『子ども族探検』(第三文明社 1973)

家出の背景
「心配しないでください。
 いまの美代子の気持ちはだれにもわからないと思います。お母ちゃんのいうことも美代子にはわかりません。
 美代子もわがままだけれど、お母ちゃんも子どもの気持ちにたいしてわがままだと思う。
 自分自身よくわかりません。
 どこかで無事にいることは約束します。
 お元気で。ごめんなさい。
 お父ちゃんも心配しないでね。                  美代子」
 右のような置手紙をして家を出た少女(十五歳)は、もう二ヵ月たつのに帰ってこない。親は警察にとどけたけれども、それ以上のことはしていない。ある高校生向け雑誌が「家出」に関する特集記事をつくるため、少女の家へ取材記者を派遣させた。そして、この少女の家出の背景が浮かびあがってきたのだ。
 母親をはじめ、友人、教師などの話から推察される家出の原因は、帰宅時間が遅くなり、勉強にも影響しているからということで、母親が、少女のクラブ活動(ソフトボール部)をやめさせたことらしい。つまり、母親は、少女が最も生きがいを感じていたものから、強制的に少女を遠ざけたのである。
 しかし、わたしが問題にしたいのは、家出の原因ではない。家出の原因として考えれば、これはごく平凡なケース(具体例)であって、ズハリいってそれほどの興味は持てない。
 問題は家出したあとの親・きょうだい、そして周囲の態度なのだ。
 取材を終えた雑誌記者が文章をまとめ、それを編集者が印刷所へ入れようとした直前、母親から電話がかかってきた。
「うちの娘のことを雑誌にのせないでください」とオロオロ声で繰りかえしたのである。
 当然のこと、編集者は、その理由をたずねた。編集者は、家出という問題を、多くの高校生に考えてもらうための具体例として美代子サンの話をだすことは、同時に、美代子サン発見の手がかりとなる可能性もあると思っていたのだ。そしてそのことは、母親も十分に承知していたはずなのに……。
「高校三年のおにいちゃんが、家出をした妹のことが雑誌にのったりしたら恥ずかしいといっていますし、あの子の友だちYさんのお母さんからも苦情をいわれまして」
 すでにここで二つの問題が出た。高校三年の兄の身勝手がひとつ。そして、自分の娘の友人に家出少女がいたりしては困ると考える非情な母親の問題がひとつ。しかしそれよりも問題で、それゆえにわたしを立腹させるのは、テメエ勝手な息子のいいぶんや、友人の母親の苦情をハネかえすこともできないままに、自分の娘の行方を探す意志さえ捨てようとしている母親のイイカゲンさである。
 なぜ、この母親は、家出した妹を持つことが恥ずかしいといった息子を叱りとばさないのか。なぜ、友人の母親の苦情を無視しないのか。
 恥や苦情の重みよりも、娘の家出を軽く考えるような母親だからこそ、娘の意志をないがしろにしてまで、クラブ活動を禁止したりもしたのだろう。
 美代子サンの家出は、子どもの人格を認めない親にたいする精いっぱいのプロテスト(抗議)であるといっていい。しかし、家出にはかずかずの危険がつきまとう。少女が置手紙に書いたように「どこかで無事にいることは」かならずしも“約束”されない。
 さて、問題はもうひとつ残っている。それは少女が通っていた高校の教師の態度だ。その高校は私立で、少女は同系の中学からのくりあがり入学。中学のとき、少女はソフトボール部の中心選手であった。とすれば、高校の教師としても、少女がクラブ活動を親から禁止されたことに関して、なんらかの反応をしめすのが当たりまえだろうに、それがゼロ。
「まだ、授業もはじまっていないときの家出なので、わたしどもには見当もつきません」と、教師は明らかに責任回避の口調で取材記者にいったそうな。
 では、少女をソフトボール部で活躍させ、卒業させた中学の先生はどうか。これまた、「なにしろ、卒業して高校へ進学してからのことなので責任はない」と主張した。
 こうなっては、もう少女の周辺はまったくの八方ふさがりである。
 妹の家出を恥と考えるような兄とは、仲よくできたはずはないし、親は愚かなワカラズ屋だし、友人の親は身勝手で、教師たちは責任のがればかりを考える典型的なサラリーマンタイプときては、どうにも救いはない。家出をしないのがフシギと思えるほどだ。
 すでにわたしは、少女の家出の原因は、決して特異なものとは考えられないという意味のことをいった。それでは、その後の周囲の反応はどうか。これは特別に異常なことだろうか。それもまた、ごく普通の事柄のように思われる。
 子どもはつねに家出し、しかも帰ってくる機会を失っているといえないか。あなたの子も、そしてわたしの子も。

オヤジの参加
 子どもの教育にオヤジが口だすことは、あまりこのましくないことだと思われていた。とくに戦後は、戦前・戦中の家父長制にたいする“反動”が強くあってオヤジはあらゆる面での権威を失っていたため、とてもとても、子どもの教育についてとやかくいうスジアイではなかったようだ。
 ところが最近、オヤジも教育に口だしをすべきだという意見が多くなり、その影響もあってなんやかんやと、子どもの教育に関して積極的になるオヤジ族がふえてきた。
 母親まかせで育ってきた子ども、そのなれの果てとしての青年たちに、さまざまな問題がでてきた。ということも、オヤジ族進出の理由だろうし、世のなかが、より複雑化し、“進路決定”が母と子だけではココロもとないというのも原因だろう。とにかく、オヤジどもが教育にガゼン熱意をみせはじめたこのごろである。
 にもかかわらず、だ。右のような風潮がマンエンしているにもかかわらず、だ。練馬区立石神井小学校五年生のPTA委員が集まった席で、ひとりの母親が発言した。
「わたくし、あの、父親参観をやめるべきだと思いますわ」
 母の日というものがあるもんでヒガミっぽい父親のために設けられた父の日の当日あるいはその前後におこなわれる年中行事のひとつ《父親授業参観》。一どだけ、たった一どだけわたしも行ったことがある。
 ポロシャツにジャンパーひっかけ、ヘップはいて気軽にわたしは出かけたのだ。しかし、学校に着いて驚いた。父親諸君、ネクタイしめて背広着用、おまけにカメラぶらさげて(なかには8ミリご持参で)、参観の証拠写真のつもりなんだろう、授業中のガキをうつしまわって大活躍。
 教師の方はと見てやれば、使いつけない化粧品、唇いっぱいにルージュぬりたくり、タンスの奥から引き出してきたらしい折りジワのついたスーツなど着て愛敬タップリ(のつもりなんだと思うよ)猫なで声でガキどもに対す。
 わたしはたちまち心臓にアッパクを覚え、スタコラさっさと退散してきた。それ以来、参観には関係なし。
 母親たちにしても、形式だけの父親参観など、あってもなくても、たいしたことじゃないと思うから、廃止論者の母親の意見に耳傾けようとしたそうな。
 けれど、その理由はまったくモーレツなものだった。その母親は激しい調子で、つまりヒステリックに廃止論の根拠をのべたそうである。
「父親参観が日曜日におこなわれるため、子どもがゼミナールに行けない。子どもは私立中学受験のため、学校の勉強よりもゼミの勉強の方が大切なのだ。教育熱心な家庭の子どもは、日曜もムダにはすごさないことを知ってほしい。うちの子どもが通っているゼミは、担任のFセンセイのご紹介によるもので、それはそれは程度の高いところなのだから……」
 参考まで付けくわえると、Fセンセイというのは、この探検の「〈観〉派か〈像〉派か」に登場している四十ムスメの女教師である。もちろん、この席上には当F先生も顔を見せていた。けれど知らん顔の半ベエならぬ半子サンだったという。
 四十ムスメが知らん顔でも、三十かあさん、四十ママたちはだまっていない。
「そんなにゼミが大切なら、学校なんかやめさせればいいでしょ」という意見まで出た。しかも、この人、ガリガリの教育ママとしてかなり高名なのである。
「さすがのBさんも頭にきたらしい」という評判、あとで高まる。
 右の話をきく数日前の日曜日、わたしは子どもたちとともに、名栗川へ遊びに行った。その帰りの電車のなかで、ワークかドリルか、とにかく勉強をさせられている子どもとその母親を目撃した。その子は、母親がすこしでも目をはなすと、エンピツを持ったまま居眠りをするのだ。母親は子どもをドツキ、勉強をさせる。周囲の乗客もさすがに驚きの表情でその母と子を見ていた。
「おい、見ろ。世のなかには、あんな目にあってる子どももいるんだぜ」
「おれだったら逃げちゃう」と息子。
「鬼ババァみたい。あれはきっとママ母よ」と娘。
 日曜ゼミなんてものを考えついたやつが悪いのか。気違いじみた教育ママがいるから日曜ゼミができるのか。わたしにいわせりゃ、どっちもどっちだ。
 ところで、その母と子をゼミにおくりだしたあと、父親は何をしているのだろうか。のんびりと休みの時間を過ごしているのか。こういう父親を、ほんとうの意味での教育に参加させる方法を考える必要がありそうだ。

行儀についてとやかくの風潮
 いまどきの親たちが、学校における子どもの姿を見て、まず第一に不満におもう点は、行儀がわるいということだそうな。
 親たちは、暗い時代の教室で校長センセイに修身を教えられたりした記憶を持つ世代だから、家庭においては、子どもの行儀についてそれほどやかましくいわない。あまりカタイことをいって、子どもに嫌われても困るというような自信のなさもあるだろう。
 ところが、家庭であまやかしているだけに、せめて学校にいるときぐらいは、行儀よく、キチンとした態度でいてほしいと願うわけだ。この気持、ずいぶんとテメエ勝手だが、まあそれなりに理解できる。
 ところが、センセイのなかには、行儀なんてことには、あまり気をつかわない人がいる。とくに、若い世代のセンセイにはそういう人が多い。
 爺さん婆さんのセンセイは、教えることにあまり自信がないもんで、せめて行儀ぐらいやかましくいおうなんていうのがかなりいる。行儀についてやかましいセンセイで、あまり立派な教育内容を持った授業をしている人には残念ながら出会ったことがない。
 もう十年あまりも前になるが、ラジオで『ジャジャ馬くん』という子ども向けの連続放送劇の台本を書いたことがある。担当プロデューサーが熱心な男なもんでずいぶんあちこちの教室を見てあるき多くの子どもの姿に接し、センセイたちとも話しあった。そのときの体験からいっても、行儀についてとやかくいう教室は明るい感じからほど遠く、子どもたちもなんとなく伸びやかさに欠けていたということがいえる。
 キョーオツケエーなんていうような、すごい号令かけられて小国民意識をたたきこまれていた時代と比較すれば、たしかにいまどきの子どもは、キチンとしたところがないし、行儀もわるい。しかし、“教育”というのは、教えられることを理解し、それを自分のものにしていく作業なのだから、最もセンセイのいうこと、教えてくれることを理解しやすい姿勢でいるのが、最良なのである。
 背筋を伸ばし、アゴをひき、手をキチンとひざの上に置いた姿勢、すなわち椅子上の正座ともいうべきポーズが、一ばん楽だという人はそれで結構。昔の修身の時間はそれであった。だが、授業はガマン大会ではない。正座が一ばん楽だなどという人は、よほどのヘンクツか、肉体の構造上、どこかに欠陥がある人にちがいない。正常な人ならあんな姿勢が楽であるはずない。
 楽でない姿勢をしているということ、つまり苦痛なポーズで授業を受けていることによってその子どもの理解力はかなり影響を受ける。受けないはずがない。そのせいだろうか。わたしは子どものころ、センセイのいうことがまるで理解できなかった。あのとき、もっと楽な姿勢で授業を受けさせてくれていたら……と悔やむことしきりである。
 ところでわたしに、右のようなことを考えるキッカケを与えてくれたのは、現在ある週刊誌で一緒に仕事をしているカメラマンの間久男氏だ。間氏はわたしが児童文学者でもあると知り、ある日こんなことをいいだした
「ボクは以前、APというアメリカの通信社の日本支局につとめていたことがある。そのとき、アメリカンスクールの写真をとって歩いた。六ヶ月ぐらいアメリカの子どもばかり写していたんだけど、そのときつくづく感じたことは、連中、学校で実にのびのびとやっているってことだった。
 小学校はもちろんのこと、中学、高校になっても制服なんて一切ない。服装は個性のひとつの表現だっていうことがよくわかる。野球の好きな子は、ユニホームで学校へくる。
 日本の学校の制服はたいてい紺か黒だろう。だから教室ぜんたいが暗い感じになってしまう。アメリカンスクールじゃ、色も形もまちまち、にぎやかなもんだ。
 それと感心したのは行儀。センセイは行儀について一切文句はいわない。どんな姿勢でいようと、理解さえすればいいという考え方なんだ。子どもたちはおもいおもいに、勝手なポーズでセンセイのいうことを聞いている。日本人のわれわれから見るといさか自由すぎるという感じがしないでもないけれど、ヘンにすましているよりは、よっぽどましだし、教育的な効果もあがると思った」
 わたしは何も、アメリカばかりすぐれていて、日本はダメだなどときめつけるつもりはない。けれども、とかく、いまどきの親たちは、行儀のよさが即よい子の条件だなどと思いがちである。いや、正確にいうなら、そういう考え方が、たまたまあたまをもちあげてきたような風潮がある。
 親たちは、子どもの行儀を昔どおりにしたいと思うのなら、いまから直ちに、テレビを観るときにも背すじを伸ばし、アゴをひき、両手をひざの上に置き……そう、修身の時間のようにしなければならぬ。テレビだって勉強だって、子どもにとっては日常性だ。
テキスト化井出祥子