉がからむことなどは、容易に想像がつくだろう。ファンタジー作品は、理想的な支配者像の追求や、歴史の検証に利用できるものだが、この作品が描くのは権力争いの中心人物ではなく、争いに利用される人々。また主人公たちの自己探求の過程に比重があり、予言、転生、けものへの変身などが物語の見せ場を作る。もっとも政治色が薄まった分、やや物足りないと感じられるが。
おそらく読者──その主流は、物語の約束事に通じ、長編をものともしない若い女性たちだと思うが──は、ヒロインの苑生にもっとも共感を寄せるだろう。皇女という立場の苑生には「息をひそめ影も残さないように生きるしか」道がなかった。だが事態の好転をじっと待つことに飽き足らず、男装して無謀な冒険に乗り出している。その余波で、姉に頼り切っていたひよわい弟皇子が、ふつうの男の子の楽しみを覚えるという筋も面白かった。とにかく、本来の自分にめざめていない頼りない(そこがまた魅力ともいえる)若者たちが自己探求を果たし、その過程で伴侶となる相手にも出会う筋は、ロマンス好みの読者の期待にも応えるものだ。坂上田村麻呂、藤原薬子など実在の人物が登場し、親近感を抱かせる一助になっている。前述の機関紙の<うらばなし>欄に、とちゅうで思い浮かべた作品を列挙し、あとで友人と比較するという楽しみ方が出てくる。そこには「馬と少年」「ロミオとジュリエット」「帝都物語」と列挙されていたが、わたしはロビン・マッキンリーやアン・マキャフリィ、ニール・ハンコックの作品を連想した 、とつけ加えておこう。
読書人 1996/09/20
           
         
         
         
         
         
     

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