子ども族探検

はじめに

 『子ども族探検』というタイトルに心ひかれて、この本を手にしたあなたにとって、子どもとは、まぎれもなく、人格を持った存在であるでしょう。そこで改めて、子どもにおける人格とは、いったいどのようなものであるかを考えていただきたいのです。そのために、ここではいささかの歴史的考察をこころみます。
 こどもが<人格>を持った存在として認められるようになったのは、それほど古いことではありません。近代社会の先進国としてのイギリスにおいてすら、たかだか百四十年ほど前のことで、日本においては、もちろん明治維新後の事柄なのです。
 それ以前の社会では、子どもは親の従属物であって、単に小さな"おとな"でしかなかったといえるでしょう。子どもが、子どもであることにおいて意味がある、すなわち、子どもには子どもなりの存在理由があると考えることによって、近代はその幕をひらいたと思われるわけです。
 具体的にいうなら、近代は子どもを労働の場から解放することによって、その人格を認めました。1834年、イギリスにおいて施行された"幼児労働禁止令"が、おそらく世界ではじめての、子ども人格宣言に相当するものと考えられます。これによって9歳以下の年少労働者が工場から解き放たれたのです。
 2歳の子どもが工場労働に従事していたという記録が残されている当時のことですから、幼児労働禁止令の果たした役割の大きさは、いまのわたしたちが想像もできないほどだったにちがいありません。これと同様のことは、明治維新後の日本においてもおこなわれています。
 さて、それでは、労働から解放された子どもたちに与えられたものは、なんであったか?それは学校教育でした。
 子どもたちが学校にかようことは、義務であり権利であるというかたちで(一部には、それが適用されなかった場合もあったけれど)およそ百年が経過したわけですが、その結果として、子どもたちの前に横たわったのは、教育もまた、かつての労働とはちがったかたちで、自分たちの自由をさまたげ、人格を傷つけるという問題ではないでしょうか。わたしは、子どもたちの現実をみつめて、つくづくと教育の苛酷さを痛感しています。
 近代の先覚者たちが、子どもと労働とを切り離すことによって、子どもの歴史の幕あけとしたのだけれど、いまや教育が、子どもの受難の象徴的な事柄となって、歴史の道すじを暗くしているといえるでしょう。もうこのあたりで、子どもと教育とを切り離すべきではないのか、とまではいいませんが、教育のありように対して、きびしい目を向け、子どもの歴史の道程を暗くしている事実があれば、それをとりのぞく作業にとりかかるべきだとは思うのです。
 どうすれば、それができるのかは、ひとりひとりが考えればよいでしょう。わたしはとりあえず、子どもの実態を、とにかく観てみようと思いました。そしてそれを、子どもに関心をいだく多くの人びとに向かって報告しようと考えました。その一部がこの本に収めた文章です。以後、この本にひきつづいて刊行予定の『きょういく族探検』さらに月刊教育雑誌『灯台』に連載中の「現場探検」というシリーズ形式で、報告をおこなっています。
 さまざまな意見の交換こそ、筆者ののぞむところです。ご意見をおよせください。

1973年 2月
著者

≪目次≫

T 子どもたちは生きている
遊びのタテとヨコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
遊びにも練磨が必要だ・・・・・・・・・・・・・・・・16
何が襲われているのか・・・・・・・・・・・・・・・・21
下町っ子はもういない・・・・・・・・・・・・・・・・26
交通事故体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
ゴリラの子どもたち・・・・・・・・・・・・・・・・・35

一年坊主をめぐる思想・・・・・・・・・・・・・・・・40
犬と子どもの関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・45

動物園飼育係N氏の場合・・・・・・・・・・・・・・・49
午前六時半の自主トレ・・・・・・・・・・・・・・・・53
子どもを政治にまきこむ?・・・・・・・・・・・・・・58

<小学連>の再登場・・・・・・・・・・・・・・・・・62
中学生パワー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66
バリケードか文化祭か・・・・・・・・・・・・・・・・71
高校生の非行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・75


U 子どもたちは考えている
体験が子どものなかにとどまるとき・・・・・・・・・・81

雲が何に見えるのか・・・・・・・・・・・・・・・・・86
親たちの戦記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91

政治とは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95
飢えについての感想・・・・・・・・・・・・・・・・・100
なんで笛を吹くの?・・・・・・・・・・・・・・・・・104
ないないづくしじゃわからない・・・・・・・・・・・・108
少年よ大志を抱け・・・・・・・・・・・・・・・・・・113
子どものためのまんが論・・・・・・・・・・・・・・・118
少し昔のジョー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・123
"力石"が死んだ――死と人生をめぐって・・・・・・・128

テレビのなかの子ども・・・・・・・・・・・・・・・・132
伝記のはたす役割・・・・・・・・・・・・・・・・・・136
日本人という考えかた・・・・・・・・・・・・・・・・140
エンピツをめぐる思想・・・・・・・・・・・・・・・・145
四歳のある晴れた朝・・・・・・・・・・・・・・・・・149

紙ヒコーキ乗っ取り事件・・・・・・・・・・・・・・・154
ママと呼んであげない・・・・・・・・・・・・・・・・159
日曜も休みなく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164
学校とはなんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169


V 子どもたちはいじめられている
強制するのはオカシイ・・・・・・・・・・・・・・・・177
交通戦争対策に決め手なし・・・・・・・・・・・・・・182
親はなくても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・186

閉じこめる者は誰か・・・・・・・・・・・・・・・・・190
家出の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・195
オヤジの参加・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200
行儀についてとやかくの風潮・・・・・・・・・・・・・204

PTAへの疑い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・209
楽しかるべき夏休みを・・・・・・・・・・・・・・・・213
子どもをめぐる三角形・・・・・・・・・・・・・・・・217
<観>派か<像>派か・・・・・・・・・・・・・・・・222
読書の秋に考える・・・・・・・・・・・・・・・・・・227
教育のひとつの機能・・・・・・・・・・・・・・・・・231
性教育は枯木ばかり・・・・・・・・・・・・・・・・・236

W 番外・しめくくり編
子どもよ、お前は何処へ行くのだ・・・・・・・・・・・244
七〇年代のマスコミと子ども・・・・・・・・・・・・・255

装幀・イラスト 種村 国夫


テキスト化塩野裕子