【抜粋E】

 一九七二年夏、那須田事件が起きた。たまたま那須田が課題図書のチャンピオンであったことや、児文教有力メンバーであったことから、事件に対する態度はきわめてあいまいで、むしろ那須田をそこまで追いこんだのは量産をいそぐ出版社の責任であるといったような意見までとび出した。そして、今日、微量の変化が出始めてはいるが、まだ課題図書は猛威を振い、児童文学にさしてかかわりを持たない人人までが、課題図書批判(ある部分では印象論におわっているが)を始めているというのに、この「民主的児童文学の創造と普及」を旗じるしとする日本最大の児童文学運動の組織は、この問題を自らの創造主体の問題として取り組もうともしない。
 先に述べたように、創立以来の事務局長松尾弥太郎の退任で、全国SLA松尾体制は一応の終止符を打った。しかしこれは読書感想文全国コンクール終焉ではない。主催者が予測しているように、二五○万の応募文が集るであろう。つまり「考える読書」を強いられる子どもが、それだけ出るということである。しかし、そうはいうものの、私には、その子どもたちに何をしてやることも出来ない。せめて、教育労働者の諸賢に、手引書を下敷きにするような読書指導や、感想文をやめていただきたいと願うだけである。学校行事におわれて多忙なこととは思うが、図書室へ出むいて一番手垢がついて、一番いたんでいる本をひろげていただきたい。その本こそ、数多くの子どもたちの手から手へ渡った本であり、そこで彼等がどのような世界にめぐりあえたかを知ることが出来るからだ。そこから、子どもの本を、子どもの関係を、諸賢自身の問題として、主体的に取り込まれるようにお願いする。
 最後に、私は与えられたこの貴重なぺージを全て、予断と類推と憶測と偏見とによって埋めつくしたいと思った。まさに伏魔殿のごとき謎につつまれた全国SLAの松尾時代を総括するならば、それ以外の方法はないと思ったからである。にも拘らず、それは不徹底に終わった感がある。なお附表には解説をつけなかったので、その部分は、諸賢の戦闘的かつ主体的予測と偏見で補足されんことを希望する。 

*この文章は79年晶文社発行の『児童読物よ、よみがえれ』を底本とし、その一部を抜粋しました。(パロル舎)

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