【抜粋D】

 さて、一九七二年五月二○日の朝日新聞は「読書感想文コンクール・『課題図書』は曲がりかど、教師の指導にゆがみ、押しつけ、買うのは親」なる記事を掲載した。記事は冒頭で、課題図書の開設は当初の新刊普及に役立ったとし、その目的が達成された現在、数多い児童書から小学校六点、中学三点をなぜ選ばなければならないのかという疑問を投じ、次の様に結語している。

 〈ふつう児童図書は、どんなに売れるといっても、年間四〜五万部。(引用者註-課題図書以外でそんな例は無い)だから「課題図書」になるかならないかは、出版社とりわけ規模の小さな社には大きな問題になる。「教科書の採択みたいなもの」と形容する出版社もあるほど「課題図書に一冊はいれば、三年分うるおう」という話もきいた。そのため「内容に冒険はできない。選考の傾向にあったものをねらって本づくりをする」と舞台裏を話す社もある。それだけに、一般には公表されていない〃覆面の選考委員〃に接近をはかったり……。(引用者註-これが出版社ではなく、作家にもあったという話さえある)/ことしも「課題図書」は他の児童図書をしり目に売れるだろう。発表一ヵ月前は選定を内示される出版社、おおいそぎで増刷やストックに備えた。児童図書関係者は「新しい意味づけをするなど、課題図書はすでに転機を迎えている」といっている。〉

 こうしてみると、これはまさに現代のミステリイとも言えそうな話題である。そして、それが大新聞をバックに「子どもによい本を」というスローガンのもとに推し進められているのだから、不気味というほかない。しかし、何度もくり返して言うようだが、こうした流通関係の批判や、選考過程の不明朗さといった表面上のことをいくら攻撃して見たところで、ゲスの勘ぐりと言われるだけのことである。朝日新聞が一見、景気よく他社の目玉商品をつついても、まわりからみれば、その商品を朝日が欲しがっているのではないかと思われるのがおちだし、また、そういう悪口雑言で開き直られる可能性がある。もっとたちの悪い邪推をすれば、全国SLAは、「朝日に乗り替えてもいい」と毎日をおどかすかも知れない。問題はその根元に深い政治性を秘めた道徳教育への傾斜と、児童文学を極めて反動的な教育文化へ従属せしめてしまった犯罪性を撃つべきなのだ。
 そうした点で、今度児文教が機関誌七月号で、初めて「課題図書」とは何かという特集を組んだのを知り買ってみた。残念ながら、誰ひとり、その問題を衝いていない。流通関係と選考過程の怪しさにだけ目を奪われており、広告義務の問題も、事務局長松尾が口さえ開けばわめき散らす「考える読書」とやらに触れてもいない。その認識の甘さには驚かされてしまった。会員の中には全国SLAの役員もいると思われるのだが、これでは、一応世間様に見習って、ここいらでゼスチュアのひとつでもしておくかといった程度でしかない。
 しかし、その機関誌の次号予告に、一九七三年度活動方針が掲載されるとあるのを見て、活動方針の中でも、多少はこの問題にふれているかの期待したが、だめだった。一言半句も触れていないのである。そればかりか、「-まず作品をふり返ってみると、七二年は一定の稔りある年だった」と相変わらず後生楽なことを言い、例によって会員の作品名を列挙し「だが」ときて、私が先に引用した一九六九年度活動方針の「現状打破、現状追随、二面性論」を有難いお題目のように、またぞろ持ち出して来ているのである。お家元の日共の「議席倍増、議会民主主義尊重」のヒナ型だと思えば納得出来ないこともないが。たかが児童読物作家が何を言うかと言われるかも知れないが、日本に於ける最大の児童文学運動の団体がこんなことだから、テーマがいいか悪いかだけで、児童文学の理念などわかろうともしない権威主義的な読書運動屋どもに大きな顔をされてしまうのだ。

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