横谷輝児童文学論集2』(横谷輝 偕成社 1974.08.14

3 児童文学あるいは児童文学作家の「成熟」について

(1)
 なにかの拍子に、児童文学あるいは児童文学作家にとって、成熟とはなになのかという思いが、頭をかすめることがある。
 これまで、そうした思いの意味するものを、それほど意識的に考えたことはない。ただ漠然と常識的に、成熟するということは、完全な人間として円熟すること、あるいは人生や社会にたいする認識が深まり、その本質的なものを綜合的に判断しうるようになることだという程度にしか考えていなかった。
 だが、このごろになって、この問題を自分のなっとくのいくように追求してみるべきだと思うようになった。
 そのきっかけの一つは、わたしがもうすでに若くはなく、今後の方向をそれなりに見定めるときにきているということである。
 しかし、それ以上にこの問いかけを、わたしに強いたものは、児童文学あるいは児童文学者の成熟が、結果において児童文学という領域からはみだしていくことになるのではないかという、児童文学そのものにかかわる疑問を抱いたことである。
 それにいま一つは、戦後二十年の児童文学を見わたして、そこに断片的に輝く作品はいくつか指摘することができても、ある持続した主題が一貫して追求されているような作家なり作品を見出すことがほとんどできないという現象の底にあるものを、さぐってみたいと考えたからである。
 ところで、ある児童文学者と雑談していたとき、その作家の口から「児童文学は青春の文学ではないか」という仮説をきいたことがある。
 その理由として、児童文学の読者である子どもは本来的に行動的な存在であり、その子どもを十分興味をもってひきつけるためには、児童文学もそれに応えるだけのバイタリティやダイナミックな要素がなければならない。
 そうした作品が創造されるためには、作家の側にも生命力があふれ、動的な緊張関係を持続するだけの若さやエネルギーがなければならない。それがなくなったところで、子どもの興味をひきつけるような作品をかきあげることは、しょせんムリな仕事ではないかといったことがあげられていた。
 もちろん、これは科学的な根拠のもとにうちたてられた仮説ではない。いわば雑談的にでたその作家なりの思いである。したがって、この仮説に反論を加えることもいとたやすいことであろう。
 たとえば、いくら年齢的な若さがなくなったとしても、その年齢に応じた新しい感情をもって、創造すればそれは、若さや誤解や未熟さの危険をもちやすい、青春の文学よりも、より児童文学にとってふさわしいものがかけるのではないかといったぐあいにである。
 現にこの「児童文学は青春の文学である」という仮説とは正反対の立場からする、「児童文学は四十歳をすぎてからかくべき文学である」という主張もある。
 つまりこの説をささえている思考は、児童文学は子どものためであるから、人生や社会にたいする、ものの見方や考え方が、できるだけ定着し、成熟していることがなによりものぞましいという、どちらかというと教育的配慮の立場にたつものであろう。
 このような論理は、詩についてもおこなわれている。
 参考までに引用してみると、「詩は青春の文学である」という立場にたつ関根弘は、つぎのようにいう。
「結論から先にいえば、詩はしょせん青春の文学だということだ。詩は、中年、あるいは老年の文学として存在することは難しいのだ。これについては、多くの異論がでてくるにちがいないが、わたしは具体的な例を挙げてこれを証明できる。たとえば、ランボオは十九歳にして終ったが、詩は本質的にそういうものなのだ。老成した詩なんてものは、もはや詩ではない他のものだ。詩は燃焼であり、方法論だけでつくりだせるものではない」(詩論一九五八『青春の文学』三一書房)
 こうした説にたいして、リルケのような立場からの主張もある。
「僕は詩をいくつも書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかも出来れば七十年或は八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味をあつめねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにありあまるほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ」(『マルテの手記』大山定一・訳)
 これらの主張にしたがえば、前者では詩はその詩人にとって初期の作品を超えることがなく、成熟ということはありえないということになり、後者では詩は経験をえた老人ほど立派な作品がかけるということになる。
 だが、こうした主張の真意はけっして、そのような極端なことをいおうとしたのではないと思っていいだろう。要は詩の本質のどこにコミットするかによって生じる、芸術認識の差異である。
 話を児童文学にもどして考えれば、「児童文学が青春の文学」であるか「四十をすぎてからの中年あるいは老年文学」であるかといった二者択一的な考えをわたしはとらない。
 いうならば、そのいずれも必要なわけである。これはけっして二つを足して二で割る式の折衷案ではない。
 感覚の燃焼と、さめた認識にもとづいた方法の統一なくしては、真の文学作品の成立はありえないということなのである。もちろん、成熟もこの統一の観点をはずして考えることはできない。
 しかし、これは抽象的な論議のうえでいえることであって、実際にはどうか。

(2)
「歳をとるとどう言うことなのでしょうか、人生が解ったような気がしてくるようです。去年のことです。昔の友達から手紙がきました。
――老来ボクは、頭がますます明晰になって来て、近頃論文がいくらでも書けるようです。
 これを読むと、私も返事を書きました。
――ボクも、そうなんです。頭が明晰になって来て、人生がわり切れるようになりました。一刀両断です。即ち人は生れて、生きて、死ぬ。生きている間は、人類の繁栄につとめる。これが、人類を構成している分子としての人間のつとめと言うわけです。何とも素朴な考え方で一足す一は二と言うようなものですが、こう考えまとめるのに、何と、生まれてから、七十年の月日がかかりました。あなたには、おかしいかも知れません。ま、これが人生です」
 これは「新潮」昭和四十一年五月号に発表された、坪田譲治の『橋』という作品の冒頭の部分である。もちろんこの作品は児童文学としてかかれたものではない。にもかかわらず、ここに引用したのは、この部分的な文章のなかに、作家の成熟というものの一つのタイプが、かなりよくあらわれていると感じたからである。
 坪田譲治の近作は、『賢い孫と愚かな老人』に収録されている諸短篇をはじめ、そのすべてがながい人生経験を経てきたすえにつかんだ、成熟の所産だといっていいだろう。
 こうした傾向について、平野謙は昭和三十八年一月の毎日新聞の文芸時評で、『もののはずみ』(新潮)という作品にふれながら次のようにいっている。
「この作者はこの作者なりの老年を確実に所有しつつあるようだ」と。
 たしかに前述の部分的な文章にも、老境に達した人間の平凡であるが動じがたい、人間あるいは人生についての、真実を、それなりに手中にしえた人の感慨がにじみでている。
 わたしは、このような成熟の境地を、たとえば平塚武二や与田準一の短篇にも見出すことができるように思う。
 平塚武二に『春のこもりうた』(『ながれぼし』実業之日本社)という作品がある。
 春になって、てんじょううらのネズミが、子どもをうんだ。おかあさんネズミはその子どものために、こもりうたをうたう。そのこえをきいたネコは、本能的にあしのつめをたてるが、赤んぼうに乳をのませていたためにつめをひっこめてしまう。
 そのいえのまどの下には、イヌがいて、とだなのなかにいるネコのにおいをかぎつけてうなるが、やがてほえるのをやめてしまう。そのイヌのおなかにも、まだうまれないあかちゃんイヌがいたからである。
 ねべやでは、おかあさんが「春のばんは、ほんとうにしずかだこと。木やくさのめが、のびるおとまできこえそうだわ。どこかとおくで、だれか、こもりうたをうたっているような……。」
 といって、そばにねているあかちゃんに、こもりうたをうたってきかせるというはなしである。
 この作品は原稿用紙にして、わずか三、四枚の掌篇童話であり、そこに話らしい話があるわけではない。だがそこには、圧縮されて濃密なものになったあるものが、たしかに存在している。そのあるものを、どう感じどうとらえるかは、読む人の角度によってさまざまであろう。つまりそれを許すだけのものが、この短い作品のなかにこめられているということである。
 常識的な解釈にしたがえば、春の動物に仮託して平和を象徴的に描こうとしたものだともいえるが、たとえば「これこそ、ホントウの童話で、童話のシンズイだと私は思うのでした。いや、これこそ、地上天国というのでしょうか」(坪田譲治『童話の本を読んで』びわの実学校十五号)という鑑賞も可能である。
 また、与田準一に『かれ葉の道のゆびきりゲンマン』という作品がある。
 善ちゃんと真ちゃんという二人の友達が学校のかえり道、クリの林をとおっていて、まだおちないクリのかれ葉をみつけ、真ちゃんは「クリの木のかれ葉は、かれ葉のじいさん」という。そして善ちゃんにむかって、「大きくなったら、なにになるんだ?」ときく。それをきいた善ちゃんは、「きまってらあい、なにかになるさあ」といって、大声をあげてかけだす。
 わかれ道まできたとき二人は大きくなったら、クリの花のさいているころこの道でまたあおうと、みびきりしてわかれるというはなしである。
 この作品も、原稿用紙にして五、六枚の短篇で、特に目立った特色のあるものではない。しかし、ここにもある時間を経てこなければ、見出すことのできない視点の設定がある。いいかえれば、人生というものを見つめる成熟した眼がそこには感じられるということである。
 いつまでものこっているクリの木のかれ葉の発見と、大きくなったらまたあおうとゆびきりする二人の子どもの姿に、作者の人生に対する人間認識をうかがうことができるのである。
 これら二つの作品にみられる人間や人生に対する認識の成熟は、さきにあげた坪田譲治のそれと、けっして異質のものではない。その表現の形式こそちがえ、ほぼ同質のものであるといっていいだろう。
 わたしは、このような児童文学の成熟なり、人生に対する認識の成熟に、大きな興味と関心をもつ。いやむしろある意味では消しがたい魅力を感じているといってもいい。
 しかし、問題はこの成熟が、児童文学にとってなにを意味するのかということであろう。

(3)
 あらゆる文学世代は、その出発点においてたてられた理念の表現にむかって成熟していくといわれている。
 その意味で、坪田譲治、平塚武二、与田準一の成熟の意味するものをとらえるためには、その出発点にまでさかのぼってあきらかにされなければならないだろう。だがいまはその準備も余裕もない。
 したがってここではごく一般的なところで、問題をおさえていくことでこのことを考えてみたいと思う。
 ところで前述の作家たちが抱いた理念が、児童文学というある意味でせまい枠のなかにとじこもったところに成立したものではなく、もっと幅の広い、いわゆる「文学」というものを目ざしたところのものであったことはいまさらくどくどしく説明するまでもないことだと思われるが、たとえその理念がどのような質のものであったとしても、その理念はその時代の歴史的制約からまぬがれることはできない。つまり、このことを、別なことばで表現すれば、どのような成熟も、なにかを切りすてることによってしか実現することはできないということである。
 なんらかの、犠牲、喪失を代償としてのみ、成熟という理想を手中にすることができる。これは成熟というもののもつ宿命である。
 卑近な例として、早熟ということがある。天才的な作家や詩人にたいして、あるいはすぐれた才能をもちながら若くして死んだ芸術家などについて、よくつかわれる言葉である。
 伊藤整は、かつて石川啄木について、ほかの人が四十すぎてからやるところの仕事を、啄木は二十六歳でやってしまったという意味のことをいった。
 この言葉はいうまでもなく、石川啄木の早熟を語っている。そしておそらくは、そうした早熟は夭折という犠牲? のうえで、完結しているのである。あるいは『地獄の季節』を残して詩からはなれていった、ランボウも早熟の犠牲といっていえないことはない。ともあれ、あまりに早く成熟するということは、結果において晩年の不幸という代償を支払うことだという逆説がなりたつ。
 だが、こうした事例は、いまのさしあたっての問題ではない。
 わたしの関心は、児童文学における成熟が、どのようなプラスとマイナスをもたらすかということである。
 児童文学において、作家がながい人生経験から得た人間認識あるいは社会、現実についての認識を、円熟したかたちで芸術的に表現し、伝達することは、それを読みとる子どもにとって大きな意義をもつ。その作家の体得し、発見し、血肉化したところの真実は、子どもをなんらかのかたちでつき動かさずにはいないだろうことは、多言を要しないことであろう。
 だが、わたしはそうした成熟が、外界の一切の現象から切りはなされることによって得られる場合が多いことにある一種のおそれのようなものを感じる。
 ゲーテは「老齢とは現象から次第に引き退くことだ」といったという。この現象からの断絶を犠牲にして、あるいは現象への関心の喪失を代償にして、成熟というものがえられるとしたら、その成熟とは児童文学の読者にとってなになのかという疑問がのこるのである。
 もちろん、坪田、平塚、与田といった人びとの成熟が一切の外界とのかかわりなしにおこなわれたということをここでいおうとしているのではない。そんなことは厳密にはありえないことだとしても、「現象から次第に引き退く」という心境と、さきにあげたような作品がなんらかのかかわりをもっているということは否定することのできない事実だと思う。
 掌編童話という表現形式上の制約も当然考慮に入れなければならないだろうが、あのような「童話のシンズイ」といわれる作品が、不必要な現象を切りすてたところでかかれているとき、否応なく現象的なものにかかずらって成長していくしかない子どもに、どのような関心と興味をよびおこすだろうか。
 ここにわたしの感じる一つの困惑がある。
 なかには、「“書いてある部分”をとおして、“書かれてない部分”にまで想像をはたらかせて、読後の感想をよせてくれた小中学生の読者たち」(与田準一『クミの絵のてんらん会』あとがき)はいるにちがいない。そして、「童話のシンズイ」といった作品をほんとうに読みこなす読者が、あまり数多くいるということは、むしろ異常な状態だといっていいだろう。
 だが、このことと関連して、いま一つわたしの抱く困惑は「現象から次第に引き退くこと」によって生れてきた作品が、もたらすところのものについてである。
 考えてみれば、さきにあげた坪田譲治の「ま、これが人生です」という言葉は、おそろしい言葉である。なぜなら、これはすでに人生の終末の日を見通してしまったところに生れてきたものにちがいないからである。人間はいずれは死ぬものであり、それまでの生の実質をなしている、仕事や金銭や地位やセックスや政治も、しょせんなにほどの意味をもつものではないという認識がそこにはかくされている。
 これはすべてのべたように、児童文学としてかかれたものでないため、それをそのまま児童文学の問題と直結して考えることは必ずしも妥当だとは思わないが、それをあえて無視していえばこうした認識は、あきらかに子どもや青年あるいは、壮年の認識と対立する。
 十歳の子どもの前にあるものは、ばら色に色どられた「未来」の時間があるのみである。そこでは前途への希望によって生きている生命だけがある。
 だが、十歳の子どもにも、やがては死が訪れる。それはまぬがれることはできない。われわれとておなじことである。どのような人間であれ、いつかは「時間」というものに気づくときがやってくるのだ。
 この「時間」の認識を、そのまま児童文学作品のなかに持ち込んでは、おそらく児童文学作品として成立することはできないだろう。
 しかし、われわれは否応なく、この「時間」の認識をもって、児童文学作品をかかざるをえなくなるのである。
 いうならば、こうした「生」と「死」の認識をどう調和させるか、ここにこそ児童文学作家の成熟の問題があるといえるだろう。このことはまた、そのまま中年以後の児童文学作家の課題につながっていくはずである。

(4)
 いまわたしの内部には、この問題についての明確な解答の用意はない。
 ただまずいえることは、どこまでも現象とのかかわりを失いたくないということである。「現象から次第に引き退く」老齢になって、しかもなお自然への回帰や外界との交渉を断絶せずにいることは、いうほど生やさしいことではないだろう。
 だがこの外界との緊張関係を喪失することは、とりもなおさず作家の生命である想像力の衰弱を意味する。
 そのためには、なによりも現象のなかに問題をみつけだし、それを問いつづけることである。この問いの持続こそ、いわゆる主題の一貫性というものであろう。
 しかし、この主題の一貫した追求は、今日きわめて困難な課題であり、しかもそうした試みは必然的に文学の成熟をむずかしくする。
 だれの分類であったかはわすれたが、日本では「過程の文学」と「調和の文学」の系列があり、つねに「調和の文学」が尊重され、「過程の文学」はなかなか評価されないという主張がおこなわれたことがあった。現実への一貫した問いつづけは、どうしてもこの「過程の文学」になりやすいと思われる。
 だが、わたしはそうした試みが、たとえ成熟するプロセスをふまなくても、またその問いつづけの結果が、児童文学の範チュウをとびこえたとしても、それはそれでいいのではないかといまの段階では考えている。
 いうまでもないことであるが、成熟とはけっしてものわかりのよくなることではない。また右と左のものをあるいは内と外のものを妥協的に調和させることでもない。まして、人間とはしょせんむなしいものであり、無意味なものとして一種の諦念の域に達することでもないと思う。つまりは、安易な人間や人生についての決定論は、成熟というものと、正反対のところに位置するものであることを確認する必要がある。
 わたしにとって成熟とは、結局現実への肉薄を持続することによって、一貫した主題を深化していく過程である。それはある一つのできあがった完成した世界ではない。その深化は「現実」あるいは「他者」と「自分」との動的な関係のなかでのみそれは可能であって、「自分」だけの問題を受動的に追求するところからけっして生れてこないものである。
 いま一つ、成熟の問題として関連して留意したいことは、この成熟がともすれば情感主義と結びつき、結果において保守的なものにおわってしまうということについてである。
 さきに引用した文章のなかで、関根弘は「老成した詩なんてものは、もはや詩ではない他のものだ。詩は燃焼であり、方法論だけでつくりだせるものではない」といっているが、詩と児童文学はかつて共通した項が多分にあった。だが現在ではかなりの質的変化が生じている。
 老成した児童文学があっていいし、燃焼だけですぐれて散文的な児童文学作品をかくことは不可能である。
 そこには当然方法論がなければならない。
 しかし、現代の日本の社会のなかで成熟していくということは、ともすればこの「燃焼」と「方法」いいかえれば「感受性」と「観念」のきびしい相剋のなかで熟していくのではなく、「観念」に対する「感受性」の優位というかたちでおこなわれることが多い。
 つまり、それは「観念」によって「感受性」がゆがめられるという青年期の特質の逆なかたちをとってあらわれるわけである。
 最近の思想潮流として、こうした感受性や情感をもっと自信をもって回復しようという動きがつよくでている。
 人間の始源としての情感・情緒というものが、現代社会にたいする一つの批判的役割をもつことはそれなりに認めるが、それがともすれば自然への回帰や真実への素朴な没入におちこんでしまう危険も十分に認識しなければならない。
 この問題に大きくいえば、日本の思想の本質的な課題で、歴史や社会、人間の現象を論理によって客観的にとらえようとする「科学主義」と、それを人間の情緒や共感によって主体的にとらえようとする「文学主義」の対立にまで及んでいかざるをえないが、いまここで、わたしが強調したいことは、作家としての成熟が一種の「確信」と「単純化」によってだけ、定着されることの危険さを認識してほしいということである。
 ある情緒によってうらづけられた確信をもって人間なり現実なりを、これこれであると単純化してとらえることは、人にあたえる印象もつよく、魅力的なことである。だがそうした成熟は結局せまい世界にとじこもることであって、わたしには賛成できない。
 おなじことをくりかえすようだが、わたしがのぞむ成熟とは、現代と深くかかわり、現実の問題をすこしでも切り開いていくなかで定着していくようなものでありたいと考えている。
(「童話」昭和四十一年六月号掲載)



4 児童文学で現代をとらえるということ――複合的視野・座標軸について

(1)
 われわれはなぜ児童文学をかくのか、という問いについては、さまざまに答えることはできるだろう。わたしはその答えの第一として、児童文学で現代をとらえたいからという理由をあげたいと思う。
 この答えはいささか突飛な感じをあたえないこともない。だが、おそらくいまの日本の児童文学がかかえている、もっとも根本的な課題の一つは、この現代をどうとらえるかということであるとわたしは考えている。
 今日という時代を誠実に生き、よりよき児童文学を創造しようと願う作家ほど、この課題をさけてとおることは許されないはずである。なぜなら、児童文学作品をかくという行為は、本質的には自分の内部あるいは外部から、現代というものをなんとかしてとらえたいという要請のようなものがあって、はじめて可能になるにちがいないと考えるからである。
 もちろん、そんな要請によって、児童文学作品をかいているのではないという人もあるだろう。しかし、その人は、現代という時代に生きるむずかしさを、ほんとうに自覚していないのだとわたしは思う。
 わたしには、現代というものをとらえることの、絶望的ともいえる困難さに直面していない人を信用することはできない。まして、そうした現代というものを、どのようなかたちにしろ、あるいは方法にしろ、なんとかしてとらえたいという姿勢や内的衝迫をもたない作家の作品には、ほとんど興味がない。
 といっても、これはわたしだけの、ひとりよがりな揚言としてひびくおそれは多分にある。
 児童文学で現代をとらえるという問題が、今日の児童文学のもっとも大きな課題であるという考えに、基本的に疑念をさしはさむ人も、すくなくないことをわたしも知っている。
 たとえば、次のような文章のなかに、それが端的にしめされている。
「時代によって価値のわかるイデオロギーは――例えば日本では、プロレタリア児童文学などというジャンルも、ある時代に生まれましたが――それをテーマにとりあげること自体、作品の古典的価値(時代の変遷にかかわらずかわらぬ価値)をそこなうと同時に、人生経験の浅い子どもたちにとって意味のないことです」
 これは『子どもと文学』(石井桃子他)のなかの「子どもの文学で重要な点は何か?」の項で、「素材とテーマ」について述べられた一節である。
 つまり、ここにあらわれている見解は、わたし流にいいなおせば次のようなことである。
 児童文学というものは、なにも現代というものだけをとらえ、それを表現することがすべてではない。むしろ、子どもに読ませる児童文学は、移りすぎていくところの時代の現象を表現するよりも、もっと時代や社会の枠をこえたところで、なお価値をうしなわない永遠の真実をこそ、とらえて表現すべきであるという主張である。
 児童文学作品が、時代によって勝ちのかわるものをとりあげることはナンセンスであり、もっと「時代の変遷にかかわらず、かわらぬ価値」や、人間にとってつねに真実であるところの「理想的な人生哲学」を表現することのほうが、より重要であるという主張には、わたしもけっして反対ではない。そのことの必要性は十分に認めるものである。
 だが、しかし、このような見解から児童文学作品が時代にかかわることがまったく不必要だという結論をひきだすことはできない。
 もちろん前述の引用文でも、石井桃子は現代をとらえたり、それにかかわったりすることは無意味であるといった表現をしているわけではない。しかし「イデオロギー」の否定をつきつめていくと、児童文学にとって現代をとらえることは必要でないし、児童文学としての価値をそこなうものだという結論に達せざるをえないのである。
 果して、現代というものをとらえることは、児童文学にとって必要ではないのか、それは意味のないものとして否定すべきことなのか。
 たしかに、理性の発達の未熟な子どもを対象とする児童文学は、現実社会とのかかわりよりも、より本質的にはファンタジーの要素の方が大きいものであることは事実である。ここから、なにがなんでも、児童文学は現代をとらえ、現実社会を批判的にリアリズムの方法で表現しなければならないというきめつけは、あきらかにまちがっている。だが、同時に、児童文学になんらかの現実社会の反映があることも、ファンタジーも現実社会を基底とすることなしに成立しえないことも、打ち消すことのできない真実である。
 さきほどものべたように、すぐれた「古典的価値」を志向することは、児童文学にとってきわめて大切な要素であることはいうまでもないが、だがその「古典的価値」はいつの時代にも通用しうるものとして、けっしてアプリオリに存在するものではない。もし存在するとすれば、それは「古典的価値」というよりも、むしろ教条的な教訓によりふさわしいものであるといわなければならないだろう。
 きわめて常識的なことであるが、一口に「古典的価値」といっても、それは歴史的な過程において、さまざまな試行錯誤のうえにつくりあげられてきたものであり、どのような「古典的価値」でも「理想的な人生哲学」あるいは「普遍的真実」であっても、それの絶対性が生きて存在しうるのは、あくまでも相対性との緊張関係のなかにおいてのみである。この絶対性と相対性との切り結ぶ接点でこそ、「古典的価値」もそれにふさわしい価値の力を発揮することが可能なのである。
 このことを考えるとき、児童文学が現代にかかわり、それをとらえようとすることと、児童文学作品に「古典的価値」をもたらすこととは、けっして抵触することではなく、むしろ、現実社会との主体的なかかわりのなかでこそ、「古典的価値」を見出すよう努力しなければならないのではないか。
 つまり、ここでは文学は永遠的・普遍的なものと、歴史的、社会的なものとの統一によって成立しうるものであるという、ありふれた定義をあらためて確認することによって、ことがすむのである。

(2)
 ところで、児童文学で現代をとらえるとはどういうことなのだろうか。あるいは児童文学で現代をとらえるためには、なにが必要であり、どうすれば可能なのか。
 考えてみれば、この問題はあまりにも大きすぎて、漠然としている。どこからどうきりこんでいけばいいのかまるで雲をつかむようなたよりなさを感じさせないでもない。
 いうまでもなく、現代の世界は大きな激動期にある。たとえばベトナム戦争に象徴されるように、アジア・アフリカ諸民族のたくましい成長が大きな流れとして進行している。あるいは中ソ論争にみられるような社会主義国間の矛盾という新しい事態がひきおこされている。また原子力の出現による人間の意識の変革がおこなわれており、科学のめざましい進展による宇宙開発の拡大が急テンポで進展しつつある。
 これらわれわれのまわりに、いまおこりつつあることがらは、いままでの人間の思考や現実に対する意識、あるいは歴史に対する意識を根底からゆさぶり、新しい事象に対応しうる人間のあり方、意識の変革がもとめられている。
 いわば、いまのわれわれにとって、もっとも緊急な課題は新しい世界像の形成にあるといっても、けっして過言ではないだろう。
 だが、このような激動期にある現代世界を、児童文学として包括的にとらえ、そこに新しい世界像を形成して提出することはきわめて困難というよりも、ある意味でほとんど不可能に近いことである。
 第一に思想の未発達な子どもに、この複雑な世界の動きを十分理解しうるように表現し、しかもそこに文学的感銘をあたえることなどまず予想することができない。
 たとえば、十九世紀文学のなしえたように、自分を神のような位置におき、その視点から世界全体を見まわしその眼にうつったものを表現することが、そのまま世界全体をとらえたことになるというような幸福な時代は、もはやとおりすぎてしまっている。
 そうした十九世紀的ないわばバルザック流の文学方法が成立しうるためには、まずなによりも、そこに共通の場や共通の論理が必要であるが、今日ではそうした共通理解が成立しうるような場はどこにも見出すことはできないのである。立場をかえれば、眼にうつる姿も、論理も倫理も価値もまったく相対立するような今日の状況のなかで、ただパノラマ式にこの世界の状況をとらえるということは、ほとんどなにものをもとらえないことと同義である。
 かつて大江健三郎は、自己の文学の方法について、正確な言葉はわすれたが、小さな穴から世界をのぞきみることによって、現代にアプローチしたいという意味のことを語ったことがあった。つまり「性」という人間の部分をどこまでも追求することによって、人間全体を同時にその世界をとらえようとする試みである。
 たしかに、ある一つの視点から世界をみることが、今日における現代へのアプローチの可能的な方法であることは考えることができる。
 だが、ある一つの視点が固定され、そこだけによりかかって現代をとらえようとするとき、必然的に他の部分との有機的な連関がたちきれてしまい、主体的な陰影をうしなってしまわないかという危惧はのこる。
 もし、立体的な把握が不可能になったときには、そこに真の世界をとらえることはできないはずである。なぜなら立体感をもたない人間は真の人間ではなく、それは一種の影の存在にすぎないからである。そうしたことは現代という複雑なものをとらえようとするとき、決定的な弱点となってしまうことはあまりにもあきらかなことである。
 このように考えてくるとき、児童文学で現代をとらえるということは、いかに困難な仕事であるかがわかる。その壁の厚さのために、子どもを読者とする児童文学には一般の文学にいわれているような「全体小説」などはありえないし、また必要もないという主張もおこなわれることになる。
 わたしも、前述したように世界をパノラマ式に見まわすような形のものは児童文学として困難であるし、そうした作品は必要でないという説にはけっして反対ではないが、だからといって、現代をとらえることは児童文学には必要でないという判断にまで、そこからひきずっていくことには賛成できない。
 むしろ、わたしはこの現代を児童文学でとらえることの困難さに、どこまでも挑戦してみたいという思いにかられている。そのためにはどのような可能性がのこされているだろうか、それをつきつめてみなければなるまい。

(3)
 児童文学で現代をとらえることの可能な方法として、わたしはまずさしあたって二つの道を考えてみたいと思っている。
 それを結論的にいってしまえば、次のようなことになる。
 その一つは、現実をできるかぎり総合的にかつ構造的にとらえるために、複合的な視野と多元的な視点のうえにたって、現代の複雑な様相に迫ろうとする試みである。
 いま一つは、これとウラハラな関係にあるとも考えられるもので、現代というきわめて漠然たるものをとらえるために、ある一つの動かない座標のようなものをもとめ、それをささえとして現代を逆にみつめていこうとする方法である。
 もちろん、このいずれの方法もけっして口でいうほどやさしいことではない。きわめてむずかしい作業だといってもいいだろう。それにこうした方法が、ただ機械的に適用され、駆使されるとき、そこに生れてくる作品はなんということもない平板で図式的なものにおちいる危険性も多分にもっていることは、あらかじめ十分に認識しておく必要がある。このことは方法が現実をどうみるかという作家の主体、思想と密接につながっているときにおいてのみ、その有効性をもちうることを、はっきりと物語っている。
 ところで、現実を複合的な広い視野のもとに、多元的な視点からとらえようとした作品に、いぬいとみこの『うみねこの空』がある。
 この作品が示唆するところのものについては、すでに別なところでふれたこともあり、ここではあまりくわしくふれる余裕はないが、ここには日本の現実がもっている矛盾を、構造的にとらえようとする、きわめて積極的な意図があり、それがこの作品の大きな特色となっている。
 つまり、作者は青森県八戸の蕪島にすむうみねこと、そのうみねこによって田畑をあらされる農民、そのうみねこを主題にした版画集を作ろうとする中学生、その中学生を指導する教師などのいくつかの視点を設定し、そのそれぞれの視点から、海上自衛隊の基地であり、新産業都市として資本主義社会のなかで適応するために、変貌していこうとしている地域社会の矛盾をうかびあがらせようとしている。
 またそうした地域社会の様相とともに、自分たちの生活を守るために、身の危険をもかえりみず、安全操業のおきてをやぶってコンブ漁にでていかざるをえない漁師の生活実態や、勤評による民主的、創造的な教育の圧迫にもめけず、子どもたちの自主的な美術クラブ活動を伸ばそうと努力しながら、結果的には左遷されざるをえなかった教師のすがたなどをからませ、いまの日本の現実社会にどこでもおこっていることがらを、広い社会的展望のもとに照明をあてようとしている。
 その結果は必ずしも十全に成功しているとはいえないにしても、すくなくとも、児童文学によって現代をとらえることの可能性の一つがここに明示されたといってもいいだろう。
 この作品にみられる志向は、ある一つのせまい穴から世界をのぞきみようとする傾向とは、相対立するところのものである。そして、わたしがこのような現実社会を複合的な視野のもとに、その複雑な様相そのものをとらえようとする試みに、大きな可能性を見出すのも、現代という時代の本質は、まず全体的な視野を自分のものとしないかぎり、けっしてその輪郭を鮮明にあらわすことができないと考えるからである。
 つまり、現代のごく一部分をとりあげて追求するにしても、それが的を射たとらえかたとなるためには、なによりもまず、他のさまざまなものとの関連のなかで、追求していくことによってのみそれは可能となるからである。複合的な視野を前提として出発した場合と、そうでない場合とでは、そこにおのずから質的な差違が生じてくることはあまりにもあきらかなことだといわなければならない。
 ところが『うみねこの空』においては、他のさまざまなものとの関連はかならずしもうまく処理されていない。この作品のなかでもっとも視点の鮮明なものは、うみねこと、冬子を中心にした中学生たちであるが、そこには複合的な場は設定されていても、複合的な論理や倫理のかかわりは深くつっこんでとらえられていない。これらのものがもっと有機的にくみあわされて把握されておれば、この作品はよりほりの深いものになっていたにちがいない。
 日本の現実社会の矛盾をとらえようとしたいま一つの作品に『水つき学校』(加藤明治)がある。
 この作品は、テンリュウ川の下流につくられたダムのために、すこし雨がふるたびに川がハンランし、大きな被害を部落にあたえている。この水害をなくするためにダム撤去の運動に立ちあがる農民のたたかいを、庄一という子どもの眼をとおして描いたものである。
 この『水つき学校』に描かれている、ダムによる被害は、水害のみでなく水温低下によるものなどを加えれば日本のいくつかの地方でもひきおこされている問題だと考えてもいいだろう。
 このダムと農民のあいだに生じた矛盾も、さきにあげた『うみねこの空』にみられた矛盾と同じように、日本の資本主義社会に根ざしたところのものであって、現代の問題をとらえようとする意図、志向において、この二つの作品は共通したものをもっている。
 しかし、日本の現代の本質に迫ろうとする方法は、かなりちがったものである。そのもっともはっきりとした相違点は、『うみねこの空』がまがりなりにも、複合的な視野のもとに、多元的な視点からとらえようとしたのにたいして、この『水つき学校』は、庄一という一人の子どもの視点をとおして、複雑な現実をとらえようとしていることである。
 いまここで、一般的なかたちで、この二つの方法の優劣を論じるつもりはない。なぜなら、これらの方法はその作家の主体、思想のあり方によっては、すぐれたものになり、つまらぬ平板なものにもなりうるものだからである。
 したがって、この『水つき学校』に即していうならば、作者は庄一という子どもを、かなりうまく処理することによって、一応は破綻なく作品をまとめることに成功しているが、同時に子どもの視点に限定したために、現実の複雑な面についてのつっこみが、かなりひよわいものになってしまっている欠点が眼につく。またこの作品にとかく教育的な匂いが鼻につくのも、作者が中学校長であるという要因もさることながら、ただ二人の子どもの視点に固定した方法上の弱点からくる影響も大きいのではなかろうか。
 この作品については、ダム撤去などという児童文学では処理しえない問題をとりあげたところに無理があったという批判がおこなわれたりしているが、もしこれが庄一という子どもの視点のみでなく、もっと別な視点の設定によるからみあいという方法がとられていれば、あるいはより児童文学にふさわしい解決がありえたのではないかとも考えられるのである。その場合またいまほどの作品世界の統一が保ちえたかどうかという疑問がわくとしてもである。
 ともあれ、この『水つき学校』では『うみねこの空』とは反対に、一つの視点からのアプローチが、現代をとらえるためにはけっして有効ではなく、そのために無理が生じる結果になったということが指摘できるだろう。
 以上わたしは、現実批判的な作品をとりあげて、児童文学によって現代をとらえることの可能性の問題のごく一つの側面を考えてみたが、ここで誤解のないようにいいそえておけば、児童文学で現代をとらえた作品が、なにもリアリズムによる現実批判の作品のみを予想しているのではないということである。
 最近では古田足日の『宿題ひきうけ株式会社』も、あるいは小沢正の『目をさませトラゴロウ』も現代をとらえている作品であることにかわりはない。それはファンタジーの方法による作品でも同じことである。

(4)
 児童文学で現代をとらえるいま一つの方法として、わたしは現代をとらえるなんらかのメドのようなものを設定しそれをテコとして現代に迫ることを考えているが、その場合、一つのイメージとしてうかんでくるものに「戦争体験」の問題がある。
 この「戦争体験」を動かない座標として、戦後体験をとらえるということは、現代をとらえる一つの有効な方法として考えることができるだろう。
 そのような作品の一つとして、乙骨淑子の『ぴいちゃあしゃん』などをあげることができる。しかし、ただ戦争体験だけを一つの視点として、そのせまい穴だけをほじくることは、かならずしも現代をとらえることにはならないと考える。体験の固執は結局さきにものべた大江健三郎の、せまい穴から世界をのぞくことと同質で、他とのもろもろの関係をたちきることであって、真の世界をうきあがらせることはできない。
 いままでは、戦争体験にもとづいたいくつかの作品がかかれているが、それらの多くは戦争の悲惨さ、あるいは戦争の愚劣さを子どもに伝達するうえにおいては、ある有効性をもちえても、それ以上でもなく、それ以下でもないところに、わたしなどは一種のものたりなさを感じていた。
 そのものたりなさをいまにして考えれば、そこに現代をとらえる目がないというもどかしさであった。
 もちろん、現代をとらえるということは、現象や風俗事象をすくいあげることではなく、大きくは歴史の流れをとらえることである。そのためになによりも要求されることは、現実をドラマチックに、弁証法的に把握しようとすることである。
 このことを、戦争体験の問題に関連していえば、戦争体験をいたずらに絶対化することではなく、戦争という客観的事実をふくめて、さらにわれわれの祖先がすでにおかしてしまった罪をも主体にうけとめて、現代というものを認識するということである。
 このことについて、木下順二は、藤島宇内の説だとして日本には「三つの原罪」があり、それは朝鮮人問題、部落問題、沖縄問題である。このもはやどうしても自分たちのうちから消すことのできない原罪意識をもって現代をとらえてみたらどうだろう。自分はそうした軸をもって「沖縄」という作品をかいてみたという意味のことをいっている。(日本が日本であるためには)
 現在の日本の児童文学には、このような深くかつ広い座標軸をもった作品は、ほとんどかかれていない。せいぜい自己の体験のまわりをぐるぐるまわるか、視野のとどく範囲のなかでの、どうにかの問題処理ていどでお茶がにごされてしまっているにすぎないのである。
 わたしは、さきに一つの軸として「戦争体験」をあげたが、このような軸はそれぞれの生き方に応じてもっと考えられなければならないと思う。
 そして、それらの軸をささえとして、日本の現代をまるごととらえていくような作品が、数多くかかれる必要があるのではなかろうか。
 最近の児童文学には、ほんとうに心底からゆりうごかされるような作品がないとよくいわれる。このことも、おそらく日本の現実社会を包括的に把握しようとする、児童文学作家の姿勢と深いところでつながっている問題にちがいない。
 つまり、自分の全存在をかけてどうしてもかかずにはおれないような、モチーフのもとに創造活動がなされていないのである。モチーフとはけっして、単なる創作のきっかけといったものではない。その作家が生きてきた全体験と、これからの生き方のなかからえらびだされ、生れてくるところのものでなければならない。
 現代の児童文学の大きな流れは、そうしたモチーフのもとに、日本の現実社会と全存在をかけ対決するところから生れる作品によって、形成されていかなければならないと、わたしは痛切に考えている。(「童話」昭和四十一年七月号掲載)

テキストファイル化 鈴木真紀