二 「少年小説」の位相

 既に述べたように、『当世少年気質』『暑中休暇』については拙稿で詳しく考察しているので、本節では『少年世界』に連載された「少年小説」を中心に議論していくことにする。『当世少年気質』『暑中休暇』の諸編については論点が明確になるような場合にのみ、適宜言及するに留めたい。「少年小説」には次のような短篇が十編あり、一九〇〇年一月から十月にかけて『少年世界』に連載された。
  「空気銃」(六巻一号、一月三日)
  「鬼が城」(六巻三号、二月十五日)
  「人形の腕」(六巻四号、三月十五日)
  「メタルの借物」(六巻五号、四月十五日)
  「渡船銭」(六巻六号、五月十五日)
  「五位様」(六巻七号、六月十五日)
  「怪我兄弟」(六巻八号、七月十五日)
  「肝取り」(六巻十号、八月十五日)
  「悔し涙」(六巻十一号、九月十五日)
  「言葉の餞別」(六巻十二号、十月十五日)
 中でも「言葉の餞別」は、『当世少年気質』『暑中休暇』とは異質な父―息子関係が描かれているので、この作品から考察していくことにしたい。梗概は次の通り。神童と謳われた十六歳の少年は自ら恃むところがあって、上京することを夢見ている。しかし実際には、竹細工の職人である年老いた父親に打ち明けることもできずに、郵便局で働いている。「僕」の苦悩は次の文章に集約されている。「が、そんな事を親父さんに話せば、直ぐに叱られてしまふに相違ない、と云つて話さずに出れば、折角親孝行と云はれた僕は、忽ち不孝者に成らなければ成らない」。しかし意外なことに結末は、あれだけ苦悩していたにもかかわらず、「かう考へると、僕は急に勇気が出たから、その勢ひで親父さんにとう/\  話をし」、父親から言葉の餞別をもらい、「僕は断然郵便局を辞して、明日とも云はず今夜の汽車で、弥々東京へ立つ」のである(10)。
 このような典型的な立身出世物語は、『当世少年気質』中の「十歳で神童」に既に見られた型である。しかし、同じような立身出世物語である両作品は、父親との関わり方において対照的なのだ。というのも、「十歳で神童」では、同じく神童と謳われた少年は「書」で身を立てることを望んでいる骨董屋の父親を否定していたからである。彼の立身出世は、父親ではなく、貴族院議員から『西洋立志編』を受け取ることで方向付けられていた。まずは、立身出世という価値規範が既に獲得されているか否かが相違点として挙げられよう。「十歳で神童」ではそれを獲得するまでが描かれていたのに対して、「言葉の餞別」の「僕」にとっては既得のものとして我有化されているからである。それでは、父親との関わり方についてはどうか。これについては、「言葉の餞別」の「僕」が決断することができた論理を確認する必要がある。それは次のようなものであった。「その考〔立身出世、引用者注〕は何処から出たか。この僕の身体から出て居る。その僕の身体は何処から出たか、云はずと知れた、親父さんの身体から出て居る。して見れば、僕の今の考は、取りも直さず親父さんの考だと、かう云つても 決して差支えあるまい」。「言葉の餞別」における以上のような父と息子の直接的接合は、「十歳で神童」には決して見られないものである。それにしても奇妙な論理である。ここで当然導出されるのは「母親の身体」な訳だが、「言葉の餞別」には母親に対する言及は一切ない。『当世少年気質』中の、もう一つの典型的な立身出世物語「人は外形より内心」の少年が母親に叱られることを怖れていたのとは対照的である(ただし「少年小説」には、母親が登場する「人形の腕」があり、母親に対する言及の有無が本質的な問題なのではない)。久米依子は以上のような問題に対して、一八九八年に施行された明治民法に言及して、家父長制下の父性的価値に対する志向を指摘した(11)。この点については次節で議論されることになるが、少なくとも父―息子関係の表象のされ方が変容していることは強調されてよい。
 次に、小波作品によく見られる階級差が設定された作品を見ていくことにしたい。「空気銃」は、良家の子弟である「僕」が別荘に出かけた折りに、同じ歳の小僧に出会い、その勉強熱心なのにいたく感心して、父親に頼んで東京に連れ帰るというもの。『当世少年気質』の「鶏群の一鶴」、『暑中休暇』の「復習」に同様の設定が見られる。「鶏群の一鶴」の小僧が泣いてばかりで出会いは一瞬にして終わるのに対して、「復習」の場合には「空気銃」同様に、勉強熱心なのを理由に引き取られることになる。二人の関係が持続するのには、階級的に下に設定された者が勉強熱心であるということ、すなわち、学校教育経験者であることが前提とされていた。「空気銃」の小僧もまた「十二まで尋常小学校に居たが、其処を卒業してからは、こんな田舎なものだから、もう入る学校は無し、仕方が無いから阿父さんに手伝つて、詰まらない百姓をして居ながら、根が大の本好きなので、閑さへあれば本を出して、一生懸命に読んで居」たとされている。
 それでは、「復習」と「空気銃」の相違点は何か。それは、内容面にではなく、言葉遣いに現われているようだ。久米が指摘するように、「復習」で引き取られる少年の言葉遣いは終始「丁寧な待遇表現」であったのに対して、「空気銃」の小僧は「姿に似合はない威張つた」調子で登場するからである。久米によれば、「空気銃」の小僧がかように自信をもって会話できるのは、「鶏群の一鶴」および「復習」の小僧が父親を早くに亡くした母子家庭であるのとは対照的に、「空気銃」の小僧には父親に与えられた仕事を成し遂げているという自負があるからだとされる。「鶏群の一鶴」「復習」が設定からして父親の内面化を奪われており、「空気銃」にはそれが顕在しているということは、それが「少年小説」に固有の問題であることを示していよう。もちろん、「悔し涙」のように、学校教育未経験者で文盲であるが故に差別される小僧が独学で文字を覚えようとする話もあり、「鶏群の一鶴」の小僧の系譜もまた同様に辿ることは可能である。「悔し涙」が「私の近所の魚屋に、清次と云ふ小僧があります」のように語られているということ、すなわち、小僧が自らを語るような「僕」ひいては「私 」の位置を占めることができない点は強調されてよい(12)。ただし、「渡船錢」のような境界的な作品がない訳ではない。そこでは、「おひねり」で生計を立てている父親を持つ小僧と「生徒さん」との一瞬の出会いが描かれている。内容的には「鶏群の一鶴」と何ら変わるところはないが、「私の阿父さんは六部と云つて〜」のように小僧自らが「語る主体」として措定されているのである。
 このように「少年小説」には、『当世少年気質』『暑中休暇』では見られなかった「語る主体」の問題が指摘できる。そもそも、小僧は語る契機を奪われていることが多い訳だが、たとえ彼が語ることが許されたとしても「僕」という自称を使用できなかった点に留意されたい。というのも、「この時代において、<立身出世>していく主体を書き込む場、それが<僕>という人称であった」(久米前掲論文、九九頁)からである。『当世少年気質』は典型的な三人称全知視点であり、『暑中休暇』もまた会話表現が増えているものの基本的には三人称であった。わずかに『暑中休暇』における「旅行」「帰省」で「余」「小生」という一人称が登場するが、それは「文語体手記という枠組の中においてのみ現れていて、少年たちが日常使用する言葉に基づく語りは、まだ成立していないのである」(同上、九〇頁)(13)。したがって、『当世少年気質』『暑中休暇』との決定的な差異は、立身出世を書き込む場として「僕」が使用された点にあったと言えよう(「渡船錢」「悔し涙」以外の作品は「僕」を語り手としている)。だとすれば、このような「語る主体」の問題は先に指摘した父―息子という主題 と如何なる相関を見せているのだろうか。

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