横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

現代児童文学への問いかけ

「集団・生活主義童話」覚え書

(1)
ぼくは最近になって塚原健二郎の『集団主義童話の提唱』という評論を読みました。この一文は一九三三年九月の「都新聞」紙上に発表されたものですが、二十年以上の時日が経過しているにもかかわらず、ぼくは読んでいろいろと考えさせられ、深い興味を抱いたのです。
近代における日本の児童文学をふりかえって先ず頭に浮かんでくるのは、未明を始めとして、小波、三重吉、広介、賢治等といった名前です。ところがこれらの名前は強い文学的な輝きを放って個々に高くそびえていながら、坪田譲治が『論争よ起れ』の中でいっているように「みな弧峰となって出現し山脈とならない」ようです。つまり「そこにはオトナの文学のように流れがない」ということになります。
一般文学の展開にあっては、ぼくたちは逍遥、二葉亭にはじまるリアリズムの成立から自然主義、新理想主義、プロレタリア文学へと、この区分には問題もあるが一応私小説を主流としたその歴史の流れをたどることが可能です。そしてその自然主義といえば、藤村、花袋、秋声、白鳥等の名前をあげるのが普通のように思われます。
しかし児童文学においてはたしかにこのような流れは希薄のようです。ところがそれにかわってというわけではないでしょうが、個人の歴史の流れが存在しているように考えられます。というのは、未明の歩みが同時に日本の児童文学史であるといわれているのがそれです。
坪田譲治はこのように児童文学に一般文学に似た歴史の流れがない理由を、児童文学が今までに評論家を持たず理論の解明が行われなかった結果だとしていますが、児童文学が一般文学に伍して進展するためには、早急にこの方面の開拓がなされなければならないといえます。
ぼくは今児童文学における個人の歴史の流れをいいそれに対して未明をあげましたが、日本の児童文学の流れを位置づける場合、どうしても未明童話が果たした役割を真先に検討しなければならないでしょう。兼題の児童文学が未明によって出発し、その後の大きな足跡によってさまざまな影響を児童文学にあたえていることを思うとこのことは常識だといえます。「小さい仲間」の吉田足日によると、彼は日本の児童文学史を「未明童話の変質と崩壊であった」と規定しています。(この規定は彼の大きな業績でありぼくは彼の説から少なからず恩恵を受けた)だがぼくはここで未明童話についてふれる余裕がありません。ぼくがここで考えたいことは、未明童話の流れとは別に、昭和初年からおこったプロレタリアの童話、それに続いてあらわれた、集団主義・生活主義童話、更には生活童話に至る流れについてであります。特にプロレタリア童話が何故、集団・生活主義童話を通して生活童話にまで変質して行ったのか、その中にはさまれた集団・生活主義童話を中心としてその原因なり過程を追及してみたいと思っているのです。このプロレタリア童話から生活童話への流れを再検討することは、今日の児童文学を知る上からもまたより正しい方向に発展されるためにも是非必要なことだと考えられます。なぜならこの時期に問題となり形成されたものが、多く解決されないまま、小国民文化と空白の戦争時代を飛びこえて戦後に持ちこまれ今日の児童文学に結びついているからです。このことについて菅忠道は、『日本児童文学大系第三巻』解説で次のようにいっています。
「ここで形づくられたものがよかれあしかれ今日の児童文学の性格にひきつがれており今日の中堅作家のほとんどがこれらの文学運動の中から育っている。そういう意味でこの時期は今日の児童文学の問題に直接的なつながりを持っている。」
大正末期から昭和にかけて一般文学におこったプロレタリア文学運動に刺激されて 漸く勃興したプロレタリア部児童文学は、日本の児童文学史に於ける数少ない文学運動の一つでありますが、それはどのような成果を及ぼしたでしょうか。
ここでもう一度吉田足日の説を引用すると、彼はその『近代童話の崩壊』の中で「プロレタリア童話が外部世界に関心を示した大きな意味」と「プロレタリア童話が児童文学史ではたした役割はおとなのプロレタリア文学がおとなの近代文学史ではたした役割より大であった」ことを認めた上で次のように評価しています。
「だがプロレタリア童話が方法的には未明童話の裏返しにすぎなかったように生活童話も中途半端であった。(中略)児童文学の現在の弱さはプロレタリア童話は確立されず、日本的近代の完成は坪田譲治ひとりであったという伝統の弱さの結果であり(中略)未明に始まる近代童話はまだ克服されるに至っていないしプロレタリア童話から生活童話に及ぶ弱点は今なお残存している。」
ここで重要なことはプロレタリア童話が方法的には未明童話の裏返しにすぎなかったという指摘でしょう。このことはプロレタリア童話が未明童話の持つ心象表現の方法から一歩前進して、人間をとりまく条件、社会に眼をやりその相関関係の中で人間を捉えようとしながら、その実科学的なものを無視してただ性急な観念性のみが露骨に表面に出、環境と共に変化する人間を描くことが出来ずに終わったことを意味すると思います。つまりその方向としては正しいものを目指しながら、その方向を発展させるための新しい方法を充分に把握することが出来なかったことからくる挫折だったのです。このことを別な言葉でいえば未明童話の観念世界を描く方法を、何らかの評判もなしにそのまま外界に向かって応用したことからくる悲劇だったといえます。
このような現象は一般文学にも通じるようです。それはプロレタリア文学が私小説の持つ社会性の欠如を回復しようと志向しながらその方法は私小説と同質のものであったという事実と関連の生活意識においては同じであり、政治的には互いに等距離の位置にあった」という意味のことを書いています。そしてそこからくる弱さは戦後にまで持ち越されているのです。この弱点を克服することが戦後派作家の一つの大きな課題になっている状態で、その一人である野間宏などはそれを果たすために自然主義までさかのぼって、藤村、透谷等を検討しています。
彼は『破戒について』という文章の中で、『破戒』の弱点を、
「藤村自身があらゆる人間が対等であるという人間の文化的追及の方法を持っていないところに起った。」
と突き、その終わりでこういっています。
「人間と自然が等質であるという考えの上にたって、人間を自然を追求すると同じ方法で追求して行く追求の仕方を確立していない『破戒』が自然主義の礎石となっているところに、日本の自然主義の弱点がみられるのである。(中略)私は日本の近代小説を再検討し国民文学創造の新しい方向をきりひらくという課題を考えるとき『破戒』のもっているその弱点をはっきりさせることが大切だと思う」
これと対象していえることは、児童文学においてもプロレタリア童話の持つ弱点を克服するために未明にまでさかのぼってそれを追求しなければならないということです。未明童話の弱点は、子どもをその児童性によって自己の心象の世界の中で追求する方法は持っていても外部から外部の環境と共に描く方法を持ち得なかったところにあります。このことを吉田足日は「閉鎖性」という言葉で評しています。勿論その原因が日本の社会の歴史的制約によることも大きいのですが、一方近代児童文学の内部にもその萌芽が含まれていることは人々によって、指摘されているとおりです。
このようにしてプロレタリア童話は輸入思想の脆さも手伝って正しい方向を目ざしながら内部の矛盾と根強い伝統の圧迫の前に崩れ去り、新しい文学を成熟させるまでに定着することが出来なかったのです。このことを逆説的にいえば未明童話の伝統の強さをそれは物語っているともいうことができます。
だがこのプロレタリア童話は、一般文学の中でプロレタリア文学が不徹底ではあったが私小説のしそうを打破したように、それまでの童心主義に打撃をあたえたことは事実です。それは爾後プロレタリア童話の延長である生活童話が一時期児童文学の主流になったことによって示されています。
しかしプロレタリア童話が充分に確立されず、ただ以前の童心主義童話に一撃をあたえただけで姿を消したことは、やがてそれが集団主義童話、生活主義童話と変移し、生活童話へと解体して行く動因となったのです。

(2)
さて、ここで再び冒頭に話をもどし、ぼくがさきにいった『集団主義童話の提唱』についてどのような点に興味を覚えたかをかいてみたいと思います。
先ず最初にこの「集団主義童話」なるものが提唱さらたその時期についてです。
その提唱がなされた一九三三年といえば、昭和八年にあたり当時すでに前年から次第に激しくなっていた官憲の弾圧のためにプロレタリア文学運動は組織的にも崩壊寸前の状態に追いつめられ(日本プロレタリア作家同盟は翌年の二月に解散している)それと同じくプロレタリア児童文学も危機の淵に立ち、その活動は殆ど沈滞してしまった年でありました。その提唱がこのような時代背景の下におこなわれたことは、それがプロレタリア童話の転換を意味することと共に注目されなければなりません。つまりそこにこそ「集団主義童話」を正当に評価する鍵がひそんでいると思われるからです。なおこの「集団主義童話」と相前後して生活主義童話が出現していることも注意すべきことでしょう。
では、この「集団主義童話」とはいかなるものなのでしょうか。そのことについて塚原健次郎は次のように説明します。
「児童の集団生活(社会的)の中に於ける自主的、且つ創造的な生活を助長してその個々の生活行動を通じて、新しいあいたの社会に向かってのびて行くための童話。」
これらの言葉は今日の進歩的な児童文学者が、そのままどこかの文章の中にあてはめて使用したとしても決して不思議に思われないほど現在にも通用する新しさを持っています。しかも面白いことにはこの言葉が転換期の指導的地位を占め、「生活主義童話」の理論的根拠となったといわれる槙本楠朗の『児童文学の新段階』の「真に正しき児童文学を」という項にある次の言葉がそれです。
「真に正しき児童文化<児童文学もその一つである>であるか否かはそれが真に児童の生活を正しく向上発展せしめるものか否かによって決定される。(中略)要約すると児童の日常生活の中から、正しい集団的、自主的創造的生活を導き出し、それをより合理的な社会的生活へと、彼自身によって高めさせて行くことである。」
こうみてくると「集団主義童話」も「社会主義童話」もそのかかげる名前こそ違うが、目ざすところは、共に子どもの生活を社会的関連に於て捉え、それを具体的に描くことによって子どもを創造的、自主的な人間に高めようとする点で合致していたのです。そのことについて管忠道は「『生活主義童話』または『集団主義童話』の実質主義的原則をつらぬくことにあり、作品の主題として児童における社会性の発達を扱ったものが多かった。」(『日本児童文学大系第四巻』解説)ともいっています。
「集団・生活主義童話」が指向した方向はその範囲においては正しかったといえます。しかし事実はその方向に転落して行ったのは、日本の児童文学にとって悲しむべき現象でした。ぼくたちはこの現象の底にかくれている原因をつきとめなければなりません。
ぼくはこの疑問の答えを得るために、作品について探求してみたいとおもいます。
『子どもの会議』(『日本文学大系第三巻』)という作品があります。これは塚原健二郎が「赤い鳥」復刊第一号に発表したもので彼はこの作品によって作風の転換を行なったものといわれています。その上にこの作品は、彼がその二年後(「赤い鳥」復刊は一九三一年一月)にかかれた『集団主義童話の提唱』の主義にもとづいて創作されたものであると考えることができるようです。

この作品のあらすじはこうです。
九つになるリナはいつもおかあさんに、エレベーターボーイのポオルはおいのりも知らないし学校へもいかない悪い子だから遊んではいけないと注意される。でもリナは一どだって人とあらそわないし、毎朝にこにこしてエレベーターのハンドルをまわすポオルが悪い子だというのはうそだと思った。
アパートのおとなたちは、ポオルが四つの時にこのアパートの表にすてられていたのを番人のジョンソンじいさんにひろわれたということでいろいろ悪くいった。アパートの子どもたちも最初はこのおとなたちのいうことを信じてだれもポオルと遊ばなかったが、ポオルがエレベーターにのるようになってからほんとうはどんな子どもだか、ということを知りすっかりなかよしになる。
ある日、ポオルはエレベーターの中で小さな鉛筆を拾う。ポオルは字を勉強するために鉛筆がほしいと思っていたところなので喜んだが、それをだまって自分のものにするとこが気になって子どもたちが帰ってきたときにその落し主をたずねる。それは五年生のマイケルのものだったがマイケルはそれをポオルにやるという。するとリナもポオルにリボンのついたかわいらしい手帳をやる。はじめて人からものをもらったポオルは思いがけないことにとてもうれしくなって、いろいろと勉強のことを考えているとふいにリナのおとうさんに声をかけられて、ポケットからはみ出していたノートを拾ったのだろうといって取り上げられてしまう。
ところがこの出来事をちょうどアンリとレックスという子どもが見ていて、みんなにしらせた。するとその晩アパートでは子どもたちがみんなどこかへ出かけてしまうというじけんがもちあがった。おかあさんたちはたいへん心配する。さがしに行こうとしてもエレベーターがちっともあがってこない。そのようなさわぎの最中、下のものおきべやでは、十六人の子どもが集まってなにか話し合っていた。この集まりのほっき者のレックスは、「ぼくたちがこんや集まったのはぼくたちのもっともふしあわせな友ポオルくんのことについてみんなで一つになってアパートのおとなたちに頼むためです。」といって、みんなと相談していろいろなことをきめる。会がすんで子どもたちがエレベーターのところへかけつけたとき、おおぜいのおかあさんをのせたエレベーターがおりてくる。こんなにエレベーターがおそくなったのは二階と一階のあいだでポオルのおなかが急に痛くなったからであった。

この作品には「集団主義生活童話」の理念である「集団生活の中における自主的、創造的な生活を助長する」という意図が強くにじみ出ています。その意図が「集団生活主義童話」の持つ目的意識と適合している限りにおいて、この作品の方向と意義は認められるかも知れません。またこの作品は子どもたちの集団生活の中における自主的な行動を描いたという点で、それまでのプロレタリア童話、例えば猪野省三の『どんどやき』に見られるような作者の主観が主人公の健二ただ一人を通して叫ばれ、他の子どもたちと交渉が描かれていないために単調な感じをあたえる作品とは異ったものを示したということも出来るでしょ。
だが、この両者ともその作者の観念によって支えられていることは同一です。その内容には性格を持って動く生きた人間は存在しません。あるものは作者の観念によって操作されるままに動くロボットにすぎないのです。これはやはり未明の方法につながります。つまり自己の内部から抽出された普遍的な「自主的」という観念を、作品の中で現実社会と対決さすことによってその正しさを試そうとせずに、最初からその観念を正しいとしてその観念をどれほどうまく形象化するかということにのみ重点をおき、作品自体を観念によって包んでしまっているのです。このことは未明童話がその純粋さを、人間をとりまく条件を切り捨てることによって保っていることと表裏をなしていると思われます。
『子どもの会議』の今一つの特色は、この作品が架空の国にその題材を求めて成立しているということです。この傾向は戦後に現れた「無国籍童話」の作風と共通するものですが、ここに出てくるポオルとかリナとかいうどこの国の子どもともわからぬ名前は、この作品の観念性を最も端的に象徴しているものとして興味があります。
ぼくはさきにこの作品が子どもたちの集団生活の中における自主的な行動を描いたものといいましたが、そこから受ける感動はひどく薄手なものです。その理由は、主人公のポオルが充分描き切れていないだと考えられます。というのはアパートの子どもたちは捨て子であるポオルが、エレベーターにつとめだしてからポオルがどんな子どもだか知ってなかよくなるのですが、みんなが知ってるポオルはリナの考えによって代表される「一どだって人とあらそったことはないし、毎朝にこにこしてエレベーターのハンドルをまわす」という極めて概念的な表面だけの姿でしかすぎないのです。ポオルと子どもたちの人間関係が簡単な説明だけに終わっているためにポオルを救おうとするみんなの行為が少しも切実感を持たず、読者に安っぽい感じをあたえるのです。この作品に現れた子どもたちの自主的な行動は、論理的な考えの結果に生じたものではなく、安易な感傷的な情感によって裏付けされたものであったということができるようです。このことは同時に作者の生活意識が日本の伝統的な義理人情の世界にあったことを証し、その意識の古さが作者の認識の深さを制約していたと考えられます。論理的でないといえば最後の場面もそうで、エレベーターがおくれたのは、ポオルのおなかが二階と一階の間で急に痛くなったからだという解決はあまりにも偶然によって支配されており非科学的です。
近代の小説は作者の思想の正しさを試すためにかかれ、その作品の主人公は作者の思想に映った自分の姿であるといわれていますが、『子どもの会議』の主人公ポオルの弱点は、すなわち作者の観念の弱さということになります。
『子どもの会議』は作者の観念の正しさによって僅かに支えられながら、その観念の弱さによって自ら崩壊した作品であるといえるでしょ。このことを別な言葉で表現すれば、「集団生活における自主的、創造的な生活」を描くという目的意識によってこの作品は形成されながら、その観念を社会と対決させず、作品の中で典型をつくり出すために充分な形象化の作業が行なわれなかったところにこの作品の決定的な弱点があったのです。
ここで今一つ生活主義を唱えた槙本楠朗の『掃除当番』(一九三三年)を考えてみましょう。
この作品は、四年生で掃除当番長の小泉が水をくんで教室にもどってくると四、五人のものが「おいきみ五年生のやつがぼくたちのぞうきんを持っていったぞ。」とさけぶ。そこで小泉くんたち四年生の子どもは五年生へとり返しに行く。しかし五年生のものたちは「ぬすまない」といってたがいに議論するがとうとうかえす。ところが五年生も六年生たちにとられたとわかって四年生と五年生が一緒になって六年生の教室へ交渉することになる。だがなかなか返さない。そのとき小泉くんが「四年生以上には『クラス自治会』があるからそこへぞうきんのことを持ちだしてあたらしいのを学校から出してもらおう。」と提案する。みんなもそれに賛成して和解する。
大体このような筋ですが、ここでも学校の中で集団生活する子どもたちの自主的、共同的な行動がとりあげられています。しかもこの作品には『子どもの会議』に見られたような観念の露出が比較的表立たず、適度のユーモアもあって、一応集団の姿が生々と描かれているといえます。なおこの作品には「非常時」といった言葉も使用されていながら、そのようなことにはとらわれず、むしろそこに民主的なものの考え方や子どもの社会性を盛ったことは作者の認識の正しさを物語っておりそれらの点は戦後の今日にも多く継承されているところです。このようにこの作品の持つリアリズムはたしかに従前の童心主義やお伽嘲的な作品にはないものでした。
だがこの作品にも弱点はあります。それはこの作品が子どもたちを集団(社会)においてとらえ、浅くではあっても追求しようとしていますが、その集団の中に生きる一人一人の子どもの姿が描かれていないことです。
この作品では僅かに小泉くんが性格を持った人間として描かれているのみで、他の子どもたちは人間としての姿を充分にあらわしていません。つまり集団の中で行動しながら、何を考え何を感じているのか、読者にはその性格も心理もよくわからないのです。
このことは作者が集団と個人の関係をつきつめることが出来なかったことからきていると思われます。勿論このことはそれほど簡単なことではなく、この短い作品に要求すること自体まちがっているのかも知れませんが、リアリズムというものが、「ある時代の典型的な事件のなかにおいて、典型的な人間を描き出す」ということにその本質があれば、この作品の持つリアリズムは弱いものであったと考えずにはおれないわけです。next