仮想化された家父長制イデオロギー
  ―巌谷小波「少年小説」における「僕」の位相―

目黒 強

            

  一 問題の所在

 巌谷小波には「少年」を主題とした作品系列がある。その中でも有名なのは、博文館から「少年文学」叢書の第九編・第十三編として刊行された『当世少年気質』(一八九二年一月)・『暑中休暇』(一八九二年九月)だが、『少年世界』(博文館)に連載された「少年小説」(一九〇〇年一月〜十月)もまた内容的に見て同系列に属しているものと見做すことができる(1)。たしかに、いずれにおいても、「少年」が主題化されて表象されてはいる。しかし、だからといって、そこに表象された「少年」が同じものであるとは限らない。私が以前に考察して明らかにしたのは次のようなことであった(2)。『当世少年気質』では就学が目的意識的行為praxisでしかない「学童」モデルが提示されたのに対して、『暑中休暇』は就学がもはや慣習行動pratiqueとして内面化された「児童」モデルを提示した(3)。つまり、『当世少年気質』と『暑中休暇』の間には、「少年」の位相に限って言えば、明らかに一つの断続が指摘できる訳である。それでは、『当世少年気質』『暑中休暇』と「少年小説」の間に、何かしら差異は認められるだろうか。興味深いことに、両作品が刊行される二年前に第二次小学校令が 公布されているのに対し、「少年小説」が発表されていた一九〇〇年八月に第三次小学校令が公布されている。第二次小学校令は就学率の上昇を帰結したが、実質就学率(就学率×日々出席率)が五〇%を超えるのは第三次小学校令前後である(4)。つまり、『当世少年気質』刊行から「少年小説」発表までの八年間は、「学童」の飛躍的増大を母胎として「児童」が自己生産される時代であった。したがって「少年小説」における「少年」は、『暑中休暇』に比して、「児童」という社会的地位を自らの属性として内面化しているであろうことが推測される。
 まず最初に、次のことを確認しておこう。「少年文学」叢書の場合、第一編が小波『こがね丸』(一八九一年)であったことからも窺えるように、「少年」を描くことが直接の目的ではなかった。「少年文学」に冠された「少年」とはあくまで読者としてまなざされた対象であった。他方、「少年小説」では「少年」を描くことが目的であることは言うまでもない。もちろん、「少年小説」とて読者としての「少年」を指定しているのだから、「少年小説」とは自らが指定した読者層を描いた「小説」なのであり、そうであるからこそ「写実的」であるとされる。ここに、『当世少年気質』『暑中休暇』の微妙な位置が看取されよう。両作品は「写実的」だとされるのが常だが、実際には「都会中心に傾ける難もありて、一般地方少年の理想には、聊か遠ざかれる」(木村小舟)ものであった(5)。少なくとも、「地方少年」の「現実」を「再現」していなかった点において「写実的」ではなかったことが窺える。しかし、「少年文学」叢書において「少年」を「再現」するような「少年小説」は不可能だったのではないか。というのも、「再現」されるべき「少年」自体が国民形成を遂行するための新しい社 会的地位の一つであったからである(6)。つまり、「少年」とは決して自明な存在様式ではなかったのである。岩田一正は『少年世界』の投稿文に着目して、「少年」が析出される機能を次のように説明した(7)。

  少年という概念の確定によって、少年を読者層として一般化し単層的に捉える視線が 成立し、語られる存在としての少年が浮上した。その視線は、もう一方で、少年たちが少年として語ること、つまり語る存在としての少年の析出の契機ともなっている。「語る/語られる」の循環が、少年という存在をさらに確固たるものとしていくのである。少年雑誌は、このような語る/語られるの循環を構成する格好の舞台として機能したといえるだろう。(「明治後期における少年の書字文化の展開」二頁)

 以上の見解は『少年世界』に即したものだが、「少年文学」叢書の時代に「少年」が不確定なものであったことは強調されてよい(だからこそ、読者として見出さなければならなかったのだ)。もちろん、「少年文学」叢書に先行して、少年雑誌の先駆とされる『少年園』が少年園社から一八八八年に創刊されており、ある程度の条件は整いつつあった。しかし、「『少年園』によって提示された「少年」像とは、このような政治的状況〔小学生が政談演説会を開催していたこと、引用者注〕の真っ只中で、政治的主体の非政治化という戦略的な意図に則って産出された表象にほかならない」(木村直恵)(8)。「壮士」が非政治化されることで誕生した「「青年」にすら回収されることのない、「少年」という存在」(同上)を提示することこそが『少年園』の時代であってみれば(9)、『当世少年気質』『暑中休暇』が「少年」を「再現」できなかったからといって批判される筋合はないのである。というのも、『当世少年気質』『暑中休暇』では「再現」されるべき「少年」像を「提示」することに重点が置かれていたからである。すなわち、「少年を読者層として一般化し単層的に捉える視線が成立し、 語られる存在としての少年が浮上」したのである。しかし一方で、「少年という概念の確定」には、「少年たちが少年として語ること、つまり語る存在としての少年」が主題化される必要がある。後述されるように、「少年小説」の「少年」には、それまでに見られなかった「語る主体」という問題系が指摘できる。木村直恵は非政治的主体として「少年」を見出したが、小論では非政治的主体としての「少年」が主体化されるという政治的問題を議論したいと考える。

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